2008年1月25日 (金曜日)

雪でワヤ!

今日(24日)は、「爆弾低気圧」の影響で、雪と風がすごかった。
  
●朝、通院の母を近所の病院に送るのにノロノロ渋滞の国道通過に1時間もかかってしまった。
  
●檀家サン宅の前で、吹き溜まりにハマってしまいビートル君が動けなくなり、坊さんコスチューム(和服)のままでベチャベチャになりながら、車を掘り起こし。
 
●午後は、お寺の雪かき。あまりに大量で湿った重たい雪を運ぶのにヘトヘト…。人や車の出入りする道を確保する除雪だけでヘロヘロ。
  
 
  
とにかく、雪でワヤな1日だった。(ワヤって北海道弁?)
  
  
寺の向かいに住んでいるバアチャンが、空に向かって指さしながら、2年前の大雪の時と同じギャグを言った。
 
「もう(雪は)いらないって電話しといたのに!」
 
……お笑い芸人の「お決まりフレーズ」を待ち焦がれていたファンの様に、分かっているに僕はウケた。(2年前のブログはコチラ・・・http://minoyamakono.way-nifty.com/tomo/2006/01/post_d1f9.html

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2008年1月22日 (火曜日)

心に浮かぶ

  

「私を見ていて下さる人があり 

私を照らして下さる人があるので 

私はくじけずに今日を歩く」 (榎本栄一)

  

 最近、しみじみとこの念仏者の「お言葉」を噛み締めています。

 この言葉を「自分自身」に当てはめて味わってみると、

 心に浮かぶ「顔」や「存在」があります。 

 弱っちぃ私を見ていてくれて、ありがとうございます。

 

 「くじけずに歩く」

 なんか、そんな自分がめんこいです(*^_^*)

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2008年1月20日 (日曜日)

昨夜は札幌まで行き、「新年会」でした!

朝の5時まで飲んでJRで帰り、「お坊さん」に戻り、今日は忙しい日曜日を勤めました・・・・。

だから、ねむーい。

でもね・・・、

僕が(みんなが)会いたい「あの方」も突然にサプライズに登場されたりして、笑ったり歌ったり、朝まで最高にハッピーな「宴」でした。

早くも2008年の「私的重大ニュース」にノミネート決定のひとときでした♪

昨晩は皆さん、ありがとうございました!

また楽しく呑みましょうねぇp(^-^)q

今日は寝まーす(^^;)

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2008年1月19日 (土曜日)

時のいたずら

昨日、隣街のショッピングセンターへ買い物に行った時のこと。

レジをしていた若い女の子の顔を見た瞬間、なぜか昔からの知り合いのような気がしたのだ。
誰だっけ?
胸にネームをつけていたので確認したら間違いなかった。

毎年7月末、近隣のお寺のお坊さんで主催・引率して開催している「ちびっ子キャンプ」に小2から中3まで毎年欠かさず参加してくれてた女の子だった。
僕は毎年パソコンで「参加者名簿」を作る係なので、常連で参加してくれた名前は忘れないし、その子はいつも僕にまとわりついては騒いでいた子なので、顔も忘れなかったので、すぐに思い出した。
でもなんとなく声をかけずらくて、気づかないフリをしてしまった。
もしかしたら向こうもサングラスの俺に気づいたかもしれない。

僕の買った商品を一生懸命に包装している彼女の姿をサングラス越しに見つめながら
「ガキンチョと思っていたらもう社会人になって働いてるんだなぁ。はやいなぁ…」
と心でつぶやいた。

そっか、中3(15才)でも四年過ぎれば高校卒業して19才になってるんだもんなー。

十代の彼女の4年、
そして
三十代の僕の4年。

同じ時間でもエラく違うもんだな…。

「こちら商品でございます。ありがとうございました。またお越しくださいませ。」
その「声」にも、あのキャンプの頃の面影が残っていた。
僕はなんか、たまらなく恥ずかしくなりながら、商品を受け取り店を出た。

♪時のいたずらだね〜〜苦笑いだね〜〜〜♪

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2008年1月18日 (金曜日)

再起動

ちょいとしなきゃならない事が次々に続くと、動作がにぶく「不安定」になり、「メモリ不足デス…」だの「ビジー状態デス…」という言い訳をし、やる気ゼロになる。
一回電源切って休ませてやれば、機嫌を直し、何事もなかったようにケロッと再起動。

私のパソコンは、
まるで
「私そのもの」
だャー(笑)


さ、再起動しよう(^_^;)

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2008年1月17日 (木曜日)

無言で雄弁な死から

「こんなことってあるんですねぇ…」
って勝手に納得しないでほしいなぁって思う場面に出会った。

  

去年の末に亡くなった七十代の男性。定年後も毎日元気で、病気知らず。健康診断も異常ナシ。ところが、昨年11月に手術不可能な場所に病気が見つかり「年内もたない」とお医者さんから宣告。本人に自覚も痛みもないまま12月になり、家族も「ホントに病気なんだろか?」と思うくらい病室でも元気にしてらしたが、医者の見立て通り、次第に容体が悪化し、末日に亡くなった。わずか2ヶ月…。

その方は、去年7月にワタシの「新住職就任祝賀会」の案内状をご覧になって、いつもは「お寺」に縁遠い方だったが、「祝賀会」に出席してくださっていた。

その事で、奥さんが冒頭の言葉を呟いたのである。

「こんなことってあるんですねぇ…」

「何がですか?」とワタシ。

「主人が七月にお寺サンの祝賀会に行ったでしょう?お寺とかには全く感知しない人だったのに、なぜか出席するなんて言い出して……」

「あぁそうだったんですか。僕も祝賀会の席で各テーブルにご挨拶に歩いたとき、しばらくの間、ご主人様と初めてお話させていただきました。お元気でしたのに、亡くなったお知らせにびっくりしました」とワタシ。

「そうなんですよ。だから、なんかね、あるんでしょうかね。亡くなる事が暗示されてたっていうか……こんなことってあるんですねぇ…」

はじめは奥さんの話す真意が分からなくて戸惑ったが、どうやら

(1)今思えば、年末に亡くなってしまう命だからこそ、最後の元気なうちに、お寺(先祖?)に呼ばれたのではないか。

(2)今まで興味のなかったお寺に珍しく行ったりなんかするもんだから、亡くなったのだ。

どちらかの意味合いに取れてしまうのだ。

元気だった大切なご主人を突然失った奥様の気持ちは私の想像を超えた世界だ。またその突然の不幸の原因のホコサキを見つけたい、そして少しでも納得できるものならそうしたい、というのは人情である。

しかし、「お寺に行ったから」という原因究明は、ちょいとサビシイ。ゴメンね住職になって(苦笑)

お寺の祝賀会に行ったから亡くなったのではない。
また逆に言えば、祝賀会に来た他の方だって、みんないつか必ず亡くなっていかなくてはならない命なのである。

当たり前の事だけど、赤ちゃんとしてオギャーと産まれたとたんに、我々には100%「死」が決定している。そしてその後の「生」の中で色んな縁(条件・キッカケ)に遭遇していかなくてはならないという「人生ルール」。
成長という縁もある。
若いという縁もある。
挫折という縁もある。
元気という縁もあれば、病気という縁もある。
そして死という縁もある。

死は特別なものではなく、生きる全員に決まっていて、今んとこたまたま「死の縁」に未だ出逢っていないだけのこと。

私が「若い」から死なないのではないのだ。

 

だからこそ、生きている今この時が大切に思えるし、一度切り、繰り返せない、誰にも代わってもらえない人生を優しく、逞しくありたいと願うのではないか。

先立った大切な方が示してくれた「死」は「無言」のうちに、実はいろんな事を「雄弁」に語り、教えてくれている。

塩を巻こうが、お祓いをしようが、初詣で願い事をしようが、「この私に死の縁が整えば死ななくてはならない」 という一点は変わらない真実。

 

その事を正しく受け止めなければ!

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2008年1月16日 (水曜日)

朝。

朝。
朝、2階の部屋の窓から外を眺めると、下から「君」が僕を見上げていた。

ただそれだけで、元気になる瞬間。

さ、今日も頑張ろう!

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