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2008年01月18日(金曜日)付

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通常国会―「ガソリン」だけじゃない

 「ガソリン国会」。早くもそんな異名がついた通常国会がきょう開幕する。

 この国会の最大の使命は、言うまでもなく新年度予算案やその関連法案の審議だ。だが、民主党をはじめ野党は、政権を解散・総選挙に追い込もうと腕を撫(ぶ)している。対立含みの中ではあるけれど、建設的な論戦が繰り広げられることを期待する。

 福田政権の発足にあたり、私たちは「1月解散」を勧める社説を掲げた。

 参院選であれだけの惨敗をした以上、政権の正統性を国民に問う必要がある。そうでなければ自信をもって政治の運営にはあたれまい。そんな趣旨である。

 残念ながら1月解散はありそうにないが、基本的な考えはいまも変わらない。その観点から、国会開会にあたって与野党にふたつのことを望みたい。

 第1に、予算案をめぐる論戦を通じてそれぞれの党がめざす国のありよう、将来像について大きな青写真を描き、国民に政権選択の判断材料を提供することだ。社会保障のあり方や消費増税についての考え方などを論じ合ってほしい。

 とりわけ民主党は積極的な努力が必要だ。民主党が政権につけばこんな国にする、こんな予算を組むという考え方を具体的に示さねばならない。

 たとえばガソリンの暫定税率をやめるというなら、財源の穴をどう埋めるのか、歳出入の見取り図を出すべきだ。それがないままでは、国民は民主党の主張の妥当性を判断しがたい。

 第2に、徹底的に対決するテーマと、修正してでも実現をめざす政策とを峻別(しゅんべつ)し、めりはりのある国会論戦にすることだ。それが国民に対する説得力にもつながる。修正のための政策協議の手法を工夫するのは前国会からの宿題だ。

 本質的な議論を深めず、与野党の思惑や駆け引きばかりが前面にでた給油新法審議の愚を繰り返してはならない。

 ガソリンの暫定税率の継続をめぐって、早くも衆院での3分の2の多数による再可決が取りざたされたり、「ガソリン解散」が言われたりしている。議論をそっちのけにして、対決のための対決になるのでは国民が不幸だ。

 前国会の最終場面、民主党の小沢代表の行動には失望させられた。給油新法を再可決する衆院の採決を前に本会議場から退席したのだ。

 新法は「国民にも民主党にも大事ではない」からというのだが、給油を「憲法違反」と断じたのは小沢氏だ。もし、そうだとするならば、憲法違反の法案が多数で押し通されようとする採決がどうして「大事ではない」のか。党首の方針に従ってきた民主党議員から怒りの声が出るのは当然だろう。

 この党にとっての大事とは何なのか、対決と言うばかりで本当にやる気があるのか。そんな疑念を持たれるようなご都合主義を、この国会で繰り返してはならない。

指導要領改定―マニュアルを押しつけるな

 それぞれの教科を1年で何時間教えるのか。各学年で何について、どこまで学ばせるのか。こと細かく定めているのが文部科学省の学習指導要領である。

 その指導要領の改訂方針が、文科相の諮問機関である中央教育審議会でまとまった。新たな方針に沿った授業が、11年度から始まる見通しだ。

 6年前に始まった今の指導要領に比べて、目に見えて変わるのが授業時間数だ。理科や英語、算数・数学が2〜3割増え、全体の時間も増える。導入したばかりの総合学習が代わりに減る。

 「ゆとり教育」と呼ばれた今の指導要領の旗印は、子どもたちの生きる力を育むことだった。詰め込み教育批判にも応えるかたちで、授業時間と内容を減らし、自分で考える力をつけさせるために総合学習を取り入れた。

 しかし、ゆとり教育が始まってまもなく、国際学力テストで日本の順位が落ち込んだ。ゆとりによる学力不安が保護者らに広がっていた時期でもあった。

 かくして、ゆとりの旗はあっさり降ろされたのである。右へ曲がれと言われてしばらくしたら、やはりまっすぐ進めと言う。子どもや教師にとっては、一体どうなっているのかという思いだろう。

 では、授業時間数を元に戻したことで、問題が解決するのか。

 学力の底上げと考える力を伸ばすこと。これが今の大きな課題である。授業時間を増やすことで克服できることもあるだろうが、授業の質に目を向けない限り、根本的な解決にはならない。

 もう一つ気になるのは、ゆとり教育の功罪をきちんと総括しないまま、方向転換を図ろうとしていることだ。

 例えば、総合学習がうまくいかなかった原因について、中教審は「教科との連携が不十分だった」という。だが、これでは物足りない。具体的にどこに問題があったのか。そもそも考える力をつけるうえで役立つのか。そうした検証がほしい。「生きる力」という理念は正しいといくら強調しても始まらないのだ。

 さらにここで考えたいのは、指導要領そのもののあり方である。

 指導要領の内容は実に細かい。例えば、小学4年の算数だ。億と兆の単位を教えるときに、「3けたごとに区切りを用いる場合があることに触れるものとする」と定められている。

 全国どこでも同じレベルの学力をつけさせようというのは、わからないわけではない。しかし、あまりに細かすぎないか。これではまるでマニュアルだ。指導要領をマニュアルのように厳しく守らせることが、自ら学び、考える力を教師からも奪ってきたとはいえないか。

 文科省が決める指導要領は大枠にとどめ、実際に教える内容は自治体や学校の工夫に任せる時期に来ている。授業時間数も幅を持たせていい。

 そうしたことが、ころころ変わる指導要領から得られる最大の教訓だろう。

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