フッ素が虫歯の予防に効き目があることは、歯みがき粉のCMなどで周知の通りだ。仁尾町の仁尾小学校は、このフッ素入りの水で子供たちが「ぶくぶく」を重ね、見事、本年度の「よい歯の学校日本一」に輝いた。なら、水道水に混ぜれば、地域から虫歯が一掃できると考えても不思議でない。現に、外国では三十八もの国がフッ素入りの水道を使い、効果を上げているという。ところが、日本ではそう簡単にいかない。なぜか。そんなことを考える講演会が十日、善通寺市の香川小児病院で開かれた。会場は超満員。そんなに関心が高いのならと、今週のテーマに据えた。インタビューした小林清吾日大教授は、その講演会のメーン講師だ。

毎週木曜日、教室に流れる音楽に合わせて一分間のうがいをする―。本年度の「よい歯の学校日本一」に選ばれた仁尾小学校で三年前から続いている習慣だ。
使うのはフッ素(フッ化ナトリウム)の水溶液。「保護者の了解を得て、ほとんどの児童が実施しています。短期間で虫歯が激減したのは、フッ素洗口のおかげですね」。岩倉道夫校長は、その著しい効果を指摘する。
●予防が先決
日本一は虫歯の本数だけでなく、その取り組みもポイントになる。同校では給食後の歯磨きのほか、月に一度は歯科衛生士がブラッシングを指導。さらに一人ひとり口腔(こうくう)写真を撮り、保護者にも歯科保健指導をするなど地域ぐるみの活動を続けてきた。
だが、効果が大きいのはやはり週一回のフッ素洗口。それは数字にも、はっきりと表れている。導入した平成八年に二・七五本だった六年生の虫歯の数(治療済みも含む)は、今年は一・〇二本と半分以下に急減。全児童の八割は永久歯に虫歯がなくなった。
こうした活動の推進役となったのが、学校歯科医の浪越建男さん(40)だ。
「八十歳で四、五本」という悲惨な現状を踏まえ、浪越さんは「子供たちがお年寄りになっても歯を残してやりたい。それには、二十歳までに虫歯にしないことが大切」と訴える。
虫歯は治療しても再発しやすい。できるだけ予防することが肝心。そのために有効なのがフッ素という。「フッ素を使えば確実に、効果的に、すべての子供たちの虫歯を減らすことができます」。
●利用は限定的
なぜ、フッ素が虫歯予防に効果があるのだろうか。
「むし歯とキッパリ別れる本」(早稲田出版)の著者の一人、三豊総合病院の木村年秀歯科保健センター医長は、こう説明する。
「フッ素はもともと天然の元素の一つで、ほとんどの食品に含まれるが、適度な使用は、酸で溶け出した歯の再石灰化を促進させるんです」
特に効果が大きいのは中学生までの子供。生えて数年の「新しい歯」が最も虫歯になりやすいため、予防が重要となるわけだ。
こうした点から県内でもフッ素の利用は徐々に広まりつつある。
先進地の仁尾町では、すべての幼稚園、小、中学校でフッ素洗口を実施しているが、来年からは保育所にも輪を広げる。
県教委保健体育課によると、県内の小学校二百八校のうち、フッ素洗口を取り入れているのは二十二校。小豆郡(八校)と三豊郡(六校)が多く、中学校では二校が実施している。
また、高松市は保健センターなどで「歯の健康教室」の際に、希望者へのフッ素塗布を続けている。
しかし、利用は依然限定的でしかない。「虫歯予防は子供だけの問題ではない。簡単に、多くの人に効果を上げるには諸外国のように水道水に添加することも考えるべきです」と木村医長は指摘する。
●世界に遅れる
実は、日本は先進国の中で最も虫歯の数が多い。
世界保健機関(WHO)のデータによると、日本の十二歳児の虫歯の数は三・六本(九三年調査)。これに対し、米国は一・四本(九一年)、英国一・一本(九七年)、オーストラリア一・一本(九三年)。かつて日本より多かったイタリアやフィンランド、ニュージーランドも急激に数を減らしている。
日本も減少傾向にあるが、WHOが掲げる三・〇本の目標に到達していない(今年の文部省調査では二・九本)。世界でも有数の「虫歯大国」だ。
「世界と日本の差は、フッ素をうまく利用しているかどうか」と木村医長。虫歯の数を比較したグラフを見ると対策の差がくっきりと浮かび上がる。
米国や英国など三十八カ国は水道水にフッ素を添加しており、スイスやフランスのように食塩に混ぜたり、錠剤として普及している国もある。加熱しても壊れないため、水や塩に添加すれば自然に無理なく取れるというわけだ。
フッ素の利用は、いわば「世界の常識」。だが、日本で水道水に添加している自治体は一カ所もない。
浪越さんは、そんな現状が歯がゆくてならない。「フッ素の安全性は世界中で確認されているのに、日本では一向に利用が進まない。対策が遅れれば、遅れるほど虫歯の子供は増えてしまうんですよ」。

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虫歯予防のためフッ素でうがいをする子供たち。その効果は世界の常識だが、日本では導入が進んでいない=仁尾小学校
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「水その他の源泉からのフッ化物摂取量が、公衆衛生上立証された最適水準に達していない場合は、水道供給事業にフッ素添加を導入する可能性を検討し、実行可能な場合はこれを導入すること」
これはWHOが一九六九年に日本を含む加盟国に出した勧告文の一部。以来、七五年、七八年と同様の勧告が出されている。が、日本ではいまだに水道水フッ素化の動きはない。
●適量の10分の1
日本の水道水におけるフッ素濃度は、水道法の水質基準に定められている。その数値は「〇・八ppm以下」。
数字だけを見ると、WHOが目安とする最適水準一・〇ppmとあまり変わりはないが、「問題は世界各国が虫歯予防に有効な『適量』としてフッ素濃度を定めているのに対し、日本の水質基準は濃度の『上限』。つまり、有害物として規制していることにある」と、水道水フッ素化に取り組む研究者はいう。
実際、県内五市の水道水を見ても、フッ素濃度が一番高いのは観音寺市の〇・二ppm。平均では〇・一ppm以下で、“世界水準”の十分の一に満たない。
「安全な水を安定供給するという法の趣旨からすれば、フッ素などの不純物は限りなくゼロに近い方がいいのは明らか」と県や市の水質管理担当者は口をそろえる。
なぜ、フッ素はそれほど嫌われるのか。その背景には、過去に宝塚市や愛知県の犬山市などで起きた斑(はん)状歯問題が暗い影を落としている。
●フッ素=毒
宝塚では、昭和三十年代から四十年代にかけて高濃度のフッ素を含む水道水を飲んだ市民に、歯の表面に白斑などができる「斑状歯」が高頻度で発生。行政に損害賠償を求めた経緯がある。この時、フッ素=毒という心理的イメージが強烈に焼き付けられたという。
「斑状歯が起こる可能性がある以上、そういった危険を冒す必要はない。虫歯予防のために水道があるわけではない」。厚生省水質管理室の答えは明快だ。
さらに、安全性を懸念する専門家の声も追い打ちをかける。
日本大学の田村豊幸名誉教授(薬理学)は、フッ素の虫歯予防効果を認めながらも、「カルシウム不足の人が摂取すると体内のカルシウムのバランスが崩れ、消炎機能が低下する恐れがある」と指摘。「フッ素は発がん性もある。他に虫歯予防の方法があるなら、あえて有害物を取る必要はない」と警鐘を鳴らす。
●世界が推奨
これに対し、推進派の日本大学松戸歯学部、小林清吾教授は「過剰量のフッ素は確かに毒だが、健康に必要な塩や鉄、酸素でさえ取り過ぎれば害がある。斑状歯やカルシウム、発がん性についても適正量のフッ素なら人体への影響はない」と反論。
逆に「安全性に懸念があるものをなぜ、WHOをはじめ世界百五十の専門機関が推奨するのか」と疑問を投げ掛ける。
では、歯科衛生行政のトップの見解はどうか。
「斑状歯は審美(見た目)的な問題もあり、適正なフッ素濃度を決めるのは難しいが、安全性を危ぐしているわけではない。米国にも日本人はいる。米国では安全で日本では危険という考えは成り立たない」。厚生省歯科保健課の回答は歯切れが悪い。
同じ官庁の中でも立場が違えば、互いの調整もままならない「水道管理」と「歯科衛生」。過去の不幸なイメージから問題の本質の議論を避けてきた行政の姿が見て取れる。
安全論争をよそに、マーケットではフッ素入り歯磨き剤が全体の七割を占めるほどに成長。小児用に至ってはほぼ一〇〇%に達したともいわれている。フッ素の効果に対する国民の期待は高まってきている。
「寝たきりの人でも水を飲むだけで虫歯が防げるのが水道水フッ素化。だれもが小さな努力で確かな効果が得られる。何が優先するかを行政は示すべきだ」と小林教授。
水道水フッ素化は安全か否か。行政には、判断材料となる情報を提供し、国民的議論を深める努力が求められている。

医学界の支援がカギ
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こばやし・せいご 新潟大歯学部卒。長崎大、新潟大助教授などを経て、10年から現職。日本口腔衛生学会幹事などとしてフッ素の応用に力を入れている。著書に「フッ化物応用と健康」など。新潟県出身、53歳。 |
―フッ素利用の安全性や効果について、歯科学界の現状は。
小林 主学会の日本口腔衛生学会では、一貫として推進の立場だ。昭和五十七年、「責任を持って推奨する」との見解を発表し、継続的に取り組んでいる。
―専門学会が推奨してなぜ、「定説」にならない。
小林 歯科の最大の団体は日本歯科医学会。ここでようやく検討委の作業が始まった段階。今月中に最終報告がまとまる。学会としての見解を世に問う大きな機会になる。
―歯科学界がようやく動き始めたと。
小林 不十分だが、変わり目にきた。学問的レベルでは、「安全で効果あり」が一貫した流れだったが、実社会でポリティカルな面にかかわると、トーンダウンしていた。
―なぜ。
小林 歯の病気への日本人の考え方が特殊だ。虫歯は治療すれば元に戻ると考える。予防教育がない。日本人の予防受診率は数%。米国、オーストラリアなどは五〇%以上だ。
―でも、一日一回歯を磨く率は世界一とも聞く。
小林 予防意識がないのではない。それが根本的な予防対策に結び付かないのは、行政のシステムに問題がある。縦割りとか、官庁の幹部に、歯科医師が少ないとか。
―香川県庁にも歯科医師はいない。
小林 厚生省も歯科保健課長以上の立場にいない。歴史的理由がある。東大、京大、慶大。国を代表する医学部のある総合大学に歯学部がない。
―歯科の軽視と。
小林 そうだ。必然的に政策決定に歯科医師がかかわりにくい。
―開業医も積極的でないと聞く。
小林 歯医者の多くが予防の進展を不安視している。学生の中には「歯医者がこんなにひしめき合っているのに」とリポートに書く者もいる。でも、疾病構造を変えると、歯科医が要らなくなるのではない。予防効果が上がれば、仕事は広がる。米国では、歯科医師の増収が医師をしのいでいる。
―水道水へのフッ素添加は、市町の抵抗が根強い。毒性への懸念などで。
小林 安全性が心配ならWHOなど世界の百五十もの専門保健機関が推奨するわけがない。安全性の根拠について、フッ素以上に調べられたものはない。
―外国となぜ違う。
小林 最大の原因は、医学界だ。口腔衛生学会が大丈夫といっても、がんや先天異常、アレルギー、免疫の問題などに関し、歯科医の発言は重くない。
―医学界がカギを握る。
小林 そうだ。主は歯科医学会だが、必要条件。十分条件になるには医学界の参加が必要だ。現状は無関心だが。
―でも、今回の来県は香川小児病院の呼び掛けだ。
小林 目が飛び出るほどびっくりした。初めて。今後の展開が楽しみだ。
―最終的には、水道法の改正が必要だ。
小林 現行法の心は、排除。「〇・一ppm以上なくてはいけない」という残留塩素のように、適正濃度を示すことが最終段階で必要だ。
―適正量の調整は技術的に簡単か。
小林 簡単だ。ロスの浄水場などは、どんな幅の設定も自在だ。
―コストは。
小林 年間一人十セントがランニングコスト。設備投資は十年償却とすれば、年平均五十五セント。米国のうたい文句は「年間コストはキャンデー一個、生涯で虫歯一本の治療費」。効率はいい。味もにおいも変わらない。
―最後に、夢を。
小林 日本を良い歯の世界一にしたい。フッ素に対する意識さえ変えれば、社会環境などを考えても素質は十分だ。
古田忠弘、大西正明、山下淳二が担当しました。
(1999年12月20日四国新聞掲載) 
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