「美濃のやきもの、とりわけ志野は清潔で品がある」「目に映るふくよかな優しさと、掌にしっとりおさまる柔らかな感触。それがかもす味わいが志野の身上だろう」。
備前焼の人間国宝だった藤原啓氏は自著「土のぬくもり」の中で志野の魅力をこう表した。その「志野」と「瀬戸黒」の両技法で最初の人間国宝に認定されたのが荒川豊蔵氏(一九八五年没)。文化勲章にも輝いた近代陶芸界の巨匠である。
岐阜県の古窯跡で桃山茶陶・志野の陶片を発見したのが七十八年前。制作地が愛知県の瀬戸でなく美濃であることを実証する画期的な出来事だった。以来、桃山陶の再現に心血を注ぎ、独自の陶境を深めていく。
その足跡を集大成した回顧展が岡山県立美術館で始まった。白い釉(ゆう)調にほんのりと緋(ひ)色が浮かぶ志野、凛(りん)とした力強さを秘めた瀬戸黒。温雅にして豪快な風格が漂う。絵付けや文人画風の墨彩画にみるのびやかな絵画表現も目を見張る。
岡山とも浅からぬ縁があった。川喜田半泥子の引き合わせで、備前焼の人間国宝だった金重陶陽氏らと「からひね会」を結成、親交を深めた。備前など他の窯場との交流から生まれた多彩な作品も魅力を伝える。
仕事には厳しく謙虚な人だったという。何事も縁のおかげと「随縁」を座右の銘とした。長い人生の哀歓とその妙趣をかみしめてのことだったのだろう。