うちの10代は、塀の上を歩いていたようなものだった。
こっちに落ちるか、あっちに落ちるか。
可能性は、いくらでもあったんだよね。
大阪にいた、小学四年生の時の男の担任。富永言うたか?
50前後のおっさん。
どうも、これが
「このままだと、ゆきちゃ君、おかまになっちゃいます」
みたいなことを言ったらしい。
当時、スカートが欲しかったけど、「スカート欲しい」なんて言えなかったから、真ん中が縫われてるからズボンといっしょ、って自分の中で言い訳して、キュロットを手に入れたんですよ。ちょうど、お古を知り合いから知り合いへ渡す中継点になったときに、それを見つけて、母親に「これ欲しい」って言ったんだ。
友達の所に遊びに行く時、それをはいて行って、大笑いされたね。「それ、女の子の服だよ」って。
それ以来、女装恐怖症w
4年生になってすぐ、うちはクラブ活動の選択で、当時好きだった編み物とかができる、手芸クラブを希望したんだけど、これが事実上「女子限定」だったらしく、問題化。「手芸は女子のすることなんだよ。ゆきちゃは男の子だから、手芸クラブには入れない」などなど、すったもんだの末、なぜか将棋クラブへ(T_T)
それまでは、女の子とままごととか人形遊びとか、花の首飾りとかを作って遊んでいたんだけど、その直後あたりから、クラスのガキ大将が、うちを野球に誘ってくるようになった。
これも、担任が「ゆきちゃを野球に誘ってやれ」みたいなことをいったらしい。
彼は、確かにうちを誘った。
でも、「誘った」だけで、「一緒にはやらなかった」。
「ゆきちゃと一緒に野球をやってやれ」とは言わなかったのだろう。
うちは、みんなが野球をやっているのを見ながら、ずーっとたて笛を吹いていた。
そして、両親からは、御飯を作る手伝いをさせてもらえなくなった。料理を作ったり、あれやこれやを。
さらに、歌のテストで、女子は高い部分を裏声で歌っていたのに、男子はみんな「出せない」ってのをアピールしつつ、「ちゃんと歌ってなかった」。ので、うちは裏声を使って、ちゃんと出した。そのとたん、この担任が伴奏を止めて、「男子はその音は出さなくていいんだよ」って笑いながら言った。担任が笑ったから、クラスメート全員が笑った。うちは何がおかしいのかわからなかった。また曲の頭から歌い直し。同じ場所で、また止められた。
「ゆきちゃはおかまか? 男の子はその音は出さなくていいんだよ」
で、クラス中が大爆笑。
うちは、その後、全く歌えなかった。
小学四年生一学期の成績表。
うちの音楽の成績はつかなかった。
理由は、うちが歌を歌うことを拒否したから。
成績が付けられないと。
そこ以外はすべて、5だったのに。
それくらい音楽が好きだったのに、それから歌えなくなった。
小学五年生。
うちは、父親の転勤の関係で、東京に引っ越してきた。
進学意識の高い、新興住宅地。受験戦争真っ只中。
「大阪弁」「泣き虫」「おかまっぽい」
だけなら、それほどでもなかったかもしれないが、
「勉強ができる」
が加わって、一気にいじめの対象に。
まぁ、それで絶望するには、楽観的過ぎたわけなんですけど。
勉強ができるし、みんなの前ではいじめで凹まなかったせいで、男子からはライバル視され続けて、まず好意を持つに至ることができなかったと。
うち自身、男の子を好きになるのはおかしい、ってのは意識してたし。
ここで、うちの戦闘モードに火がともった。
こんなふにゃららな男子なんかに、ぜってーまけねー!
あのまま、東京に出てこなかったら、たぶん、大阪でニューハーフやっていただろうと思う。
中学では、校則で「髪の毛は、前は眉、横は耳、後ろは詰襟にかからない長さ」って決まってたけど、うちは結構伸ばしてた。毎週月曜日、頭髪検査があって、長いと先生に切られてたんだけど、うちだけ不問。
「ゆきちゃは勉強もちゃんとやっているから、いいんだ」
みたいな、余計なことを先生が言ってくれて、「特別扱い」って噂が立って、いじめられたけどね。
どうも、その頃から、先生たちにはバレバレだったらしい。髪の毛くらい、伸ばさせてやろう、ってw
部活は吹奏楽部。女子50人近いなかで、男子1人だけ。担当はクラリネット。
先輩と後輩の受けは良かったけど、同学年女子からは目の敵にされて。演奏中、後ろから「へたくそ」とか声かけられたり、けられたり、譜面台壊されたり、楽譜隠されたりなんてしょっちゅうだったね。
そうそう、歌は、この頃の合唱祭で克服しようとしたんだ。
流浪の民、テノール独唱。
ま、2小節なんですが、それに立候補しまして、市民大ホールで歌いましたよ。
ところが、プレッシャーのせいか、ステージに上がる直前、両耳が全く聞こえなくなって。
すぐ隣の友達の声も聞こえない。
指揮者の指揮と、伴奏者のあたりの雰囲気を頼りに、歌い切りました。
ステージを降りて、客席に戻ってきて、ようやく両耳が聞こえるようになった。
「はずしてなかった?」って聞いたら、「よかったよー」って。
誰も異変に気付かず。
「歌えるじゃん、自分」
で、吹奏楽はいじめで追い出され、合唱部設立に参加することにw
でも、演技の勉強をして、舞台であれこれできるようになるまで、カラオケでは歌えなかったね。今でも、洋楽しか知らないから、あまり歌える歌はないんだけど。
そして、高校受験。
うちは、滑り止めで都内の男子校を受験した。
面接のとき、教頭先生だったんだけど、うちを上から下までじろじろと見て、「うちに入学することになったら、その髪の毛は切ってもらいますけど、いいですか?」って聞かれた。うちは「やです」って答えた。
なんか、受かってた。
あとで聞いたら、どうも、校内で恋愛にからんだいざこざがあって、大問題になっていたらしかった。その危険分子と思われたんだろう。
その時、本命の共学公立校に落ちていたら、男子校になっていたわけで、そうなっていたら、確実にあっちがわだったろうな、と。3年間、男子に囲まれて、操を貫き通す自信はなかったね(笑)
公立校は、校則がとてもゆるゆるで(入学時、生徒会長は腰までの長さのポニーテールをした男子だったw)、恋愛とは無縁ながら、穏やかな日々を過ごしました、と。
……でも、やたらと抱きついてくる友達もいたしなぁ……、あの辺、ちょっと怪しかったかも。
大学入ってからは、腐女子デビューと言いますか、腐女子に言い寄られるようになるわけですが、とりあえず、ここらで終わり、と。