現代語訳 『稚児之草紙 第五段』
『夜想 15号 特集◎少年』より、『稚児之草紙』の第五段。
『稚児之草紙』
第五段
北山という所に、一念三千の観を学び、五想成身の理念を追求する僧がいられた。この種の人の習慣であるから、情の深い童をお持ちになっていた。その童は心ばえがなだらかで、優美な遊びの類にいたるまで、座を白けさせるような事は無かった。この主の貴人の御愛童であれば、第三者が手を出す筈もなく、ましてや世間に対して御不満なことがあり、公にもまずい事があって、何となく近寄り難く、内々におたずねする御門弟も無かった。そこに未だ年若な僧が、この童に恋をした。ここぞという時を逃さず、ちらりと感づかせようと、心の中では考えているのだけれども、良い機会もなかったので、壁に土を塗った納戸の内にこの童がいつも寝ているのに目をつけ、先に這入って隠れていた。童が何心なく入ると、中には只ならぬ人間の気配が籠っていたので、されは泣き悲しんでいたのかとおかしく、何も知らぬようなふりをして、納戸の入り口の垂れ布をからげて上半身を出し、外にいた幼い召使いとおしゃべりをし、手紙などを読み、並んで寝る風なので、もう気が気ではなくなり、そっと下半身に抱きつくと、童が動く気色もないので、次に尻の谷間を押し分けて、男根を押し当てると、更にびっくりした様子もない。この僧はもとよりこの道の達者だったので、何の苦もなく毛ぎわまで入った。なのに童は幼い召使いと更に話し合い、何事もないようにして過ごした。やがて童はこの僧を、納戸の壁に切板をはめて、そこから常に通って来させたということだ。
一の僧 本当かね
童 けしからぬことだ。一人だけ引き留めるとは、妬ける。
三の僧 つまらない。さあ帰ろう。
僧 一寸お待ちを。こうして翫弄してから、ひっくり反して、突きまくりましょう。
僧 見たってかまうものか。どうしてあげようか。死ぬ。そっとそっと。
僧 これ程美味なるものを、どうやってしゃぶってやろうか。口にももう少し隙間があったら、この良さをお話出来るのに。
童 ああどうしようもない。どうしたら良いのだ。
童 これもたまらないが、ちょっとしょっぱい。
僧 生まれて以来、見ながら行った事は始めて。良いやり方だと思います。おお何と良い形でおいでか。
童 そんなに明るくして(燈火をかざすので)何て騒がしい。何をおっしゃる。
元享元年六月十八日書き写し終わる。
『夜想 15号 特集◎少年』(ペヨトル工房)
「稚児之草紙」 本文紹介 堂本正樹 より
元享元年は西暦1321年、鎌倉時代の末期。
この時代には男色の世界ではオラルセックスは行われていたんだなぁ。江戸期の浮世絵には様々な性行為が描かれているけど(僕が知らないだけなのか?)フェラチオを描いた絵は見たことがなかったので、鎌倉末期のこの絵巻に男色ものとはいえフェラチオシーンが描かれているのはちょっと吃驚した。
現在の目でみればこの「稚児之草紙」は門外不出にする程のものではないように思える。醍醐寺には是非公開してもらいたいものだなぁ。
Oct 16, 2005 11:55:58 PM | Permalink
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