個性的な歴史人物画で知られる日本画壇の長老で、文化勲章受章者の片岡球子さんが亡くなった。百三歳だった。
一度見たら忘れられない鮮烈な色彩、大胆な構図に力強い筆遣い。岡山の初春を彩る「院展」岡山会場でおなじみだったが、江戸後期の浮世絵師を描いた「面構(つらがまえ)(鍬形(くわがた)★斎(けいさい))」を最後に、二〇〇六年から出品されなくなり案じていた。
ライフワークとなった「面構」シリーズを始めたのは一九六六年からだ。足利尊氏、葛飾北斎、雪舟…。歴史上の傑物と真正面から対峙(たいじ)し、独自の人間解釈を交えながら内面のエネルギーを描き出した。ほかに「富士山」も画業を代表するシリーズだった。
戦前はアクの強い土俗的な作風がなかなか受け入れられず、「落選の神様」とあだ名されたことも。試練の時代を経験していたころ、日本美術院の大先輩・小林古径に「あんたはゲテモノの絵かきだ。でもゲテモノをやめてはいけない」と励まされ、大きな支えとなった。
札幌市に生まれたが、父は総社市、母は岡山県里庄町出身で岡山とは縁が深い。県立美術館にもオープンを祝って作品三点が寄贈された。飽くなき探求心と不屈の精神力で確固たる独自の世界を確立した。
画壇最長老格として精力的に絵筆を執り続けた姿勢には頭が下がる。日本美術院は小倉遊亀に続き、また一人象徴的存在を失った。
(注) ★はくさかんむりに惠