2008年01月06日 03:15 [Edit]
人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か?
仮に以下を認めたとして、それでは昔は違ったのかと言えば、それもまた違うことを私は知っている。
livedoor ニュース - 【赤木智弘の眼光紙背】第14回:今年も流れは変わらないのか富裕層の収入が上がっているのに、普通の家庭の収入は上がらないという「量的な賃金格差」以上に重要な問題とは、賃金そのものの価値が大きく膨れ上がり、もはや、賃金の多少のみで、人間の価値が決定されかねない社会になってしまっているという、言うなれば「量的な賃金格差から派生する、人間の価値に対する差別」という問題である。
人間の価値を賃金の多少で差別したがるものはかつてからいたし、これからもいるだろう。そして差別したがるものを最もよく見受けるのは、悲しいかな、それは今で言う「年収100万円」の層なのである。言葉を変えれば「ブービー」ということになる。「最後」から二番目。
今でこそブルジョワ呼ばわりされる私であるが、私は「ブービーメーカー」だったこともある。家出ばかりしていたので中学もろくに行っていないし、その家出の際には新聞紙にくるまって寝ていたものだ。今段ボールハウスを見ると、その頃の記憶を思い出してむしろうらやましいと思ってしまうぐらいだ。ましてやネットカフェは、今でも終電を逃した場合タクシー代と天秤にかけて、そちらの方が安ければ迷わず使わせていただいている。
その中学を辛うじて卒業した私は、暫く土方として働いていた。そんなある日、高校の玄関の補修工事をする機会があった。その高校はその地域で最低ランクの高校として知られており、卒業生たちは今ならワーキングプア一直線といった趣きである。そこでタオルを首にかけヘルメットをかぶった私は、中学生の時の同級生とはちあわせた。
そいつの名は覚えていない。しかしそいつの嗤い顔だけは一生忘れることがないだろう。その嗤い顔は実に雄弁だった。「おまえ、おれより下だな」、と。
その時私の心に湧いたのは、「そんなことはない」では全くない。「こいつのようにだけはならない」という嫌悪感だった。「おれのものさしは、おまえのそれほどくだらなくないよ」。その時実際どういう表情を私が返したのかは、鏡もなかったので確認したわけではないが、体が覚えているのは私が笑い返したということだ。
まだ昭和のころのお話である。バブルはまだ始まってさえもいなかった。
その後、私は合州国に留学する。そこでも目にしたのは、むしろ「下層」の人々ほどより「下層」を差別していた現実だった。人種差別意識は、低所得、低教育な人々ほど強かった。私がいた北カリフォルニアでは、露骨な人種差別は滅多にお目にかかれなかったが、それでもあるところにはあった。
あるとき、友人達と私はレストランに行った。ユダヤ人(見た目は白人)、パレスティナ人(こちらも見た目は白人)、黒人(アメリカに多い褐色ではなく、黝いほど見事な肌。イケメン)、そして私(見た目はぐぐれ)という構成だったが、黒人の友人の扱いだけがやけにぞんざいだった。露骨ではないが、明らかにいやがらせのレベルであった。
なにせ空腹な若い貧乏人集団ゆえ、飯は(不覚にも!)平らげてしまったが、いざ勘定の段階で、憤る残り三人をよそに、彼は合計金額プラス1セントをウェイトレスに渡して微笑んだ。店を出てから割り勘したのは言うまでもないが、この時の彼の笑顔も一生忘れることがないだろう。
日本では昭和が平成にかわった直後あたりのお話である。バブルは、私にとって海の向こうの遠い国の話だった。
さらに月日は流れて、私は成金になった。他の金持ちとの交遊も増えた。やっていることも言っていることもてんでばらばらで、強いて共通点を探せば金持ちであるということぐらいしかない彼らなのだが、もう一つの共通点は、金持ちをより強く自覚している人ほど(残念ながら実際に持っている金の量に比例するわけではない)、人の価値を多面的に推し量ろうとしていることだ。それも当然かも知れない。なぜなら彼らにとって人を見抜くのは、商売以上に死活問題なのだから。
仮に「金」に全てを換えて見ているのだとしても、彼らは「賃金」という氷山の一角だけではなく、まだ現金化されていない海面下まで見ようとしているのは確かだ。
livedoor ニュース - 【赤木智弘の眼光紙背】第14回:今年も流れは変わらないのかしかし、この言葉にはもう少し続きがある。
「カネで買えないものは差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明でフェアな基準ではないか」
ここまでは赤木も正しく読み取っている。これが
それから2005年も2006年も、そして2007年も、人間の価値は賃金のみで決まっていった。ならば当然2008年も、人間の価値は賃金のみで決まる。同じ流れはこれからも続く。「続かない」という可能性を、私は見つけることができない。
こうなってしまうのか。
私は堀江貴文と共に働いていたことはあるが、堀江貴文ではないので、彼の真意を間違って読み取っている可能性を否定出来ない。が、「稼ぐが勝ち」に以下のように書いてあることは確かである。
稼ぐが勝ち p. 66現代は、多種多様な価値観を容認する社会になっています。フリーターでも、引きこもりでも、つまはじきにされることもなく、普通に生活できているわけです。
僕はそういったやる気のない人たちが人間的に劣っているとは思っていません。
かつて僕にもそういう時代があり、そのときは「それでいい」と思っていたのです。僕はその世界から外にでましたけれど、一生そういう生活を続ける人がいても、他人がとやかく言う権利はありません。
実際、あまり働いていない人って昔から大勢いたわけです。昼間からフラフラしていて、この人一体どうなっているんだ、なにして暮らしているんだろうなという人が、身近なところにけっこういましたよね。
要は、最下層の人が上流層に入れるプロセスだけわかっていればいいのです。
この下りが、赤木にはどうも理解できないらしい。
確かに、それは困難なプロセスではある。実力だけではなく運も必要だ。しかし、金はその過程で手に入れればよいのであって、はじめから持っている必要はないのである。堀江もそうであったし私もそうであった。困難ではあるが、少なくとも駱駝が針の穴を通り抜けるほど困難とは思えない。
ところで、
livedoor ニュース - 【赤木智弘の眼光紙背】第14回:今年も流れは変わらないのかそして私は「2008年も、去年と全く同じ流れになるんじゃないですか?」という、虚しい結論を出さなければならない。
この下りは、少なくとも赤木智弘に関しては嘘になる。なぜなら、「若者を見殺しにする国」が一応売れているからだ。全体としてどれほど売れているか、ましてや印税の契約がどうなっているかまでは知る由もないが、100万円を切ることはなかろう。少なくとも今年は「年収100万円」というのは、ありえないはずである。
それによって赤木智弘がどう変わるのか、あるいは変わらないのか、今から楽しみである。
Dan the Rollling Stone
この記事へのトラックバックURL
違う気がします。小飼さんの経験や、能力はおいておいて。
世の中には、いわゆる勝ち組になる人、いわゆる負け組みになる人
というのがいて、大多数はいわゆる負け組みになるわけです。
そういう社会(日本)というのは、これまでの旧態依然とした
社会と比べて、より価値(利潤)を生み出せるものになるかという
ことが論じられているのでしょうか。そして他の方は、
「そうじゃないんじゃないの?」といっているのでは。
みんなやっぱり生温い目で見守ってるわけ?
誰か教えてやればいいのに。
それを変えないように注意深く生きてるのは
よーくわかったし、
そのこと自体だけについては 僕も好感を持つよ。うん。
だけど、数学に明るいコガイさんが
「年収100万円と200万円の差」と「年収1億円と2億円の差」
には「質的な違い」があることに触れないのはどうかと思う。
年収が億のレベルに到達した人達だったら、
ただ生存していくためには1億だろうが、2億だろうが
ほとんど関係がないはずでしょ。
もうお金で何かを比べる意味がうすいのよ。
でも、年収100万と200万で考えてごらんよ。
安全に生きていくための住まい。
安心して生きていくための生活費。
お金の差がすべて生存していくためのリスク差にもろに変換
されることなんて、あったりまえのことじゃない。
おまえさんがそう「教えてやる」べきなんじゃないの。
で、バカにするバカはバカの自覚が無いから金持ちになる見込みが無いと
私は知らん
たとえば、私自身が担当している法務を例に挙げると、履歴書上どう見ても高学歴・高職歴の法務担当者なのに、所属業界がメーカーであるという理由だけでサービス系の低学歴・低職歴の法務担当者より年収が200万低い、なんていう状態がザラに発生しています。年収を挙げたいという目的だけならば、法務が売り手市場ということも手伝い、業界を移るだけでそれを簡単に達成できてしまうわけです。
一方で、年収だけがすべてではないと思っているメーカーのエリート法務担当者にとっては、200万の差はどうでもよいわけです。彼らが差別を甘んじて生きているとでも言うのでしょうか?賃金以外にその業界で得られる(と彼が確信している)経験や職場環境に価値を置いているにすぎません。
(つづきます)
たとえば、私自身が担当している法務を例に挙げると、履歴書上どう見ても高学歴・高職歴の法務担当者なのに、所属業界がメーカーであるという理由だけでサービス系の低学歴・低職歴の法務担当者より年収が200万低い、なんていう状態がザラに発生しています。年収を挙げたいという目的だけならば、法務が売り手市場ということも手伝い、業界を移るだけでそれを簡単に達成できてしまうわけです。
一方で、年収だけがすべてではないと思っているメーカーのエリート法務担当者にとっては、200万の差はどうでもよいわけです。彼らが差別を甘んじて生きているとでも言うのでしょうか?賃金以外にその業界で得られる(と彼が確信している)経験や職場環境に価値を置いているにすぎません。
(つづきます)
そういう現実をみていると、「賃金=人間の価値の格差」というのはまったく意味をなさない議論だなあと思います。
書き込みを確認すると「Posted by 〜」の場所にリンク貼ると自分のサイトという意味にとられそうですね・・・
本文に参考リンクを書くと英数字記号が目立って文が読みづらいかなと思ったので「URL:」に貼っていましたが、以後気を付けます
もし宜しかったら訂正の方お願いします。失礼しました。
完全なひきこもりなら同級生とはち合わせることもないわけですし。
他者の欲望との衝突は原理的に起こらないわけですよ。
ホリエさんだって億万長者になった後も会社の時価総額による差別にさらされていたわけですよね。その集団で支配的な定規が異なるだけでやはり差別はまだ続くわけです。
心の貧しいひとなんです。
しかし実際には「貧乏人は汚らわしい」と「おれより下」に向かって
言い放つ人間になったわけです。
それは 女性だと思う。
経済的資力をもつ男に近づき、ないものを斥ける。
で、ブログ主さんのいう ブービーが差別をするというのは 合衆国の人種差別者にブービーが多いという話だけで、賃金差別をする意味ではないと思う。ブログ主に理解の混同がある。
赤木氏の言い分は身も蓋もない話でそういう現実を是正しなければいけないが、論として概ね間違っていないと思う。
頭の良い年寄りと、バカな年寄りなら、バカな方が幸せみたいだよ。
ま、50にして死ぬなら、関係ないだろうけど。
ちなみに、アメリカの金持ちは、年をとれば取るほど、貧乏人とバカと仲良くするようになるみたいだよね。
弾くんは、老化の実感がないのだろうね。
プログラムを組んだらさ、タイプミスしていて気がつかなくなるわけなんだが。
みんなもっと拝金主義的になった方がよいのではないかと思います。
低い賃金で真面目に働くような行動が社会をよくするとは思えません。稼げる仕事に人が移動していって低賃金労働が廃れる社会の方が幸福なはず。
その意味で、「人間の価値は賃金のみで決まる」というような煽り文句は必要なんじゃないかと思いますね。
中卒が高卒より社会的に劣っているのも事実。
お金を得て尚お金をケチるのは根が貧乏な証拠。
>>金持ちをより強く自覚している人ほど
>人の価値を多面的に推し量ろうとしていることだ。
とブログ主自身がいっていますよね?
差別をしない金持ちにとって庶民は空気のような存在なだけ。
そんなことはないと思うけどね(フフン
ところで。
公務員の給料をもっと上げろ!人事院勧告を無視するなんて狂気の沙汰だぞ!何のための人事院勧告だ!だったら争議権を認めろ!僕たちは低い賃金でまじめに働いてるのに!
ちゃんと読みました。面白かったです。
正直、献本の宣伝は2・3秒見るだけで読みません。
毎回こういうエントリだったらいいblogだと思うんですが。
揚げ足とりの暇なネットいなごが大量発生するのでそういうわけにもいきませんか?
その裏に隠されているだろう差別問題に対する重大な示唆を読み取る事が出来なくて実に申し訳ない。
>差別主義者は貧困層に多いという当たり前の事実
勝手にそう思っただけ。
>人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か?
お前だよwww
その思考自体が間違っとるなあ
”最下層の人が上流層に入れるプロセス”が見当たらないのが問題なのではと。
貧すれば鈍す。
上記の普遍的な事実をいまさら蒸し返す意味はドコにあるのか?
わたしには読み取れなかった。
問題なのは、社会的に下層の人間の生活苦がいっそうひどくなっていくことにあるのではなかろうか?
そこから犯罪は多発し、社会を成り立たせるための無駄なコストが増えるばかりに思うのだが。
一般的な傾向を例外的な人間をもってきて反論したって、
それがどした?といわざるをえませんね。
議論したって無駄。解決にもならんよ。