2007年11月21日 (水)視点・論点 「クルド人とは」
ジャーナリスト 勝又郁子
少し古い映画の話になりますが、1982年に作られたユルマズ・ギュネイ監督の「路」という作品があります。トルコの刑務所から仮出所して故郷に帰る囚人たちの話です。主人公の一人が戻った村ではトルコ軍と反政府運動を続けるクルド人の戦闘が頻発しており、いよいよ刑務所に戻る日が来たとき、彼はゲリラとして村を去っていきます。この映画の中に、クルド人が、シリアとの国境を前に、「見えているのに、越えることができない」とつぶやく場面があります。
もう少し新しいところでは、バフマン・ゴバディ監督の「酔っぱらった馬の時間」という映画が、イラン・イラクの危険な国境貿易にたずさわるクルド人の子供を描いています。
ヨーロッパでは、クルド人がたくさん暮らしていることもあって、クルド映画の上映はかなりの数にのぼりますが、そうした映画のテーマや重要なシーンによく取りあげられるのが「国境」です。
クルド人は、おおざっぱに言うと、トルコ・シリア・イラク・イランの国境にまたがる山岳地帯に暮らしており、その地域はクルディスタンと呼ばれます。言い換えると、アラブ、ペルシャ、トルコという中東の三大民族にとり囲まれるような土地に、クルド人が暮らしています。そのことが、民族の歴史を厳しいものにしてきました。
この地域が大きく変動したのは、オスマン帝国が崩壊したときです。帝国の時代が終わり、20世紀は民族の時代を迎えました。しかし、新たな世界秩序が作られていく中で、クルド人に民族の自決は認められなかったのです。セーブル条約は、クルド人に独立を前提とする自治を認めましたが、それに代わって締結されたローザンヌ条約にクルドの独立への言及はありませんでした。独立は幻に終わりました。第二次世界大戦直後、イランにマハーバード共和国というクルドの独立国家が宣言されましたが、1年足らずで崩壊しました。
独立や民族の権利を求めるクルドの闘争は、戦っては敗れ、敗れては立ちあがることの繰り返しです。そこには、冷戦構造やイラン・イラク戦争など、その時々の国際情勢が民族の運命を翻弄するように覆い被さってきました。クルド人の間には、「クルドに友はいない。この山々を除いては」という哀しい言葉があります。
大きな転機が訪れたのは、湾岸戦争直後、イラクのフセイン政権に対して起きた民衆蜂起でした。民衆蜂起は失敗し、国境地帯に避難民が押し寄せます。世界中のメディアがそれを伝え、クルドを救え、という国際世論が沸き起こりました。そして、多国籍軍や国際機関、NGOの支援を受けながら、クルドの自治が始まったのです。
その後、何度も危機を乗り越えて、この自治区が「ミニ国家」とまで呼ばれるようになった90年代末、指導者のタラバーニさんは私に、「自治は、将来の民主的なイラクの実験場だ」と言いました。タラバーニさんは、現在の、イラクの大統領です。サーレハ副首相も、ジバリ外相も、みな、民族闘争に身を捧げてきたクルド人です。
民族の名の下に戦った人の多くが武器を置き、家族の元に戻りました。私はよく、年輩の方を訪ねて昔話をしてもらうのですが、そういうときには、子供や孫も集まってきて、一緒に耳を傾けます。
イラクの憲法によって、正式に、「連邦地域」として認められたクルディスタンは、今、復興経済の活況に沸いています。国際空港ができ、大規模な都市再開発で、真っ青な空にはいくつものクレーンが聳え、力強いうなりをあげています。建設現場では、クルド人もアラブ人もトルコ人も一緒に、汗まみれになって働いています。そこには、黄色い太陽が描かれたクルド民族の旗が翻っています。
その一方で、貧富の差が広がり、社会問題の一つになっています。また、テロや暴力が吹き荒れるイラクの他の地域からクルディスタン地域に逃れてきた人の数は15万人とも言われ、こうした国内避難民は厳しい生活環境から抜け出すことができていません。
逆に、現在の地域政府の支配下にないキルクークには、旧政権のもとで強制移住させられたクルド人たちが戻っていますが、テント暮らしを余儀なくされている人もたくさんいます。
このキルクークをクルディスタン地域に編入するかどうかを問う住民投票は今年の暮れまでに行われることになっていますが、この地域に大きな油田もあるだけに、民族間の対立が一層激しく、解決は難しい情勢です。
隣のトルコでも、クルド人を巡る環境は大きく変化しています。湾岸戦争のあと、それまでクルド民族の存在すら否定してきたトルコのオザル大統領が、「私にもクルドの血が流れている」と発言して、タブーを破ったのです。その後の政治的な取り組みには波がありましたが、現政権のもとで大きな前進をみせています。背景には、EU加盟をめざす政府が、民主的な改革に力を入れている、ということもあります。クルド人の政治活動や文化活動の自由が、着実に、認められるようになってきています。
そうしたなかで、最近、トルコとイラクの国境で軍事的な緊張が高まりました。イラクのクルディスタン地域に拠点をもつトルコのクルド武装組織PKKを攻撃するために、トルコが大規模な越境作戦を行う構えをみせたのです。トルコに自制を求める外交努力もあって、当面の危機は避けられそうです。
しかし、トルコはイラクのクルド指導者がPKKを直接・間接に支援していると批判し、軍事力だけではなく、経済的な締め付けも検討しています。
クルディスタン地域は「イラクの中の別天地」と言われるように、比較的治安もよく、復興も進んでいますが、肝心の電力や燃料、建築資材から日用品まで、多くをトルコからの輸入に頼っています。国境を越えて物資を運んでくるトラックの運転手は、多くがトルコのクルド人です。彼らの間には、トルコの国民、イラクの国民といった違いより、むしろ同じクルド人という同胞意識が強く、言葉も同じクルド語ですから、それだけに商売もスムースです。
こうしたクルド人の連帯意識は、トルコにとって非常に危険な民族主義と映ります。それは、クルド人を内包するイランやシリアにとっても同じです。
私は、クルド人が現在ある国境線を打ち壊して、独立に走るとは考えていません。国境の線引きを変える、ということがどんなに危険かを、クルド人はその歴史を通じて知っています。海への出口をもたないクルディスタンは、周囲の国との良好な関係がなければ、陸の孤島になってしまいます。
イラクについて言えば、欧米には、国際的な管理の元で、イラクのクルディスタン地域を切り離して独立させる、という考えもあります。周辺の国境線は変わらないわけですが、それでも、当事者や周辺国、アメリカの信頼関係や、国連の指導力が前提であることは言うまでもありません。それらは、クルド問題だけでなく、この地域に起きている様々な問題において欠けていることなのです。
投稿者:管理人 | 投稿時間:23:06