ホーム > 佐々木かをり対談 win-win
> 第111回 進藤晶子さん

あの当時の日記は読めないですよ
- 佐々木
-
冬、行かれたんでしたよね。
- 進藤
-
はい、あのテロの後。ニューヨークがニューヨークらしくないときに来たね、って言われましたけれど。
- 佐々木
-
たしか、大きいアパートを借りていたって。
- 進藤
-
立派なアパートの一部屋をお借りしていたんですけれどね。留守がちな方だったので、いつも奥のお部屋は暗いんです。夜になると怖くてドアが開けられない(笑)。誰かいたらどうしよう、って。
- 佐々木
-
(笑)良かったですか、その体験は。
- 進藤
-
苦労したり、しんどい思いをしたり、という経験は貴重でした。
- 佐々木
-
何が一番しんどかったですか?
- 進藤
-
あちらの生活では、自分は何もできない、子ども同然でした。交渉事や何もかも電話ひとつスムーズに引くことができない。7年間テレビ局生活で、何も知らない大学生から、なんとなく戦力になれる社会人に鍛えてもらって、やっぱりどこか「何でも一人でできるんだ」というような、増長していたところがあったんでしょうね。
それに、一番のコミュニケーション・ツールの言葉がうまく話せない。すると手枷足枷で。もちろん、自分で知らない人ばかりの場所を選んで行ったわけですから、仕方がないんですけれど、自分の居場所を一から作るというのは、想像以上に大変なことでした。ちょっと愚痴を言えるような友達も最初はいないわけですから。「孤独」って、こういう気持ちをいうんだ……、と(笑)。でも、そういう経験も大人になるとなかなかできないことなので、今になったら良かったかな、と。
- 佐々木
-
確かに東京にいれば、進藤さんが孤独でいるっていうことはないもんね。
- 進藤
-
飲んで食べて、遊んで、はい(笑)。
- 佐々木
-
でも、報道の2年間で、自分はちょっと駄目かもしれない、力不足かもしれない、って思いながら辞めたときって、少しでも、こういう道があるんじゃないかとか、私だってまだまだ捨てたもんじゃない、って思いたいリハビリ期間でしょう。それなのに、そこでまた頭打っていると、結構辛いものがありませんでしたか? 今、思い出して悲しくなっていません?
- 進藤
-
あの当時の日記は読めません(笑)
- 佐々木
-
何か、どん底に行っちゃったみたいな感じ?
- 進藤
-
恥ずかしい(笑)。かなりナルシストな状態で。「私って……」みたいな(笑)。
- 佐々木
-
どうしてこんなふうなの、みたいな(笑)。確か、始めから6カ月って決めてて、帰る日は決まってたんですよね?
- 進藤
-
はい、だいたい決めて、指折り数えていました。
- 佐々木
-
遊びに行ってあげれば良かった(笑)。
- 進藤
-
片時も離れなかったと思いますよ。トイレまでついて行っちゃう勢い(笑)。でも、仕事が恋しくなりましたね。だから、また仕事を始めたんだと思います。
9/12
|
 |

|