「かがみは俺の嫁」というセリフをよく目にするが、
結婚経験のある私に言わせると、「らき☆すた」の中では「かがみはこなたの嫁」だった。
現実離れしそうになる(している)こなたに的確な突込みを入れて現実に引き戻し、
陰になり日向になり、常にこなたの世話を焼いて暖かいまなざしを注ぐのは
もう嫁以外の何者でもないと、私は幸せだった結婚生活を回想して思うのだ。
不思議なことにこの「かがみの嫁属性」は原作よりアニメ版のほうがはるかに強く、
さらにアニメ版のかがみは原作にないリアルさを付与されている。
これは何を意図したものなのだろうか?
たとえば第6話の海へ行った時のエピソード。
かがみは風呂場でひそかにナンパされることを期待していたことを吐露してしまい、
さらにつかさとアンダーヘアの処理と生理について話し合うシーンがある。
(ニコニコではこのシーンで妙にコメントが少なくなったのが興味深かった)

こなたの言うところのこの「生な会話」は原作には一切出てこない。
つまり原作版のかがみには生理がなく、アニメ版のかがみには生理があるのである。
このことは非常に象徴的だ。
かつて萌えアニメのヒロインで生理があることを告白したヒロインがいただろうか?
デフォルメされた「萌え四コマ」マンガを原作とした等身の低いキャラであるのに
柊かがみはどのアニメヒロインより現実に近いリアルさを持っているのである。
このリアルさはアニメ版「らき☆すた」全編にわたってそこはかとなく現れる。
たとえばあの場面。
シーンが変わって教室で話すかがみ。
「それがくさっくてさー」
そのセリフと聞いた途端、視聴者の頭には「またくさい話かw」というほくそ笑みと同時に
不意に何か生な嗅覚擬似感覚が浮かぶ。
この「くさくってさー」はシリーズの中でたびたび使われ、
アニメ版「らき☆すた」の世界にはくさいものが存在することを印象付けている。
京都アニメーションのスタッフは強烈なメッセージを発信していた。
それは「リアルの女の子は生理があったり、くさい話もするけど、素敵なんだ!」
というメッセージではないか。
そしてそのリアルの世界の女の子の象徴が柊かがみという存在だったのだ。
そしてかがみには他にも原作にはない、いくつかの設定が付加されている。
第17話の夕食の買い物をめぐる姉妹の小さないさかいのエピソード。
この場面でのかがみは、学校の仲間の中での頼れるしっかり者という
いつものイメージが影を潜め、柊家の三女で、やっぱりまだ子供であるということが
あのふてくされ方で見てとれる。
そう、かがみだってつまらないことで不機嫌になったりするフツーの女の子なのだ。

結果的にはほのぼのとしたエンディングで救われるこのエピソードだが、
もうひとつ重要な存在が最後に登場する。
それは柊家の父だ。

「この父は勝ち組だな」と多くの「らき☆すた」ファンにうらやまれた柊父は、
人として、家庭を持ち、子を持つことの喜びを示しているのではないか。
ここまでくれば原作にない脚色が何のメッセージを発しているのかわかるだろう。
「エロゲやアニメに出てくる女の子ほど現実は甘くないが
リアルの女の子にはリアルのよさがあるんだよ。
かがみみたいな子は君の近くにきっといる。
だから勇気を持って女の子にぶつかれ。
女の子はそれを待っているんだ。
そして彼女と繁殖して子孫を残すのだって悪くない」と。
アニメ版の柊かがみはそのメッセージを伝える使者として設定されたのだろう。
かがみに愛されるこなたの姿はオタクな「らき☆すた」ファンの男を象徴していたのだ。
毎月生理痛に悩むかがみ。
「うちは進学校だから、学習内容が多くて早いかもね」
とアニメのヒロインらしからぬ生真面目なアドバイスをするかがみ。
二次元のヒロインにありがちな非現実なデザインの服を拒絶して、
エリ付きのシャツを好み、時にはネクタイまでしてしまうかがみ。
カラオケで「あーいしたー、おとこーたちーをー」という歌詞を
あどけない声で歌ってしまうかがみ。
もちろん健康な年頃の女の子だから、エッチなことにも
ちょっと興味があるかがみ。

そういうかがみを全部ひっくるめて愛せるのなら、現実と戦うことだって出来るだろう。
かつて庵野秀明は「エヴァンゲリオン」のラストで100万人のオタクに対して
「気持ち悪い」という近親憎悪からくる捨て台詞を吐いた。
しかし京アニの大人(武本康弘)たちは彼らの未来を信じている。
柊かがみは待っている。
勇気を出して自分を呼び出し、面と向かって愛を告げてくれる男の子を。

【関連】
■『らき☆すた』にハマるのはこんな人!? (日本のアニメは本当に世界一か?)
■らき☆すたを見る前と見た後の感想 (アルファルファモザ乙)
かがみは風呂場でひそかにナンパされることを期待していたことを吐露してしまい、
さらにつかさとアンダーヘアの処理と生理について話し合うシーンがある。
(ニコニコではこのシーンで妙にコメントが少なくなったのが興味深かった)
こなたの言うところのこの「生な会話」は原作には一切出てこない。
つまり原作版のかがみには生理がなく、アニメ版のかがみには生理があるのである。
このことは非常に象徴的だ。
かつて萌えアニメのヒロインで生理があることを告白したヒロインがいただろうか?
デフォルメされた「萌え四コマ」マンガを原作とした等身の低いキャラであるのに
柊かがみはどのアニメヒロインより現実に近いリアルさを持っているのである。
このリアルさはアニメ版「らき☆すた」全編にわたってそこはかとなく現れる。
たとえばあの場面。
シーンが変わって教室で話すかがみ。
「それがくさっくてさー」
そのセリフと聞いた途端、視聴者の頭には「またくさい話かw」というほくそ笑みと同時に
不意に何か生な嗅覚擬似感覚が浮かぶ。
この「くさくってさー」はシリーズの中でたびたび使われ、
アニメ版「らき☆すた」の世界にはくさいものが存在することを印象付けている。
京都アニメーションのスタッフは強烈なメッセージを発信していた。
それは「リアルの女の子は生理があったり、くさい話もするけど、素敵なんだ!」
というメッセージではないか。
そしてそのリアルの世界の女の子の象徴が柊かがみという存在だったのだ。
そしてかがみには他にも原作にはない、いくつかの設定が付加されている。
第17話の夕食の買い物をめぐる姉妹の小さないさかいのエピソード。
この場面でのかがみは、学校の仲間の中での頼れるしっかり者という
いつものイメージが影を潜め、柊家の三女で、やっぱりまだ子供であるということが
あのふてくされ方で見てとれる。
そう、かがみだってつまらないことで不機嫌になったりするフツーの女の子なのだ。
結果的にはほのぼのとしたエンディングで救われるこのエピソードだが、
もうひとつ重要な存在が最後に登場する。
それは柊家の父だ。
「この父は勝ち組だな」と多くの「らき☆すた」ファンにうらやまれた柊父は、
人として、家庭を持ち、子を持つことの喜びを示しているのではないか。
ここまでくれば原作にない脚色が何のメッセージを発しているのかわかるだろう。
「エロゲやアニメに出てくる女の子ほど現実は甘くないが
リアルの女の子にはリアルのよさがあるんだよ。
かがみみたいな子は君の近くにきっといる。
だから勇気を持って女の子にぶつかれ。
女の子はそれを待っているんだ。
そして彼女と繁殖して子孫を残すのだって悪くない」と。
アニメ版の柊かがみはそのメッセージを伝える使者として設定されたのだろう。
かがみに愛されるこなたの姿はオタクな「らき☆すた」ファンの男を象徴していたのだ。
毎月生理痛に悩むかがみ。
「うちは進学校だから、学習内容が多くて早いかもね」
とアニメのヒロインらしからぬ生真面目なアドバイスをするかがみ。
二次元のヒロインにありがちな非現実なデザインの服を拒絶して、
エリ付きのシャツを好み、時にはネクタイまでしてしまうかがみ。
カラオケで「あーいしたー、おとこーたちーをー」という歌詞を
あどけない声で歌ってしまうかがみ。
もちろん健康な年頃の女の子だから、エッチなことにも
ちょっと興味があるかがみ。
そういうかがみを全部ひっくるめて愛せるのなら、現実と戦うことだって出来るだろう。
かつて庵野秀明は「エヴァンゲリオン」のラストで100万人のオタクに対して
「気持ち悪い」という近親憎悪からくる捨て台詞を吐いた。
しかし京アニの大人(武本康弘)たちは彼らの未来を信じている。
柊かがみは待っている。
勇気を出して自分を呼び出し、面と向かって愛を告げてくれる男の子を。
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自分も結婚経験ありますが、らき☆すたでここまでは考えませんでしたねぇw
たまに生々しいなとは思いましたが、人によっては臭いの意味に気がつかない人もいるでしょう。
「らきすた」ってある意味大人でないと楽しめない部分もたくさんある作品ですよねー。
昔、水色時代というアニメがあって。
生理の話とかでまくってた希ガス
毎日のスケジュールに追われてギリギリの制作を強いられてるわけですよ
生々しい描写などに関しては、単に視聴者(この場合は特にヲタクな方々)
の注目を得るために何か仕掛けを!という程度のネタだと思います。
アニメ版のかがみに原作に無い描写を追加してるのはキャラに深みを与えるための定石です。
作品を深読みするのも楽しみ方の一つとは思いますが、一つ一つの事象が全てまとまった答えに繋がるというのは
分業を主とするアニメ制作においては少々無理のある論理と思えました。
全てを一人の脚本家が仕上げて一人の演出家が演出してるのならそういった可能性もあるかもしれませんが
もしもたとえ一人でやってたとしても‥‥いちいち覚えて無いという事の方が多かったりしますので(笑)