事件特報(1)
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平成18年3月まで山形警察署の警備係長として勤務し現在は退職金を手にして退職した警察官の事件で、その監禁事件の出来事は現役時代の平成10年ころから平成14年の天童警察署勤務時代のお話である。
この警察官は山形県南陽の生まれで昭和40年山形県の警察学校を卒業して警察官を拝命した者で、各交番回りから昭和48年に見合い
結婚して、まあまあの財産家の神社の娘と結婚した。
その妻の母親は、昭和51年まで札幌の長男が機動隊に勤めていたことから将来札幌で暮らす為に札幌で一足早く移り一緒に同居していた。
その母親が札幌に家を建てアパート業を経営しようとして山形の土地を売却に来たところを、財産を狙った警察官と妻が札幌移住を阻止する為に頻繁に説得に実家へ押掛けた。
母親の方は、夫が一緒に札幌へ移住しないのならば離婚しようと山形へ昭和38年帯広から移住した時に夫との間で既に財産分与を終えていた。
このことから、山形の実家の神主を引き継ぐ為に戻って来た次男の父親は、札幌への移住に対して否定的な状態で、むしろ娘と共謀して母親を説得していた。
母親がそれを無視し札幌へ移住しようとしていたら、それ以前に夫の方が勝手に業者とアパートの図面依頼を既にしていた。
その関係で売却できなくなり、建物を建てた段階で纏めて高く売却しようと考え昭和55年までの間に自宅用の建物と隣にアパートを並べて建てた。
その売却に対しても娘夫婦と夫が必死に妨害し札幌移住を阻止説得していた結果、母親が平成3年2月17日に北海道への移住をさせない為に毎晩夫婦で押掛け来ていたことが睡眠不足を重ね、持病の糖尿病を悪化さ
せて、遂に倒れて寝込んだ。 しかし、それをチャンスと倒れた当日の深夜、娘が母親の全財産の入った「手提げ」を寝ていた母親の阻止する手を叩いて強奪した。
その後、強奪した母親の預金通帳から勝手にお金を卸して娘夫婦の山形市中桜田の昭和62
年ころ建てた自宅の隣に土地を買わせて措いた土地に、母親を監禁する為の「離れ。」の台所風呂も無い平家を建てた。
そして建物が完成した直後の平成3年秋に実家から母親を拉致し監禁し始めた。
その後は、札幌の息子とも連絡を一切させないように監視し「財産を全て渡せ。」と監禁虐待していたものであ
った。
そして息子が札幌から来た時には、実家へ又戻して「札幌へは帰らないと言え。」と脅し、親戚関係者にも母親
や父親の世話している親孝行な娘夫婦を演じていた。
その後、平成10年ころになつて父親の方がボケて来たので、松山の実家自宅から「離れ。」に一緒に監視監
禁状態にして、父親の預金通帳から恩給年金なども取りあけて始めた。
当然、母親のアパート収入の全て預金通帳から卸して使い込み、更に平成13年夏には公証人役場へ連れ回し
て「全財産を娘に渡すと言え。」と脅したが、母親が「札幌の息子に渡すからお前等になど遣らない。」と公証人
に言ったので、その罰に叩いたり食事を与えず一週間の断食させたりした。
千歳山の稲荷神社の神主の父親も平成10年に入ってから既に少しずつ認知症に掛かっていたので逃走の心配は無かったが、確りしていた母親と両方の逃走させない為に、一日の食事を業者に糖尿病を理由にして二食
にしてスプーン3杯程度約50グラムのお粥に味噌汁を湯のみ茶碗に一杯に頼み込み午前10時と午後5時に業者を使って配達させ与えさせていた。
業者には「糖尿なので最低カロリーでないとダメなの。」と言い訳をしていたと言い、「助けて欲しい。」と言っても信用されなかったと母親は言う。
拉致監禁から一週間もしない間に空腹から直ぐ眼が回って立てなくなりベットで横たわる日々を過ごすようになり、その後には排便排尿にも立てなくなって業者の介護を受けさせられた。
時間的には一日二回で食事の時間と同じような時間帯だったと言う。
風呂に関しても○○○に監視されて一ヶ月に一回程度同じところへ連れて行かれて業者に洗ってもらったので、
山形の娘からは一度も風呂も食事も介護して貰ったことが無いと話す。 ただ、爪は言う事を聞かないと深爪されて痛くて困ったことがあったと言い、耳糞は何年も一度も無いので聞こえなくなったと話す。
実家の松山に親戚達が訪ねて来た時には、同行監視された上に「一切余計な事を喋ったら後で痛い目にあうから覚悟しておけ。」と脅されて実家や自宅で逢わせられ、話も一方的に相手と合わせるだけであった。
平成15年には、実家の現住所から夫婦共に中桜田へ勝手に転居されて、札幌の息子や親戚関係からの贈答品などの全てを奪われていたと言う。
その後、母親が「このままでは殺される。」と感じたので、娘夫婦に「最後に帯広の娘に逢ってから死にたい。」と頼んで、その秋に何とか帯広へ夫婦と共に旅行した。
ところが既に帯広の娘とも組んでいて助けて貰うどころか娘二人から監視されることになった。
母親が帯広へ遊びに来ていることを知った息子が札幌から逢いに来て、札幌の息子や帯広の娘と三人で母親
が食事をしている映像だが・・・・何か寂しそうな症状であった。
平成13年の秋の当時は、糖尿病と言っても眼が視野が狭くなっただけで歩く事も出来たし排尿排便も自分で処
理でき杖を突いて歩き元気だった。
札幌から何度か帯広の母親に逢いに来ていて息子へ母親が山形の娘からの全財産を盗られていることを帯広の娘の居ない隙に伝
えた。それにより平成13年12月中旬札幌の息子が帯広の姉を連れて、山形の娘夫婦に盗られた物を取り戻しに向かった。
しかし、母親の権利書や実印、預金通帳などの盗られた物を取り戻すことが出来ないので、戻ってから娘の夫の勤める天童警察
署の署長に事情を連絡した。
平成13年12月30日、父親を連れて娘夫婦が帯広の姉娘の所へ
来て、一時間滞在して土地の権利書と実印のみを返還後、直ぐ逃げ帰った。
その後、母親が「札幌へ行って前のように暮したい。」と言い、平成14年正月に息子の私は「前から札幌で土地
を見つけ山形へ売却に行ったのだから、母さんと札幌で又元のように一緒に暮そう。」言って、札幌へ戻ってマンションを探し借りて帯広へ戻って来た。
札幌の息子は、一足先に札幌へ戻ってマンションを借上げ又迎えに帯広へ平成14年の1月に入ってから来たが・・・・・・・しかし、
娘の姉が母親と逢わそうとしないで「母さんは札幌へお前が無理やり行かそうとしているだけで行きたくない。」と言っていると言い
出した上、更に急に母親が「山形へ帰るから札幌へは行けない。」と言うので、息子の私が直接聴きたいと無理やり逢うと言い出した。
しかし、母親に聴いても「山形へ帰る。」と答えるだけで眼に涙を浮かべて「もう生きて逢えないな。」と言うだけであった。そして帯広の姉娘が絶えず母親を監視している状態で母親と離れようとしなかった。
この映像は、帯広の娘が母親の眼に薬を注しているところで、妹と同じで姉の方も料理も下手だし家庭的な女でない。姉の方は、テニスだの水泳から民謡と毎日毎日出掛けない日が無く、不倫の噂が多い女性であった。
姉娘は、貧乏農家の娘が急に土地成金の億万長者になって「金」に物を言わせて自由奔放、姑との苦労など一度もしていないから、人間的に変り・・・・・その遊びが祟ってC型肝炎で透析の日々である。
お正月の最中に無理して札幌で母親と暮らすためにマンションまで借りているのに・・・・・「何て勝手な母親だ。」と怒りながらも「歳も歳だから好きな地域で余生を暮したら良いだろう。」と寛容な気持ちで母親と姉の家から
別れようとしたら姉が帯広駅まで自家用車で送ると言い出したので甘えた。
その時、母親が「もう息子とも生きて逢えない気がするので頼むから見送りをさせて欲しい。」と娘の姉へ嘆願
して後部の座席に乗り込んだ。
帯広駅構内を母親が歩くのが遅いので、姉の娘が母親の車椅子を借りて息子私の乗る列車を待った・・・しかし、その際に、母親が札幌へ戻る息子私に「山形へ帰ったら山形の娘に殺されるな。」と不意に話し出した。
息子は不信に思ったが・・・・「婆ちゃん冗談でも良いけれど、もう生きて逢えないかもしれないね。」と涙くんで言い返した。
「母さんが札幌へ来て暮したくないと言うなら俺も仕方が無い帰るさ・・・・、元気に何時までも長生きしてね。」と手を振って時間前に車椅子に乗っている母親と車椅子を押す姉とホームに入らない前の通路で息子の私は、別
れた。
母親と息子が別れて手を振り見えなくなったところ、直ぐ人目に付かない場所に車椅子のまま母親が姉娘に連れられて娘から母親が「余計なことを喋って。」といきなり拳骨で3回頭を叩かれた上に口元をおもい切り裂けるほど抓られたので「痛い。」と言って「親に向
かって何する、この馬鹿者。」と叫んだと母親が娘に言う。
帯広に逃避して来てからも山形の娘夫婦から電話が帯広の娘に絶えず連絡が来て居て、姉娘と母親と直ぐ電話が代わり「札幌へ逃げても絶対にへばり付いて逃がさないから覚悟していれ、札幌へ行っても息子は仕事で
居ないことがあるのだから許さないからな。」と山形の娘夫婦達から脅されていたので「仕方なく山形へ帰る。」と息子へ母親が話したと後で言う。
帯広の姉娘とは、母親が帯広市西19条南2丁目で酪農して居たころ、直ぐ近隣へ嫁に行った最初の結婚した夫の長女で現在は農地が宅地へとなり億万長者の奥さんニトリ家具から建物こと貸し金銭的には何も苦労して
いない身分。
山形へ戻された母親は、直ぐ又監禁されて「帯広へ嘘を言って息子と余計な話をした罰。」として帯広で最後に一食食べただけで直ぐ、無一文で飛行機に乗せられて山形へ送られた後、又直ぐ監禁断食させられた。
帯広から連れ戻され監禁されて断食6日目に、公証人役場に連れ回された時に同行し証人として来て居た駅前の居酒屋夫婦の妻の方が、午後3時頃監禁されている「離れ。」の部屋にお茶を湯飲みに一杯持って現れて
監禁されていた「離れ。」の母親とボケている父親に一口だけ飲ませて帰った事が判っている・・・・それが、記憶の最後だったと話す。
その後は、母親は意識不明で・・・・・何日経ったのか気が付いたら救急病院の入院室だったとのことである。
平成3年に山形の娘夫婦からの深夜押し掛けられて札幌への移転を阻止されて倒れてから、更に監視され拘束監禁と続き平成14年1月から全く息子とも親戚とも連絡一切切り離された状態だったが・・・・何時か息子が不
信に思って助けに来ると病院でただ毎日祈る日々だったと語る。
平成17年10月突然札幌の息子が山形の実家へ札幌から戻って来ていると聞いて・・・・・やっと娘夫婦から逃
げられると喜んでいたが、何と毎日のように監視されて今度は、「札幌へ帰れと言え。」とか「実家から出て行けと言え。」とか強与されて叩かれたり抓られて言わせられた。
転院させられた山形徳洲会病院の看護師や介護士も皆、娘夫婦の言う通りにしなければ怒られる状態で直ぐ、娘夫婦に報告されて息子と話したり行動が自由にならなくなっているので、息子が来ても本当の事実を話すチ
ャンスが無かった。
平成17年12月3日、山形の桜田「某パレス」の老人施設の個室へ入れられていた認知症でボケた父親が息子が午後3時15分ころ行って「婆ちゃんに腰も風邪も治ったので何でも無いと言って欲しい。」と言う内容の話をし
て洗濯物を引取り母親の入院している某病院へ向かった後、妹が父親の個室へ一人で来て約2時間も居て帰って約30分後に係員が介護へ回った時には既に心肺停止していたとのことであった。
その日は、息子の当番の日で洗濯物などの届け回収や様子を交替で見るのが娘と息子の約束であったのに、午前中と息子が立ち寄った後で娘が二回も出入りしている。
娘は、自宅でも手作りの食事が少なく買い物の惣菜が多く洗濯物も病院から引き揚げたものは感染症に掛かると危ないと言って全て洗濯業者を利用している人間で、漬物なども漬けない家庭的な主婦でなく母親も息子も
娘夫婦の家庭料理での食事を一度も食べた事も無いし、風呂も入った事も無い家庭で、一日に二度の出入りも絶対に過去にも無いことである。
平成19年の1月になってから、母親の足や上腕部の打撲痕を息子が発見して母親が問詰められて山形の娘夫婦や帯広の娘からの一連の監禁や虐待事実を告白する事になって事件が発覚する。
平成18年1月に母親が札幌から戻った息子へ何とか全財産を移行するために公証人を頼もうとして手続きを息子に頼んだことが、平成14年9月に認知症でボケている父親から口答遺言の公正証書を既に監禁直後作成して
いた時に、その証人夫婦が同じ公証人が紹介した○居酒屋の夫婦だったのであった。
従って、そのことが娘夫婦に連絡が行って発覚し母親に対しての娘による後見人開始裁判手続き願いが取ら
れたのであった。
当然、息子へ裁判所から妹が母親の後見人手続き申込みに関しての被審問人の立場での回答を求められた
事で帯広への母親の逃避の一件を報告した関係から妹の申立を却下されて弁護士○○ ○氏が選任されたものである。
既に平成13年12月30日に山形からボケた父親を連れて帯広の姉娘の自宅へ逃避してきていた母親と札幌から来て居た息子のところへ山形の実家の権利書と実印だけを返還に来た妹娘夫婦は、そのご平成14年9月6日
山形公証人役場で居酒屋 ○○夫婦の証人で口答による父親の「全財産を全て妹に与える。」と言う遺言を作成しているので、すべて父親が実家やアパートを建てたし、山林も買ったと主張して所有権を主張し山形地裁へ
訴訟を起こした。
母親は、三度の結婚で養子に入った三度目が山形の神社の次男で元々最初の結婚の際に土地を持ち、その
後の結婚で保険金が入って帯広近郊に土地を買って農家を営んでいた。
そこへ戦争から帰還した無一文の父親が入り込んで無理やり結婚させられたのが始まりで、山形へ移転の
際には農機具と牛6頭分の昭和38年当時で約460万円を財産分与して父親へ渡し離婚を考えていた。
ただ税金対策に山形に畑と山林を買って措いたが、息子が北海道警察官に就職したことから昭和49年には札
幌の土地を探しに住民票を移転して息子と同居していた。
従って、山形の土地や山林の売却の際に揉めないようにと全て母親が全部の一切の支払いをしていたもので
ある。
妹夫婦が欲張って父親が全て稼いで築いたように主張しているだけで稲荷神社の神主は、他に副業の
結婚式
場でも持って経営しない限り維持が「お寺」と違って檀家が無く生活維持するのに大変で神社の修繕や息子娘の学費なども全て母親の土地に借家を建てた家賃などで賄っていたものであった。
この徳洲会へ転院し入院中にも何度も母親のところへ来て「息子は多額の借金を背負って逃げ回って山形へ来ているのだから、私達へ全部渡して措かないと全部盗られるから。」などと母親を心配させて血圧を高くさせた
り、「監禁されていたことなど誰も信用していないし今、元気で生きているのが何よりもの証拠で裁判でも勝てないよ。」それに「お母さんは既に認知症でボケているので何を言っても証拠能力が無いので、これからも私たちの
言う事を聞いていたらお金も充分有るし息子の無一文と違って何にも心配いらないからね。」 と将来を脅している。
母親は、娘夫婦に対して「ケムシ」「マムシ」と呼び捨てし、最近は「悪魔」とあだ名を付けている。
病院内では、直接言い争うと四人部屋なので他の患者に迷惑を掛けるので大きい声で「帰れ。」と言えないし怒
らせて夜中に来て、口を塞がれても誰も気が付かないので殺されても捕まらないから、あまり言われないけれども・・・・「息子が24時間警護に付いてくれたら良いけれどもね。」と言う。
朝昼晩に食事へ食堂に向かう母親が途中に置いてあるイノシシと黒ブタの人形に対して「悪魔が来ないように親を叩くようなヤツに神さんのバチが当たるように・・・・。」と通る度に祈ってます。
そして「一週間も何にも多へさせて貰えなかった妹娘の夫婦には室蘭の刑務所に一生入れて下さい。」って恨んでいる。
逮捕監禁罪の時効は残念ながら5年で元警察官の妹娘夫婦二人を逮捕して刑務所へは送られないことにはなったが、みなさんで社会的な制裁を母親は望んでいる。
息子も札幌の借家の保証人になっていた妹娘が貸主の大家に150万もの大金を渡して地方へ出張している間の平成14年12月9日の北海道の札幌の真冬最中に一日で全て損壊させ建物もろとも全て無くさせられた。
その裁判も器物損壊は時効が3年で訴訟前平成17年12月3日に父親の他界により葬儀と重なり遅れて却下されて損害賠償金1800万相当を無にしたが傷害では物足りないし・・・これから民事でアパート家賃横領から全
部返して貰うゾ。
妹娘の夫は、警備工作の専門家で過激派学生や共産党を相手にしているだけあって全て計算ずくで手口が
見え見えだ。
もう既に裁判所へ報告しているが今年の春先のある日の夕暮れ、毎日母親介護に息子が通勤している父親
名義のオートバイに、何かブレーキにでも工作しようとたのか元警察官の妹娘の夫がこそこそと○○
会病院の裏手に隠して置いたのを探し、似合わないハゲ隠しの紳士ハットにスーツ姿で変装したつもりか・・・・寸足らずに格
可笑しい姿に気か付かない間抜けで・・・それを息子に見破られ慌てて逃げてる馬鹿者だった。
警備警察は、警察官でもエリートが多いのに警備係長止まりで警察署長にもなれないでの退職を迎える警備
警察官は、北海道警察では、人間的に問題がある警察官であるが・・・・・全国同じでしょう。
今年の1月に看護師か介護士の意図的な暴行によって母親セツの足の甲が真っ青になっているのをニャンコ先生が発見した事で、母親セツからの妹夫婦による暴行事実の告白を受けた。
そして、母親の警護をするようになってから母親から平成14年1月帯広から無理やり山形へ戻されて監禁されて一週間の断食で脱水症からの原因で脳梗塞になったことを告白された。
ここ朝昼夜の母親への介護を止めて、夜の介護や警護だけにしていたら妹○○○が最近6日間続けて母親セツの病室へ昼過ぎに来て睨み付けて直ぐ帰って行くことを母親から聞いた。
「母親セツとニャンコ先生は、きっと何かが起きるので気おつけて措いた方が良いね。」と話していたばかりであった。
その何かが又起きた・・・・・7月22日正確には21日の夜から22日の7月22日の日曜日の午後3時過ぎに母親の足の左足親指の爪が剥がれて麻酔の注射を打たれていた。
母親の話では、「朝か・・・食事へ連れて行くのに部屋で車椅子へ乗せられる時に何者か声を出さないので判らないが、何でか頭が登るほど痛みを感じて叫んだ時には、爪が剥がされていた。」とのことであった。
○○看護責任者が「係りの者が介護扱いが悪くて注意して措きましたが・・・申し訳ありません。」と病室へ向かって行くと直ぐ詰所から追い掛けて来て謝りに来た。
以前も、母親の足の甲が真っ青・・・・そして、今度は足の親指の爪が剥がされて・・・・・と不自然な事故であるように思う。
そして、必ず妹の○○○が何日か継続して母親の病室へ来ている。
今回は、その間にテレビのイヤーホーンが妹○○○が帰った後に無くなっている。
以前は、壊されていたが今度は、持ち去っている・・・・・証拠として裁判所へ壊された状態を報告しているからかも。
これで7回目のイヤーホーン事件である。
後見人の弁護士にも報告しても何ら返答も無い。
それどころか病院に対して、外泊禁止から入れ歯の禁止、補聴器の使用など認められてない。
母親セツは、平成14年1月以降に又監禁されて倒れ山形大学医学部付属病院へ緊急入院させられていたが・・
・・その後、その○○看護責任者と一緒の時期に、この山形○○会病院へ転院している。
きっと、何人かの看護師や介護士も一緒に転院しているかもね。
患者を車椅子に乗せて食堂まで搬送するのに・・・・如何したら足の甲や親指の爪まで剥がれるほどの怪我を負わせれるのかニャンコ先生が毎日しているので不思議でならない。
母親は我慢強い女で、ニャンコ先生が小学校5年ころサイロにレントコーンを切り込みする時に、カッターの先頭になって働いていた母親がベルトコンベーヤーに巻かれて親指を根元から切断しているのですが・・・・・その時
より痛く感じたと言う。
23日は痛さでの疲れて食事した後は、直ぐ寝ました。
皆さん・・・・・この事故を如何と思いますか?
ニャンコ先生の居ない隙を狙って実娘○○○が母親の入院病室に来て、母親に「痛い足擦ってあげる。」と言いながら痛みに堪えている母親の爪を剥がされた足の親指を無理やり触って痛めつけて帰っている。
母親は、「触るな、帰れ。」と怒鳴っても・・・・・辞めないで通って来るので、今日7月26日ニャンコ先生に告白した。早速、看護主任の○○さんへ言ったが・・・・「内の職員が消毒か包帯を取替えに行ったのを間違ったのでな
い。」その次には、何と「妹さん来ているの見た事が無い。」と言う始末である。
昨日も「○○さんと妹さんが何か長話をしていたですよ。」と某患者の家族が教えてくれているのに・・・・・。
阿部看護主任に母親の足の爪を剥がした看護士さんから直接謝って欲しいと話したところ「私が責任者なので直ぐ謝っているのだから本人と逢わせる必要無いので・・・。」と反論して来ました。
母親が「それは、可笑しい。」と言うと「上司と相談して来ますので。」と言って去った。
その後、30分ぐらい経過してから又、病室へ阿部さんが来て「今、面会場で待たしてますので来て下さい。」と言
うので逢いに行きました。
しかし、背の高い痩せた男性が待っていたので・・・・「お名前はと聴いてから、女の人ですから違います。」と
言って帰って来た。
母親セツに何度も聴いても「太った女の人で、その側に阿部さんも居たらしく廊下の方から安部さんと誰かが呼
んでいた。」と言う。
未だに、まだ本人からの謝罪も無いし・・・・この事件後から阿部さんは廊下で合っても挨拶もしなくなった。
過失傷害でも警察へ訴えてハッキリしようと考えているが・・・・、その警察も証拠主義で無理ですね。
今度は、母親の入院先へ深夜来て「インターネットに有る事無い事書いているから止めれって言え。」と脅しに来ている始末。
この前、家庭裁判所の調査官が入院先に来て母親から直接事情を聴いて帰ったので・・・・それなりの処置が下されるでしょうが・・・・何年先かね。
札幌地裁まで津軽海峡を渡りはるばる水戸市から荻谷昭夫が騒ぎ立てに来ているか判りますか皆さん・・・ランクルの新車まで買って貰って、最初は日テレからの依頼などと言っていたが、それは嘘。
始めから崩壊した保護施設から犬猫達を救う為でも無く、ただ○○○から現金を受け取り頼まれて動いているだけ・・・何故ならば掲示板の内容を皆さん客観的に検証して御覧なさい。
○○○も「遠くのご隠居」の書き込んだ掲示板のコピーを確り纏めてファイルにして持ち歩き看護師や介護士、それに親戚関係者から隣近所まで見せびらかして走り回ってます。
犬猫の話題と外れて、○○○夫婦による母親への一週間もの断食虐待を否定したり、親の財産を狙って山形へ来ているとか・・・・全く、的の違う内容を
アピールしている事に気が付くと思います。
その為に、生活保護を受給するまで叩き潰すゾ・・・・などと雄叫びを挙げている。
極悪非道な人間像を祭上げて○○○と組んで何とか母親の残りの土地やアパートなど財産を乗っ盗ろうと、必死に頑張っているのがミエミエ。
被相続人に対して強与や虐待、監禁までしていたら、それだけで一円も相続権は無くなるゾ。
もう少し法律を良く勉強べきで・・・・今日、山形地裁で公判が開かれ○○○夫婦が傍聴席に来て居たが顔が二
人共引きっていたね。
○○○の夫で去年退職した元警察官は、まだ60歳なのに・・・・すっかり老けて頭も禿げ上がって惨めな姿でし
た。
すべて金金金・・・・と欲の塊で生きて来ているから人相に現れている。
○○○と欲の塊人生で似た者夫婦・・・・・今回も上申書を提出して来たが、お得意の「作り話」を書き連ねて墓穴を掘っている。
嘘の送金をしたと言っても全て記録が残っているのでバレバレ・・・・何て浅はかで愚かな夫婦なんだろう。
こちらから証明しなくても相手がボロを出してくれるので楽な方向へ行ってます。
元警察官が・・・・何でミエミエの嘘で「作り話」をするのだろうね。
○○○が昨年、家裁に後見人の申立して監禁や帯広への逃避事実を審議されて却下されているのに・・・・馬
鹿だね。
北方ジャーナルの小笠原劇場は、山形へニャンコ先生が移住したらネタの探しようも無く冷たい缶ビールも飲
めなくきっと困っていることでしょう。
この書き込みを取上げて叩くより荻谷も無くなり・・・・色々なハンドルネームを使って文章に変化を持たしても、も
う無理無理。
皆さん、驚きの楽しみが無くなった様子・・・・・・・ツマラナイって!!
「遠くのご隠居」と正義の味方で掲示板まで立ち上げて叩いた荻谷昭夫ヨ!!
お前が新聞配達の舟橋千里を盤渓の施設へ送り込んで川下まで追い掛けさせ替りに犬達を引取らせた平成17年8月17日渡した犬達9匹の里親
先をハッキリ公開してみなさいヨ。
ランクルまで買わせて北海道へ2回も来たそうだから・・・・・攻めて、キッチリ犬達の里親を見付けてやって少し
は皆さんから認められると思うよ。
ホラなら誰でも耽れるゾヨ!!
最初は、何処の愛護心に燃えている金持ちボンボンか・・・・・と思っていたら何と何とランクル一台買って貰って北海道へ辿り着いたとは・・・・・何と皆さんガッカリ。
我が施設の犬達の行き先は?・・・・・・・ハッキリしなさいナ。
9月13日、私が帰った8時前以降の深夜に掛けて、妹夫婦が母親の後見人弁護士の指示で某入院中の病院から特別老人施設へ搬送された。
妹夫婦の指示で母親が負傷したり嫌がらせを受けていると言う疑いが高いのにも拘らず、平等性を欠き弁護士が突然、特別老人施設への移動をさせた事は、問題で先日、仙台高等裁判所へ後見人弁護士の即時抗告
を私がしました。
母親の入れ歯や補聴器の購入を拒否したり、妹に洗濯物をさせるように指示されたり・・・・やっばり弁護士も
妹から金を貰っているのかね。
今までの事務所も急に移転し、裁判所近くの高いビルへ・・・・・やっばり金が回ったのでしょう。
実家の建物明渡し裁判に措いて、父親が幾ら出資しているか調べていたところ、父親の書庫から遺産相続に関連した銀行の計算書が発見された。
平成14年9月6日に父親が妹に公証人役場で口答遺言した内容は、「全財産を渡す。」と言う遺言であったが、その時の金額が手持ちの現金655.604円と郵便局の貯金147.458円に某銀行預金18.987円の合わせた金額
の父親申告で、遺産を受けたと申告していた。
しかし、当時450万円は3年のスーパー定期の預金してあって満期になっていなかったし、その遺言の作成
する半年前前後に1.300万円の3本のスーパー定期が次々に卸されて行方不明になっていた。
父親は、私が平成13年12月30日に帯広で逢った時には、既に認知症で「25万円遣せ。」と同じ事を繰り返し
て雄叫びを揚げてマトモナ話しの出来ない状態であった。
この事からも、妹夫婦が認知症の父親に「全財産を遣ると言え。」と母親のように脅したか暴行して強与した
ことの裏付け証拠が確保出来た。
父親の書庫は、ダイヤル番号が判らないと開かないので父親は、既に認知症の発症から教えなかったから
、この証拠が妹夫婦にバレて捨てられ処理されないで暴露されたのであった。
この件は、既に家裁や地裁へ報告してある。
この掲示板を「遠くのご隠居」や小笠原 淳が見たら妹夫婦に追加金を要求するか、又何か施策を考えて金儲けにする事でしょうね。
母親のところへの行き帰りは、交通事故に気を着けないと殺しを雇い交通事故死で偽装されて消されるかも。
妹が「父親が全額出資した実家を明渡せ!!」と山形地裁へ訴えた裁判は、やっと終結し判決が下ります。
最終公判が10月1日開廷されましたが、それに間に合うように神様は、父親の書箱から母親が全額出資してい
た内容の税務署への申告書が発見されました。
従って、母親の発言証拠が認知症として認められない可能性が高かったが別に裏付けの証拠が発見され、そ
の当時の建築業者で集金した担当者とも逢うことが出来て証言を得られた事から、勝訴するものと確信した。
母親の言うと通りで「正義は、何時か必ず勝つ。」と言う通りになりそう。
この件で相手方へも書類が届いたので、早速その届いた日付に妹から連絡が行ったのか・・・「遠くのご隠居」からのHPでの嫌がらせ掲示板が騒ぎ出したね。
皆さん、8月から音沙汰なかったのに・・・・・ご覧下さい。
判決内容は、実家の建物費用1300万円の中で母親の出資領収書がある金額が850万円相当の支払で父親が450万円の支払が450万円相当であった。
その父親の領収書等は全く一切相手方からの提出は無く、こちらから母親が税務署へ提出した書類から出資内容が明らかになった。
だがその税務署への書面に対して、母親の話から父親が母親の買った山林の一部に「釣り掘り」を始めると言って自分の所持金を無くした事から、
「一銭も無しでは心細いから金を貸して欲しい。」と言い出し、母親が「絶対に釣り掘りに使わない約束なら。」と言って300万円を貸し、更に建物を建てる以前に建ててからの家具代として150万円を渡していると母親は主張していた。
判決内容では、その母親が父親へ貸した金が450万円あったから建物支払の時に最初に出さしたとの主張が証拠が無いと認められず結論的には、母親が26に対して父親9の割合で出資したことになって、父親から全財産の相続していると主張している妹 武田○○○と母親セツの共有財
産として認められ、明渡しの判決を下された。
早速、その連絡を妹から受けた「遠くのご隠居」こと水戸市の荻谷昭夫が毎晩留守電に「早く明渡して出て行け!!」と喚き出した。
妹も実家の周辺を友達の車で駆け回りだした。
この判決が下っても仮執行をした妹も一切却下されて、実家への立ち入りは母親との合意が無ければ許されないことになった。
ニャンコ先生が山形へ来た時に、妹が「山形で仕事も無いし又、さっぽへ戻ることになるから帰りな!!」と言ったが実家へ帰りタダで住んでる居場所を無くすことが目的だったのだろう。
実家は、妹夫婦が自由に出入りしていたので母親の領収書などの不都合な書類は全て捨てたのだろうが・・・・母親は、父親に貸した金以外の領収書を確り誰にも見つからない建物の場所へ日記等と隠して措いてくれたものであった。
従って母親が隠して措いた書類から妹夫婦等が、母親を認知症に追い込んで建物の全てを乗っ盗ろうとしたが失敗したのである。
ニャンコ先生が放射線被爆して警察官を退職した時から、母親セツが「アパートを建てるのは、お前が家賃で生活できるように建てるのだから、全てお前に遣るから、何時でも名義を変えれ。」と言っていたし、当時母親との内容を交わした手紙もある。
又、平成13年12月母親セツが帯広へ逃避した時にも、妹夫婦が勝手に平成2年からアパートの家賃を横領している事から全額の返還を要求した内容証明の手紙もある。
更に、平成18年1月にニャンコ先生が山形へ戻ってもアパートの家賃や横領した金を一切返還しないし、引き渡さない事から内容証明を出した。
それでも返答が無く母親セツが怒って「公証人の先生を呼んでくれ・・・・全ての土地やアパート、建物の名義を亨へ変えれ。」と言い出した。
それを感知した妹夫婦が慌てて後見人手続きを裁判所へ求めたものである。
母親が認知症の診断書を出される以前に、既に録音テープで公証人に聴かせているし、何本もの証拠録音テープがある。
母親が他界したら、直ぐ又遺産相続に関しての妹や姉との戦いが始まるでしょう。
今年の正月に引越しを始めたところ、神さんがお年玉をくれました。
妹が平成14年9月6日、父親から口答遺言で定期預金60万円程度を相続し他に無いことになっているが・・・・何と平成15年2月19日
取り扱い郵便
局85310 定期郵便貯金通帳8札分 総額10.485.000円の支払内容書が8枚発見された。
この時に記載されている内容から、平成5年に預金した定期であることから既に平成5年には既に父親から強奪したものと思慮される。
それを父親から指摘されないようにする為に、妹夫婦は父親や母親を毎年夏休み期間に旅行へ連れ回している。
親戚関係者と父や母を逢わさないように工作している。
この時に妹の夫 強がこの頃新車を購入していることからも大金を手に入れた嬉しさで買ったのでしょう。
丁度、ニャンコ先生が事務所に放火されたのもこの頃だった。
本当に父親が妹へ財産を渡すのならば、これらの預金も全て明らかにして公証人役場で預金通帳を渡したはずであることからも、絶対に全て嘘で有ることを確証した。
父親が他界する二日前に「○○○に騙されて全部盗られた。」と言った事が今だから納得できる。
全て、これから税務署から裁判で全てを決着付けなければ父親 利雄も浮かばれない。
山形家裁で後見人弁護士の解任手続きを取ったが却下された。
即時抗告で仙台高等裁判所に訴えても、やっぱり弁護士の解任はならなかった。
母親は、最高裁へ訴えれと言うが・・・・憲法違反でもなければダメで、その前に落とされ却下される。
実家から追い出されて母親の所有のアパートへ引っ越したら・・・・またまた妹が張り込みして直ぐ後見人弁護士を動かして半日もしないで、「即時
退去せ。」の内容の手紙が舞い込んだ。
母親をボケたことにして何とか、このアパートや両方の土地を盗りたいらしい。
母親は、昭和50年に「亨の為にアパートを建てるから仕事出来なくなっても良いようにね。」と約束してくれ、さらに建てた後も平成13年12月にm
妹夫婦に対して帯広から内容証明でアパートの家賃から強奪したものを全て「亨へ渡せ。」と手紙を出している。
平成18年1月にも渡すと言っていたアパート家賃を引き渡さない事から、又再度・・・内容証明の手紙を郵送している。
この後3ヶ月もに、後見人弁護士が着いたが、全く母親の主張を認めていない。
毎日実家の回りで妹は、車を替えて監視し張り込みを繰り返して弁護士へ報告している。
妹に恐怖を持っている母親を後見人弁護士が業と老人施設まで深夜届けさせている事からも、妹夫婦から相当の金額を受け取っているのでしょう。
父親の3000万円近くの預金から、母親から強奪した預金通帳からやら父母様様で医師から看護師、遠くのご隠居の荻谷から弁護士まで金をばら撒いている。
運転手付きでの張り込みとは、驚きました。
私の留守を狙って 岩尾洋子さんへ「出て行け、出て行け。」と追回して写真撮影・・・・デジカメかな?
医者も弁護士も金しだいですから、金になるのなら何でもOK。
職務の乱用だね。
最高裁は無理・・・・特別抗告やら許可抗告しても相手にされないね。
このような記事が新聞に出るのを待っているのでしょう。
水戸のご隠居が同じことを去年から掲示板に掲げていたが、皆さん又ご覧下さい。
強制執行すると山形市役所の保護課へ後見人弁護士が怒鳴りまわしたり、アパートの住民に妹が毎日建物を壊すので立ち退いて欲しいとか言っているらしく、相談に来ました。
立ち退かなかったら逮捕されるのですかね。
実家の母親に後見人が着いたら皆さん気を付けない大変ですよ。
名義を早く替えないと・・・・・ね。
財産を強奪した上に、さらに「全財産を渡せ。」と監禁やら断食させていた妹の方に加担している後見人弁護士の方が正しいのが、現代の裁判シス
テムだから、民間の意見を反映しようと裁判員制度が新しく始まる遅すぎるね。
母親は、「亨、何処へでも連れて逃げて欲しい。」と昨日も泣いていたよ。
逃げるにもお金が無いと言ったら・・・二人で死んであの世から恨むより他に無いかなってさ!!
二人で死ぬのを待っているのが妹夫婦だから喜ばしてばかりでは、悔しくてタダでは死ねないよね。
何時か神様のバチが当たると信じて生きている母親と息子だが、この世に神は居ないようです。
ここ全て「金金」の世だから、犯罪も蔓延し自殺者も毎年増加の一路。
平成13年に母親が前夫の子供長女のところへ武田夫婦から逃避した時に、逆に妹夫婦と組んで母親に「亨に余計なことを話した。」と怒って拳骨で叩いたり抓った○子が、C型肝炎で人口透析していたが、母親より先に逝ったらしい。
このまえの日曜日、町内会の会議で父親の兄貴の息子さんが同じ町内の会長をしているので「亨君には一切連絡無かったの?」と驚いていた。
また妹夫婦が親戚一同に「姉妹の葬儀にも連絡したのに来ない。」と皆さんへ言って多額の花束を贈ったのでしょう。
母親は、武田夫婦に騙されていたのだろう・・・・と泣いていた。
この仕事も無い山形で衣食住の一つでもを奪い盗れば誰でも生きて行けないことを知って充分知っての妹夫婦のパート追い出し作戦でしょう。
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