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レ ジュメ/読後感想(のようなもの)を読める文献一


トーマス・ネイゲル「積極的差別是正措置の擁護」ビーチャム/ボウイ『企業倫理学 3』晃洋書房、2003年、15-21頁



 著者はまず、積極的差別是正措置(以下AA)を二つに、すなわち軽度のものと強度のものとに分ける。前者は「均等な機会を保証するための特別な努力」 (15頁)を、後者は「よりふさわしい資格要件を備えた他の応募者たちをさしおいて、女性もしくはマイノリティの成員からの採用を行う」(同上)というも のである。そして著者の目的は、後者を正当化する点にある。すなわち「現状においては強度の積極的差別是正措置は正当であり、そのことが黒人たちに関して 最も明白である」(16頁)ことを示す点にある。

 そもそも強度のAAに対しては、いかなる反論がありうるのか。著者は以下の三つを挙げている。
  1. 「より良い資格要件を持つものが平均的により良い業績を生む」以上、強度のAAは非効率的である。
  2. 能力のないものがある集団(マイノリティ、女性)の成員であるという理由でひいきされるとすれば、それは不公正である。
  3. マイノリティの成功が、自身や他者にとって普通の成功よりも低く見えるという点で、彼らの自尊心を傷つける
著者は留保付きで、これら全ての反論を認めている。すなわち第一の反論が、「すべての事例において強度の積極的差別是正措置が正しいとはいえないことを示 している」(16-17頁)と認め、第三の反論に対しては、「強度の積極的差別是正の擁護者といえども、積極的差別是正措置が当初の基本的目的を達成する やいなや、そのような慣行が終わることを願わずにはいられない」(18頁)と答えているのである。そして第二の反論に対しては、強度のAAが「かつて被害 者となった集団の社会的・経済的な力を高めることのできる手段であるにすぎず、他者に罪の烙印を押す[例えば白人男性を差別する:堂囿]ものではない」 (17頁)としながらも、「個人的不公正」の要素を認め、それを「戦時における徴兵、収容権にもとづく財産押収の不公平性」(17頁)になぞらえることで 正当化を試みている。

 反論に対する以上のような一定の理解を示すことで、著者は次のように考える。
重大な優先措置を含む強度の積極的差別是正措置は、第一義的な重要度を持つ社会的目標[社会的公正:堂囿]を実質的に推進する場 合にのみ行われるべきである(18頁)。
そして著者は、アメリカにおける黒人をとりまく状況の悲惨さを訴えることで、積極的なAAが正当化されると考える。「黒人はいまだに相当な範囲にわたって 貧困・失業・社会的疎外によって特徴づけられた世襲的な社会的・経済的コミュニティを形成している」(19頁)のである。もちろん強度のAAは、「貧困 で、技能をもたない黒人たちの地位については大きな改善をもたらさなかった」(同上)が、白人/黒人の分裂を打破するためにも必要とされる。
 しかし著者は、他の民族、そして女性に対して、積極的差別是正措置による保護を与えることに対しては、否定的である。例えば東洋系の人々は「過酷に剥奪 され、排除された少数集団ではなく」(20頁)、「女性は貧困と無教育を特徴とする分離された世襲的なコミュニティを形成してはおらず、その地位は追放さ れた人種のそれと同様の自己永続性をもつとは見なされない」(同上)のである。
 そして最後に人数割当枠についても、著者はこの使用にはきわめて慎重である。というのもこれは結局、強度のAAが「われわれ全てにとって耐え難い社会的 状況を処理する一つの手段」(21頁)だということを忘れさせてしまうからである。