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ドラッグストアでは、おなじみの商品がずらり。いずれも暮らしの中にヒントを得たものばかりだ=堺市で |
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「ブルーレットおくだけ」「熱さまシート」など、わかりやすい商品名で家庭用品の市場をリードする。医薬品卸が主体だった会社を衛生雑貨や大衆薬の一大メーカーに変えたのはニッチの発想だった。
――ヒット商品を次々と生み出す秘訣(ひけつ)は?
いつも狙うのはニッチ(すき間)市場。洗剤とか目薬といった大手メーカーが競い合う大きな市場には決して入りません。小さな市場を掘り起こし、シェアを握る。いわば「小さな池で大きな魚を釣る」戦略です。
――たとえば?
コンタクト使用者向けの洗眼剤「アイボン」(95年発売)。当時、洗眼剤はあったが、コンタクト使用者に絞ったものはなかった。そこで、コンタクトを外して目を洗浄しましょうとPRして当てました。現在、市場規模は80億円くらいで、シェア50%強です。このほか、わきの下の汗を取る「あせワキパット」(90年)、口臭を消す「ブレスケア」(97年)など、ニッチのトップ商品は多い。
――きっかけは何ですか。
20代半ば、米国留学した時です。便器に青い水が流れたので「この辺の水は青いんかいな」と不思議に思ってタンクの中を見たら、洗浄剤がぶら下がっていた。当時、日本のトイレは不浄の場と見なされ、大手は手を出していませんでした。そこに「小さな池」を見いだしたんです。米国の商品を手本に69年に「ブルーレット」、75年に芳香剤「サワデー」を発売し、日本に芳香消臭剤の市場を作るきっかけにもなりました。
――ユニークな商品名も特徴です。
開発担当チームが、候補名を500くらい考え、10〜20に絞った後、最終的に社長が決めています。「のどぬ〜る」「トイレその後に」など、世間は「バカバカしい名前ばかりつけとる」と思っているでしょう。でも、おもしろさを狙っているわけやない。名前を聞いて、どんな商品かすぐに分かるよう突きつめた結果です。やり通したおかげで「わかりやすさ」は専売特許みたいになっている。
――その傾向はいつから?
86年に発売した「ブルーレットおくだけ」からでしょうか。「ブルーレット・オン」や「ブルーレット・ポン」といった候補名もあったが、「おくだけ」は使い方そのものをズバリ表現していて、よかった。「わかりやすかったらそれでええやないか」と即断しました。以来、使用方法や効果をストレートに使うことが多くなりました。
――経営スローガンの「あったらいいなをカタチにする」もわかりやすいですね。
開発現場で使っていた言葉を会社全体に浸透させようと03年から打ち出しました。これは新商品だけでなく、社会制度や仕事のあり方など、世の中の満たされていないニーズに目を向けさせる狙いもあります。
――いま、気になる市場は?
大衆薬市場です。成熟市場と言われているが、決してそうは思わない。おなかの脂肪を減らす漢方内服薬「ナイシトール85」はすでにあった漢方薬の処方箋(せん)でしたが、効能を前面に打ち出すことで、メタボリック症候群を気にする人たちのニーズをつかんだ。薬で治療できることをわかりやすく訴え、新たな市場を開拓していきたいですね。
文・堀田浩一 写真・新井義顕
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「小林大学」の教壇に立つ。部長歴5年以上の幹部社員を集め、「ユニクロ」を題材に成長戦略について講義=大阪市で |
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■ニッチ市場は無限大にある
年に数回、欧米のドラッグストアやスーパーを視察する。気になる商品があれば、すかさず買い求め、スーツケースに放り込む。帰りはいつも芳香剤や雑貨でいっぱいだ。
視察の合間に、ふらりと衣料品店に立ち寄り、シャツやネクタイ、ジャケットなどを店員任せでひとそろえする。自分では考えつかない色や柄のセンスに「なるほど」と感心しては、広告やパッケージのアイデアにする。また、香りのトレンドを知るため、季節ごとにあらゆる香水を買い求めている。
04年6月に経営の一線から身を引いた今も「何かないか」とアンテナを張り巡らせる。「どろくさい」この熱意が、年に数十種もの新製品を生み出してきた原動力といえる。
■トイレから
経営理念は「創造と革新の報酬が利潤」。新しいもの、変化を求めなければ、何も得られない――という考えだ。
その徹底ぶりは、月1回開く取締役会で、率先して違う席に座り、「定席」を作らせない姿にも見てとれる。「社長の横には専務と、同じところに座りたがる。安心感があるだろうが、どんな小さなことでも、変化を与えることが大切です」
創業家出身で、2代目社長の長男。革新的な経営の真骨頂は大衆薬卸の会社を、薬や芳香剤、日用雑貨など手広く手がけるメーカーに一変させたことだろう。65年の米国留学の影響が大きかった。
「生活様式の違いは多々あったが、最も違ったのがトイレだった」。暗くて汚い日本のトイレに対し、米国の水洗式トイレは清潔で絵が飾ってあり、とてもきれいな空間。未開拓市場だと感じた。
帰国から3年後の69年、「なぜトイレ用品なのか」と反対する役員らを押し切り、洗浄剤「ブルーレット」を発売。水洗トイレの普及率が2割程度だったため、当初は苦戦したが、「団地の造成ラッシュで水洗化率が上がる」という読みが的中。いまでは「ブルーレット」ブランドだけで年間100億円以上を稼ぎ出す。
第2弾のトイレ用芳香剤「サワデー」も大ヒット。ともにロングセラー商品となり、芳香消臭剤トップメーカーの地位を確立した。
■他社の先へ
以来、「入り口は狭くとも、一番乗りでその市場のリーダーになる」が、小林製薬のビジネスモデルになった。
年間売り上げ2570億円(07年3月期)は、歯間の汚れをとる「糸ようじ」、衣服のわきの汚れを防ぐ「あせワキパット」、額に張って熱を吸収する「熱さまシート」など、ニッチ商品で大半を占める。わかりやすい商品名とスピード開発で、花王やライオンなど大手を出し抜いてきた。
他社に先を越されれば、すっぱり開発を断念する。03年に下痢止め薬の開発を中断したのも、ライオンが同様の薬を売り出したためだ。「2番手では小売店、卸に見向きもされない。ニッチ市場はトップでなければ意味がない」
今月には、大衆薬卸部門を売却。かつての本業を完全に断ち切った。
モノがあふれる時代。ドラッグストアやスーパーの商品棚をめぐるメーカーの争いも激しさを増す。だが、「人は絶えず向上を目指す。人間が存在する限りニッチ市場は無限大にある」と、ヒット商品の創造者の自信は揺るがない。
■「小林大学」の学長兼講師です
――会長に就任して何か変わりましたか。
経営は弟(小林豊社長)に任せています。その代わり月3回ほど弟と2人だけの「ブリッジミーティング」を開き、意見を交換し合ってます。
いま力を入れているのは人材育成。05年に社内に「小林大学」を立ち上げ、私が学長兼講師を務めてます。経営幹部候補生を中心に経営ノウハウを伝授してるところです。
――なぜ、人材育成を?
76年から27年半もの間、社長を務めた結果、会社が「指示待ち態勢」になってしまいました。私が元気でいるうちに権限委譲できる人材を育て上げ、態勢を変えなければあかんなあと思って社長を退任。それから人材育成に力を注ぐようになったわけです。
――学生時代はフィギュアスケートの選手だったとか。
ええ。中学3年生の時に始めました。スケート場に遊びに行った時、スピンやジャンプしている人を見て「かっこええなあ」と思ったのがきっかけです。以来、のめり込んで、高校3年の時に国体とインターハイに出場。大学時代には国体で最高6位になりました。
なんせ、こけたら終わり。一発勝負のスポーツ。連日朝5時からよう練習しました。おかげで忍耐力がつきました。演技力を磨くため、社交ダンスも習ったなあ。きれいな姿勢や軽やかなステップなど華麗に見せることに腐心しました。
――いま熱中していることは何ですか。
家庭菜園。無農薬でトマトやキュウリ、大根など作って、食べてます。それとゴルフ。かつてはハンディ10でしたが、年とともに遠くに飛ばなくなって、いまはハンディ14。いかに技術と頭で補うか必死です。
◆ チェックポイント ◆
■直球勝負のネーミング
ブランド戦略に詳しい関西大商学部の陶山計介教授は小林さんを「新しいネーミング手法を生み出した経営者」と評する。商品などのネーミングには、擬人化した「一太郎」(ワープロソフト)、フワフワ仕上がりをもとに擬音化した「ファーファ」(柔軟剤)など一定の法則があるが、小林製薬の商品は「型破りの直球勝負」という。偽装問題で企業や老舗(しにせ)のブランドが揺らぐ昨今、「機能性を訴求した商品名は、より消費者に受け入れやすくなっている」。
その原点について、親しい友人の江崎勝久・江崎グリコ社長は「小林さんは気取らない大阪の商売人で、商品名にもそれがよく表れている」と話す。消費者の心をいかにつかむか企業の戦略は様々だが、グリコは「短い言葉で、語尾はカ行」(江崎氏)と語感にこだわり、小林製薬は「聞いてすぐわかる」ことに徹してきた。
「サワデー」を開発した当時、小林さんは研究室に熱心に日参した。若手の研究員だった辻野隆志常務は「社内では『社長の息子が言うとることや。損の出ない範囲でやらせておけ』という雰囲気でした。でも本人には何が何でも成功させるという執念があり、やがてそれが消費者の視点で考える力を養っていったと思います」と語る。
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39年、小林製薬(大阪市)の2代目社長小林三郎氏の長男として大阪府に生まれる。甲南大を卒業後、62年に入社。65年4月から約1年間、米国に留学。66年に取締役、76年に37歳で社長に就任。00年8月、東証1部上場を果たす。04年6月から会長。
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マーケティングなどを学んだ米国留学時代
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