メディアにもいろいろある。
たとえば、巨大新聞などは「社会の公器」などといわれているが、実際のところは株式会社でしかない。会社として成り立たないのであれば、当然記者も雇えず、記事も書けない。
あくまで「その範囲」での仕事を、みんながもらっている給与の中でしているに過ぎない。
オーマイニュース、JANJANなどの「市民メディア」では、編集者という管理者がいるものの、編集者の顔色を伺うような記事とか、誰にも後ろ指刺されないような記事とかでは、だいたいからしてPVがあがらない。つまり、少々過激であったほうがいい。
BLOGなんかは、それがたとえ炎上を誘うものであるにしても、すべて自己責任であって、それ以外ではない。書きたいことが書ける、という意味では、BLOGのほうが自由度は高い。だが、情報は読むほうがあるリテラシーをもって読む必要がどうしてもある。ただ、その文章は誰の検閲を受けるわけでもないので、正確さはやはり落ちる。
そして、市民メディアに記事を書くのに「どうでもいいようなこと」しか書けなくなっている、という市民記者のなんと多いことか。自分の殻を破って、少々は悶着もおきたって別にどうということはない、というくらいの気概で、どんどん「本当は書きにくいこと」をちゃんと書いてほしい、と思う。
それに躊躇するくらいだったら、記事なんて書かないほうがいい。
ましてや自分の主張なんてのもやめたほうがいいのではないか。
ほのぼの系の記事は否定しないが、そうではない記事を書く人間には、やはり少々危険な橋は渡ってほしいと思うのだ。そのために、匿名での寄稿だって、許されている。
若くして物書きを目指すのであれば、自分の中の「危険」なことを是非表に出して、書いてほしいと思う。自署ではなくても正当な理由があれば記事は出せる。
そしてプロの「モノ書き」というのが、決して書くことのテクニックだけではない「心構え」とか「生き方」「生き様」の問題なんだ、ということを、もっと肌でわかってほしい、と思うのだ。
毒にも薬にもならない記事をタレ流しているようなボーッとしている「もの書き」でいることを、プロを目指す人間には是非拒否をしてほしいと思う。そうでなければ、物書きの人生なんて、つまらない、の一言に尽きてしまうから。
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