モテる社長の法則


(更新日:2007年4月10日)

世の中を元気にしている成長企業。そのトップである社長には、キラリと世の中を魅了するカッコよさやモテる秘訣があるはず!
キャラ、ポリシー、ビジョンから湧き出るその魅力・・・etc。
普段接している社員だけに独り占めさせるのはもったいない。20代の私たちにもそのパワーをおすそ分けしていただこうと、世の中から一目置かれる"モテる社長"に接近し、その素顔に迫ります。

photograph by Shuhei Hori/text by Yoshinori Asuma


「コミック・ガンボ」〜世界初、マンガのフリーペーパーを実現〜
甲斐 昭彦 氏

株式会社デジマ 代表取締役社長
甲斐 昭彦 氏

1970年3月生まれ 東京都出身。93年大学卒業後、電通に入社。新規事業に多く携わった後、00年にメディアシーク、翌01年アスクジーブスジャパンを経て02年にトランスコスモス入社。同社で執行役員に就任。05年に退社後、06年8月にデジマを設立し代表取締役社長に就任。07年1月に世界初の無料マンガ雑誌「コミック・ガンボ」を発刊。


新規事業を考えたり、生み出したり。そんな仕事が自分に向いてるんだと思います。

出版不況が叫ばれる現在、マンガ雑誌も例外ではありません。1969年創刊、最盛期には150万部を発行していたあの月刊ジャンプも今年6月の休刊を決めました…。

出版業界全体が生き残りを賭けしのぎを削る中、新たな風穴を開けるべく登場した、世界初の無料マンガ誌「コミック・ガンボ」。通常のマンガ誌にひけを取らない内容ながらフリーペーパー化を実現した編集長の甲斐氏は、IT業界から全くの未経験であった出版業界にたった一人飛び込みました。

株式会社デジマの代表取締役でもある同氏に会社創業の経緯や「コミック・ガンボ」に対する熱い想いをお伺いしました。


−−新卒で入社した電通では主にどんなことをされていたんですか?


大学を卒業したのが1993年。僕はマスコミ系に就職したかったのでテレビ局や出版社などを中心に受けていたんですが、思うようにいかなくて、電通からは内定をいただいたので、広告系でもいいかなとあまり悩まず決めちゃったんです。入ったらコピーライターとか、CMプランナーとか、自分でモノを創造できる、クリエイティブな仕事が出来ればいいなと漠然と思っていましたね。

でも、最初に配属されたのは、TVのCM枠を売る媒体部門。そこで1年間、雑用を主にやってました。まあ、今になって思えば、仕事の大事な基礎だったんですけど、当時はつまらなく感じていました。そして1年後に、PCに詳しいって事で、テレビに関する新しい技術研究や開発をする部門に移りました。
その後、電通社内でインターネットを担当する部署が立ち上がった時に、その部署での仕事も兼務するようになりました。

当時はWEBサイトを持っている企業がまだ少ない時代で、様々な企業に対してインターネットを説明するところから入り、実際のサイト制作やバナー広告の提案をしたり、インターネット広告や映像を配信する際の著作権、肖像権を管理するデータベースを作ったり…。本当に色んな新規事業に携わる仕事をしていました。


−−その後、7年間在籍した電通を辞めて、ベンチャーに転職されましたが…。


はい。その頃ちょうど、ネットバブルといわれて『ベンチャー企業に行くと金持ちになれる』、というような話をいくつも耳にしていて、僕も単純に羨ましいなあと思ったんです。
とまあ、それは冗談で、まだ当時はそこまでパソコンやネットを使ったビジネスを企画・実行できる人がそれほどいなかったから、というのが大きい理由です。
3年後、5年後には、インターネットなんて当たり前、パソコンの知識を持った人がどんどん増えているだろうけど、今だったら自分のアドバンテージが活かせるんじゃないかと考えたんです。
電通での新規事業に携われる部署は凄く楽しかったですけど、このままずっとできるとも思えないし、いつまた異動になるかわかりませんからね。ちょうど30歳になるタイミングでキリもいいかなと思ったし、偶然知人を通じて誘われた会社があったんで、転職を決心しました。

 

最初の転職先は、モバイルコンテンツを扱う会社。
そこで1年間、モバイルサイトの企画立案やコンサルなどをした後、トランスコスモスの子会社のアスクジーブスジャパンの立ち上げに携わりました。その後、親会社に移ってもっと色んなことをやってみないか、という誘いを受けてトランスコスモスに移りました。そこでは主にベンチャー企業に出資したり、新規事業を企画したりしていました。3年ほどでしたが、楽しかったし充実していましたね。

ただ、そんな中でも、マンガだけは子供の頃から今までずっと好きで読んでいました。好きなモノを仕事にしたいという想いは、消えずに心の中にありましたよ。


マンガが好きだから始めた。"好き"を仕事にしたいという想いが強かったんです。

−−その後、起業のきっかけは何だったのですか?また無料の漫画誌というアイデアはどこで生まれたのですか?


トランスコスモスではベンチャー投資や、既に投資した会社の支援、M&Aなどの仕事をメインでしていました。そうやって他人の会社の手伝いをしているうちに、自分でもやってみたいという気持ちが強くなっていったんです。
無料のマンガ誌というアイデアを思い付いたのはいたってシンプル、リクルートがビジネスマン向けに発行しているフリーペーパーの「R25」がきっかけです。
これは、無料でオトク、入手できると自分でもついつい読んでしまう。もしこれがマンガだったら、もっと読んでくれる人がいるんじゃないかなと考えました。

これまでIT関係の業界にいたんで、なんでWEBじゃないの?とかよく聞かれるんですけど、やっぱりマンガは紙でパラパラめくれなきゃダメだと思うんです。
僕はよく通勤の電車の中でマンガを読むんですけど、好きなところで止められて、いつでも続きから読める。これが紙媒体の良さですから。
だからモバイルやPC配信がメインになるビジネスは全く考えていませんでしたね。

 

その後、じゃあどうやったらビジネスモデルとして成立するかを色々と検討に入りました。印刷代や紙代、マンガ家さんに支払う原稿料はどうするのか。雑誌を創刊するためのありとあらゆる情報を集めて、本当に実現可能かどうかを詰めていったんです。もちろん自分一人で起業するには、資金面でも全く足りませんからね。いくつかのベンチャーキャピタルとお話をさせていただいて、幸いにも出資してくれるところが見つかって、これならいけるだろうという確信を持って2006年8月に、デジマを設立しました。

 

−−会社設立からおよそ半年で週刊マンガ雑誌を立ち上げるのは相当大変だと思うのですが?


そうですね。色んな人から、雑誌を1冊立ち上げるのには普通1年はかかるよ、とか、まずは隔月刊から始めて反応がよかったら月刊、隔週、週刊にステップアップしていくモノだよ、なんて言われました。
ぼく自身は出版業界に全くいなかったので、そんな常識は全く気にせず進めていたんですけどね(笑)。会社を設立したのはいいけど、売り物がないんじゃ意味がない。何もせずリードタイムが長ければ、給料などで出ていくお金は増えるだけなので、物理的に最短で創刊できる日をスケジューリングして、そこからは絶対に動かしませんでした。最初から週刊にしたのも、毎週何曜日っていうのはクセになると思ったからです。自分でマンガ雑誌を読んでいても、あんまり間が開きすぎると、前の話忘れちゃったりしますからね。やるならやっぱり週刊だと最初から決めていました。

社員の数も設立当初は2名程度しかいませんでしたから、そこから人を集めるのはかなり苦労しました。そんな中でも知人の紹介などで営業メンバー、経験豊富な編集者が参加してくれましたし、マンガ家さんに関しては、そんな彼らが過去に仕事をしたことがある人や新人を上手くひっぱってきてくれました 。


1日のスケジュール
7:15 起床
7:30 朝食を取りながらメールチェック
10:00 出社
11:00 ネーム(下書き)のチェックなど編集長としての業務
12:00 ランチ
14:00 マンガ家の持ち込みに対応
15:00 提案書の作成
18:00 社内打ち合わせ
20:00 とある企業と会食(提携の交渉話などを持ちかける)
24:00 退社
26:00 就寝

今夏には単行本を刊行する予定。ここでの読者の反応が大事だと思います。

−−年代ごとに読むものが全く違うマンガ。「コミック・ガンボ」の読者ターゲットはどの辺りですか?


20代から40代くらいの男性サラリーマンですね。
何故かというと、自分がまさにその世代に含まれているからです。僕自身が編集長でもあるので、僕が面白いと思える作品じゃないと載せられませんから。そういう意味でターゲットは最初から決まっていました。この先会社が大きくなって2冊目を女性がターゲットのマンガ誌にするという可能性は大いにあり得ますが、その時は女性が何を好むのか分かる人に任せるつもりです(笑)。


−−創刊から3ヶ月が経ちましたが読者からの反響はいかがですか?


実際に街で配っているのを見た限り、積極的に受け取りに来てくれる人が多いです。
配る業者に聞いてみても、他のフリーペーパーよりもいいペースで配れているようなので、ある程度は読者の方も認めてくれていると思っています。ただ、本当に読者の反応が分かるのは単行本を出したときですね。どれくらいの読者に求められるかを見極めながら、今夏から順次出していくつもりです。

現在、発行しているのは10万部。そのうちの9万部以上は、直接手渡しで配っています。雑誌はまだできたばかりだし、会社の名前も知られていない。「コミック・ガンボ」なんて聞いたこともない雑誌が、ただ置いてあるだけで誰も読んでくれないだろうと思ったからです。だったら「無料のマンガ雑誌です!」という言葉をかけ説明しながら配ることによって、少しでも受けとってもらえるんじゃないかと考えています。
今後、我々の雑誌が有名になって、あのマンガが掲載されていて、しかも無料で読めるということが認知されれば、配らずにただ置いておくだけでもいいんじゃないでしょうか 。


−−では今後、部数を増やすことも考えているんですか?


部数に関しては、フリーペーパーなので、単純に部数を増やすとコストがかかってしまいます。例えば今、広告1ページ定価40万円で売ったとして、これを今の倍の20万部を刷ったら広告費80万円で売れる、そういう自信がつけば部数は増やそうと思っています。現在、インターネット上でも、最新号と前号を無料で読めるようにしています。うっかり取り損ねてしまった人、東京に住んでない人など、雑誌で拾えない読者もある程度獲得できればと考えています。もちろんネットで読んでくれる人が増えれば、その分のネット広告収入も増えますからね。

 

−−最後に現在の若者へ向けたメッセージをお願いします。


僕は電通に入社して最初の1年間やっていた雑用が嫌いで仕方がなかったんです。
でも今、色々仕事をしていく中で「ああ、あの時バカにしていた仕事は、こんな場所で役に立つんだな」と気づくことが何度もありました。

皆さんも新人のときにやらされる仕事は意味がわからないと感じることが多いと思いますが、必ず意味のあることだと思うので、どんなにバカらしいと感じても投げ出さず一生懸命やって欲しいですね。後で絶対分かる瞬間が来ると思いますから。



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色んな人に、会社を立ち上げて半年間で週刊誌を発行するなんて無理だといわれました。でも、こうやって無事に創刊号が出来て完配もできた。この時はやっぱり感動しましたね。 これは責了印といって、編集長である自分が最終チェックの終わった原稿に対して押していく印なんです。これを全て押し終わったらようやく校了を迎えます。 PHSをもう10年くらい使っています。理由は、音声がクリアで携帯電話よりも軽くて値段も安いから。メールは普通に出来るし、これで十分なんです。この機種はもう2年くらい使ってます。

【甲斐氏が影響を受けた本】
企業戦士YAMAZAKI

企業戦士YAMAZAKI
富沢 順(集英社)


このマンガは、割と荒唐無稽なマンガなのですが、毎回、いろんな業種の企業の経営課題があり、それに対して、全く新しい着想の新製品を開発していく、というもので、実現できるかどうかはともかく、そのアイディアに当時はワクワクしていたものです。
僕がいつも、「今までに無い商品/サービス」を作りたいと考えているのは、このマンガの影響が小さくないと思っています。



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