食ニュース【大分】サフラン栽培100年の技2008年01月22日 農家・生産出荷組合長 渡部親雄さん(77)
湯飲みに注いださゆに、赤い花のめしべを一つまみ入れる。じわじわと湯が黄色に染まり、湯気とともに、かすかに甘いサフランの香りが立ち上る。「きょうも一日、ご苦労さん」。農作業を手伝う妻の高枝さん(71)をねぎらい、仲良くさゆを飲む。これが一日を終えた2人の儀式だ。 約80戸の栽培農家が参加する「竹田市サフラン生産出荷組合」の組合長を務めている。竹田には約100年前、行商を通してサフランの球根が伝わり、主に薬用として栽培されてきた。かつては各地に産地があったが、今では国産の大部分が、この竹田市で栽培されている。 球根は、春に畑から掘り出す。木箱に入れて暗い倉庫に置いておくと、10月下旬から11月にかけて、紫色の花が咲く。つぼみが膨らんで、いよいよ開花というその直前に、つぼみを摘み取る。めしべを取り出して乾燥させたものが、香辛料や漢方薬として使われるサフランだ。花を摘み取った球根は再び畑に戻し、翌年に芽が出るのを待つ。 かつては露地栽培が中心だったが、雨や風でうまく育たないことが多かった。行商の行李(こうり)の中で球根が花を咲かせたエピソードが伝わり、室内栽培が行われるようになった。木箱に入れるのは、養蚕農家が、かいこを育てるのに使う木枠に球根を並べたのが始まりだった。様々な知恵を積み重ね、竹田のサフラン栽培は洗練されてきた。 ■ □ 祖父の代からのサフラン農家。子どものころから、花の摘み取りを手伝った。50〜60年代は1キロ当たり30万円ほどの高値で取引され、農家にとっては貴重な収入源だった。「サフランのおかげで、学校に行かせてもらった」と振り返る。 大学を卒業後、畜産技師として働き、地域の農家で、牛の人工授精を手がけてきた。その中で、気がついたことがある。サフランを栽培する農家ほど、牛の繁殖率が高いのだ。それも、サフランの摘み取りが終わった冬から初春の成績がいい。 サフランは血行促進などの作用があるとされる。農家では、めしべを取ったあとの花弁や葉を牛に食べさせるため、ホルモンの働きが活性化して繁殖しやすくなったのではないか、と気づいた。幼いころから親しんできたサフランの、不思議な力を思い知る。 夫婦が暮らす集落はかつて、「明治村」「米寿村」と呼ばれた。明治生まれの人たちがみな、長寿で元気に暮らしていたからだ。家庭では梅酒や漬けものに入れて、常用していたからかもしれない。認知症にならない、眠りが深くなる、と「効用」も語り継がれている。 □ ■ 栽培から出荷までは、ほとんどが手作業だ。「とてもデリケートな作物。機械化はとても無理」と言う。摘み取った花のつぼみを慎重に開き、3本のめしべを取り出す。慣れた人でも、1時間に50〜60グラムを取り出すのがやっとだ。 めしべは、掘りごたつの中で一晩、乾燥させる。その日摘んだ花は、その日のうちに作業を済ませる。めしべは1日たつと縮み、光沢もなくなってしまう。 一つの球根から、1年に2輪ずつ3回、花が咲く。だから、球根一つから1年に18本のめしべしか取れない。夫婦が一晩に作業できる量から逆算して、2万株ほどしか栽培できないと言う。生産できるサフランは乾燥重量で1キロ弱。市全体の年間の生産量も50キロ程度に過ぎない。 近年は安い中国産の影響で価格が下がり、栽培農家は減っている。一方で、スペイン料理や薬膳(やくぜん)など、食用としての人気は高まっている。竹田産のサフランはこれまで、製薬会社がまとめて買い取ることが多かったが、組合では食用として一般消費者向けに小売りすることも検討している。 組合長になり、小学校などに呼ばれて話す機会が増えた。室内栽培が竹田で生まれた歴史を話すと、子どもたちの目がきらきらと輝く。それが何よりもうれしい。 「“竹田方式”は、この100年の農家の知恵と工夫の結晶。そのすばらしさを、これからも伝えていきたい」 〈わたなべ・ちかお〉 30年、竹田市の農家に生まれる。獣医学を学び、52年、農業共済の家畜診療所に就職し、竹田市内を中心に牛の人工授精などを手がけた。農協の営農指導員を経て、85年から家業の農家を継ぎ、米とサフランを栽培。04年から竹田市サフラン生産出荷組合長。 この記事の関連情報食と料理
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