一緒に女の子を目指そう!
テーマ:性同一性障害?なんか、悪いもの食ったか?
みたいなタイトルだけどw
↑な感じでやれば、そういう人が大量につれて、お山の大将(w)気取れるんだろうな、と思うのだが。
どうしても、そういう小さな世界でつるんでどうする、ってのが先に立つ。
小さな世界をシェアしてるんじゃなく、自分の世界を持ち寄ってるだけというか。
自分の周囲に同じような人を集めれば、安心感は得られるだろうけど、いろんなものがどんどんずれていくのに気付けるか、って危険性もはらんでいるし。
一方的に「同じです」ってすり寄られても、鬱陶しいし。
世間とか常識に、無条件に従えとも言わないが、それらを尊重するくらいは、「社会で暮らすには」必要だろう。
なんかなー、親を殴りながら、親に受け入れてくれって駄々こねてる、ガキに見えるんだよな。
親子関係になかったら、普通は通らないよな、そういうのって。
夫婦関係でも通らない。
通らないんです!
大人の女性
一緒に 女の子 を目指そう!
なら、歓迎するけどね。
どうしようか。
ブログのテーマを「一緒に女の子を目指そう!」に変えて、たくさんの人の道を誤らせてやろうか?w
本来なら、うちはこっちの方が性に合ってるんだがね。
薬は大量に飲めば飲むほど、より女性化が進み、声も高くなっていきますとか、嘘八百並べてさ。
しかしまぁ、あちこち覗きに行くと、なんでそんなに生きづらいのかねぇ、と思う。
と同時に、その生きづらさは、本当に体の性別に対する違和感によるものなのか、とも思う。
他人の言葉に乗っかってるだけなんじゃないの? と。
そもそも、あなたのいう、「体の性別に対する違和感」って何? とも。
女の子目指すのはいいんだけど、本当の女性の面倒なところは背負えないわけだから、しょせんただのいいとこどり、義務・責任回避してるだけじゃん? とも思える。
純女さんは、このあたりを「ふざけるな」って感じちゃう部分も多いだろうし。
義務・責任回避すりゃ、プレッシャーから逃れられて、生きづらさは減るだろうけどね。
まぁ、なんだ。その手段をとらなきゃならんのかね? その手段しかないのかね? と。
あと、女性を目指すなら、低劣なカリカチュアにならんようにな、と。
中国の、偽物遊園地の某ネズミの気ぐるみが、「ハーイ、ミ×キーだよ~」って子供と握手しているのを、本物の×ッキーが見たら、どう感じるか。
喧嘩うっとんのか!
と。
うちは、喧嘩売ってるんですけどねw
純女さんの意見も聞きたい。