室井健亮氏と天羽優子氏との議論 2008.01.08.
大学はインターネットをどのように使うべきか、言論の責任は誰にあるか、などについて、ブログなどで見識を示している室井健亮氏が、天羽優子氏と直接議論をしている。
オーマイニュースの大串氏が自分のブログを議論の場に提供した形である。
議論は1月4日の午後から深更まで続いたが、ここでは夕方からの部分をご紹介しよう。
http://tomihito.exblog.jp/7897434/
室井
要するに、【ここ】での貴方のご主張は、あれは「大学の業務」として認められたページである、ということですね。それに異論はありませんよ。さて、
【大学の業務であって、尚且つ、学内規則や業務命令に従ってなされた結果である】
ということですから、それは当然、大学の責任の問題になります。
また、こういった場合、クレームを入れる先が大学であるのは当然です。
大学がそのクレームに対処する(義務だけでなく)権利を有するのもまた当然です。
天羽
とまでは言えないから紛争になっています。
例えば「名誉毀損だ」と言われても大学の一存で削除を決めるということは多くの場合不可能です。大学は裁判所ではありません。削除した場合、教員側から権利侵害で大学が提訴されるリスクを背負うことにもなります。
これは、民間のプロバイダでも同じです。また、総務省の定義では、大学もプロバイダであることに間違いはありません。そこで、お茶の水大は、プロバイダ責任制限法に従った運用規則を用意したのです。ただ、それでも嫌がらせの提訴は防げないだろうということは予想していました。今回のクレーム処理で、大学は、規則通りプロバイダ責任制限法にのっとった処理をしました。これで大学が免責されるかどうかが法廷で初めて試されるわけです。
室井
【大学の業務として設置された大学のサイト上のページ】に関して、当該の大学にクレームを入れたり、大学がそのクレームに対処することを阻止する権利は貴方にはありません。
瑣末な法的知識を持ち出しても、常識をまともに働かすことができないため、法的にも間違った結論に導かれてしまうのです。ニセ科学ばかりでなく、ニセ法律でもある訳ですね。
天羽
クレーム処理として、実験的な意味合いが強いのが、私が昨年12月5日に提起した「債務不存在確認訴訟」です。これは、本務先である山形大学に対するクレームに対し、「教員が開設したウェブページの法的責任は教員個人が負う」とする大学の見解をふまえた上で、私が法的責任を負うために「削除義務が無いことの確認」を求めて提訴したものです。これがうまくいけば、クレームがあった段階で表現者本人が法的手段に出ることができますので、大学を挟んで云々しなくても、直接表現内容の審理に入ることができ、処理がかなりすっきりするだろうと考えています。
室井
>削除した場合、教員側から権利侵害で大学が提訴されるリスクを背負うことにもなります。
そういったリスクは通常は軽微です。事実、多くのプロバイダーは独自の判断で削除を行っています。お茶大の場合も教員による提訴ではありません。実際にあるのは、
@「教員でない管理者によるお茶大への提訴」と
A「教員である管理者による山大への提訴」です。
その訴えはどちらも斥けられるでしょう。
貴方も【ここ】では認めているように「私的な業務を遂行するページを設置するという契約」が成立していない以上は、それは当然のことなのです。
吉岡注:@は天羽氏が独立参加人としてお茶の水女子大学を提訴した件
Aは今回天羽氏が山形大学を提訴した件
天羽
>そういったリスクは通常は軽微です。
現実には、軽微ではなかったから、プロバイダ責任制限法が作られたのです。軽微なのでどんどん削除してもよい、ということであったのなら、プロバイダ責任制限法は不要ですよ。繰り返しますが、「私的な業務を遂行するページを設置するという契約」は、「私的な業務を遂行」の部分があてはまらないので、最初から存在しないということです。
室井
>「教員が開設したウェブページの法的責任は教員個人が負う」とする大学の見解
【教員が開設したページ】なるものの定義が不明です。
【学内規則や業務命令に従って、教職員が「大学の業務」として開設したページ】に関して、そのような見解は通用しないでしょう。
そのような見解を大学が本当に有しているというのならば、大学にはその見解を是非とも試みに公にしてみて欲しい、と思いますね。
もちろん、学内規則や業務命令から逸脱して、大学の与り知らぬところで教員が勝手に開設していたページなら、その限りでありませんけれども。さすがに、そういう話でないでしょうから。
天羽
>「教員でない管理者によるお茶大への提訴」と「教員である管理者による山大への提訴」です。その訴えはどちらも斥けられるでしょう。
実は、どういう形で事実認定されるかが興味深いところなんですよ。双方とも、大学に対する請求内容は「不作為」です。でもって、問題になっている表現が不法行為でないと裁判所に判断されれば、いずれの大学も「不作為でOK」と判断するであろうケースです。不法行為でなければ、大学が削除しろという理由も無くなりますので。
室井
ページは業務として開設されたものだが、その個々の細部の内容までは大学は知らなかったということは、当然、ありえます。
だから、大学にクレームを入れる意味があるのです。クレームを入れることによって「大学がその該当部分の内容」を知ることになるのです。そのクレームに対し大学が適切な対処をしなかったとすれば、それは大学の責任であって、書き込み人の責任でありません。これは書き込み人とは別の責任です。
天羽
>【教員が開設したページ】なるものの定義が不明です。
お茶の水大の運用規則が参考になります。
委員会を通して発信内容を決めたものと、そうでないものに分類することになっています。
考え方としては
・委員会等で決めた内容については組織として法的責任を負う
・会議で内容を決めたわけではなければ、開設者(個別の教員)が内容について法的責任を負うという振り分けです。
これを「学外に対してどこまで主張できるか?」「主張するとしたらどのような法的手段をもってすればいいのか?」というのが、本当の問題です。
>そのクレームに対し大学が適切な対処をしなかったとすれば、それは大学の責任であって、書き込み人の責任でありません。これは書き込み人とは別の責任です。
その通りです。そして今回、その「適切な処置」の中身も問われています。
具体的には、お茶の水大学はプロバイダ責任制限法に準拠した処置を行っていた最中でした。また、請求原因となった表現は裁判官に「読んだだけでは名誉毀損であることがはっきりしないので追加の説明が必要」と言われました。この状況で、大学が取り得る「適切な処置」とは一体何なのかが知りたいです。裁判官が読んですぐにわからないようなものに対して、大学が裁判所より適切に名誉毀損かどうかの判定ができるとは考え難いのですよ。
室井
プロバイダと運営者との間に「私的なページを設置するという契約」が成立していれば、プロバイダが削除すれば、プロバイダの不法行為になる可能性がある。
「私的なページではなくプロバイダのページ」ならば、プロバイダの権利で削除(公開停止)できるのは当然です。
>大学が裁判所より適切に名誉毀損かどうかの判定ができるとは考え難いのですよ。
それは、ほとんど意味がない。「名誉毀損を為した人」が裁判所より適切に名誉毀損かどうかの判定ができるということは、通常、期待できる話ではありません。
天羽
>「私的なページを設置するという契約」が成立していれば、
いいかんげんに「私的な」という表現はは止めてください。誤解を招きますし、「私的な」と限定すると範囲が狭くなりすぎます。より適切な表現としては、「教員個人がその裁量でページを設置するという契約」でしょう。
>「名誉毀損を為した人」が裁判所より適切に名誉毀損かどうかの判定ができるということは、通常、期待できる話ではありません。
議論の前提が混乱しています。大学がクレーム対応としてある表現を削除する、という状況を考えてきましたから、表現をした人と大学は別人です。
大学が委員会決定でもって名誉毀損表現を公開したのなら、表現した本人として責任を負えばいいだけの話です。問題となっているのは、教員個人の発信した内容について、外部から「名誉毀損だ」と言われたため、大学が改めて表現を確認したら「どうもよく分からん」となった場合にどうすればいいのか、ということです。
室井
公的な機関である以上、その機関の業務に関する以上は、学外からいろいろ言われるのは当然です。もちろん、教職員の「私的な活動」について、大学にいろいろ言う訳には行きませんが。(ま、たまに言う人もいるけれど…)
>「教員個人がその裁量でページを設置するという契約」
はあ…? それは、一定の裁量の範囲内で「大学の業務」としてのページを設置しているという実態を表しているだけでしょう。そんなの当たり前じゃないですか。
>大学が改めて表現を確認したら「どうもよく分からん」となった場合にどうすればいいのか
それは、大学の好きにすればいいでしょう。その結果としての、名誉毀損なら、それは大学の責任です。貴方の「大学の好きにはできない」という主張が間違っているだけです。
一定の裁量の範囲内で「大学の業務」としてのページを設置しているという実態があり、そういったページを大学が公開停止にしたからと言って、大学の不法行為にはなりません。
天羽
「いろいろ言われる」に止まらないことが問題なんです。
それともあなたの「言われる」には提訴されることまで入ってるんですか?
1)教員個人が裁量で設置したページにおいて、
2)名誉毀損であるという指摘があり(より一般的には他人の権利を侵害しているという指摘があり)
3)大学(この場合はウェブあるいは広報関連の委員会)が内容をチェックしてみたら
4)名誉毀損かどうかが直ちに判定できそうにない
という場合に、大学としての「適切な措置」とは一体どのようなものか?という問題です。
提訴の間口は広いです。広く権利侵害を救済するという目的があるから、余程でない限り裁判所は門前払いはしません。どこが名誉毀損かわからないと大学が思っても、提訴されることは有り得ます。提訴を嫌ってクレーム即削除という対応をとるなら、誰かにとって都合の悪い情報は一切出せなくなる上に、教員からの提訴も有り得ます。
どういう制度であれば安定に運用可能かを議論してもらいたいです。
>そういったページを大学が公開停止にしたからと言って、大学の不法行為にはなりません。
いいえ、なり得ます。
そのウェブサイトの情報発信によって、例えば大学が行う「教員個人評価」に結びつく内容の活動をしていた場合には、不当にその活動を制限したということになります。業務の一部でやっていれば、このようなことも当然発生します。この場合は、大学が好きにしました、では通りません。
室井
大学が認めた一定の裁量の範囲内で、教職員が「大学の業務としてのページ」を設置しているという実態がある。それは、当たり前の話ですよ。そういった話から、当該ページを大学が公開停止にすれば、大学がその教職員に対して(裁量に反し?)不法行為を為したなどと言うことにはなりません。
「私的なページを開設する契約」が必要です。しかし、貴方も【ここ】では認めているように、そんな契約はないんです。
天羽
>貴方の「大学の好きにはできない」という主張が間違っているだけです。
私が主張してもいないことを書かないように。
私は、大学が教員から訴えられるリスクを負う、と主張しているだけです。
なお、直前のコメントの「大学が好きにしました、では通りません。」はあなたの表現に引きずられた言葉のあやです。具体的には、削除の結果が教員の大学に対する提訴に結びつくこと、具体的には、表現の自由の侵害云々に止まらず「ハラスメント」と認定されるかもしれないこと(個人評価に結びつく活動を不当に妨げたから)を意味します。
室井
>ウェブサイトの情報発信によって、例えば大学が行う「教員個人評価」に結びつく内容の活動をしていた場合には、不当にその活動を制限したということになります。
なり得ませんね。業務命令に従って、当該業務を中止したにも関らず、「当該業務を遂行しなかったという不当な評価がなされた」というのなら、不法行為になりますが。
どうやら、貴方は大きな勘違いをしています。
学外での私的な業務の遂行を妨害したのなら、ハラスメントになるでしょうね。学内での大学の業務を、大学が中止させたとしてもハラスメントになりません。大学の判断とは別個に、同僚や上司が中止させた場合にはハラスメントになります。
「大学」と「大学の中の人(この場合は、同僚や上司)」の基本的な区別ができていないようです。
天羽
>「当該業務を遂行しなかったという不当な評価がなされた」というのなら、不法行為になりますが。
間違った判断による業務命令によって、本来ならできたはずの業務が妨げられ、結果として評価が低くなったという場合の責任を問うということは可能でしょう。
私が主張したいことは、業務命令を出したという理由でもって大学が提訴されるリスクは減らないということです。
室井
>間違った判断による業務命令によって、本来ならできたはずの業務が妨げられ、結果として評価が低くなったという場合の責任を問う
「間違った判断」とか、「本来ならできたはず」とかが意味不明ですが…。
それは【評価が不当】なだけで、【業務命令が不当】という話とは別です。
>大学が提訴されるリスクは減らないということです。
そりゃあ、妙なことで提訴する人も現にいますからね。まあ、裁判で斥けられるんですけど…
天羽
ハラスメント、というのは誤解を招く表現でした。ただ、「不当な業務命令」という主張は可能ですので、リスク軽減にはならないように思います。
業務命令を出してクレームがあったもの一律に削除するという運用をするのは、外部からの訴訟のリスクだけは減るでしょうが、あまり建設的には見えません。
どのような制度を作れば無理なく運用できると考えておられますか?
私の提案は、お茶の水大の規則と大体同じで、
・委員会を通して内容を決めたページは大学が直接法的責任を負う
・教員個人が裁量で開設したページはその教員が法的責任を負う
という振り分けをするのが、コストの面でも弊害が少ないという面でも現実的だろうというものです(教員兼作家の例のような関係ない業務のページは無関係として扱う)。
大学に、不法行為かどうかを決める機能はありませんから、判断せよというのは無理です。クレーム即業務命令で削除では、誰かにとって都合の悪い情報は内容が正しくても大学からは出せなくなるという弊害が生じます。その上、内部から訴えられるリスクは減りません。事前審査ではコストがかかりすぎて現実的ではありません。
発信者である教員個人が裁判所で争う方がマシではないですか?
室井
労働者の権利を侵害する不当な業務命令というのは、一般にはありますが、「業務中止の命令」が労働者に対する不当な命令になるとは考えにくいですね。使用者の判断で労働者に業務を中止させたにも拘らず「業務遂行がなされなかった」として当該労働者に対しての低い評価をすれば、不法行為になるでしょう。
>業務命令を出してクレームがあったもの一律に削除するという運用をする
別に一律に削除する必要はないでしょう。名誉毀損であるか、ないか、グレーゾーンだと思えば(例えば管理従事者の説明などを参考に)大学が判断すれば、それでよろしい。これは、ごく普通のことでしょう。だからと言って間違った判断をして公開継続した場合、大学が免責される訳ではないですよね。私に斬新なアイディアなんてありません。
>内部から訴えられるリスク
今まで、そういう例はどれくらいあるのですか?寡聞にして、知らないのですが?で、判決はどうなってるのでしょうか?
>大学に、不法行為かどうかを決める機能はありませんはから、判断せよというのは無理
また意味不明なことを。大学にだって、教員にだって、そんなものはない訳で
機能がないから、免責される訳ではないのよ
天羽
>今まで、そういう例はどれくらいあるのですか?
プロバイダ責任制限法が定められたのは、利用者から訴えられるリスクがあるということだと理解していたため、訴えられるリスクがあると書きました。大学については紛争自体が稀でしょうから、例はほとんど無いと思います(どなたかご存じでしたらお教え下さい)。
>大学にだって、教員にだって、そんなものはない訳で、機能がないから、免責される訳ではないのよ
その通りですよ。同様のことは、営利企業としてのプロバイダにも言えます。
まさにその理由で、免責される手続きを決めたのがプロバイダ責任制限法です。
現状で考えられる処理としては、教員が裁量で設置したページに関しては、大学についてはプロバイダ責任制限法を適用して一定の条件のもとに免責し、内容の最終責任は教員個人が負う、という形にするしかないと思います。
室井
そもそもプロバイダ有限責任法などなくとも、「私的なページを開設する契約」がなければプロバイダの判断で公開停止措置を取っても、プロバイダによる不法行為にはならないでしょう。
契約に抵触するから、不法行為となってしまう訳です。例えば、駅の掲示板に書き込みをしたのを鉄道会社が消しても不法行為にはなりません。ところが、電車内の吊り広告を【契約期間】より短くしか掲示しなければ、不法行為となるのです。電車内の吊り広告に名誉毀損があった場合に、鉄道会社の判断で期間内でも剥がせるか、剥がさなければならないかという問題です。
そもそも、大学に限らず(内部の業務従事者が)訴えた例があるのですか?寡聞にして知らないのですが。
天羽
>間違った判断をして公開継続した場合、大学が免責される訳ではない
とのことですが、プロバイダ責任制限法三条1項二号の「他人の権利が侵害されていることを知ることができたと認めるに足りる相当の理由があるとき」とあります。この「相当の理由があるとき」に該当しない例として、次のようなものが示されています。
・他人を誹謗中傷する情報が流通しているが、関係役務提供者に与えられた情報だけでは当該情報の流通に違法性があるかどうかが分からず、権利侵害に該当するかどうかについて十分な調査を要する場合。
・電子掲示板等での議論の際に誹謗中傷等の発言がされたが、その後も当該発言の是非等を含めて引き続き議論が行われているような場合
最終的には司法判断になるのでしょうけど。
室井
電車内に「鉄道会社、自らの業務」に関する掲示がなされることがありますね。それに関しては、鉄道会社が責任を負うのが当然です。張った労働者が責任を負う訳ではありません。(もちろん、業務命令に逸脱して、労働者が勝手に貼っていた場合は、その限りではありませんが)
>「他人の権利が侵害されていることを知ることができたと認めるに足りる相当の理由があるとき」
これは当然でしょう。重要なことは書き込み人は「ページ開設」者とは限りませんね。教職員がたまたま書き込み人であるとすれば、書き込み人としての責任は教職員が負うのでしょう。しかし「ページの開設」者としての責任は大学が負うことになります。
天羽
「書き込み人」と「ページの開設」者、と書かれたことについて、あなたが何を意味しているかよくわかりません。具体的にはどういうものを指していますか?
室井
>「書き込み人」と「ページの開設」者、と書かれたこと
「書き込み人」は分かるでしょう。
「ページ開設」者は大学のサイトに関して言えば、【対学外】的には大学です。【学内】的には教職員ということはあります。もしも学外業者に発注していれば、その業者でしょう。その辺りも混同されていませんか?
学外の人間が、【学内】的なページ開設者にクレームを入れるとしても、それは、あくまでそのページについてよく知っている大学の窓口の一つとしてクレームを入れているのであって、その窓口は大学と独立の【学外】的なページ開設者であるという訳ではありません。
天羽
混同以前に、いきなり別の単語を持ち出されたので理解にとまどっています。
私の理解では、
A)大学の組織のページ(not個別の研究室のページなど)の開設者は大学
B)個別の研究室のページなどはその研究室の責任者が開設者
業者に発注した場合は、発注した人がAかBのどちらかで開設者が誰かが決まることが普通(業者は単に使われただけ、大抵は内容についての責任を発注者に負わせる形で契約するだろうし)。
というものですが。
室井
>B)個別の研究室のページなどはその研究室の責任者が開設者
【学内】的にはそのような認識は特に間違ったものではないでしょう。
しかし、【学外】的にはそうではありません。
そもそもこの認識の違いがスレ違いの原因になっているように思います。これについても、裁判で大体のところは明らかになると思います。
つまり、貴方は書き込み人としての責任は負うことになりますが、ページ開設者としての責任を(法的に)問われることはないでしょう。
(ページの大部分を書き込んでいることとページ開設者であることは別のことです)
天羽
従来、大学の活動は、大学組織としての活動と研究室単位(教員個人単位まで含む)の活動が別々のものとして扱われる場合が多々あったので、会社での例がそのままでは馴染まないように思うのですけど。
研究や講演(広い意味での教育活動)といったものは、大学の評判と無関係ではないですが、基本的に教員個人に帰属するものとして扱われてきています(対外的にも)。教員個人に帰属するから業務ではないかというと、そうとも言い切れないですし、じゃあ業務として大学が完全にコントロールするのかというと、そんなこともしていない。この部分について、大学側が「禁止令」を出すことって、ほとんど無かったのでは。
>裁判で大体のところは明らかになると思います。
この点については同意です。そこまで踏み込んだ判断が出れば面白いのですけれど。
室井
>大学の活動は、大学組織としての活動と研究室単位(教員個人単位まで含む)の活動が別々のものとして扱われる
学内的にその感覚を否定するつもりは全くありません。学外的には通用しないと思います。
【別々のもの】とするためには、大学サイトを使わなければいいのです。
【別々のものにはしない】と言うならば、大学サイトを使えばいいでしょう。
天羽
もう遅いのでそろそろ中断します。
私がじっくり考えるべき課題の1つは「私的な」の扱いをどうするかという点です。これまで、この問題を議論してきたとき、「私的(個人の)なページなら学外でやれ」という紋切り型の議論をぶつけられ、対処に手間取ってきました。今回はそちらに気を付けて進めてみたところ、私的なページを開設してもよいという契約が前提では、という問題提起をされました。
大学(開設者?)の責任と教員(書き込み人?)の責任の内容と範囲が違うということには同意します。どう切り分けるのが適切かは、これからの(裁判所の判断待ちも含めた)課題ではないでしょうか。
>【別々のもの】とするためには、大学サイトを使わなければいいのです。
そう考えてしまうと、教員が大学で行っている、ウェブ関連以外の他の個人に帰属する活動との整合性がとれなくなります。だから悩ましいところなんです。
まあ、一斉に「大学からは組織としての情報しか発信しません」とやる解があることを否定はしませんが、それを採用するのが本当によいかどうかはまた別問題かと。
室井
ま、私は「私的なページを開設してもよい」ということにはなっていない、と思っている訳です。それは個々の大学によって違い得る話ではありますが…。
「私的なページを開設してもよい」ということになっていないと思っている人からすれば、そのページに何かクレームを入れるとしても、クレームを入れる先は大学だと当然、考えているのです。
ある窓口で埒が明かなければ、【代表窓口】に話を持って行くし、代表の窓口からの回答が「ページ開設」者の正式回答であると考えるのです。
>一斉に「大学からは組織としての情報しか発信しません」とやる解がある
というより、大学サイトでの発信は組織としての発信であると【学外】的に扱われるだろう、ということです。
講評
リングの中央で天羽氏が大振りのパンチを振り回し、そのまわりを室井氏がぐるぐる回りながら、軽いジャブを的確にヒットしているうちに、天羽氏もグロッギーとなってベッドに倒れ込んだという図式である。
天羽氏は、学内でのみ通じる論理が、学外では全く通じないということが分かっていない。
大学から発信された情報に大学が責任を持つのは当たり前だ。
そんなことは社会の常識であり、世界中のすべての大学がそのように運営されている。
ところが天羽氏は、その簡単なことが理解できない。
天羽氏はまた、大学はふつうのプロバイダーと同じだと思いこんでいる。
しかしそれもまた、まったくの間違いである。
たしかに、7、8年前にウェブの新しい時代が来て、総務省や大学が大学サイトの運営方法を考えたとき、大学も、教授たちにページを小分けして分配するのだから、一応は「プロバイダーもどき」と考えることにしたのだろう。
しかし、一般のプロバイダー業者の場合は、使用契約をした者はそのページを完全に自由にできて、何を書こうが本人の勝手で、それが社会的に問題になれば本人が責任を負う、という自由なやり方で運営されている。つまり室井氏の言う「私的サイトを開設する契約」である。そのとき、世間にはいくらでも妙な人間がいるから、プロバイダーを保護しないとプロバイダー業が成立しない。だからプロバイダー責任限定法が作られたのである。
大学を「プロバイダーもどき」と考えたのは、大学内にもいくらでも妙な人間がいて何を書くか分からないから、大学に責任が及ばないように保護しなければならない、と考えたからではない。
学内に妙な人間はいないだろうが、教授たちが書くものについて、大学の管理当局の目がいちいち届くわけではないから、いきなり責任を問われても困る。一応プロバイダー責任限定法に準拠して対処すれば、学外的にある程度はご容赦いただけるのではないか、ということだ。
室井氏が言うように、大学と教授の間で「私的サイト開設の契約」などあり得ないし、実際にそんな契約は存在しない。だから総務省が昔どう定義したか知らないが、大学はプロバイダーではない。
しかし天羽氏は、大学をプロバイダーだと思いこんでいる。出発点が間違っているのである。天羽氏は5年前にこう言っている。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/a0078.html#a20020521194927
Tue May 21 19:49:27 2002
Name: 天羽
冨永研究室は元々理学部という、直接特許などで社会とかかわることもなく、研究テーマも液体や水素結合という金にならなさそうなことをしています。当サイトはこういう研究室が社会と関わるにはどういう方法があるのか、ということを実験的に試すという意味合いがあります。この「実験」にはクレーム処理も含まれると思っています。このため、最初から我々は、我々が責任を負う変わりに(代わりに)大学無責任体制を作って、大学内の自由度を確保するべきだという主張をしてきたのですが、それがうまく理解されなかったようです。
天羽氏はお茶の水女子大学内において、富永研究室のサイトを「私的サイト」として治外法権化しようとしたわけだ。そのときはうまくいかなかったが、いまや実際、「水商売ウォッチング」は学内的には治外法権であり、アンタッチャブルである。その治外法権のサイトで天羽氏は、「実験的に」あれこれの民間企業を名指しで攻撃してきた。
室井氏のパンチに耐えかねて倒れ込む寸前に、彼女は、「大学からは組織としての情報しか出さない」のも一つの解だ、と言った。しかし、これもまた、別の方向への見当外れである。
大学の研究室から、研究内容だけでなく、研究室のハイキングの写真とか、教授のエピソードなどが発信されて、研究生活の楽しさなどを世間に伝えても別に問題はないし、その大学や研究室に対する親しみが湧いてくる。それは大学からの情報発信として価値があるから、教授や大学院生たちが自由にいろいろと工夫してもいいだろう。
それで世間は誰も文句は言わないし、まして訴えて出る者などいやしない。
問題は、大学の公式サイトを治外法権化し、そこから民間企業を名指しで攻撃し、自分勝手な間違った科学論を発信するという、彼女の無法ぶりにある。彼女が問題なのである。
学外から見れば、「水商売ウォッチング」が治外法権だなど、ふざけるな、という話でしかない。
大学と富永某との間に「私的サイト開設の契約」などあるわけがない。
だからすべての責任が最終的に大学にかかってくるのは当たり前である。
室井氏は、「大学が訴えられるようなことがあったのか?」と2度尋ねている。
これに対して天羽氏は、実例はほとんどないと答え、実例があったら教えてくれ、と言う。
教えてくれと言われるから教えるが、世界中にほんの数例だが、実例はある。
そのすべてが天羽氏がらみである。天羽氏はかつてお茶の水女子大学を訴えた。いま山形大学を訴えている。ほかに訴訟はない。これが現実である。
仕組みをどうしたらいいか考えたい、裁判所の判断を待ちたい、などと天羽氏は言っているが、そんな必要はない。仕組みが間違っているのではなく、山形大学、大阪大学、京都女子大学などの数人の教員たちが心得違いをしているだけだ。
室井氏は天羽氏を評して「常識をまともに働かすことができない」と言う。
同感である。
おわり