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北九州市の「生活保護」問題を取上げていたが、こうした問題の現場を何も知らない人達が勝手に論評して正義感を振りかざすのは止めてほしい。自分は厚生省でケースワーカーを指導する立場にいたが、多くのケースワーカーの人達は大変優秀で誠実に仕事をしている。「生活保護」を受ける人達は各自いろいろ事情が違い性格も違う。自殺して捨て台詞の遺書を残した人は高学歴で一番てこずる類の人だが担当の課長はシッカリ応対していた。おそらく担当したケースワーカーはいたたまれない気持だろうし悩んでいるだろう。問題の所在と現場を一切知らないコメンテーターが勝手にもの云いするのは大変な放送公害だ。「生活保護」問題は今後一切取上げないで欲しい。
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殺人事件の報道が過熱していく昨今、報道番組のあり方が問われているが、佐世保銃乱射殺人事件の死亡した犯人の過去の履歴書がテレビに映された。これは見ていていかがなものかと思った。犯人がどうこうではなく、それをメディアに流す企業があるということが問題だ。そして報道のされ方も職歴、職業、資格、志望動機まで画面に映されている。転職回数が多ければ信用は低くなるかもしれない。しかし、それがあたかも犯罪をする人間かのように報道するのはいかがなものだろうか。景気のよいご時世ならまだしも、いま、仕事を探している一般の人々に影響を与えないといえるのか。軽々しい報道があまりにも多いのではないか。本当に最近は毎日テレビを見ていて驚かされる報道ばかりである。報道の自由、公平性、そういったものを報道機関全体でもう一度見直さなければいけない時代になっているのではないかと思う。
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最近のニュース番組は、報道関係者のモラルを疑うような内容が多い。例えば、家族を殺害された被害者家族の家に何度も各局が押しかけ、何度も何度も同じようなことを聞き、被害者家族の心を傷つけている。また、被害者側だけに限ったことではなく、罪を犯したとされる容疑者の家族などへの取材もひどい。容疑者家族が住んでいる家まで数十人の報道関係者が押しかけ、道路を占領し、罪のない家族に罪があるかのような質問というよりは尋問に近い口調で迫ってるように見える報道が多々ある。日本の法律上は裁判中であっても推定無罪という観念の下で行われるので、今の報道のあり方に疑問を持つ。報道関係者は自分たちの責任の重さを自覚すべきである。
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火曜日夕方の報道特集は以前から理不尽極まりない社会問題に真剣に立ち向かう番組だと思っていましたが、どうしてこのような真剣に社会問題に取り組もうとする番組にまでタレントをしゃしゃり出させてバラエティー化するのですか?この番組だけでなく民放全体に言えることですが、いい加減、報道とバラエティーを混在させるのはやめて下さい。
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「マイクロバスのドアが開き転落した小5男児が後続のトラックにひかれて死亡した事故で、バスの運転手とトラック運転手が逮捕された」というニュースの中で、トラック運転手の顔写真と名前が報道された。逮捕されたとはいえ、まだ25歳という若者の将来を思えば、果たしてそこまでする必要があったのかという疑問を感じた。
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最近の事件報道のあり方だが犯人を悪し様に罵倒するのに一生懸命で犯人が何故犯罪に走ったか、どうすればそうした犯罪をなくせるのかの冷静な視点が全く無い。自分も大変な逆境に育ったので犯人たちの気持がよく分かる。最近は貧富の差が拡大しているので誰でも犯罪に走る可能性がある。被害者の立場に立った報道は一見正しいようにみえるが、報道機関であればもっと冷静に客観的に取上げて欲しい。
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北京オリンピック開催のための強制立ち退きなど、中国での驚くべき人権侵害がニュースで伝えられているにもかかわらず、同じニュース番組の中で、北京五輪出場を目指す日本の選手やチームの特集などを明るく伝えている。その放送のあり方に違和感を覚える。明日の糧や住むところを無理矢理奪われる人々を数多く出してまでオリンピックを開催する意味はあるのか。五輪出場あるいはメダルを目指してひたむきに頑張る選手の姿も美しいが、「中国当局は人民にこんなひどいことをしている」ということを伝える矛盾の中で、オリンピック放送による視聴率のアップとそれによるスポンサーの獲得だけをめざす放送局のやり方には激しい怒りを覚える。これまでは4年ごとに楽しみにしていたオリンピックだが、北京五輪はおそらく見ないだろう。
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BRC10周年記念フォーラムの内容を紹介する新聞記事を読んだ。その中の討論会のパネリストによる「モザイク使用を最小限に抑えるべき」との発言に賛同する。「取り敢えず処理さえしておけば、後で何かあっても安心」という報道側の安易な気持ちがモザイクの使用過多に拍車をかけているのだろう。是非、その点を改め責任ある報道姿勢を立て直して欲しい。
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私は林業に従事するものです。バラエティー番組に定評のあるテレビ局で例年行われる「新春かくし芸大会」の宣伝を見ると、来年正月分においてチェンソーを使ったものがあるそうです。しかし、その内容が、タレントにチェンソーを使った危険な芸に挑戦させるもので、人の頭の上にリンゴを乗せてチェンソーで切るとか、口に加えた鉛筆を切るなど、極めて愚劣にして危険極まりない行為を行っている様子で、日頃、チェンソーを使い仕事をする者として、また普段より従業員などがチェンソーを安全に取り扱う事に腐心する者として憤りに耐えません。我々、林業従事者の仕事の道具をオモチャにされる事でも許せぬものがありますが、それ以上に許せないのが、チェンソーに対してあまり知識に無い人が、この放送を見て安易に真似をするような事があれば、それこそ大惨事になりかねぬ事です。そうなってから非難にさらされるのがこの局だけなら構わないのですが、普段、真面目にチェンソーを取り扱う者までが非難にさらされるような事があってはならないと思います。どうか、この番組のチェンソーの部分に対して中止をしていただくよう強くお願いします。
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関西出身のタレント司会者がゲストに「死んでほしい者を5人挙げよ」と言い、死んでほしい者を銃で撃ち殺すという場面が放送された。さらにこの男はローラースケートを履きお笑い芸人の体の上を滑っていた。テロップで【まねしないでください】とは出ていたが、どんな事でも告知すれば許されるというものではない。命の軽視とよく言われる時代だが、そうしたアクションを平気でする司会者と、それを演出する制作者、さらにそうした内容を平然と放送するテレビ局の品性を問いたい。
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地球上の森羅万象、あらゆる謎を解明するために結成されたチームを中心に実写VTR+アニメで調査・検証の模様を描く番組だが内容はお笑いに近い。私がたまたま見たこの回は、バッティングセンターで撮影した実験だった。胸にライターをテープで貼り付けた上半身裸の番組ADを打席に立たせ、その胸のライターをマシーンから放たれる120km/hの速球の標的とし、苦痛に耐えられるかというもの。実際に120km/hの球だったかは極めて疑わしいが、胸に球を受けた当人は「痛い!」と言っていた。このようなことが許されるのか?テロップで「バッティングセンターの了解を得た上での撮影。真似をするな」との注意は出たが、そもそも撮影自体があまりに危険ではないか。速球がまともに胸に当たれば命にかかわる。若いADが危険を知りながら断れなかったのであれば大変なことだ。テレビ局に抗議したが応対者は「見ていないので分からない。意見は担当者に伝える」との実に頼りない応対振りだった。
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各局への要望。興奮するからと女性の下着を身につけた後、民家に投げ捨てる行為を繰り返していた変態男逮捕のニュースをテレビ朝日の昼の番組で放送した。その際、投げ捨てられた下着がクローズアップで画面に出たが、下着の映像など放送しないでほしい。気持ちが悪くなるから。いまのテレビは大画面だから一段とショックが大きい。下着泥棒のニュースのとき、警察に押収された盗んだ下着のクローズアップが必ず映し出される。同じ理由で、今後はこれも止めてほしい。下着の映像なしでも下着泥棒のニュースは伝えられるはずだ。
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愛知と味噌のことを紹介していたが、「愛知の人はいつも味噌ボトルを携帯し、パンや刺身にも味噌をつけて食べる」という内容だった。これは明らかに捏造ヤラセだ。いくら味噌が好きだからと言え、10人中10人が味噌ボトルを携帯する事も、刺身に味噌をつけて食べる事もありえない。紹介されていた味噌メーカーのHPでも担当者が番組に対して苦言を呈していた。地域の文化を面白おかしく、さらに嫌味に紹介する番組はどうかと思う。
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サッカーのクラブ選手権の前夜祭番組で女性の中継リポーターが不謹慎な発言をしていた。敬虔なクリスチャンで、将来は牧師になる人物のACミランのスーパースター・カカ選手に対し、彼女は「日本での愛人にして欲しい」「イタリアに持ち帰って下さい」等と、彼が結婚している事を知っていながらプロテスタントを冒涜する発言をしていた。もはや、日本の放送局に純粋なスポーツ番組を求める事は無理なことなのか。生放送であるにも関わらず最後まで謝罪の言葉は聞かれなかった。
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野球が北京五輪の切符を手にしたのは大変喜ばしく思います。東京キー局の中継も興奮して見ていました。対韓国戦では「アジア枠は一つしかないから、日本が韓国に敗れれば韓国に決まってしまう」と繰り返してアナウンスしており、韓国に負けたら五輪に出場できないんだと思い、危機感を持って見ていました。対台湾戦も同様の思いでみていました。来年の3月に台湾で最終予選があって韓国と台湾が出場すると初めて知ったのは4日の新聞ででした。ええっ、という思いでした。職場で同僚の何人かに尋ねましたが、全員が「韓国戦で敗れればその時点で五輪にはいけないものだと思っていた」と言います。この局は来年の3月の最終予選のことには意図的に触れずに、ほぼすべての人に「負けたら終わり」と誤解させ、必要以上に興奮させて視聴率を稼ごうとしたのではないかと思います。詐欺です。こういうのは捏造と同様に放送倫理上問題があると思います、倫理的に問題があるのか、だまされた視聴者が悪いのかはっきりさせていただきたく思います。
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午前中に放送される“ラジオ感覚のワイド番組”の司会者や男性出演者による、女性アナウンサーや女性出演者に対するセクシャルハラスメントが著しい。女性の胸のサイズをあらかさまに生放送で尋ねたり、下着の付着物を話題にするなど不快極まりない。特に下着の色を番組内で問うなど毎日のように行われており、女性の人権侵害にあたる。通常の企業であれば、暗に行われたとしても即刻退社処分にされるような内容を公共の電波で流し続けることは許されない。民事罰にあたる内容であり、局や番組は責任を免れない。民放連の放送基準には、出演者および関係者のプライバシーを侵してはならない、不快な感じを与えてはならないなどの条文があるが、これに明らかに違反する内容である。
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フグ料理の誤った調理法の放送について厚生労働省から行政指導を受けているが、謝罪釈明が自局番組HPのバックナンバーのさらに隅っこにしかない。番組トップページやテレビ局ホームページの冒頭に全文を掲載し謝罪釈明すべきではないか?全く反省の色なし。
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ヤクザ映画「極道の妻たち2」が、ゴールデンタイムで全国放映された。今年は全国各地で無差別発砲事件が多かった一年で、今月14日に長崎県佐世保市のスポーツジムで無差別発砲乱射事件が起きたばかりなのに、予定通り放送されたのはとても許せない!この映画はピストルでの人殺しのシーンの多いので別の作品映画を差し替えて放送して欲しかった。局の編成部は無差別乱射事件の被害者や事件現場の周辺住民への配慮が足りない。
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東京の某キー局は局に批判的な質問をされると取材拒否をするそうだ。反省や今後に生かす気持ちのないような返事だ。批判されるのはわかっていて公正じゃない放送をする放送局。これがテレビ局の現状ではないか。質問されると返答拒否をするテレビ局が企業や役人の不祥事には「説明責任」と「情報公開」を公共の電波で訴える。自分達は批判的な取材をされると「今後は情報は出さない」、「批判されるのは分かっていてやっている」。この態度は一般社会ではあり得ない。テレビってそんなに偉いのか。「我々には権力を監視する義務がある」というようなことを某キャスターが言っていた。考えてほしい。テレビ自身が権力ではないのか?人を批判したいのならまず自分達の襟を正してほしい。
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ここ数年間で、入社した20歳代のアナウンサー(特に女子アナ)の言葉遣いがあまりにもひどい。“ら”抜きは当たり前、「です・ます」が全然使えない。テレビなのに友達同士で話しているようだ。例として「〜あるので」や「〜思うので」、「〜するので」、「〜なので」等。放送局はトレーニングや指導はしないのだろうか?
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(推奨番組)NHKのテレビで「ワーキングプア」について取り上げていた。いろいろな理由でそうなってしまった人達についてのリポートを拝見した。番組の中で、リポーターの「貧困は本当に個人の努力が足りないからなのか」という発言もしっかり聞かせていただいた。このような番組を制作、放送してくれたことに感謝の意を称したい。このような番組が増えてくれることを願う。
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テレビで放送される明治・昭和初期のドラマや時代劇のデタラメな時代考証に辟易して、最近はラジオを聞いている。NHKラジオ第一放送を聴いて最初に驚いたのが、視覚障害者の人たちがラジオを楽しんでいる事だった。多くのリスナーが番組に点字で便りを送りアナウンサーが読み上げるなど、リスナーとの接し方がとても優しかった。長年テレビを見てきたが、テレビでは信じられない応対をしていた。
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一日の中で、テレビの放送時間の削減を検討しても良いのではないかと思う。24時間垂れ流しに近い現在の放送では様々な弊害が起きている。推測の話を無理やり膨らませたり、些細なことでもしつこく放送してみたりとすることで、実害も起きている。放送時間が長いために、無理やり時間を埋めるために行われているものもあるように感じる。放送時間を短縮することで、必要な情報のみを扱うようになればと思う。
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関西では人気の番組だが、各局のドラマやバラエティーなどの視聴率を公表して分析するというコーナーは問題だ。自局のことはあまり批判しないで、他局のことは容赦ないほど批判する。番組名にもその名がついているこのタレントの関西での影響はとてもすさまじく、彼のこの番組での意見で、批判された番組の視聴率も影響を受けるというほどだ。それでも、自局の番組も容赦なく批判するというならばまだ納得できるが、関西のテレビは意図的に、彼に自局や系列キー局の番組の批判はさせないようにしている。私は番組を制作してスポンサーを集める厳しさを知っているからこそ、他局に対する異常な批判を許せない。他局の新番組が始まる前から「あれは視聴率が取れない」と断言する。彼の暴走を止めることなく、むしろ利用しているこのテレビ局は、やはりテレビ局としては失格といえるだろう。一番あきれたのは、「あるある大事典」の問題を起こした時には何も触れなかったことだ。これを解決するには番組の強制終了とテレビ局に対する厳しい処分以外にないと思う。
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私は医師だが、番組のパーソナリティーが医療について間違った事を言っている。アメリカ大リーグのドーピング問題についての話の中で、ステロイド剤について「私も耳鳴りの治療などで使っているが・・・」などと、問題ないような発言をしているが、これは今ドーピングで問題となっている筋肉増強ホルモン剤である「蛋白同化ステロイド」と、一般治療用の軟膏などに使われる「副腎皮質ステロイド」を混同しているのだ。このような事実と違う医療情報を放送されると、医療の現場で患者さんと医師との間で混乱が起きる。副腎皮質ステロイドの入った薬剤を処方すると、身体に良くない物ですよねと拒否されたりする。医療情報を放送する際は素人知識で放送しないでほしい。
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ワイドショーでのコメンテーターの発言に責任を持たせてほしい。事件や事故報道で勝手な推理や思い込みを発言し、後で全く結果が違っていても訂正の報道や謝罪のひとつもない。公共の電波ですよ。バラエティーで嘘やネタを喋るのは構わないが、報道がからんでいる番組だ。情報には細心の注意、そして出演者も発言に責任を持って欲しい。先日、報道番組でキャスターが佐世保の銃乱射事件に関して「犯人はアメリカ兵ではないか」と受け取れるようなことを何の根拠もなく言っていた。報道番組で犯人を予想する発言は無責任すぎないか?少し前の香川殺害事件でも報道番組で父親を疑う姿勢や発言が当たり前のように垂れ流されていた。もちろん間違っていても謝罪も訂正も一切ない。報道やワイドショーでのコメンテーターや出演者の発言にも責任を負わせてもらいたい。食品会社の人間の失言などの揚げ足取りを徹底的に行っているテレビは自分達に無責任でいいのか?業界の馴れ合いで誰からも批判されないのをいいことに好き勝手にやりすぎではないか?
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パラリンピック等、障害者を取り上げた番組を見て一人の障害者として思う事がある。スポーツは好きなので見て応援もするが、自分も勇気付けられる反面、彼らを羨ましく思い落ち込むこともある。障害者自身の努力する姿は素晴らしいが、それが出来る前提として、家族や金銭面など周りの環境や理解、協力が必要で、それらがあって初めて障害者は“努力”が出来るのだと思う。例えば、乙武洋匡さんはものすごく努力しているのだろうが、やはり努力できる環境があったのだと思う。このように一人の障害者の努力を取り上げる放送に疑問を持つ。同じような障害を持つ者にとっては差別と感じることさえある。自分を取り上げて欲しいという事ではなく、これらが障害者の中にも格差を作るのではないかと思う。色々な立場の人々が見るテレビだから、色々な感じ方をする人がいるということを前提に番組制作をしていただきたい。
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環境問題に対して、一方的な視点からの、根拠が十分示されていない意見を放送するのは放送局の中立性を疑う。番組の中で「噂だから」と言い訳を続けていたが、それならば根拠を検証してから放送すべきではないか。せめて反対の意見を持つコメンテーターも同席させ、賛否両面からの意見を放送して欲しい。気になった発言としては、「ダイオキシンは微量なら無害」は、微量な有害物質が食物連鎖により広範囲な健康被害に至る場合があることは、水俣の有機水銀公害の実例で証明されている。また「ゴミはまとめて燃やしたら臭い」もひどい。またペットボトルが中国へ資源として輸出されている事実がある。もちろん中国から望まれてである。また電子機器製品からは金など有益な資源が回収されている。けっしてリサイクルはムダではない。金属資源は近い未来に枯渇が予測されており、廃棄物からの回収が望まれている。「ゴア元米国副大統領の著書には、根拠が不十分な記載が多数ある」という発言では、ゴア氏に反論の機会を与えず、一方的に中傷するのは在京キー局のように影響力の大きなメディアがすることではない。
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毎週全国の都道府県の秘密を紹介すると称して府民・県民のありもしない特徴を放送しているが、全く馬鹿げた番組だ。特に大阪人を「豹柄の服を着た女性ばかり」とか「大阪の人間はパンと手を叩くと一斉に倒れる」など、あまりにも事実とかけ離れたことを紹介し全国に広めるのは許せない。これは単なる笑い話づくりとは違い、全くの出鱈目話しを作り上げているのであり、捏造に他ならないのではないか。とかく話題の多い司会者や女性お笑い芸人の発言は腹立たしい限りで、いかにお笑い番組といえどもこんなに程度の低い内容を放送という公器で流すことは電波の無駄遣いだ。関西のテレビに電話をしても「ハイ、ハイ、ハイ・・・伝えておきますよ」と答えて電話を切られてしまう。放送局、番組担当者、出演者がアホだとこんな番組しか作られへんのやろか。
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最近の民放のお笑い番組やバラエティー番組のレベルの低下は目に余るが、笑いの質がお粗末で下品としか言いようがない。批判されるべき番組や見直すべき番組は多々あるが、NHKも含めて“お笑い仕立て”の馬鹿馬鹿しい番組が多すぎる。何とかならないのか。
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朝の情報番組は、新聞記事にラインを引いて読んでいるだけで、それも芸能ネタを2〜30分も放送している。テレビ局は独自に適切な取材をしているのかと云いたい。CM収入の減収により視聴率を取るためなんだろうが、視聴者をなめているようで腹立たしい。まさに一億総白痴化である。財政再建、教育面での学力低下、家庭教育、教員増、環境などの問題が山積している。局はこの諸問題の本質を追究し主張すべきだ。くだらない番組を放送するなら電波を止めて、省エネによる温暖化防止に協力すべきだ。
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神の名を冠した某企業の霊感商法が報道されているが、そもそもこの事件の原因は、科学的検証の出来ない事を平気で放送する局とその放送に規制をかけないBPOにある。今まで散々BPOや各局、総務省に抗議を続けてきたが一向に放送は改まらない。いいかげん、処分を下して欲しい。
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霊感商法についての報道がされているが、事実が伝えられていない。私達一家はそれぞれに奇跡をいただいている。良い結果も報道していただきたい。
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「優勝賞金4億円!世界最大カジキ釣り大会!」で、カジキのいい絵が撮れなかったからといって、資料映像をあたかもタレントが釣ったカジキのように放送し、逃げたカジキは大きかったように思わせ、スタジオにいる人に歓声を上げさせているのは視聴者を騙していることにならないのか?違う場面のはずが同じカジキの映像が流れたり、画質も天気もまったく異なり、不自然で興ざめした。撮影が難しいのは分かるが、やらせと同じだ。腕のなさを嘘でごまかして恥ずかしくないのか。3回リピートする手法の多用にもいいかげん飽き飽きする。
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サッカーのクラブ選手権の総集編を見てイライラした。なぜ中継しているテレビ局は優勝チームを映さないのか?サッカーの試合後なのに、なぜ質問するのが芸人なのか?解説者に質問させろと思った。なぜお笑い芸人が必要なのか?この局は名の通った芸人の頼みは断れないのか?選手に握手するばかりで、視聴者を無視し、自分のことしか考えていない素人よりもひどい言動だった。これを見て不愉快になった視聴者は大勢いただろう。最悪の中継だった。
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最近、大画面テレビの普及によって、テレビ番組の字幕が小さくなっています。茶の間の29インチテレビでも読みにくく、自室の21型では、読めない字幕が多すぎます。今でも14型くらいのテレビを大事に使っている家庭もあると思います。どうか字幕を読めるようにしてください。