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えこまの部屋 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-01-21

新年茶話会とおんなたち

今日は月曜朝クラス新年茶話会。

先週の水曜朝クラスと同じに持ち寄り一品式茶話会。

今日は急遽、子どもが熱を出してとかご自身が風邪をひいてとか町内にお葬式が出てとかで、欠席者がいつになく多く、結局茶話会の参加者は私を含めて10名になってしまった。(18名在籍のクラス

思いがけず少人数になったが、こじんまりアットホームな感じでこれはまたこれでよかった。

忙しい主婦の負担にならない程度でいいですよと声をかけておいたが、なんとお惣菜スイーツと両方を手作りしてきてくださる方もおられ、持ち寄り二品の方が数人おられ予想以上に豪勢な手作り品の持ち寄り茶話会になった。


豚のブロックを焼いた後にさわやかにみぞれで炊いてポン酢で仕上げて浅葱を散らしたものや、黒米の雑穀おにぎり*1や梅おこわ、鶏おこわ、野菜をたらこであえた珍しいおひたし、ペーキングパウダーを一切使っていないなんて信じられないふっくら柔らかの無水鍋製のシフォンケーキかぼちゃムース、美味しい練り製品くるみパン、サンドイッチなどなどたくさんいただき、余ったのでさらにそれぞれにお土産にお気に入りの品を分けて持って帰ったお腹いっぱいの食事会になった。


そうえいばここらの田舎の法事やよびしは、あえてたくさん作りすぎるくらい作って(食べ物の足りないのことをヨシとしない風潮がある。田舎の人は農家出身の人が多いからかお腹いっぱいになるように多めに作る。仕出し屋さんで料理やお弁当寿司桶で特上盛り合わせを注文しても、お持ち帰り用に取り肴としてオードブル等、別皿を自家製でたくさん作る。とくにうちの姑や大姑は「品数が足りない」ことを嫌う人だったので「これでもか攻撃」で作っていた(私はそのやりすぎ感や無駄をよしとする贅沢な風潮がいまひとつ好きでなく、もう少し都会的に「ちょっと足りないくらい」にスマートになってもいいのにと思って来た)。うちが派手にやりすぎるので地元婦人会の奥さんから「あまり村の中の行事で、そういったことをエスカレートさせて欲しくない」(これをネタに村の姑舅世代間でまた競い合いがでてくるのだ。どこそこの嫁はよく出来ているとか、あかんたれやとか)と若嫁の私に苦情を言って来る人もあった。(私は世間と家の板挟みで結構つらかった。私自身も生活改善の一貫としてそういった風潮を改めたい方だったが若嫁の私がそんなことを姑大姑に直接言えたら苦労はなかった。)


今日は、みながそれぞれに負担にならない範囲の「こうしたい」と思うだけをしてきてくださってそれがよかった。

勿論負担にならないように買ったものだけの方もいたし、頑張ってたくさん作ってきてくださった方もおられ、みんなのコラボ今日の茶話会が出来たことを心から感謝しています。


それぞれに家庭や仕事の状況やその日の都合があるから全員が全員、同じだけ作ってこれなくて当たり前だし、主催者の私はそれぞれみなさんからの心づくしと気持ちの分を(それが多い少ないの個人差があろうが)喜んで感謝して頂く、それが一番大事だと思っている。


主婦の集まりというのはそれにしても凄い。

やはりコミュニケーション能力と言うか察知能力というか共鳴共感力が高いというか、準備も片付けも瞬間風速で出来る感じだ。

いつもの公共施設エクササイズルームを借りて教室をし、その後、同館の和室を借りての茶話会だったが、次の和室利用の団体さんが来るまでのギリギリ5分前までつい話し込んでしまい、残りの5分で後片付けをする時のみなさんの手分けと分担の早さといったら....。

こういう能力結婚子育てや嫁姑関係のあうんの呼吸で培ってこられたのだろうな、と感じる。

ここらはまだ田舎なので夫の親や自分が家を継いで両親と暮らす方も少なくない。

もともと赤の他人だった人と身内として暮らすというのは、その経験のない者にはおよそ想像のおいつかぬほどの苦労や摩擦がある。

だいたい生まれ育った時代や土地や価値観が全然違う相手と毎日共に暮らすというのは、お互いが和合するまでの道のりで想像を絶するストレスがある。恋愛で好きで一緒になった夫婦の間でもそうなのだから、ましてや配偶者の両親や兄弟と暮らすとなったら、その苦労やいわんやである。


そういう経験は若い頃は極力避けたいものだったが、振り返ってみて結果的に自分の成長にプラスに働いていると思う。

ある年輩の女性は「先生にはそういう経験があるから、あちこちでいろんな世代の方を相手に教室が出来るのだと思いますよ」とおっしゃってくださり、初めて「そうか私は、家族のおかげで修業できたから、この地域で教室業ができるようになったのか」と気づかされたものだ。


あえて「口うるさく取り仕切らない」センスも磨かれる。

(うるさく取り仕切らなくても、みな無言でそれこそ空気をさっさと読んで動く)

これは地方に行けば行くほどこの能力が高いと思う。

人口増加の一途をたどる地方都市新興住宅地住まいアパートマンション住まい核家族の若い主婦層が多いクラスだとこうは行かない。そこには旧集落在住の中高年も混在しているのだが、つまりこのお姑さんにつかえてきた経験のある主婦世代の方たちが教室後の後片付けを率先して行っていても(和室会議室なので机を元の位置に戻したり等がある)、若い主婦層はそれを見て自分も動こうとせずに逆に安心して同世代と喋りこんでいたりする。この若い核家族主婦層のあり方、気の利かなさ、自己中心的さに中高年の人たちは内心あきれ驚いている(勿論、私も)。自分の嫁いだ時代では「その場」で周囲よりも自分が若い立場であったら、年長者に対してこんな人任せで気のきかない振る舞いは考えられないからだ。


田辺聖子の昔のエッセイで、配偶者の親と同居している嫁はしんどい思いをしている、核家族の嫁は気楽な生活で私もそのような気楽な生活のほうがいいが、いざという時の動きを見ていると同居嫁に比べて明らかに核家族主婦の動きは鈍い、気が利かない、空気を読まないと評している文を読んだことがある。


私は、この、性格は悪くないのだけど、単に気がつかない、気の利かない若い核家族主婦層の1人に「先生は(配偶者の親と)同居しているから自分の子どもの面倒とかみてもらえてお世話してもらえて楽ですけど、私たちは核家族なので全部1人で何もかもしなくちゃいけないから大変なんですよ。」と言われた時は心底「は?」と呆れた。


つくづく、時代は急速に変わっているのだなと思った。

私が住む田舎の旧集落のようなところでは、少なくとも私の嫁いだ頃は今だに「嫁は舅姑につかえるもの」が当たり前の感覚で、「自分の意見を述べる」なんてありえないことだったし、自分が風邪をひいて熱があっても誰にも庇ってもらえず、我慢して大家族8人分の食事をふるえながら作ったりするのが当たり前で、毎日、夫の祖父母両親のお昼だって作らなくてはいけないから、食事作りの為の買い物、つまりスーパー以外どこにも出かけられない状態だった(核家族専業主婦友達にたまにランチを誘われても出られなかった)。たまの日曜日に夫と子どもと夕食を外食したい時でも必ず、大舅大姑、舅姑の食事は作ってからでないと出かけられない空気だった。(作らずに行こうとしようものなら厭味のひとつふたつみっつ言われて出かけ、たまの外食でも全然気分よくなく後ろめたく、ストレスいっぱいだった)。


舅姑につかえる、そんな世界だった。今の若い人は「親と同居したら自分と自分の子どものめんどうを見て貰えるお世話してもらえる」という感覚らしい。うちの親はさんざん姑にイビられながら尽くして来た世代だが、私より七つ下の弟夫婦と敷地内同居(別棟暮らし)しても、孫の子守りはしても、弟夫婦に食事などは一切別々で作ってもらっていない。全く別々の生活で「幼稚園の送り迎え」「嫁がパートに行っている間の孫の子守り」は引き受けている。以前に嫁と孫が風邪をひいて孫を一日中母屋でめんどうをみていた母がついにうつされて風邪で倒れた時も、お嫁さんは自分と子どもが治ったら、母の面倒はみずに、さっさと子どもを連れて実家に帰った。これにはさすがに実姉も私も「自分が療養している間、さんざん我が子の面倒をみてもらったのだから、実家に骨休めに帰るのならせめて母にお粥の一膳ぐらい作ってあげてから帰ってくれたらいいのに....。」と思ったものだ。私も姉も「小姑がお嫁さんに何か言うと可哀想だ」という自らの経験で「慎ましさ」を持っているつもりなので結局一切なんの文句も言わなかった...。


今の若い世代の夫婦ってこんなものか、と驚くばかりだ。

時代は変わった。

女(嫁)を抑圧する家父長制システムなんて私の代で苦しんで終わりかもしれない。


母などいったいどんな気持ちだろう。

さんざん姑に尽くして、今度は若嫁さんに尽くしている。

尽くす一方の割の合わないサンドイッチ世代だ。

いったいどこで苦労の元をとっているのだろう。

よくお嫁さんをいじめずにあそこまで可愛がれるものだと感心して見ている。

自分は尽くしてさんざんイビられたというのに。

あの人もまた「負の連鎖を自分の代で断ち切る」ことをやっているつもりなのかもしれない。(が、そのしわよせがこちらに来ているが)



おかげで私はお正月実家に帰っても、お嫁さんはお客さんみたいに座っているだけだから私や姉が結局動かねばならない。(実際に、座敷の本来客が座るべき上座に弟夫婦チンと座って料理の上げ下げを待っているだけの状態なのには呆れた)


それでも弟夫婦結婚して7年目で初めてお正月に家にいて私たちに挨拶をしたのだから進歩だということで実父は無邪気に喜んでいる。

自分の娘である姉や私には、お正月実家挨拶に来ても(帰省というのか?)、さんざんおさんどんをさせる(若嫁の替わりに。父から若嫁へは一切、忠言おとがめなし)。私は毎年正月の一日二日から嫁ぎ先でも婚家でも忙しい思いをさせられ全くばからしい。年末ももちろん死ぬほどハードだ。(なんせ大きな日本家屋掃除するところだらけだから)

正直、年末年始海外へ行く人が羨ましい。私は本当は面倒な親戚つきあいなんか無視して家族インドにでも行きたい気分なのだ(実際、長男はインドに行きたがってるし)。新年をガンガーのふもとで迎えたいワ、ヨーギーのように。それが可能なほど自分で稼いでいても、そのような権利権限は私にはないのだ。なんでやねん?(家父長制のせいか?)とつくづく思う。

だから私にとって盆と正月は一番ストレスフルな季節だ。


自分が主催して共同体を作る方がよっぽど精神衛生にいいと思っている。


家父長制というシステムあやかって「ただ男に生まれた」というだけで「上げ底に扱ってもらえる制度」に「ただ乗っかっているだけの男」それがうちの父だったのだと、最近になって気づかされたのだった。

夫婦には何も「こうあるべき」の常識を教えない、そして私たち娘には嫁ぎ先で「このように振る舞うべき」と「家父長、父親としての自分が考える規範」を洗脳する。

それは娘の嫁ぎ先は父親にとって『世間』であり、父親としての自分が「評価される」からだ。だから内堀はめちゃくちゃでも外堀の評価だけは固めようと昔から「見栄っ張り」の両親はいつも無意識的に必死だ。そのアンバランスなうちの親の行為に私たち娘夫婦は内心呆れている。

父にとって娘達に呆れられることは「身内」なので?平気らしい。

かくして形骸化した家父長男がこのようにして出来上がるのを私は知った(世間の親父世代はほとんど似たり寄ったりのこんなもんなんだろうか)



私はこの実家でたくさんあほらしい思いをしてきたが、父のこういっためちゃくちゃな家父長制にのっかっただけの、ちゃんと家父長の義務と責任を果たせてこれなかった阿呆さ加減に一番傷つけられて来たのだとつくづく気づかされた。これが元凶だったのではないかと....。



父は全く、今でさえ私を守れていない、守らないことに気づいた。

どうやら父が守るのは自分と長男だけらしいと今さらながら気づかされた。

そういった数々の所行とつじつまがあうことが思い出されて新年早々ほんとうに不愉快な思いを味わった。

それはある人が「フェミニズムを学ぶ人やフェミニストは家父長制を嫌うものだが、そういう彼女らは、自分の父親が家父長制というよく出来たシステムに乗っかっただけで(権利と権限を使っただけ)で、ちゃんと家父長としての義務と責任を果たせて来なかった駄目な父親に傷つけられて育った女性であるのが殆どだ。」ということを新年のある講義で指摘されたのがきっかけだった。


私は自分の心の奥底から湧いて来る実家に対する不満不信感と超違和感と自分の父親に対するふがいなさの案件がこの言葉と整合性がありすぎて、その講義先生の千里眼・慧眼には心底敬意を払うとともに「これに該当する者にとっては、ミもフタもない言葉残酷事実を容赦なくつきつけられるものだな....」とヒリヒリと痛み入ったものだ。(こういうのってなんとかして聴く者を傷つけない表現がないものかなと思うが、言ってる人が、フェミニストフェミニズムが嫌いで出来るだけその人口を減らしたい政治力を使いたい確信犯的講演者なのだからボヤいても仕方ないことなんだろね。溜息)


人間は当たっているからこそ、救いようのない痛みの核をえぐり出され指摘される時により傷つくものだな。

人は同じ痛みで二度傷つけられるのだ。(これが一番辛いのでは)


稲葉の白ウサギのように私は傷口に塩を塗られたような感覚を味わいながら、どんよりズシンと重いため息とともに長い電車の道のりで(この時間帯は満員でいつも大阪から京都まで立ちっぱなし)いつになく年末とお正月疲れに輪をかけて疲れて帰ってきた。


もちろん、言った人はわるくないのだ。

自分が気がついた、ただほんとうのことを指摘しただけのことだから。


そして家父長制は今後増々機能をなくしていくだろう。

(こんなシステムを底辺で支えているのあほらしい、いち抜ーけた、という知恵フェミニズム)をつけた女性存在普通になったからだ)


私は、ずっと周遅れで、うちの父に限らず、世の中のほとんどの男が「家父長制の機能にのっかっただけの」「家父長としての義務をきちんと果たさない」「ヘタレ男」ばかりだということに時間と事象のグラデーションを持って気づき始めたばかりだ。

あぁあの時も、そういえば、あそこでも、ここでも、こんなことあんなことがあったと....あちこちでの「違和感エピソード」がこまやかに思い出される



世直しの為か?あえて家父長制カムバックに挑戦する人もいる、しかも立場的に一番きつい血縁間においてそのような経験が全くない人、家父長立場の本当の苦しみなど知る由もない人が主宰し標榜する(まぁ、辛さの経験がないお気楽身分育ちだから、失われた家父長制のメリットしか想像しかできない、だから復興活動が出来るんだわな)「家父長制カムバック」の共同体作りに、わざわざこの自分が積極的に近づき貢献?協力的振る舞いをしたりして必要以上に自分を傷つける必要もないのだとあらためて気づかされた。(そういうのは家父長制ととことん無縁に生きて来た人がやればよいだけのこと)。

誰も自分を守らないのなら自分で自分を守るしかない、と改めて気づく。

(だいたい家父長制って、そこの家長が一番弱き女の立場を率先して守り、みなに役割を平等に塩梅し采配をふるってシステム健康に安定的に維持するなら話が分るけど、実際の現場は、ヘタれな家長によって一番弱き者が守られず、それでも一番気の感応力の高い嫁立場の女が一番まともに搾取され損をし続けるシステムになりさがったからあかんのだ。子産み、子育て家事介護と家という檻の中に閉じ込めて世間から断絶し、女子ども自己実現自分探しなどするのは、もってのほかと禁止する、こういうことを言うオヤジに限って、すでに「自己実現」を果たし、実は若い頃からさんざん人一倍「自分探し」をしまくって現在の地位と名誉を手に入れたオヤジであるものだ。自分以外は支える者であるべきと布教するのがこの手の立場の権力を得始めた者がよくやる最初の段階だ。いっぱい事例を目の辺りで見て来たからね。)


私はただ単に本当は祝福されたかったのだと思う。「父親的なるもの」に....。自分の父親にはそれは望めなかったから、自分が外で見つけた理想の?父親的なるもに、今まで味わてきた不条理、欠落感や溝をなんとか納得いく形でへ理屈でもいいから「意味在ること」として埋めてもらいたかっただけなのかもしれぬ...)と自己分析......(苦笑)


ずっと肝心のエサが与えられない状態で私は「何か」に試され続けている気がする。

長年、同様のエサ(父親的なるものからの祝福)が与えられないことには何か意味があるのかもしれない。

同じ命題をずっとクリアできないでいること、

宿命という言葉意味がこの頃やっと分ってきた気がする。人生でもって....

与えられないことで教化され、何か(神的なるもの?)に導かれるしかないのかもしれない。

一番欲しいものは与えられず、二番目から与えられ、一番はずっとお預けのような気分だ。



だからこそ、今日の会はよかった。

やはり、自分が作って来た基盤を大切に固めようと思った。

私が秘かに暖めてきた長らくの「夢」は中山間の地域を活性化する起業をすること。

もちろん自分が今まで身につけて来た技術を活かして。

人とコラボレーションして。

山間に住む人が都会のマネをしたり追いつこうとするものでは決してなく、中山間ならではの資源を活用した街の人への発信。

それが上手くいけば日本の各地の過疎化地域再生モデル・ケースにもなる。

日本は山から元気にならないといけない。

日本がどこかおかしいのは生命基盤を護ってきた土地から人がいなくなっているからだ。

(国策で木の輸入の自由化を許したから、日本林業家も山も泣いている)

腐敗した政治が、根っこ(山間の手入れをする人)を窮させ、そこを護る人がなくなり消えつつつつあるから、その枝葉、末端の人たち(街の人たち)も、連鎖で当然おかしくなってくるのだ。

いのちは繋がっている。

からだの各部位と同じで繋がっている。

山間地帯を痛めることは都市部がいずれ痛むことと同義だ。

だって山は生命の源、水の源だから。

いのちがおかしくなるから、人がおかしくなるのだ。


こんな感性は「おんな」にしか分らない、とは口が避けても言わない。

(言うと男社会のツケを全部、おんなに尻拭いさせる男と「おとこ女」が必ず出てくるから)


でも、今日、おんなたちの能力の高さに感銘した私は増々、おんなたちに期待をしている。

おとこに喰われないおんなたちを育てたい。

おとこに喰われないおんなの起業をしたい。

そうあらためて思ったのだ。

*1:先週は赤米のおにぎりもあった!^^どちらも古代米(古米や古々米ではないよ)で非常に貴重で、からだにもよいものだ。