三洋電機は、子会社の鳥取三洋電機(鳥取市立川町七丁目)の社名を「三洋電機コンシューマエレクトロニクス」と変更する方針を固め、設立以来四十年以上掲げた「鳥取」の名が社名から消える見込みとなった。製品や部活動などを通じて、その名を全国に広めてきただけに関係者の気持ちは複雑。一方で営業部門の鳥取移設も浮上し、雇用面での期待も高まっている。
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社名変更が決定的となった鳥取三洋電機=23日、鳥取市立川町7丁目
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三洋は京セラへ携帯電話事業の売却を決め、鳥取三洋は売上高の四割を占める同事業から撤退。好調なカーナビゲーションやイオンと共同開発する家電などコンシューマ(消費者向け)部門の生産拠点に転換していく方針を示していた。
三洋は社名変更について「本社から発表したものではない」と、二十五日の発表まではノーコメントの構え。行政や関連業者は「何も聞いていない」「報道で初めて知った」と驚き、状況を見守る姿勢だ。
鳥取県の平井伸治知事は「名より実を取るため、企業体制を整えるものだと理解したい」と述べ、鳥取三洋を誘致した鳥取市の竹内功市長も「大切なのは実体だ」と強調。記者発表直前に予定されている鳥取三洋からの報告を待つ。
鳥取三洋は地方の中核企業として、独自の技術力で電子部品やLED、カーナビなどの開発に先進的に取り組んできた。「社員は鳥取三洋の名に誇りを持ち、本社と競争してきた」と寂しさをにじませる高須広海さん(60)。三洋から鳥取三洋に転籍して三十四年間、鳥取で製造部長などを務めた。
「パナソニックと同様に世界戦略を考える上で仕方がないが、鳥取の地で頑張るんだと地域が結束する意味で『鳥取』の名は大きい」と社員の士気を気に掛け、同社の男性社員も「組織が動く中で複雑な気持ち。鳥取の名で地域の企業としてやってきたのでなくなると寂しい」と口にする。
「しゃんしゃん祭」への参加や鳥取砂丘の清掃活動など地域とのつながりも大切にしてきた鳥取三洋。近隣の岩倉小学校の高田優子校長は「今年から鳥取三洋の会社見学を学習に取り入れようとしていたところ。どうなるのだろう」と戸惑う。鳥取三洋設立の翌年から近所に住む主婦(69)は「社員は寂しいと思うが、三洋は三洋のままで変わらない」と冷静に受け止める。
一方、三洋は国内営業会社「三洋電機販売」(東京都)の消費者向け営業部門を鳥取へ移すとみられ、伸び悩む県内雇用への期待も高い。三洋に雇用への配慮を働き掛けてきた平井知事は「雇用力が高まるのであれば、地元の期待も高まる」と歓迎。竹内市長も「雇用と事業のさらなる拡大を」と期待を込めた。