Print this Post Article Lists Back

「仏国寺多宝塔の遺物は日本にある」(下)

◆多宝塔の重修記がなぜ釈迦塔にあるのか

 23日の発表時、討論を受け持つ韓国技術教育大のチョン・ジェヨン教授も、「両研究者の主張に同意する」と語った。しかし、▲なぜ多宝塔の重修記を釈迦塔に納めたのか▲1024年の記録に見える無垢浄経が小倉の所蔵品にないのはなぜか、などの点は未知数だ。チェ教授とハン研究員は、「国立中央博物館が中間発表時に判読文で既に明らかにしたように、釈迦塔から発見された1024年の記録も、実際には寺で保管中だったものを1038年に書き写した後で納めた。釈迦塔を1038年に補修する際、それ以前に行われていた多宝塔補修工事を参考にしたことを知らせるために納めたものとみられる」と語った。

■墨書紙片

 1966年に釈迦塔で発見された金銅製舎利外函の底に納められていた。発見当時、紙が餅のように一塊になっており、「黒い字を書いた紙切れ」という意味の「墨書紙片」と呼ばれるようになった。発見以降現在まで、国立中央博物館で保管されている。学者らはそれまで、釈迦塔は西暦8世紀半ばに建てられた後、1度も補修されたことがないと考えていた。このため、金銅製舎利外函から発見された無垢浄光陀羅尼経も、8世紀半ば以前に作られた世界最古の木版印刷物と見なしていた。

 1990年代に入り、国立中央博物館は墨書紙片に対する調査を開始したが、「釈迦塔を高麗時代に建て直した」という記録が見つかるとすぐ、秘密にしたまま研究を中断した。2005年9月、メディアを通じ遅まきながらこの事実が知れ渡った。

 昨年3月9日、墨書紙片の内容を根拠として無垢浄光陀羅尼経の製作時期を確実に知ることはできない、と本紙が報道するや、発見41年目にして本格的な判読作業に乗り出した。国立中央博物館は昨年10月28日、墨書紙片の判読文を全面公開した。

慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
このページのトップに戻る