12月の初め頃だったか、OffタイマーをセットしてTBSラジオの「鴻上尚史の博愛ライダー!」を蒲団の中で聴いていたら、金子修介監督がゲストで登場した。
【おや、懐かしい】と思って、眠い目をこすって二人の会話に耳を傾けた。
金子監督の最新作「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」の宣伝活動、キャンペーンの一環だった。
その最後に金子監督がこんなことをいった。
「併映作品のアニメも面白いと思いますよ。監督が出崎統さんですから。脚本も島田満さんです」
鴻上さんがすかさず、
「とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険ね」
【へぇ〜……島田さんがハム太郎書いてるのか】
のっぽの脳裡では一気に13年の年月が遡っていった。
昭和64年1月7日の夕刻へ……。
当時『Dr.スランプ アラレちゃん』に参加していた脚本家4人(のっぽ、井上敏樹、照井啓司、島田満)はプロデューサーの七條敬三さんを中心に、鷺宮の島田満さんのマンションでこの日新年会をすることに前年末から決めていた。
ところが、この日、昭和天皇が崩御されたのだ。
「どうしましょうか?」
七條さんに電話をしたら、「用意もしてしまったし、昭和天皇を偲んで、やりましょうよ」ということになった。
そこで、当時島田さんが借りていたマンションに集まった次第。
のっぽはてっきり脚本家4人と七條さんが集まるものと思っていた。
そこに、金子監督も参加していたのである。
実は井上氏が脚本を書いた日活作品『みんなあげちゃう』(弓月光原作だったか?)が金子監督の監督デビュー作だったのだ。そんな関係で彼が誘ったのだろう。
のっぽも実は顔なじみだった。のっぽが参加していた『うる星やつら』の脚本を当時日活の助監督だった金子氏も執筆していたからだ(興味がある人は『うる星やつら』の初期のリストを確認したらよい)。
『うる星』の監督の押井 守氏が学芸大学時代に作った映画研究会の後輩という関係で参加していたのだった。押井氏といえば竜の子プロの後輩であり、『タイムボカンシリーズ』ではスタッフの仲間として大活躍したのはご存知だろう。
さて、島田家のテレビでは昭和天皇の追悼番組がエンドレスで流れていた。
六人は朝まで鍋をつつき、酒を飲み、ゲームをして大いに語った。
翌日、当時の小渕恵三官房長官が新元号『平成』を発表した。
手塚治虫先生が逝って、そして美空ひばりさんが逝って、昭和は過去のものになってしまった。
草田男は「ふる雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだが、30年後に俳人は昭和をどのように詠うのだろうか。生きていたら詠ってみたいものだが……83歳か。頑張りたいなぁ。
昭和最後の日から平成最初の日まで一緒にいた六人の因縁とはどういうものなのだろうか? 興味がある。それにしてもよくぞ集ったものだよね。
『ゴジラ』と『ハム太郎』、みんな、見に行ってください。
9月11日以来、激動の21世紀初年もまもなく暮れる今、来年こそ、罪なき人々が哀しい涙を流さずにすむような年になることを心から祈りたい。
今年は珍しく28日にすべての年賀状を投函できたのっぽは正月返上で原稿書きに励まなくてはならない。題して『あなたのハートに元気玉』。3月までには上梓したいものだ。来年はこのほかに脚本家生活30年を振り返る記念本など数冊を世に送り出したいと思っている。楽しみにしてくださいな。
それでは、どうぞ、佳い新年を! 来年もどうぞよろしく。
(つづく)