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校長の挨拶  

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2003年3月1日卒業式
2002年4月9日入学式
2001年4月10日入学式
2000年4月8日 始業式
2000年4月5日入学式
1999年4月5日入学式
 
 
●2003年3月1日 卒業式●
 

 ご卒業おめでとうございます。

 現在の世の中は、国際的には大きな争いがあります。それでも皆さんが卒業する2003年という年は、すばらしくわくわくするような時代であると思います。なぜならば、この21世紀は皆さんのものであり、自分の夢を成し遂げるたくさんのChanceがあるからです。絵にたとえるなら、今は真っ白なキャンパスに向かっている状態です。

 オビリンを卒業してオビリンナーとなる皆さんに、お願いしたいことがあります。これからの新しい生活の中で、毎日やりたいことがたくさんあるでしょう。または、人生の定年に向かっての貯金をしようと考えることもあるでしょう。しかし、この他に皆さんでなければやれないような何かをやって欲しいと思います。特に私は大きな期待をしています。

 2002年度の卒業生である皆さんには、ぜひ、オビリンに関係する偉大な人々と同じような人になって欲しいです。すなわち、清水安三、賀川豊彦、ウイリアム・ボーリス、清水郁子といったような人々と同じような人が、皆さんの中から出てくることを期待しています。

 清水安三先生がかつてオビリンの短大で英語を教えていた当時、「Mustard seed in Japan」すなわち「日本における からしだね」という本を授業で使っていました。この小さな本は、ボーリス先生が書いたものです。卒業するにあたり、ボーリス先生について、もう少し知って欲しいと思います。聖書に出てくる「からしだね」は、とても小さなものですが、生きて成長し続けると、3メートルも4メートルも大きくなります。そしてそこには生き物も住みつくようになります。「からしだね」と同じように神に対して少しでも信頼があれば、それが根をはり、やがて大きく成長します。そしてこの信頼があれば偉大なことが達成できます。ボーリス先生はこのような信頼を持っていました。何もない、いわゆる「無」から驚くほど色々なことを成し遂げました。

 3学期の始業式でもボーリス先生のことを、少し紹介しましたが、チャペルの中にも、彼の写真が飾ってあります。創立者、清水安三先生にとって、最も影響を与えた人であると思います。安三先生が若いころキリスト教と出会い、信仰の道に入ったのは、ボーリス先生からのすすめでした。安三先生が中国に行き、多くの活動をしたのも、ボーリス先生からの影響でした。ひとことで言えば、ボーリス先生は「創立者の父」といえるでしょう。

 さて、ボーリス先生の「偉大さ」とは何でしょうか?それについて3つあげることができます。第1にキリスト教に関心のなかった、いや、むしろ反発さえしていた小さな村の中でキリスト教を伝えていきました。村では、若い人々を自分の家に招いてキリスト教と英語を紹介し丁寧に教えました。第2にキリスト教を布教するには資金が必要でしたが、お金をアメリカからの援助に求めないで、その代わりに3つの事業をはじめました。一つは建築の会社、もう一つはメンソレータムのような薬の会社です。3つ目は宗教と福祉のための慈善事業をおこしました。これらの事業の利益はほとんどがキリスト教の活動や病院・教会・学校の建設など慈善的な活動に使われました。今日でも、彼が創設した、「近江兄弟社」の事業は、全国的に知られています。

 卒業するにあたり、皆さんに、ぜひ覚えておいて欲しいことがあります。ボーリス先生はとても若いころから、多くの事業に取り組んできました。その中で彼の行動には、次のようなことが常にありました。「自分の仕事への勤勉さ」「日本人に対する愛情」そして「神に対する信頼」です。ウィリアム・ボーリス先生は私たちにとって尊敬すべき先生であり、日本におけるキリスト教の伝道者でもありました。あなた方も信仰を持って努力すれば、偉大なことを達成することができるでしょう。

 今日、皆さんにお話しした「からしだね」の話とウィリアム・ボールド先生の話を忘れないでください。これがオビリンスピリットの原点です。この精神を皆さんの人生の中でぜひ活かしてください。
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●2002年4月9日 入学式●
 
−SOMEDAY I WILL−

 入学おめでとうございます!
 有名な歴史学者のArnold Toynbee教授は人間の歴史には3つの段階があると言っています。第1の段階は、私達が知っている歴史の前の時代です。この時代を先史時代と呼んでいます。その時代では communication は極端に遅く、知識はとてもゆっくりと進んでいました。その時代では、すべての新しい発展が、次の発展の前に広まるまでに、ずいぶんと時間がかかりました。従って、全ての人間社会は、それぞれ同時に発展し、共通した多くの特色をもっていました。

 第2段階では、知識は、それを広める手段よりはるかに早い割合で発展しました。その結果、あらゆる領域において人間社会はそれぞれ、ますます異なったかたちで発展するようになりました。たとえば、ある土地に国がおこり、政府や軍隊もできてきました。この段階は、数千年間続き、私達はこの時期を歴史と呼ぶことができます。
 
つい最近になって、第3番目の段階が始まりました。ここでは知識はとても早く進んでいますが、それ以上に知識の普及の方がいっそう早く進んでいます。その結果、人間社会はますます、お互いに似てくるようになる傾向にあります。作家である Amin Maalouf 先生は「私達は信じられない早さでイメージや考えを交換しあい、その結果、それが私達の知識・理解・行動にすばやい変化をもたらす」と言っています。

 それはまた、自分自身に対する考え方や、国に対する忠実さ、自分の個性までも変えてしまうことにもなります。携帯電話を見てください。わたしたちがついていけないたくさんの機能があります。また、あなたのコンピュータは、あなたが想像している以上の機能をもっています。そして来年には、その倍ぐらいの機能をもつことになるでしょう。

 テレビや internet からくる情報には、ひとつ大きな問題があります。その情報が、その多くはわれわれに、小さな情報として届きます。その小さな情報とは、全体を語っていない、不完全な情報です。英語でいうと soundbite 。テレビから得るものはしばしば、 fast food に似ています。 fast food によりわたしたちの胃袋は一応満腹感を感じますが、十分な栄養ではなく、本当の満足ではありません。

 今の世界では、それが必要なのかもしれません。しかしみなさんは、本も必要であることを覚えておいてください。

 私は最近素晴らしい映画を見ました。わたしには、この5年間、映画を見る時間があまりありませんでした。しかし、この映画は本当に素晴らしいものでした。英語の題は、 「Brother Where Art Thou ?」 この物語は、どこからきたのか知っていますか?それは、古代ギリシャの Homer の Odyssey からきています。

 みなさん、偉大な映画や偉大な芸術、または、偉大な音楽の歌詞はどこからきているのでしょうか?それらはしばしば、偉大な本からきています。そこで、みなさんが、よい本を読まないと、 creative な人になるのが難しいということがわかるでしょう。といっても、みなさんは、いまの high speed な時代では、本ばかり読んでいてもだめですよ。どうぞ、 high speed の新しい技術を楽しんで、上手に使ってください。これが、 fast food technology のことです。

 しつこくなりますが、もう少し本の話をさせてくだい。本を読む時、それはよい食事のようなものです。準備と、調理に時間がかかります。本を理解するのには、努力が必要です。もし、本を最後まで読む努力をすれば、大変満足でき、自分で料理したりっぱなごちそうを食べたのと同じことになります。どうぞ!読んでください。そして次のことを覚えておいてください! 高い質の input なくしては高い質の output はあり得ません。次の言葉をよく聞いてください。
『みなさんの世界への窓は、いつ、どこからあらわれてくるかわかりません。しかし、それが本からの夢と、美しい言葉からきていることを確信しています。』

 この言葉は、だれが言っているのでしょう!有名な哲学者ではありません。それは、とんでもない野生的なrock and roll singerです。その人は Jimmy Buffett といいます。わたしは彼の歌が大好きです。彼の歌は偉大な文学にもとづいています。しかし、彼のすべての歌が偉大だというわけではありません。中にはかなり下品なものもあります。

  Jimmy はよく本を読んでいます。それが、彼の歌の詩が多くの pop と違って意味深いものになっている理由です。大変有名な歌手であるばかりでなく、2冊の best seller の小説も書いています。その上、彼は船の免許もあり、大型水上飛行機も操縦できます。 Jimmy の成功は、本を読むことによって養われた偉大な想像力と、彼の someday I will すなわち『いつかわたしはできる!』という哲学によります。

 最後に Jimmy Buffett の詩を英語で読みますのでよく聞いていてください。

Someday I Will  By Jimmy Buffett/Matt Betton
 From the Album  "Far Side of the World"
I see a white sail
Skippin' cross a blue bay
And I say, someday I will
I see a young man
Strummin' on a green guitar
And I say, someday I will
I don't have a plan
It's not that kind of thing
I'm not Martin Luther King
I don't have a dream
It's just that sometimes I know
That's the way I'm s'posed to go

I see a flyin' boat
I get a lump in my throat
And I say someday I will
Someday
So whatever thrills you
  Anything you love to do
Just say someday I will
Don't need to know who
May help you make it come true
Just say someday I will
Don't have to work it all out
Don't have to tear it all apart
All you need's a place to start
And if it never worked before
Try it just once more
That's what your heart is for

Whether it's big or small
If you have a passion at all
Just say, someday I will
Someday
Someday I will
Someday
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●2001年4月10日 入学式●
 


 今日は入学式、はじまりの日です。私の人生の中にも数多くのはじまりがありました。はじめて小学校に入学した時、はじめて歯医者に行った時、はじめて外国に行った時、はじめての留学、そして、はじめて大学で教えた時。私ははじまりが大好きです。私はchallengeも好きです。

 あなた方のObirinでのはじめての日に3つのことを考えていただきたいのです。

 まず第一には、キリスト教について何かを身に付けていただきたいと思います。皆さんは聖書を頻繁に持ち歩くことになるでしょう。その聖書を持つだけではなく、開いてみてください。もしかしたら、その中にあなたの悩みに答えてくれる話があるかもしれません。聖書は大昔に書かれた本で、たいへん古いことも書かれています。聖書を批判しようと思えば、いくらでも出来ます。私もよく批判しました。今でも時々します。柴先生ごめんなさい。しかし、あなたの新しいはじまりとchallengeを手助けするinspirationとして、聖書を役立てることも出来るのです。

 二番目に考えていただきたいのは、授業中積極的に自分の意見を発表することです。他の人が発表している時は、耳を傾け、もしそれが自分と違う意見だとしても、ばかにしたりしないでください。授業中に発言することは簡単な事ではありません。しかし、皆さんが発言にもっと耳を傾けるようにすれば、教室の雰囲気もずいぶん良くなるでしょう。校長としてはObirinの教室が、皆さんが自由に発表できる場にしたいと思っています。誰一人として、ばかにされることを心配することがないような場にしたいのです。そのために、友達の意見に賛成でなくても、友達の意見を尊重しなければいけません。良い学校というのは、いろいろな異なった意見を出し合う場なのです。もちろん、皆さんは中学生高校生ですから、仲良しグループで動くことが多いかもしれません。こういった仲良しグループはあなたたちにとって、とても大切で、そのグループの仲間はあなたと同じような人であることが多いでしょう。しかし、自分のグループ以外のことも忘れないでください。自分と違った人と友だちになることもchallengeしてください。その中にはいわゆる変わった人も含まれるかもしれません。そういう自分と違った人と友だちになることで、何かとても大切なことを学び、自分と違った考え方を尊重できるようになるでしょう。

 三番目に、ちょっと気をつけておいて欲しいことがあります。英語では、jadedというとても恐い言葉があります。jadedにならないでください。jadedというのは、何をやっても退屈で、何にも興味がなくなる状態を意味します。jadedにならないでください。学校に入って、しばらくすると、毎日変化がなく、飽き飽きして、何も学ぶことがないように思えてくるかもしれません。しかし、実際はいつも新しく学ぶことがあります。もちろん、学校の勉強は必ずしも楽しいおもしろいというわけではありません。そんな時でも、自分にとって意味があること、大切なことを自分で見つけだすことが出来るはずです。しらけた世の中に流されないでください。

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●2000年4月8日 始業式●
 
 ミカエル・エンデのNeverending Story を読んだことのある人はいますか?
 エンデは、もし私達がストーリーを語らなければ、どんな種類のストーリーも存在しなくなってしまうと言っています。それと同様に、私達が想像力を使わなければ、想像力もまた失なわれてしまいます。昔、人々は語り合うことによって、お互いを楽しませてきました。
もちろん、テレビはなかったのですから、語る内容は一人一人が考えださなくてはなりませんでした。

 昔にタイムトリップして、いわゆる現代の娯楽から離れて、時にはこういったことを楽しんでみるのはどうでしょう。今までそんなことを考えてもみなかった人には、それが大変むずかしいことがわかるはずです。
 わたしたちは考えなくても、話そうと努力しなくても、なにもしないで、TVの スイッチだけ押せば、いつも一方的に楽しませてもらえます。ディズニーランドはまさに用意された受け身的な娯楽の頂点。かといって、私はTVも楽しみますし、ディズニーランドも好きですし、これらを全面否定しているわけではありません。 しかし、私達は気をつけないと、自発的な創造性といったものを隅に追いやり、目の前にすでに用意された楽しみを、受け身的に無防備で受け取ることになります。さらに恐ろしいのは、それがあまりに楽で、 心地よいので、ずーっとそうしていたいと思うようになるのです。
 私達は創造する力を失い始めます。 私達は人間性を失い始めます。
 数学や、芸術、社会問題、ビジネスに取り組んでも、与えられた課題を受け身的に頭でうまくこなすだけで、心から沸き上がる喜びや感動を伴わなくなります。

 大袈裟だと思うかもしれませんが、それは本当のことです。私達が体を使わなくなると、体内の酸素量は減少し、筋肉はおち、肉体は弱まっていきます。TVで野球を楽しむだけでは、ルールはわかっていても、実際に体感できません。たえず、外側からの情報や映像だけを楽しむことに慣れると、それらが真実で本当の美だと思い込むようになります。
心も使わないと、体と同じように弱まるのです。

 私達一人一人の中には巨大なエネルギーが秘められているのを思い出してください。私達はその内在している力で、ストーリーをお互いに語ることができるし、本当に美しい物を自分の中に見い出すこともできるのです。
今何となく、惰性で、楽に続けていることをちょっとやめて、これは大変勇気と力が必要だとは思いますが、面倒くさいこと、困難だと思うことに立ち向かってみて下さい。最初は至難のわざのように思いますが、続けていくうちに、いろんな発見や感動があるものです。それは、みんなそれぞれ、たくさんの引き出しを心の中に持っていて、自分では信じられないような可能性や才能や力を秘めているからです。でも、それらの引き出しは、自分で開くしかないのです。私達は一生のうちに、一体いくつの引き出しを 開けることができるのでしょうか?

 もちろん、見たいTV番組はみればよいし、楽しく遊び回るのもOK です。でも同時に面倒くさいと思うこと、いやだと思うこと、むずかしいかなーと思うことも、自分で自分をはげましてがんばってやってみてください。創造性も想像力も思わぬ所から生まれてくるものです。
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●2000年4月5日 入学式●
 
 入学おめでとうございます!

 父親は仕事で疲れきり、いらだちながら帰宅すると、5歳になる息子が玄関のところで待っていた。息子は父親に「お父さんはお給料をもらってるけど、1時間につき、いくらもらえる計算になるの?」とたずねた。父親はいらいらしながら「20ドルぐらいかな」と答えた。そこで息子は何を思ったか、「じゃあ、ぼくに9ドルください」と熱心に頼んだ。父親は息子がおもちゃか何かくだらない物を買うのだと思って、ますます怒って、「自分のことばかり考えていないで早く寝るように!」ときつく叱った。

 息子はしかたなく、静かに自分の部屋にいき、ドアをしめた。父親は息子が9ドル欲しいためにあんな質問をしたのだと思うと、腹がたったが、時間がたってくると息子がお金が欲しいなんて、めったに言うこともないし、何か本当に欲しい物があったに違いないと思い、息子にきつくあたったことを後悔した。父親は息子の部屋に行き、仕事で疲れて、きつくあたってしまったことを説明し、9ドルを差し出した。息子は大喜びで受け取ると、枕の下から別のお金を取り出し、数え始めた。父親はそれを見て、また怒りそうになり、「どうしてそんなにお金を持っていたのに、あと9ドル欲しがったか?」と訪ねた。

 息子は父親を見上げた。「だって、これでやっと20ドルになったんだよ!この20ドルでお父さんの1時間をぼくに売ってくれる?

 なぜこんな話をしたかと言いますと、昔だったらこの種のストリーは冗談としてかたづけられていました。今では、大変考えさせられる問題です。私達は忙しすぎます。忙しすぎてコミュニケーションを取る時間もないのです。恐ろしいと思いませんか?多くの人が物質的な富を求めて、忙しい中で愛することを忘れてしまっています。桜美林で愛のある教育が実現されるように、結果だけを重視するのではなく、愛のあるプロセスが遂行されるよう、愛のあるコミュニケーションが成り立つよう、私達全員で努力しなくてはなりません。
創立者の清水安三先生は言っておられます、教育=愛。

 とても単純そうで簡単な話、教育=愛。しかし、それを実現するのは非常に大変なことです。まず、愛というのはいったいどうやって、定義するのか?

 聖書の「コリントの信徒への手紙1」はとても参考になります。その13章4から8節を定期的に読んで下さい。冷蔵庫のドアに貼って下さい。先生たち、その4から8節をよんで、「愛」のかわりに「教育」を入れて読んで下さい。

 愛=教育は、たいていあてはまると思います。

 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、怨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
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●1999年4月5日 入学式●
 
 さて皆さん、毎朝、86,400円があなたの銀行口座に振り込まれるとしたら、どうでしょうか。とてもうれしいでしょうね。ただし、この86,400円のお金は、24時間で全部使い切らなければなりません。使い残しがあっても、それは消えて無くなります。さあ皆さん、全部を有効的に使えますか。
 実は毎日、私たちは神様から86,400秒の時間を与えられています。もちろん、その日のうちに有効に使い果たさなければ、その時間は無駄になってしまいます。時間がどれほど大切かということを、次のことから考えてみてください。   
 一年がどれほど大切か、単位を落とした学生に聞いてみて下さい。
 一ヶ月がどれほど大切か、未熟児のお母さんに聞いてみて下さい。
 一週間がどれほど大切か、原稿の締め切りに追われている外人の校長先生に聞いてみて下さい。
 一時間がどれほど大切か、街角で待っている恋人に聞いてみて下さい。
 一分間がどれほど大切か、電車に乗り遅れた人に聞いてみて下さい。
 一秒間がどれほど大切か、ぎりぎりで交通事故を免れた人に聞いてみて下さい。
 0.01秒がどれほど大切か、メダルを取れなかったオリンピック選手に聞いてみて下さい。

 Remember that time waits for no one.
 Yesterday is history.
 Tomorrow is a mystery.
 Today is a gift.
 That's why it's called the present !

 時間を大切に使ってください。そして、桜美林にいる間に、次のことに是非時間をさいて下さい。
 まず第1に、自分の住んでいる町、あなたのコミュニティーを理解し、それに貢献して下さい。例えば、市や都の選挙や政治に目を向けましょう。市や都の行政がどのように動いているのか、自分で確かめましょう。政治家たちがどのような社会問題に取組み、それについてどのように発言し、どんな解決案を持っているのかをチェックしましょう。政治家たちを感情的に批判したり、人事のように論評するだけでは良い市民にはなれません。Volunteer 活動にも参加してみて下さい。

 Your community needs you !!

 第2に、自分なりの国際理解に努力して下さい。桜美林では、今年2人の留学生を迎えています。彼らに声をかけて下さい。タイとブラジルについて、いろいろ勉強して下さい。そして、日本の文化と日本のおもしろいところを、たくさん紹介して下さい。外国語にもチャレンジして下さい!英語だけでなく、中国語やコリア語もためしてみて下さい。2000年の1月にはまた、19名の韓国高校生が桜美林に来ます。積極的にホームステイと学校訪問の歓迎会に協力して下さい。
 最後になりますが、この桜美林学園で学ぶ間に自分の個性を磨くと共に、人と協力することの大切さを学びましょう。先日、桜の花が満開の時期、学園内を散歩しました。するととても変な木を目にしました。白とピンクと、両方の花を咲かせていました。最初の印象はやはり、変な木だなと思いました。しばらく考えてみると、Ah! これは大事な木だ、と思いました。この木のように、桜美林には、色々な個性を持った人たちが一つの学園に集まっています。時には、価値観の違いから、一致できなかったり、けんかになったりすることもあります。そんな時にも、冷静に考え、寛容の心をもって、お互いの違いを認めあい、人をいじめたり、人といがみあうだけの人間でなく、共に生きることを大切にする人間に育って欲しいと思います。そして、そういう人間の集う学校をつくっていきたいと思います。
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