■先代館長の稽古時の言葉 芦原英幸先代館長が稽古の時におっしゃられた何気ない一言。先代の直接指導を受けた門下生ひとりひとりにそれぞれの想い出があることでしょう。当時、先代の残した言葉を今一度、振り返ってみます。 |
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先代館長の稽古時の言葉 その 1 | 「かっこをつけるんじゃない」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 2 | 「おまえ恐い顔してるなぁ〜すごいなぁ」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 3 | 「Yは強くなったなぁ」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 4 | 「目は大事だよぉ。」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 5 | 「なんで皮を破るまでやるんよ」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 6 | 「おまえ何が得意なんだ?」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 7 | 「蹴りは足の重みを使うんだ」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 8 | 「〜しながら使うんだよ」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 9 | 「ごくろうさん」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 10 | 「八幡浜から松山まで走ってみようと思って走ったんよぉ」 |
先代館長の稽古時の言葉 その 11 | 「サバキは、2人でタイミングと間合いステップの練習をする」 |
■先代館長の稽古時の言葉 その1 芦原英幸先代館長が、審査 稽古指導の時に 口癖のように言っておられた言葉に、「かっこをつけるんじゃない」 「かっこをつける暇があったら、稽古をしろ」 というのが思い出される。 こう言われるときは、決まって本当に厳しい指導が繰り広げられた。 これは、先生の実戦と稽古に対する厳しいまでのその姿勢からくる、 言葉だと思われる。 言われた人にとっては、いつもの癖だったのかも知れないし、 本当にかっこをつけていたのかもしれない。 しかし、なぜそこまで先代館長は、厳しく指摘し、指導されていたのであろうか? そうやっている時、そのくせが出ている時が、いちばん狙われるときであり 日常の実践・応用しようとする時に、つけこまれる時だからこそあのような厳しい指導だったのでは… 。 実践・応用の場面では、「そんな暇はないんだ」「格好が良いの悪いの、言 って られないんだ」という事を門下生に伝えていたのではないだろうか。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その2 「おまえ恐い顔してるなぁ〜すごいなぁ」「でもなぁ恐い顔したからって強いとは かぎらないんだよ」 審査の時のひとこまである。かなりおどけたように、そして、しみじみと言っておられた。 組手の時、審査の時だから気合が入っているのは当然。 しかし、そうのような時の事を思い出してみると、あまりまわりの事が、見えてない場合がありがちである。「強いとはかぎらない」と言う言葉から、「倒されればおしまいだよ」とも考えられるし、「恐い顔してると社会で受け入れてもらえないよ」とも考えられる。 強くなる為には、恐い顔などする必要はない。恐いという事と、強い事は違うということであろう。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その3 Yさんが大学を卒業されて就職されてからの10月の審査 。 「Yは強くなったなぁ」「よくなったよぉ」 審査のさばきを見ておられての一言である。 失礼を覚悟で言うと、Yさんは就職活動そして就職とこの時期、道場で稽古出来ていない状態であった。今回の審査でのサバキは動きも悪いのではと思われたが、 しかし、以外にも先生の言った言葉が上記の「強くなったなぁ」であった。 何を見て先生はそう言われたのか? 直ぐには、理解できなかった。スピードも少し遅くなったように見えるし、どこだろう?と考えていると 「落ち着いて相手をみてるからなぁ」とまた一言 。なるほど! 無駄な動きが、この時は全然なかったのである。相手を見る時も微動だにせず、受けから入る動きも最短距離を動く為慌てた急いだ感じがいっさいなかった。 とはいうものの、なんとか動きについては、これで納得できたが、先生の言った事が何かニュアンス的にピンと来ない。それは、外見の動きや技だけではないように思えたからだ。 結局この時はわからずじまいであった。 それから、1年程の時を経て、「そう言うことか」と思えたのは、Yさんが社会に出られて何か変わったんだと…。それはその心境とでもいうか、空手にそして組手に対する姿勢とでもいうか、「絶対に引かない」「ぎりぎりまで見極めて一発で入る」「一撃目を逃さない」と言うような気迫があったように思えた。 先生もお忙しく関西に出てこられるのも、審査の前後が多くなってきた時期だったので、普段の稽古を見ておられないのは当然であったが、動きが早いとか、出来るとかだけではない内面の充実もふくめて見られていたんだと理解できるようになった。 稽古をして内面も充実してきたと言うのではなくて、社会に出て色々考えたり、経験したりした事が、内面を充実させ、それが技にも反映するという事を考えさせられた一言であった。 「強くなる」という事は、色んな意味があるのであろう。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その4 「目は大事だよぉ。」「おまえどの辺まで見える?」「俺は相手の足まで見えるよ。」 これだけだと何の事か解らないが、先生がある先輩を相手に、おっしゃっていた言葉である。 一般的によく言われる事に、向かい合ったときや組み手の時には、相手の目を見るとあるが、ただ見るだけ、にらんでもダメなのは当然である。 熱くなればなるほど視野は狭くなってしまいがちだが、心は熱く感情的になっていようとも、冷静に客観的に見るもう一つの目も 養う必要があるのではないだろうか。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その5 先生が若い頃、130キロの人を相手に組手をして、相手のアゴに自分の拳を裂傷するぐらい打ち込んで倒した事を話されていたことがある。劇画「空手バカ一代」にもでてくる話なので、 ご存知の方もおられることだろう。 そのような話を聞いていたので、サンドバックを素手で叩いて簡単に拳の皮を破ってしまうのも、それぐらい練習して当然と思って稽古していた。 ある時、先生がその手を見て「おまえ何叩いたんだ」と聞かれ、「なんで皮を破るまでやるんよ」とも言われてしまったことがある。 今から考えると傷が出来ると、気になって不自由になるし、稽古にも支障をきたしてしまうことが理解できるが、当時は、とにかくやればいいんだと言う感じで稽古に没頭していたわけである。 数をこなすのは、最初の内は当たり前であるが、「そんな考えだけで体を壊すまでやってどうなるんだ」ともとれるし、「それほどやって効果があるのか」ともとることができるだろう。 数をこなすことで効果のある方法は何なのか、ただ反復練習するだけで気分的に満足していないかなど、指導する側、教えてもらう側、双方が考えなければいけないことであろう。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その6 「おまえ何が得意なんだ?」と先生がSさんに質問していたことがある。このSさんは、その時2段であった。 その質問に対して、Sさんが「自分はパンチです。」と答えていた。先生は、 「そうかぁ、じゃあインファイトの稽古をせんといかんなぁ。」とおっしゃられ、その後に「サンドバックの打ち込みをせんといかんなぁ。」ともおっしゃられていた。 ある程度キャリアのある2段の人に、このような質問と指導をなぜされたのか?普段先生が道場生を相手に指導されていた事は、全体に共通した事であり、また本・ビデオで紹介されている事は、知っておくべき基礎と言えるのではないだろうか?ここで先生がSさんに指導したのは試合に限定したテクニックのことではなく、実戦をも含めたものであった。もちろん普段から応用も指導されていたし、本・ビデオ等でも紹介されてもいるが、それが全てでは無いという事をもう一度考える必要があるだろう。 パンチとなると、当然あたる距離が重要になってくるし、それと思い切りとでもいうか、いっきに入るテクニックが必要となってくる。それは蹴りにあわせる時、または蹴りを捌く時、あるいは突きに対しての時、 また初めて対戦する人が相手の時(なにをしてくるか解らない)、そういう時は得意であるパンチをど う繰り出していくのかという問題が出てくる。このようなテクニックは実際に道場で稽古をしながら教わらないといけないポイントであるので、指導員や先輩によく質問して自分で問題意識をもってトレーニングする必要が出てくるわけである。 指導も同じやり方で全体に指導出来る事と、個人的に言わないといけない事、また自分で考えて練習させないといけないことが存在し、頭の中でしっかりと整理しておくことが重要である。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その7 「蹴りは足の重みを使うんだ」先代芦原先生が指導の時によく言われていたことである。 初めて聞いた時はどうやって使うんだろう? どうすれば重みって出るんだろう? ウェートトレーニングをすれば足も太くなるから、重くなるかなぁ? 等考えた記憶がある。 先生に指導していただいた方や先生に軽く蹴られた事のある人は覚えがあることでしょうが、そのほんの軽く蹴る蹴りの痛いこと。ローキックで腿を軽く蹴られるだけで 骨まで響くようなあの痛み、棒か角材でゴン!と打たれる感じであった。とにかく手、足の扱い方が楽に使うというか軽く扱うというか、本当に無造作であった。今、思い返してみると、ゆるゆるにゆるんだ状態でもなく、ウェートトレーニングをしてガチガチの硬い感じでもない、体の各部分の動きを同時に扱う瞬間的な瞬発力とでも言うか独特な感じであった。 皆さんも覚えている方に聞いてよく考えて見て下さい。そして、どんどん常識を破りましょう。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その8 先生がよくおっしゃられていた事に「〜しながら使うんだよ」と言うのがある。先生は、日常でも自分の仕事をしながら、事務所で職員に指示されておられたし、色々な原稿を作りながら、型なども作るというように、同時に色々な事をしながら毎日過ごされておいでであった。 技の事に関して言えば、先生はタイミングを一番重要視されておられたので、この「しながら 」と言うのが、サバキを稽古していく上で重要な事だと思われる。 相手を崩す時も、「崩す手とローキックを同時に使う」、「下から崩しながら上」、「上を攻撃しながら下を崩す」、「受けながら打つ」、「受けながら蹴る」、「ハイキックが通り過ぎる瞬間蹴りをスタートする」、「蹴り足を蹴る」、「スライドさせながら蹴る」、「下がりながら蹴る」、「蹴りながら、打ちながら、崩しながら、動きながら次の動きにつなげる」、「押しながら回る」、「引きながら回る」、「回りながら押す」、「回りながら引く」、「自分も動きながら道場生の動きに気を配る」 etc… 回りの動きに気を配りながらの稽古は護身にもつながる事であるように、「〜しながら」を意識すると普段の稽古の中に色んな意味を持たせる事も出来るだろう。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その9 「ごくろうさん」先生が稽古に来た道場生に声を掛ける時によく言われていた言葉です。「おまえらなぁ、みんな仕事があったりして忙しいのに時間を作って来てるんだぞ」、「ご苦労さんと、ねぎらう気持ちで声を掛けて当然じゃないか」とよくおっしゃらていた。 そして稽古が終われば「おつかれさん」と送り出されておられた。 挨拶をする年長者に敬意をはらうのは当然で、それが先輩であろうが後輩であろうがこれは常識である。一歩社会に出れば帯の色も段位も関係ない事である。 空手を学ぶ目的は「空手が好き」、「運動が好き」、「技を磨く」、「より高度な技を目指す」など十人十色である 。しかし道場に来て自分で課題を研究する事に年齢に関係ありません。 空手も武道の一つであるから、道場に来て稽古を通して今の自分を知る事(自分の技の状態、身体の状態、内面の状態)がだんだんと要求されてくる。 稽古年数が増えても今の自分を見て技の状態、自分の内面の状態がまだまだと思えれば 、道徳的な事は自然と自分で見直していく事が必要となってくるわけである。 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その10 |
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■先代館長の稽古時の言葉 その11 「サバキは、2人でタイミングと間合いステップの練習をする。 正しい受けとポジショニング、変化に対するタイミングの練習。 試合の様に、ガッチンガッチンの壊しあいをしたらたまらない。」 先代館長が、よく道場のリーダーや指導する者に言われていた事である。みなさんはどのように考えられますか? もちろん目的も無く 同じ事をやるだけではタイミングも何もありません。何にポイントを置いてサバキの練習をするのかが問題です。自分の今の課題は何かという事にもなります。それらの事は教えてもらう事ではありません。先代館長にしても、だれかに教わったわけではないでしょう。先代館長が言われていた言葉の中から、先代ご自身は、タイミングに主眼を置いて稽古されていたのではと思われます。 じゃあタイミングとなると、どういうふうなタイミングか?そのタイミングで効くのか?今やっているタイミングで使えるのか?技と技の間のタイミングってあるのか?相手が動く前はタイミングっていえるのか?どうやって使うのか?とか…考え出すと色々あると思います。道場生の皆さんも自分で考えてみて取り組んでみてください。 |