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天皇と幕屋(メモ)

http://www.makuya.or.jp/hikari/backnumber/S655aks.htm
<軍隊では、「上官の命は、天皇陛下の命と心得よ」、そして天皇陛下のために一身を投げる。そういうところは原始福音の信仰と通じるものがあります。>

http://www.makuya.or.jp/forjapan/teigen/index.htm
<日本には明治天皇のような、天を仰いで政(まつりごと)をなされる英邁な御方がおられました。偉大な人間がその社会を導いているときには、偉大な文明が生まれます。日本においては、明治時代がそうでした。しかし、そうでないときには、みんな知恵を絞って相談しますが、少しも良い社会にはなりません。
 人間、偉大であるということが悪いことだろうか。そう思うと、民主主義に対して大きな疑問をもつのです。そういう民主主義の頭で聖書を読んでもわかりません。
 「日本が民主主義として立派に完成するためには、キリスト教を受け入れる必要がある」という声があります。
 しかし、聖書を読めば読むほど、私はそう思いません。聖書は神本位、神中心の社会ができることを説いているのであって、人民の知恵や常識、考えが通るような社会を考えてはおりません。
 それも、人間が作った原理主義でなく、まず神にすべてを聴いて生きる者たちの社会、国家を造ることが、聖書の国家観、社会観であります。 >

http://www.makuya.or.jp/tv/strmg/index2.htm
<- 尊い歴史の伝承に励まされて -
2月11日は建国記念日です。
 この日はかつて、紀元節として、もっとも大切な祭日のひとつでした。
 しかし、残念なことに最近では、この日が何の祝祭日なのか、知らない人が多くなってきています。
 それは、日本の建国以来の歴史が、正しく教えられていないからではないでしょうか。
 『日本書紀』によると、
 今から2660年前、神武天皇が九州の高天原から、大和の地、現在の奈良県に向かって進まれました。
 そのころの日本は、北から、南から、西から、多くの部族が渡来して住み着き、群雄割拠していました。  天皇は建国の理想を掲げて、さまざまな部族に対し、逆らう者とは戦いもありましたが、共鳴する部族とは、力を合わせて、大和民族の統合を成し遂げました。
 そして、大和の橿原の地に、第1代の天皇として即位されました。 これが紀元節、今の建国の日の起こりです。>

http://www.makuya.or.jp/forjapan/kirisuto/nitobe.htm
<世の風評はどうあれ、昭和天皇は新渡戸先生を深く信頼なさり、幾度か宮中に呼ばれ、アメリカの情勢をお尋ねでした。新渡戸先生は天皇のご意向を受け、日米戦争を回避するためにアメリカに渡り、日本の立場を訴えます。
(略)
 人々から誤解され、中傷されても、「太平洋の橋」としての使命に殉じた新渡戸稲造先生。そこに先駆者としての血の滲む労苦をみます。彼は、「橋は決して一人では架けられない。何世代にも受け継がれてはじめて架けられる」と言って、後代の私たちに夢を託しました。>

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