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2008年01月23日

  ひきこもり

  ひきこもり

  私が官僚で一生を終わっていたならば、おそらくこのような記事を注意して読むような事はなかっただろうと思う。弱者の気持ちに気づかないままの人間であり続けたに違いない。いや今も何も変わっていないのかもしれない。現役を退いた人間のひまつぶしから目にとまっただけかもしれない。
  そんなことはどうでもいい。22日の東京新聞で読んだ次の記事に心が動かされた。ただそれだけである。
  福島保護観察所長である青木信人という人が、「こどもと大人のあいだ」というコラムで、もうすぐ40歳になるひとりの青年が、病院関係者や福祉職員など、多くの人々の支援で、「ひきこもり」から自立して新しいスタートを切ることになった事を祝していた。自らも「ひきこもり」になった経験のある人ならではの悲しくも暖かい文章であると私は感じた。ひきこもりになった人間を単に弱者と切り捨てては行けない、それは社会全体で向かい合っていく問題であると筆者はいいたいのであると私は読んだ。

 ・・・(受験失敗を契機に自宅から一歩も外に出ることができなくなった当時の自分は)いつまでもこの状態が続くだろうという不思議に安定した感覚に浸るようになった。社会を敵に回しても、親だけは自分を見捨てないだろうという甘えが全身を満たした。時間感覚の喪失の中で、私は社会に向けて自立する意欲を失っていった。
   ひきこもりを続ける若者たちの多くも、同じような感覚に陥ってしまっているのではないか。そして、その親たちも、子供が何歳になろうが、変わることのない親子関係の中で、時間感覚を見失ってしまうのだろう。
  しかし、当然のことだが、誰にも平等に時間は進む。十代の少年もやがて大人になる。働き盛りだった親たちも、必ず老いる。老いれば、子供を経済的にも精神的にも支えることができなくなってしまう。そうして訪れる絶望的な状況の中で、親殺し、子殺しといった惨事が時に発生する。氷山の一角にすぎないそうした惨事の陰には、抜け道のない絶望を抱えた無数の親子が存在していることを、私たちは再認識すべきだと思う。

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2008年01月23日

欧米から悪者扱いされる日本の調査捕鯨

  欧米から悪役扱いされる日本の調査捕鯨

  読者の皆さんにはあまり興味ないかもしれないが、私が外務省にいたときに個人的にかかわった仕事であったので少し書いてみた。
  19日の朝日新聞の「ニュースがわからん!」は国会議員の「文書通信滞在交通費」についてであった。23日のそれは「調査捕鯨船が抗議受けてるけど?」という記事だ。
  先日、豪州についで英国の反捕鯨活動家が日本の捕鯨船に乗り込んで抗議活動を行うという事件が起きた。この事について、「どっちが悪いの?」という質問に、次のように答えている。

 ・・・制止を阻止して乗り込んできた活動家の身柄を拘束するのは当然といえば当然。しかし欧米主要国に多い反捕鯨派の反撥を受けて欧米では日本は悪役扱いされている。
 国際捕鯨委員会(IWC)加盟78カ国のうち捕鯨支持は36カ国、反対派は42カ国とほぼ二分状態・・・87年以降販売目的の漁業としての商業捕鯨は一時停止したが調査捕鯨は認められている。しかし日本はどこの国にも属さない南極海で調査捕鯨を続けていることもあり批判は強い・・・商業捕鯨停止から20年が過ぎて日本国内の消費は細る反面、調査捕鯨による捕獲量は当初の4倍に増えた・・・  調査費用54億円の1割は国の補助金で、9割は鯨肉の販売収入だ。鯨肉を売るため、水産庁は新会社の設立を後押しして、学校給食などでの消費拡大に必死なんだ・・・(商業捕鯨が再開される見込みは)歩み寄りは望めない・・・

 どうだろう。これを読んでも捕鯨反対派と賛成派のどっちが正しいかさっぱりわからない。
 実は私は95年―97年に、豪州の日本大使館に勤務していた。その時政府代表の一人としてIWCの会議に参加したことがある。とはいっても主導権は日本の水産庁にあるので外務省はその方針に従うだけだ。水産庁は今も昔も徹底して商業捕鯨推進派である。
 推進派と反対派に対立は、もはや単に経済論、科学論にとどまらず、政治的、文化的、宗教的問題が絡んだ根強い対立になっている。たとえば鯨を絶滅の危険から救うために乱獲するなという立場と、鯨が増えすぎて海洋資源を食い荒らすから除去すべきという正反対の立場があり、鯨は高等動物であり殺して食するのは野蛮だという立場と、それでは牛や豚はどうか、豪州に至っては国のシンボルであるカンガルーまで食っているではないか、などという食文化的、感情的、対立までに発展している。
 さすがの私もこの問題については判断しかねる。今回の英国、豪州の抗議行動はとても容認できない。さりとて何故ここまで日本の国際的イメージを傷つけてまで捕鯨に固執するのかという気もする。朝日が書いているように、鯨肉の消費が細る一方で漁獲量が4倍にも増える理由はどこにあるのだろう。反捕鯨国は米・英・豪・独・仏など欧米主要国だ。欧米主要国のすべてを敵に回してここまで頑張る外交テーマがかつてあっただろうか。
  実は日本の捕鯨の最大の弱点は、調査捕鯨であると称して商業捕鯨を行っているという事実である。この事は外務省条約課長自身がこれを認めている。条約違反を続けなければならないほど捕鯨は国益なのか。朝日の記事は一言も教えてくれない。

 

 

 

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2008年01月23日

政治家の最大の責任は税金の適正な国民還元である

政治家の最大の責任は税金の適正な国民還元である

  胸に手を当てて冷静に考えてみるといい。昨今の大きな政治問題は、すべてといっていいほど金(カネ)にまつわる話だ。ガソリン減税はもとより、アフガン給油、年金、薬害訴訟、ナントカ還元水に象徴される政治家の使途不明金、一向に進まない天下り規制・行政改革、防衛装備調達疑惑、などなど、すべて政府予算をどう使うか、どう配分するか、という話である。
  そしてそのカネのほとんどが、一般税であれ、目的税であれ、社会・医療保険であれ、国民から徴収したものである。国民の所得を国が吸い上げる仕組みは、官僚が縦割り行政で考え出す、おそろしく複雑、巧妙なものだ。国民はその殆どを何も知らない。ウムを言わさず政府からまきあげられている。だからこそ国民は、そのカネが適正に使われているのか、政府・官僚によって無駄遣いされていないか、国民の間に公平に配分・還元されているのか、などについて、厳しく監視し、注文をつける権利があるのだ。
  しかし一般の国民にはそれはできない。だからこそ政治家を選び、その政治家に国会の予算・決算審議で追及を任せるのだ。すなわち政治家の最大の責任は、税金を適正・公平に国民へ還元する事なのである。
  残念ながら現実にはそれが十分になされていない。それは国会の審議が形骸化している事がある。自民党永久政権の下で、政府・官僚が国会審議による野党の追及を相手にしてこなかった事がある。しかし何よりも、政治家の中で、自らの生活より国民の生活を優先すると本気で考えている者がいない、と言う事ではないのか。
  22日の朝日新聞は「ニュースがわからん!」というコラムで、国会議員に支給される「文書通信交通滞在費」というものに焦点をあてた記事を見つけた。これを読んだ国会議員はさぞかし慌てた事だろう。最も触れられたくない事を書かれたからだ。
  国会議員には給与(歳費)として毎月130万円ほど支給される。それに加えて期末手当を月額に換算すれば約53万円というから、国会議員は、仕事をしても、しなくても、老人も若者も、どんな国会議員でも等しく毎月180万円以上の給与を受け取っていることになる。
  勿論これは給与に限ってである。政党各党には税金から政府助成金が支払われ、これが国会議員に政治活動費として配られる。そのほかにも国会議員には住居費や移動費に大きな優遇、特権が与えられている事は、すでに散々マスコミで報道されている通りである。
  ところが、これらに加えて、毎月100万円もの「文書通信交通滞在費」が給付されている。これは「公認」された使途不明金である。
  もちろんこれはその名の通り、建前では、政治活動に要する文書費、通信費、滞在費、交通費に使われるために支給されるものである。交通費や滞在費について既に特権が与えられているのに、それに加えて何故交通費、滞在費が二重に支払われるのか、という素朴な疑問はここでは置いておく。
  問題はこの「文書通信交通滞在費」が、議員本人に毎月直接支払われ、一切の領収書が要らない「第二」の給与であるということだ。つまり国会議員は毎月300万円近くの給与を受け取っていることになる。
 朝日新聞の記事が書いているとおり、年1200万円の「渡しきり」のカネは、民間企業でも常識はずれであり、「不明朗で不正の温床」(山田真哉公認会計士)との指摘が出ている。
 折からサブプライムローン問題で国中が更なる富の喪失に見舞われている。年金積み立て金が政府の運用で数十兆円失われたと言われる。個人と言えば、ゼロ金利と年金制度の変更で、嫌でも株式投資を迫られてきた。そしてその株で損をさせられているのだ。格差社会で「カネも将来もないから殺した」という犯罪が後を絶たない。自殺者は高止まりだ。
  国民生活のこの現実を見るとき、国会議員は率先して取り過ぎている給与の一部を返上すべきと考えないのだろうか。議員年金特権を返上すべきと考えないのだろうか。
  ところが、与党はもとより国民の政党を標榜している野党の政治家も、誰一人「文書通信交通滞在費」の不明朗さについて改めようとしない。ここに政治家の正体を見る思いがする。

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2008年01月22日

  もう一度言う。ガソリン国会で何が悪い

 もう一度言う。ガソリン国会で何が悪い

  ガソリン暫定税率の是非をめぐる論評が一斉に始まった。うんざりさせられる。これは手のいい目くらましに違いない。
  私は19日のブログで今度の国会で野党がとるべき戦略は、ガソリン値下げの実現を迫るだけで十分だと書いた。それは勿論極論である。しかし、極論ではあっても正論なのである。もはや普通の事をやっていてはこの国の政治の無力を打破することはできない。山積する諸問題を解決できない。庶民の窮状を救うことはできない。その事について、再度書く。
  「良識的」な人たちは言うかもしれない。たかがガソリン価格を25円引き下げただけで国民生活がどれほど楽になるのかと。それよりも年金、医療、格差、環境、特殊法人改革など、より重要な問題を国会で堂々と議論して解決することが先決であると。
  これはもちろん机上の論理としては正しい。しかしそれは、自公政権と官僚に支配されて来たこの国の政治の現実を捨象した空論である。この国の国会論戦において、いまだかつて議論の優劣で政策が決まったことがあったか。メディアが政治色抜きの正確な報道を国民に提供したことがあったか。マニフェストといい、論争といい、国民がそれを詳しく聞いて政党の政策の是非を判断した事があったか。決してそうではない。
  テレビの政治討論番組を見るがいい。与野党の立場にわかれて繰り広げられるテレビ論戦の、どの一つをとっても、議論の歩み寄りで政策の一つでも合意されて終わったことがあったか。すべては言いっぱなしである。同じ議論の繰り返しである。
  なぜか。相手の言うことに利があると思っていても決してそれを認めようとしないからである。それを認めると政治的敗北になるからだ。だから自分の言っている事が間違っていても正しいと言いい、相手の言っていることが正しくても間違いだといわざるを得ないのだ。自分に都合のいい物事の一面だけを殊更に強調し、相手の言うことには耳を貸そうとしない。その繰り返しである。
  それがテレビ番組であれば笑ってすませることもできる。番組担当者や評論家はそれで飯を食っている。番組をつくり続けなければならない。視聴率を稼ぐためには喧嘩したほうが面白い。しかし国会論議においてさえ同様の事が繰り返されている、それが問題なのだ。与野党の論戦からは決して国民のための正しい政策はうまれてこない。
  22日の各紙は、社会保険庁が、窓口対応を見直して、年金記録の本人確認にヒントを与える方針を決めたと一斉に報じている。これは論議の末に、その論議に負けて社会保険庁が方針を変えたのではない。知っていても教えなかった、その不埒な内部マニュアルがばれて国民の怒りをかったから変更しただけである。薬害救済措置の政治決断はどうか。沖縄教科書検定の見直しはどうか。それらは決して詳細で緻密な論議の結果、政府・官僚がこれまでの政策の間違いを認めて変更したのではない。無責任な行政の結果命を奪われた人たちが立ち上がり、軍国主義に捨石にされた沖縄住民の11万人の抗議集会におそれをなして、政府が動かざるを得なかっただけである。
 問題山積の中で、政局争いに奔走している時ではないという声が巷に溢れている。しかしこれまでのあらゆる政治課題で、政争がらみでないものが一つでもあったか。
 重要な問題であればあるほど政争と切り離せないのである。ガソリン暫定税率撤廃の賛否に関するおびただしい論評の多くが、政府・与党支持のメディアと民主党・野党支持のメディアに分かれていることもそれを如実に示している。自公政権にとってガソリン税率引き下げ問題は実は大問題なのだ。
 自公政権は言う。暫定税率を撤廃すると2兆6000億円の税収減になると。語るに落ちるとはこのことだ。ガソリン税だけでそれだけの金額を国民から搾り取っていたのだ。その金をえさにして建設業界を利権誘導してきたのだ。
 民主党は「ガソリン値下げ隊」などと浮かれる。そんなパフォーマンスをしているから国民の心に届かないのだ。困っている庶民のために本気でガソリン値下げを実現しますという真摯な姿勢をしめせ。 
 社民党は環境税などという。環境も大切だ。しかし今声をあげるのは、これ以上いかなる増税も許さないという主張ではないのか。本気で庶民の痛みを感じているのか。
 すべての経済政策について言えることであるが、一つの政策が与える影響は、経済的余裕のある層、その政策によって直接裨益する特定層と、日々の生活に追われている層、その政策から直接に利益を受けない一般層、との間によって受け止め方が違う。それどころか利害が反することすらある。だからこのガソリン価格引き下げ政策も、国民によって受け止め方は二分されるだろう。しかし政治にとって重要な事は、多数の弱者の利益をまず守るという事でなくてはならない。恵まれている国民は恵まれていない国民に思いを馳せなければならない。今の日本に求められている事はその事だ。
 もう一度だけ繰り返す。今回のガソリン国会で、ガソリン価格の引き下げ一つ実現できないようであれば、年金問題をはじめとしたその他のより重要な諸問題は、何一つ弱者の為になる方向で解決されることはないだろう。
 政治家たちは、党利・党略、政権あらそいもいいが、その前に、まず一般庶民のための政治を実現してみせろ、ということである。
 ガソリンからはじめよ、まずガソリンの価格を下げてみよ、である。
 

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2008年01月21日

対米従属外交を繰り返す事によって失うもの

対米従属を繰り返す事によって失うもの

  何故か大きく報道されないが、新テロ給油法に基づいて給油を再開しようとする日本政府が、今度こそ流用疑惑を招かないように使途検証をさせてくれと頼んだところ、米国がこれを拒否したという。検証を約束させられるぐらいなら給油は断るとまで言ってきたらしい。驚いた。これでは米国自身が流用疑惑を認めたようなものだ。
   しかし私がもっと驚いた事は、石破防衛大臣が、「防衛大臣の責任で決める。そこまで疑ったら同盟関係とは何かとなる」などと、これまでの国会答弁を覆して米国の無理な要求をあっさり認めた事だ。その昔外務省の幹部が省員に対し「米国は日本を守ってくれのか、などと疑う事は、同盟国の米国さまに失礼だ」と訓示を垂れた。あの言葉とそっくりだ。流用しても目をつむりますからどうぞ給油を受けとってください、と石破大臣は言っているのである。
  そういえば19日の各紙は、なぜか小さな記事であったが、来日中のセドニー米国防次官補代理が、普天間飛行場の移設問題について、「移設先や滑走路の形は日本政府から提案があり、米国としてパーフェクトではなかったが合意した。合意した計画は履行されるべき」と、一切の交渉を受けつけない発言を記者会見で行ったと報じていた。日本政府と沖縄県がこれだけ難交渉を重ねて妥協点を見つけようとしているのに、まったく歯牙にもかねない態度だ。次官補代理ごとき下っ端役人に、そこまで言われているのである。
  これだけではない。「思いやり予算はビタ一文まけない」と言ってほぼ全額どおり向こう3年間毎年2000億円を超える予算を日本側に認めさせたのは、昨年12月であった。テロ給油などよりも米国は駐留米軍の予算を確保することのほうをはるかに重視し、福田首相に念を押していたのだ。薬害訴訟であれほど時間がかかった福田首相の「政治決断」は、米国に対しては二つ返事なのだ。
  しかし、この程度で驚いてはいけない。米軍再編にともなうあらゆる不合理な米側の要求がこれから怒涛のように押し寄せてくる。1兆円とも3兆円とも言われる根拠不明の沖縄海兵隊グアム移転の経費、イージス艦や迎撃ミサイルシステム導入の更なる強化、自衛隊の米軍傭兵家など、気が遠くなりそうな無体な要求が続く。
  米国という国は一切の譲歩をしない国である。弱いものに対しては徹底的に高圧的になる国である。自分の利益が損なわれるとなると、怒り狂う国である。
  そのような国の要求を、日米同盟最優先だからといってなんでも丸呑みしてしまう日本政府の対米従属外交。これを繰り返す事によって一体何が失われるのか。
  それは勿論我々国民の安全と豊かな暮らしである。しかしもっと深刻な問題がある。政府や官僚は嘘をつき続けなければならない。本当の事を明らかにすると、さすがに国民も、それはないだろう、ということになる。説明できないから隠し続け、嘘を重ねる事になる。おかしいと思う自分自身まで欺かなければならないのだ。自分を騙さなければ、さすがに官僚たちもこれ以上の対米従属を続けることはつらい。そこで自分自身の良心までも欺く事になる。
  その結果何が起きるか。モラルの崩壊である。人間性の崩壊である。「日米同盟」の重要性を訴え続ける政治家や官僚はもとより、その政策を国民の前で擁護し続ける御用学者は、長年の嘘の繰り返し、自己欺瞞の積み重ねによって、内部崩壊していくのだ。
  そんな連中にまともな仕事が出来るはずは無い。気力は萎え、物腰、顔つきまで悪くなっていく者のなんと多いことか。対米従属外交の真の怖さはそこにある。
 

 

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2008年01月21日

  日経新聞が書いた「三極委員会の転機」

 日経新聞が書いた「三極委員会の転機」

 かつて私はこのブログで、日米欧という三極が世界を動かすと言う時代が、中国の台頭ですっかり色あせて来た、という事を書いた。
 それを見事に解説してくれた記事を1月21日の日経新聞に見つけた。
 「3極委員会 新たな転機」と題する日経新聞編集委員の春原剛氏の記事は、3極委員会の経緯を述べた後で、中国、インド、ロシアなどの新たな「地域大国」をどう取り入れていくかについて意見が割れている事、そしてそれらを加盟させていけば、やがて3極委員会は、「世界の針路を陰で決める」と揶揄される「ありがたみ」がなくなる、というジレンマに置かれている事を書いていた。
 私が春原氏の記事で新たに勉強したのは、次のくだりである。

 「・・・20世紀後半、急速な経済成長を遂げた日本を、何とか国際システムの中に受け入れなければならない。1972年、そう考えたデヴィッド・ロックフェラーは、当時、欧州社会の知的エリートが結集する協議体、ビルダーバード会議の運営責任者であるオランダ王家に日本受け入れを打診した。だが、その答えは期待に反して、「ノー」だった。
  欧州からの帰途、ロックフェラーは、後にカーター米大統領補佐官になるズビグニュー・ブレジンスキーにこう提案した。「それならば、日本を主要メンバーとした新しい会議を創設しようではないか」
 それから程なく、日本から宮沢喜一(後に首相)、大来佐武郎(後に外相)らを招いた勉強会を開催。翌73年10月、民間非営利の団体として「日米欧委員会」が誕生した・・・」

  そして春原氏は次のように続ける。

  「・・・現在では時事用語の一つにもなった『グローバリゼーション』の代名詞的な存在でもある三極委員会。皮肉な事に、その転機はグローバライゼーションの進展と共に訪れた。まず、90年代半ばに「欧州委員会」に中欧諸国が参加、2000年には「北米委員会」にメキシコが加わった。アジアでも日本委員会はアジア太平洋委員会と衣替えし、これに伴い、日本語名称もそれまでの「日米欧委員会」から「三極委員会」に改称している・・・」

そう書き綴った後で、春原氏は次のように締めくくっている。

  「・・・かつてその特殊な生い立ちから『世界の針路を陰で決めている』とまで揶揄された三極委員会。だが、複雑さを増す21世紀の国際システムの中で、そのアイデンティティは良くも悪くも急速に薄れつつある・・・」

  ビルダーバーグ会議なるものが世界を支配するインナーサークルの秘密結社かどうかは私は知らない。しかし、そこに入れてもらえなかった代わりにできたと言う日米欧委員会(三極委員会)なるものが、単なる勉強会以上の影響力のある存在であるとはとても思えない。少なくとも、日本側メンバーが、小林陽太郎富士ゼロックス顧問、緒方貞子国際協力機構理事長、経済評論家田中直毅、東大教授田中明彦、などと聞くと、とてもそのような集まりとは思えない。

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2008年01月21日

 40年ぶりの再会

 40年ぶりの再会

 私事の話で恐縮だけれど我慢していただきたい。私は1966年4月に京都大学法学部に入学した。人づき合いの悪い私は当時の法学部一年一組の同級生との交流はまったくない。三年生で中退した私にはゼミ仲間もいない。
 そんな私が今でも時折思い出す人がいる。授業に必ず出席していた紅一点のクラスメートだった人だ。いかにも聡明な感じの人だった。人づてに司法試験を現役であっさり合格して弁護士になったと聞いていたが、その後はすっかり忘れていた。もう40年近く昔の事である。
 そんな私は、1月17日の朝日新聞のオピニオン投稿欄に出ていた、環境NPO法人気候ネットワーク代表浅岡美恵さんという人の記事を見つけた。今月下旬に出席するダボス会議において、福田首相には是非とも温暖化対策についての日本の決意を表明してもらいたい、という記事であった。
 「福田さんには、まあ、むりだろうなあ」と思いながら読み過ごした。その時はまったく気づかなかった。 ところが、翌18日の毎日新聞で、やはり同じ浅岡さんが、「展望なき経団連まかせ」という見出しで、日本の温暖化政策が経団連に大きく影響されてきた事を指摘し、こんな事では日本は国際社会の動きから完全に取り残される、という意見を述べていた記事を見つけた。
 随分地球温暖化防止に熱心な人だなあと、あらためて浅岡美恵さんの顔写真をしばらく見入った後に他の記事に目を移した。と、その時、突然40年前の記憶と結びついた。彼女は、ひょっとしてあの時の・・・。急いでウキペディアで検索した。間違いなかった。70年3月京都大学卒業。同4月第24期司法修習生とある。それにしてもその後の浅岡さんの歩んだ人生は素晴らしい経歴と活動振りである世のため、人のためとはこの事をいうのだろう。現在は京都弁護士会の会長でもあるという。
 私が浅岡さんの事を書いたのは40年前の感傷に浸るためではない。もちろん、浅岡さんに対して私が恋慕の情を抱いていたということもない。今日のブログで、私はかねて思っているあることを言いたかった、それだけである。
 私は確信している。一流の人間は、決して、官僚(私もその一人であったのだが)や政治家や名誉を求める財界指導者や有識者などを目指さない。つまり権力や名誉を進んで求めない。本当に優秀な人は、一般の人の知らないところで、公共に役立つ活動を行っているものなのだ。そういう人こそ立派な人たちなのだ。立派と言うのは、もちろん頭が良いだけではない。人格的にも立派であるということだ。
 すこしばかり優秀ではあっても、決して一流ではない人物ばかりに権力が集中している、そこに、今の日本の限界があるのではないかと本気で思う。

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2008年01月20日

人間に寄り添って生きる

  人間に寄り添って生きる

  共生という言葉がついに総理の国会施政演説方針の中で正面から掲げられるようになった。それはいいことである。しかし、その言葉は実践されてはじめて意味を持つ。
  これは福田首相の演説を批判して言っているのではない。福田首相は、選挙目当てではなく本気でそう思って演説したのだろう。
  しかし共生の大切さは、政治のスローガンとして大きく掲げるものではない。実現することだ。実践されてはじめて光り輝く。
  この世の中には、我々が知らないところでこれを日常的に実践している人たちが何と多くいることか、その人たちこそ真に尊敬できる人に違いない、そういう人たちが政治を動かせばいいのではないか、私はそれを強調したいのである。
  そう私に思わせる新聞記事を1月19日の東京新聞の「家族の事を話そう」というコラムに見つけた。袖山卓也さんという30代半ばの介護士が紹介されていた。その袖山さんの言葉に私は深い感動を覚えた。
  袖山さんは長距離トラックの運転手の父と美容師の母の下で、家族四人の狭いアパート暮らしで育った。やんちゃな多感期を過ごしていた時、オートバイ仲間が事故で死んだ。通夜の席で泣き続ける友人の母親に衝撃を受け、その翌日から、金髪だった髪を黒くし、なかった眉毛はフエルトペンで書いて、制服にもエリをつけて登校するようになった。以来命について考えるようになって、臨床検査技師になった。しかし、そこで自分のやりたい事は病気を治すことではなく、人間に寄り添いたいんだということに気づき福祉の道を歩む。
  今は4つの介護施設の統括マネージャーとなり、有限会社「笑う介護士」を設立したという袖山さんの次の言葉に私は感動した。

 「・・・僕が子供のころは障害児も普通学校にいて、一緒に遊んだ。でも、誰かが仕切らないといじめられる。たとえば鬼ごっこで、ずっと鬼にされてしまうとか。ぼくは親から『絶対にいじめてはいけない』と言われていた。だから、一緒に遊べるようなルールをつくった。何回つかまっても鬼にならない、みたいな。嫌だったですよ。だってぼくもいじめられるから。それでも変な自信もあってね・・・」

  その袖山氏は高齢者ケアに携わるようになり認知症に出会う。

  「・・・認知症は(人生最期のもっともつらい、親しい人との別れすら忘れてしまえるという意味で)、神様のプレゼントではないかと思っている。問題はケア。ばかにされたりし、高齢期が暗くみじめなものになってはいけない。そこで、決めたんです。認知症の人がそのまま普通に過ごせるケアをつくろう。お年寄りがわらっていられる社会にしたい・・・」

  その袖山氏も、失禁やはいかいが激しい老人を目にして「この人たちと一緒にくらしたくない」といったことがあったという。

  「・・・おばあさんと狭いアパートで一週間ほど過ごした記憶がある。おやじが面倒を見るために、引き受けたんだと思うんです。一緒にいる間、失禁や、はいかいがすごかった。そのとき、『この人と一緒に暮らしたくない』と言ってしまった。あのときに戻りたい。今のぼくなら、最高のケアができると思いますから。そういう思いを、本人も家族の人もしなくていいような介護を、広げていきたいと思っています」

  私は確信している。この世の中には袖山さんのような「人と寄り添って生きる」事を大切にし、実践する人たちが無数に存在する事を。その人たちはメディアに毎日のように登場する政治家や評論家などのように「立派」な人ではない。しかしこの世の中は彼らのような、名もなく権力もない無数の人たちの「共生」を実践している人たちで成り立っているに違いない。
 彼らにこそ今の日本の政治を任せたい。彼らこそ小泉似非構造改革以来日本を席巻する新自由主義に抗し、「共生」する日本を取り戻せるの人たちに違いない。

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2008年01月19日

「ガソリン」だけでよい

  「ガソリン」だけでよい

 1月18日の朝日新聞の社説は、その日から始まった通常国会が「ガソリン国会」と異名がついた事を揶揄しながら、「ガソリン」だけじゃない、という見出しをつけて、それ以外の問題も論じ合って政権選択の判断材料を国民に与えろと力説している。
 そうではない。ガソリンが4月1日から25円安くなるかどうか。それができる政権はどっちか、それが最大の政権選択の判断材料であるのだ。
 田中政権の時に導入された暫定税金が、既得権として道路建設業界にばら撒かれてきた。そんな事は今度の参院における与野党逆転でも起こらない限り永久に国民は知る事が無かったであろう。マスコミは報道しなかったであろう。そのような異常なことが一党永久政権の下でどれほど繰り返されてきたことか、容易に想像できる。
  暫定税率をなくせばその穴埋めの財源をどうするかと自民党は言う。ふざけるな。その為に税金で給料を払って官僚を雇っているのだ。それを考えるのが官僚の仕事であり、その官僚が国民優先の政策を作れるかどうかを監視するのが政治家の仕事なのだ。政治家と官僚が結託して自らの利権を守ってきたから国民生活が苦しくなったのだ。
 野党もそんな自民党の議論に応じて官僚的な言い訳をする必要はない。財源などは、特別会計の無駄をなくせばすぐ出てくる、不必要な独立行政法人をなくすだけで膨大な予算が国民の手元に返ってくる、それをやってから物を言え、と真実を訴え続けるだけでいいのだ。
 これまで政治は保守か革新か、右か左かなどとイデオロギー対立のごとく安易に色わけされてきた。そして自民党は反対党をすぐに左翼だと決め付けイメージ毀損に走った。しかし今や一般大衆の大半は日々の生活で精一杯だ。一般大衆の喫緊の課題は自らの暮らしの安心である。それに反する政治家や官僚の暴政を抑止してくれる新しい政治勢力を心から望んでいる。
 19日の朝日新聞に30代の政治論客が増えてきたという記事があった。そしてその背景に、「『左』の崩壊が『右』の崩壊も引き起こし、従来のスタイルで語る論客は退場した結果、『政治を語るうさんくささや拒否反応が薄らいだ』(佐藤俊樹・東大准教授)という指摘があった。
 そういえばある月刊誌に、共産党を離れたイデオロギストで人生の大半を終えてしみじみ次のごとく述懐していた。
 「・・・ずっと後になって気がついたことだが、日本の左翼は、ソ連・中国・北朝鮮などに依存して生きてきた没主体的な集団であったと思う。いっぽう、右翼も米国に依存してきたことはあきらかだ。日本における思想運動は、左右両極とも他力本願であったのではないか・・・」
 そろそろ我々は自力本願で日本を再生する原点に立ち戻るべきではないか。その時の唯一のイデオロギーは一般国民の、一般国民による、一般国民の為の政治を実現することである。その試金石こそガソリン引き下げが出来る政権ができるかどうかであるのだ。「ガソリン」だけでよい。

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2008年01月18日

最大のインサイダーは政府であり政府と関係を深める面々である

 最大のインサイダーは政府であり、その政府と関係を深める面々である

 NHK職員三名が株のインサイダー取引をしたのではないかという疑惑が、18日の朝刊各紙のトップ記事となっている。「たとえ得られた利益が小額でも、不公正な取引には厳しく対処する」と証券取引等監視委員会は言う。いいだろう。不正は厳しく取り締まるべきだ。この機会に野放し状態の巨悪インサイダー取引者たちを一網打尽にしてみたらどうか。
 株を少しでも手がけた事のある者なら誰でも知っている。株で確実に儲ける事が出来るのは、インサイダー取引である事を。公開情報を丹念に研究して会社の業績を調べたり、チャートを辿ったり、底値で買って高値で売る、などと、当たり前の事をしても儲かるとは限らない。経済学者のケインズがいみじくも言ったように株取引は美人コンテストのようなものなのだ。人によって嗜好は違う。売買対象になる銘柄はまちまちだ。だからこそ得をしたり損をしたりする。
 そんな中で確実に儲かるのはインサイダー情報を得る事である。株取引をしている連中はあらゆるコネを使ってインサイダー情報を手に入れようと躍起になる。そしてインサイダー情報つくり、操作できる最大の権限者は政府、行政である。その政府情報を入手できる政治家や、その政治家と関係を深める仲間たち。彼らがインサイダー取引を行っていない、などと誰が信用するだろうか。
 そもそも日本にインサイダー取引を禁止する明確な規定が証券取引法などに設けられたのは80年代末だという。それまでは政治銘柄などと言われる政治資金提供目当てのインサイダー取引が公然と行われていた。
 しかもインサイダー規定が出来たからといって、インサイダー情報を探したり、インサイダー情報をもとに取引を行う事だけで処罰されることはない。法の要件を満たしてはじめて違法になるのだ。そしてその判断は証券取引等監視委員会や検察、司法当局にゆだねられる。
 インサイダー取引が厳しく禁じられるのはよい。しかしその取締りはあくまでも公正、公平でなければならない。最大のインサイダー情報保有者である政府と、その違法性を最終的に判断する行政、司法は、まず自らを律しなくてはいけない。NHK職員のインサイダー取引だけを大騒ぎしてフタをしてはいけない。

 

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2008年01月18日

ブッシュ大統領の中東訪問と日本の中東外交

  ブッシュ大統領の中東訪問と日本の中東外交

  野党議員にお願いしたい。一人でもいいからこの質問を国会でぶつけて欲しい。質問相手はもちろん福田首相であり高村外相である。しかし彼らに中東を語る知見はない。外務官僚の作成した答弁を、下を向いて読み上げるだけだ。だからこの質問は外務官僚に対する質問ということになる。外務官僚はどこまで中東情勢を理解しているのか。外務省の中枢は米国しか顔が向いていない。中東を担当する局長さえ対米外交を最重要視し中東情勢など担当官まかせだ。よもや日本の中東外交は米国の中東外交の後方支援ではないだろうな。質問の趣旨はそこにある。
 1月16日ブッシュ大統領は8日間に及ぶ中東歴訪を終えた。6カ国1地域(パレスチナ)に及ぶ、就任8年目にして初めての本格的な中東訪問であった。これは、あの9・11から突然ブッシュ大統領の最優先外交課題となった米国の中東政策の総括である。
 もちろん1年たらずの残りの任期に中東情勢はさらに動くであろう。ブッシュ大統領の再度の中東訪問もありうるかもしれない。しかし今や米国は国内経済問題が火を噴き始めた。ブッシュ政権の残りの任期は経済政策に集中せざるをえないだろう。ブッシュ大統領の中東政策は終わったのである。だから総括するのである。
 今回のブッシュ大統領の中東訪問は何のためだったのか。そしてその成果は何だったのか。日本はそのブッシュ大統領の中東政策をどう評価し、自らの中東政策の反面教師とするのか、これである。
 日本中がアフガン給油問題で大騒ぎしている時、ブッシュ大統領は中東訪問の真っ只中にあった。パレスチナの和平問題、イラクの安定化、イランの孤立化、などという大きな問題について、湾岸諸国や親米アラブ諸国の協力を取りつける事が目的であったと報じられていた。
 しかしその間に中東で何が起こっていたか。パレスチナ自治区ガザにイスラエル軍が侵攻し市民3人を含む17名(19名)のパレスチナ人が殺害された。さすがの親米アッバス自治政府議長も「虐殺行為だ」と非難せざるをえなかった(16日毎日、17日日経)。
 そのイスラエルでは、アッバス議長と和平交渉を始めたオルメルト・イスラエル首相を「なまぬるい」と、タカ派政党「わが家イスラエル」が連立を離脱した(17日毎日)。親米、親イスラエルのアッバス議長でさえダメだとイスラエルのタカ派は言っているのである。17日には長距離ミサイルの発射実験に成功したと発表した。あきらなかイラン挑発である。200発とも言われる核弾頭の保有国イスラエルが、イランはもとよりパキスタン、インドなども射程距離に入れる長距離ミサイル実験を誇示している。日本は一言も遺憾の意をとなえることはない(18日日経)。
 イラクでは、07年の米軍(多国籍軍)による空爆が1,447回行われた。これは06年の約6倍であったという(17日ワシントンポスト)。これまでイラクでは稀であった女性による自爆テロが、今月に入って2日、16日と相次いで起きた(17日朝日)。米軍はアルカイダなどの反米抵抗組織に対抗するため、イラクのスンニ派部族を武装化しイラクの治安に使おうとしている。しかしこのような思いつきの政策が、イラクシーア派との宗教対立を激化するおそれがある事は明らかである。重要な事は特定部族に武器を与える事ではなく、イラクの非政府組織や民兵の武装解除であると、イラクの有識者から警告を発せられている(17日毎日 世界の目)。その一方で、イラクでは、マリキ政権に反発するスンニ派、シーア派、世俗派などの共同戦線が出来つつある(15日日経)。石油の利権をめぐった国内クルド人との権限争いも残ったままだ。要するにイラク情勢は混迷の極みであるということだ。
 レバノンでは米大使館のクルマが自爆テロに襲われ3名の犠牲者が出た。シリアのレバノン支配は変わらず、ブッシュ大統領が敵視したシリアと米国の関係も裏取引の噂が絶えない。
 親米政権のサウディアラビア、エジプトでさえも、「一体、これ以上何をイスラエル人に譲歩できるのか」(サウド・サウディアラビア外相)」(17日朝日)、「ムバラク大統領は米国の中東政策を繰り返し批判してきた」(11日付エジプト紙アルアハムラ)とブッシュ大統領の中東政策に批判的だ。アラブのメディアや一般国民の反米、反ブッシュ感情はもっと激しい。
 要するに目もくらむようなブッシュ大統領の中東外交の失敗が明らかになったのだ。このような現実に一切目をつむり、ブッシュ大統領は「(年内の和平交渉妥結に)私は楽観的だ」などと語る。
 日本はブッシュ大統領の中東訪問をどう評価しているのか。そしてこのような中東情勢を前にして日本はどのような中東政策を持っているのか。それを国民の前で的確に質してくれる野党政治家はいないものか。


 

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2008年01月17日

 「反抗にあこがれぬ若者」という読売新聞の記事に思う

 「反抗にあこがれない若者」という読売新聞の記事に思う

 1月14日の読売新聞に興味深い社会評論の記事を見つけた。最近の若者は、かつての若者の特権である「反抗」について興味を示さなくなったと、次のように書いていた。

  ・・・自分(40歳の記者)の青春時代を振り返れば、あこがれたのは優等生ではなく、大人や社会に立ち向かうような人だった。もっと上の世代なら・・・ゲバ棒で権力と闘った。それに比べると現代っ子は違う・・・彼らは皆、クールだ。
 「上の世代に反抗する意味ってあるんですか」
 「社会に抵抗するのは時間の無駄。ただ、自分の力をだせばいいだけ」
 「今の男子学生に、尾崎豊が歌う映像を見せると、『こんなに熱く歌って気持ち悪い』とか言うんです」と話すのは精神科医の香山リカさん(47)だ。香山さんはここ何年か、教鞭を執る大学の心理学の授業で尾崎を取り上げているが、『大人への反発や、管理社会への抵抗を歌った曲は非常に人気が低い』という。
  ・・・なぜ(反撥や抵抗が)弱まったのか。香山さんいわく、「おそらく、父親や教師が優しくなり、脅威ではなくなったから」。それ故、今の若者は、大人を無条件に信頼し勝ちだ。「大人は自分たちのために何か協力してくれる存在。ならばそれを利用しない手はない。尾崎みたいに生きるのは損だと考えるんです」
 「大人が優しい社会」となった理由を文化人類学者の沼崎一郎・東北大教授(49)は、「家族をつくる事が『趣味』になったと分析する。概して社会は豊かになり、人々の心には余裕が生まれてきた。結婚しないと世間体が悪い、なんてこともなく、コンビニと電化製品があれば男一人でも生きていける。
 「じゃあ、どうして結婚して子供をつくるのか。それは家族を楽しみたいからなんです」
 家族を楽しむために父親は子供に気をくばり、「誰に飯を食わせてもらっているんだ」などとは言わない。だから子供は、素直で、気配りができ、他人との関係性を重視する人間に育つ。沼崎さんはこんな傾向を「男の子たちの少女化現象」と呼ぶ・・・

 なるほどそういえば、まわりを眺めると思いあたるような気もする。社会で頻発する家族殺しや凶悪犯罪は、例外的なほんの一部かもしれないのだ。だからこそ、それが大きなニュースになるのだ。
 そして「反抗、反撥」に冷淡なのは若者に限らない。社会人も、引退した高齢者も、総じてやさしく、おりこうなのだ。抵抗するものは負け組みだ、自分は負け組みと一緒になりたくない、内心そう思っているに違いない。
 これほど自公政権が無能であっても、もし次の選挙で政権交代が起こらないとしたら、それは日本がまだ、まだ恵まれた国であるという事だ。格差社会、格差社会とメディアが騒いでいる割には、多くの国民は、貧しいながらも、苦しいながらも、なんとかやっていけるのだ。だから現状を是認しているのだ。変化に臆病なのだ。
  「いや、そうではない」、と反論する声が聞こえそうだ。私も、この読売新聞の記事が一面的である事を願う。いつ、どのような状況のもとで総選挙が行われても、そして小沢民主党に問題が多いとしても、次の総選挙では政権交代を期待する。
  はたして日本国民の多くは、一般大衆の大半は、反骨精神がないのか、「反抗」は愚かだとさめているのか。それは次の総選挙で明らかになる。

 


 

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2008年01月17日

  「新車販売の不振」のニュースから見えるもの

  「新車販売の不振」のニュースから見えるもの

  07年の国内新車販売が不振であるというニュースが各紙に報道されたのは1月8日であった。前年比で7.6%減。35年前の水準であるという。売上高が2兆円を超えたと喧伝されているトヨタでさえ前年実績6.2%も減らしている。
  その理由として消費者の嗜好の多様化や人口の少子・高齢化、ガソリン価格の高騰などがあげられていた。しかし一番の理由は賃金の伸び悩みや、若者の雇用形態の変化による低所得化が急速に進んでいることに違いない。私はその記事を読んだ時直感的にそう思った。
  それにはわけがある。その記事を読む二、三日前のある集会で出会った社長の話を思い出したからだ。私が暮らしている那須塩原市で自動車販売の会社を経営しているというその社長は、「お仕事はどうですか」、と何気なく挨拶代わりにたずねた私の言葉に、興奮気味に語ったものだ。

 ・・・昔は若者が買いたいものは車が上位だった。しかし最近は売れなくなった。自動車会社は金儲けのために経費を切り詰め社員をいじめている。その結果社員の生活は苦しくなり、まわり、まわって車が売れなくなった。これでは自分の首を絞めているようなもんだ。おかげでこっちも影響を受けて大変だよ・・・

  新聞でははっきりとは書かないが、本日(17日)発売の週刊実話1月31日号で、経済アナリストの森永卓郎が見事に、次のように書いていた。

  「・・・車が売れなくなった理由について、自動車業界は人口減や若者のクルマ離れだと指摘しているが、本当にそうだろうか・・・07年の成人人口は前年より、わずか0.3%だが、増えている。だから人口減が自動車販売減の理由にはならない・・・本当に若者はクルマを必要としなくなってしまったのだろうか・・・平成16年の世帯普及率をみると年収400万円台前半の普及率は78%、300万円台前半でも66%の普及率がある。東京や大阪などの大都市に住んでいる人は別にして、今の日本では、クルマが生活必需品になっている。実際、地方都市に住んでいると、市役所に行くのも、買い物に行くのも、車がないと不便でしかたがない。しかしいくら生活必需品であると言っても、あまり低所得になるとクルマが買えない。実際、年収200万円未満の世帯になると、自動車の普及率は35%に激減している。
  昨年国税庁が発表した「民間給与の実態」によると、年収200万円未満の給与所得者が1023万人と、21年ぶりに1000万人の大台に乗せた。こうした低所得層の拡大が、クルマの販売不振に結びついているのは間違いないだろう。
  こうした観点でもう一度07年の自動車販売統計を見ると・・・国産高級車のレクサスシリーズは前年比11・9%も販売台数を増やしているのだ。いわゆる勝ち組が所得を増やして高級車をどんどん買っているのに対して、庶民は軽自動車さえ買えなくなってしまっているのが現実なのだ。
 これまで構造改革派の人たちは、グローバル競争に勝ち抜くためには、人件コストを抑えることが必要不可欠だとして、リストラや非正規社員の活用を進めてきた。しかし、それが、やりすぎになってしまったため、車が買えなくなるくらい庶民の懐が寂しくなってしまったのだ。構造改革派にとっては、まさに『悪事身に返る』になってしまったのだ・・・」

  揮発油税の暫定税率という聞きなれない言葉が何故ここに来て急に国民の関心を惹いているのか。それは暫定法が3月末で期限切れとなれば4月以降ガソリン価格が20数円確実に下がるからだ。それを「たかが20数円で大騒ぎをするな」などと嘯いている連中は、格差社会の痛みを理解していない連中だ。いや、むしろ格差社会をもたらした張本人たちに違いない。
  本来なら、所得格差是正のために減税や金融緩和や景気対策を早急に講じられねばならないのに、与党からも野党からも本気でそのような対策を採ろうとする声は聞こえてこない。そんな中で唯一目に見える救済策がガソリン価格をさげる暫定税率の撤廃なのである。財源がどうだとか、道路がつくれなくなるだとか、そんな事はお前ら政府・責任者が考える話だ。それがお前らの仕事だろう。とにかく今は一刻もはやくガソリン価格を引き下げろ、米国の給油する金があるのなら、まずそれを国民に回すのが筋だろうが。これが一般庶民の正しい声なのである。
  小沢民主党よ、自らの政権とりのためにパフォーマンスに浮かれている場合ではない。もっとまじめにこの問題を国民的政治イシューにすべきだ。生活に苦しむ多くの庶民を代表するのが民主党ならば、富裕層と結託してこの国の政治を独占してきた自公政権と対決すべきだ。その姿勢を一般国民に前にひたむきに示すべきだ。ガソリン国会、ガソリン引き下げ隊などとヘラヘラしていると、そのうち福田政権が「国民生活重視」に豹変し、暫定税率撤廃までもさらわれていくことになる。


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2008年01月16日

ネット囲碁に夢中になりながら

ネット囲碁に夢中になりながら

  どうでもいいことなのだけれど、ネット囲碁に夢中になって2週間が経つ。対極は100回を超えた。戦績は2勝3敗のペース。典型的なヘボ碁だ。ヘボ碁の常として、負けると悔しくて腹が立つ。いきおい回数が増える。
  今から40年近く前、外務省に入って東京暮らしを始めた頃、盆暮れの休暇に実家の京都に帰ってはおやじとよく囲碁を打った。人付き合いの下手なおやじは、停年後はめっきりふけて家で時間を過ごす日々であった。私が帰るのをいつも心待ちにしていた。
  たまに帰ったからと言って格別の話題もない。いきおい囲碁を打つことになった。その昔おやじから教わった囲碁であった。いつしか私が少しだけ上手になっていた。それでも置き碁はおやじのプライドが許さない。互い先で打てば2勝1敗のペースで私が勝つ。もう一回、もう一回ということになって、いつしか夜を徹して囲碁を打ったりもした。いまから思えば精一杯の親孝行だったのかも知れない。
  そのおやじは、私が海外勤務の時に肺炎をこじらせて急死した。66歳だった。死に目には会えなかった。あと数年で私もその歳に手が届くようになった。
  もっと囲碁を打っておけばよかった。私はネット囲碁を打ちながら、そして見知らぬネット先の相手に負けて腹をたてながら、時々はおやじとの短かった対話の時間を思い出している。

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