対象の論理
一般に、認知操作を成功させるためには、対象の思想・文化を徹底的に研究し、あくまで対象の論理を利用しながら、影響力を行使しなければならない。
いつもゴリゴリの教条を前面に押し出すに違いないなどと考えるのも、単なる勘違いである。
【宗教・こころ】露コマロフスキー大阪総領事の出版記念会
1997.02.28 産経新聞夕刊
ロシアのコマロフスキー大阪総領事の出版記念会が二十二日、大阪市内の新阪急ホテルで開かれた=写真。本は『日本文明揺籃の地-ロシア人の見た「奈良」』(善本社)。コマロフスキー氏は一九三三年現ベラルーシ共和国生まれ。モスクワ国立国際関係大卒。五九年ソ連(現ロシア)外務省入り。在日ソ連大使館書記官など通算滞日二十数年になる日本通。日本の歴史・文化・宗教史の造けいが深く、博士号をもつ。
出版記念会には、代表世話人の大川靖則奈良市長、宇野収前関経連会長、日露民間交渉の重鎮である末次一郎安全保障問題研究会代表、宗教者が集う日ロ文化協会会長の山本孝圓天台真盛宗管長らが参加。末次氏は「日本文化の原点である奈良について歴史的、宗教的、文化的な視点からとらえた労作」と出版を祝い、パノフ駐日ロシア大使も「本は日本文化に対する畏敬と愛情に貫かれ、日ロの信頼醸成に貢献している」と祝辞を寄せた。
コマロフスキー氏はこう挨拶した。
「日露両国民はもっと親密にならなければならない。進展させるには信頼が必要であり相手の文化を知ることが大切だ。この本を最初ロシアで出版したのは日本の文化を通じて日本に愛情をもってもらいたかったのと、奈良を通して歴史に対する尊敬と知識がどれほど大事かをロシア国民に知ってもらいたかったからです。過去なくして現在も未来もない。自国の歴史を尊敬しない人は国民と名づけるに値しない。そのことをロシア国民にぜひ伝えたかった。しかし、他人の目を通して自国のことを振り返るのはいいことです。今回の出版に際しご協力をいただいた皆様に心から感謝します」
コマロフスキー氏はスベトラーナ夫人の労をねぎらい、会場には神道、仏教、天理教など宗教者が多数激励に駆けつけた。
【宗教・こころ】神道・生活すべて貫く コマロフスキー在阪ロシア総領事
1995.04.21 産経新聞夕刊
オウム真理教の騒ぎをよそに腰を落ち着け、日本の宗教研究を続けるロシア外交官がいる。在大阪ロシア総領事館のゲオルギー・E・コマロフスキー総領事兼臨時公使(六二)。同氏は地下鉄サリン事件は「大変な殺人事件だ」と顔を曇らせつつ、「日本の宗教で一番重要な点は祖先崇拝と自然崇拝で、これが神道の本質だ。日本の宗教・生活のすべてを貫いている」と宗教学者顔負けの神道論を展開し、日露両国の文化交流の必要性を指摘してやまない。
(編集委員 佐伯浩明)
大阪・豊中市の総領事館。コマロフスキー氏は地下鉄サリン事件について「事件では関係ない市民が亡くなって残念です。東京の平和な社会が乱され同情申し上げたい。大変な殺人事件であります」とお悔やみを述べた。
コマロフスキー氏は一九三三年ミンスク市生まれ、モスクワ国立国際関係大学・大学院で日本歴史・文化・宗教を専攻した歴史学博士だ。五九年ソ連外務省入り。在日ソ連大使館参事官、ソ連(後ロシア)外務省第二アジア・太平洋局上級参事官、九三年大阪ロシア総領事に就任。
同氏が日本の宗教に引かれたのは一九六二年(昭和三十七年)秋、愛知県の荒子観音寺で「円空上人の仏像に魅せられて」からだ。氏は円空仏について「仏教をわからない人間にも実によくわかった。円空は日本各地の百姓の中を歩いて、彼らの素朴な喜びや悲しみをそのまま簡潔に木に彫りこんでいった」(昭和五十二年四月二五日の朝日新聞朝刊)と解説している。
ついに『円空聖人仏像五千体』を著し、他に『奈良』『神々の道-日本の歴史における神道』などの著書がある。
コマロフスキー氏は日本の神社仏閣を探索・研究し次のような結論に達した。
「日本人は宗教に無関心といわれるが、賛成しない。日本人の宗教心は欧露や中近東の宗教の性質とは違う。日本人の宗教心は、神崎宣武の著書『神さま、仏さま、ご先祖さま』の題名に示されている。神様と仏教がうまく結び付いた。重要なのは先祖崇拝と自然崇拝で、これが神道の本質であり、日本の宗教・生活のすべてを貫いている」
赤ちゃんの生後三十二日の「初宮参り」、「七五三の祝い」、大学受験での「天神さま詣で」、結婚は「神前結婚」という具合だと指摘する。
同氏は「宗教的儀式は身近で、重要なことは神道を通じて、自分の祖国、土地が結びつき、その気待ちはとても強い。外国人にはわからないことだ。例えば仏教は日本で神道化したが、インドの仏教に祖先崇拝はない」と語る。
同氏の考察は日露文化比較論にまで及ぶ。
「日本は外来仏教と神道の対立は長くは続かず、すぐ平和的共存に入った。一方、ロシアは十世紀末まで太陽神、雷神など自然の神々がいたが、東方正教会が入ると、キエフの市民をドネポル川で洗礼させ、ロシアの神々の肖像を集めて焼き捨てさせ、昔と一切、縁を切らせた。その時から日露の歴史は違ったモデルになった」という。
また「日本人は和魂洋才。第二次大戦後は和魂米才。自分の心を持ちながら、渡来文化を付け加え自分のものにし文化を非常に豊かにした。一方、ロシアは古いものを破壊し全く新しいものを作った。ボルシェビキ革命もその一環だ。ロシア人は極端に偏るが、日本人は中道、中庸。非常に寛容で寛大だ」と語る。
江戸城明け渡しをめぐる幕臣の勝海舟と、官軍総大将の西郷隆盛の話し合いは、無用の国内戦争を避け、江戸市民を戦火から守った象徴的逸話だが、そこに日本人の寛容の精神を見て取る同氏は「よく研究したい例だ。日露両国の文化・歴史の紹介は不十分だ。友好親善のために必要なことはお互いの文化・歴史をよく知ることだ。日本のロシア文化理解も、ロシアの対日理解もまだ浅い」という。