2.研究
最新論文 「有機農業と循環型社会について」(『香川大学経済論叢』第80巻第3号)
というのは、正確ではない。経済学部の場合、4年生の演習は、卒業論文の提出と同時に、授業評価もやることとなっており、その用紙は、従来のものがそのまま使われたからである。
今回から、外の業者に依頼することとなり、新しい用紙になって、従来とは違ったマークシート方式になったが、15日から始まった卒論提出前には、この用紙が用意できなかったのだろう。
でも、本番には間に合ったようで、何よりだった。
集中講義や夜間主は?さて、この新しい方式がうまくいくかどうか、私には、大きな興味がある。いくら予算がかかるのかも含めてだが、まあ予算のことは、いくらになっても、学長が手当するだろうから、いいだろう。
よく考えると、経済学部の4年演習の他にまだ科目があった。今年は冬休みに経済学部では集中講義があったし、夜間主は、後期なら後期の中で更に半分ずつに分かれているはずだ。
実際の授業担当者でないとわからない話だろうが、夜間主の2単位ものがこうなるというのは、授業評価に携わったものだとすぐピンと来る。
おそらく、これも従来のものを使用したのだろうな。そうすると、こうした授業評価の集計作業は従来通り学内でやるんだろうから、最終的には、別々のファイルを統合しなくてはならないわけか。大変だなあ。
1.集計結果がいつ届くか
われわれがやっていた頃は、新学期が始まる頃には出していた。だから、教員は前期の結果を確認しながら、新しい学期にはいっていくことができた。さて、そういうスケジュールで動くかな。
4月の第1・2週にとどくかどうか。5月に入るようなら、もう新学期の参考資料にはならないだろう。
2.公開資料はどうなるか
香川大学の場合、授業評価の結果は、すべて学生にまで公開されている。今回も、それが可能なように、プログラムを組んでいるであろう。学生は、公開するまでは「公開せよ」とうるさかったが、公開されると、あまり見ていないような気がする。まあいい。
ファイルをいただくこと私が最も心配するのが、教員用に配付される公開資料である。これは、私が執拗に言って実現してきたものであるが、教員用に配付される公開資料には、学生が出した授業評価の結果だけでなく、教員が出した成績の一覧が出るようになっていた。
余分なことだが、個々の先生の印刷資料と学生への公開資料をもらうだけではいけない。データをファイル形式でいただくことが条件でなければならない。
その際、理事が好きな教員評価の材料として使うというだけなら、これらのデータだけでも簡単な計算はすぐできる。しかし、教育改善に役立てるのが目的なら、オリジナルなデータをいただいて、それを加工しなければならないだろう。
学年別とか学科別とかの分析を個別科目でしてみたいとか、特定の少人数教育科目について、分析してみようということが起こってくるからである。
問題の一つは、この成績はなかなか出てこないことである。教員はなかなか約束を守らない。成績提出の期限は厳格に決められているが、その通りに出さない教員がかなりいる。一人でも出さない教員がいると、公開資料が作成できない。たとえ資料が全部揃っても、それは新学期が始まる直前であるから、教員用の公開資料が出るとしても、たぶんかなり遅れることになろう。
資料の作成問題のもう一つは、これはあくまでも教員用の公開資料で、学生には公開していない。いまの学生の意識を前提すると、これが知られたら、SやAが多い科目とか合格率が高い科目に学生は集中することになり、教育を歪めることになる。だから、学生には公開していないのである。
この資料の作成は実は大変である。
大学のコンピュータから落とすデータは、すべての学業成績のS〜Xの数である。まず、このデータを外に出すのか、ということがある。
当然、個々の学生の名前などは出ていないが、大学としては第一義的に重要なデータである。
更に、教育学部などは、科目数がものすごく多いし、すべての科目で授業評価を実施していない。学生の授業評価の科目の下に、先生が出した成績評価が出ることになるから、上の表と下の表をあわせなければならない。
そうすると、授業評価をやっていない科目の成績は削除していかねばならない。それだけなら、まだまだ機械的な作業である。いくつかの科目で何故かうまくあわないものがでてくる。通常の講義を何らかの理由で集中にまわした、とかである。個別学務に聞かないとわからないことである。それに、医学部は、他の学部とカリキュラムの進行が異なっているから、医学部に問い合わせないとうまくつながらない。これらのことはたぶんやったものでないとわからない。
ましては外の業者では対応が不可能ではないか。もしやるとすれば、余分な情報を外に持ち出すことも必要になるかもしれないのだ。もちろん、そんなことは止めてしまえばよい。学生に公開する学生の授業評価を教員にも公開して、それで終わりにしたら問題は起こらない。そうすると、いままで、われわれがやってきたさまざまな分析は今後できなくなる。たとえば合格率の高い先生が、学生による授業評価の点数が高いかというと、そうではないのである。ほとんど相関関係はない。期末試験をやった後に、学生による授業評価をやれば、話は違ってくるだろうが。
もうそんなことは止めてしまうとすると、いままでのように、各先生に「授業評価の点数を上げるために、合格率を高くしても、何の意味もありませんよ」とは言えなくなるし、出す成績をお互いきちんと確認しあうということもできなくなる。そうなったら、経済学部はまた経済学部独自でやることになるだろう。経済学部でそういうことをやろうと言い出したのは私だが、同時に、私は、試験問題を教授会で回覧するこということを提案し、長い間実施してきた。試験問題の回覧は別として、教員が出す成績を教員間では公開とするというやり方は、経済学部でやってきたことを全学的に広めただけである。それが全学的にやられなくなれば、経済学部はまた元に戻して、学部内だけでやるのではないか。
いま外部評価が全学的に始まって、成績に関するものは試験問題や答案用紙も含めて全部提出せよと言ってきている。しかし、何でも出せといっても、どの程度評価の実効性があるかわからないではないか。一体誰が点検するんだ。そんなやり方より実際上意味のある形での公開性を自らの意思でやってきたのが、経済学部のやり方だったはずだ。
私は、いまでも試験問題が教授会で回覧され、成績結果も教授会資料として配付される方が、よその誰かに点検されるより、よほど怖いと思うよ。見えざる手に導かれる、これが本来のあり方だ。
3.教員評価
学生による授業評価は、教員の教育に関する評価の基本データになるものである。だから、それを誰がどう作り出すのか。返してもらったデータをみながら、教員各自がやるのだろうか。それともそこまでも業者に任せるのだろうか。
もしそこまでも業者に任せるのだったら、今度は教員のプライバシー保護という問題が発生する。大学執行部の好きな言い方であると、将来は、これが教員の昇給や給与にまで影響するということであり、そのオリジナルデータは安易に処理してもらっては困るからである。
4.将来、変更をしたら
いままでの授業評価は、何度も質問項目を変更してきた。今回、業者が作ったものは、一度作れば基本形が出来上がるから、何も変えないなら安く済むであろう。しかし、変更を言い出すと、「それなら○×円かかります」と言われるに違いない。そうなったら、業者の勝ちである。
修正のための予算が大きくなれば、予算制約があるため、「質問項目の変更はできません」となる。大学で動いているシステムで、何度そういうことがあったかわからない。
最後に、一言
学生による授業評価は、繰り返し言うが、われわれは、教育改善のために実施してきた。それを教員の教育に関する評価に転用したのは、理事が始めたことである。
学生による授業評価をできる限り新学期に間に合うように出してきたのも、学生による授業評価と教員が出す成績評価とをあわせて出すというのも、、すべて教育改善に役立てるためであった。しかし、教員の教育に関する評価だけが目的なら、あわてて出す必要もないし、学生による授業評価と教員が出す成績評価とを重ねる必要もない。
学生による授業評価は問題なく進行するだろう。もちろん、そういってほしいと思っている。しかし、それが何の目的で行われるかで、その結果の取り扱いが大きく異なってくる。私は、うまくいけばよいということだけでは済まないと思うのだ。
いまや、大学当局の姿勢が問われているのだ。