公安警察の思惑

 あんまり思い付きで陰謀論を垂れ流しても仕方がないけれども、どっちみちすぐに消してしまうので、あくまでネットのネタとして、参考程度に記しておく。

 というのは、公安部は本当に10年間もこの事実を知らなかったのかなあ。どんな証拠を押さえているのかも分からないけれども、現場を押さえたのはつい最近かもしれないけれども、ある程度はずっと前から把握してたんじゃないかなあ。

 つまり、いわゆる泳がせていたんじゃないかな。ロシア機関のやり口を研究するために。

 なぜ、今なのかなあ?

 公安警察としては、情報機関の新設とか再編とは面白からぬ話だからなあ。既得権益を脅かされるからなあ。その点は公調と利害が一致しているからなあ。

 公安警察としては、弱小の公調を生かさず殺さずで存続させておくのが、自分達への風避けにもなるからなあ。

 内調が防諜で主導権を握ったりしたら、鬱陶しくてたまらんからなあ。それ見たことかということじゃないの。

 電信官自殺事件しかり、公安警察のリークにはいつもなんかスッキリしない思惑が見え隠れするからなあ。

 あの時も身内のはずのOBが報告書をまとめて、外務省に対外情報機関の新設をとか謳ってたからなあ。

 しかし、あの事件で外務省の権威はさらに失墜したからなあ。

 まあ、背景事情はともかく事件の全容が明るみになればいいのだけれど。

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影響要員

 しかも、ロシアのプロパガンダも流す影響要員でもあるのだから、ブラックユーモアである。

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誰に対する偽装なのか?

 井上氏の例をカバーの例として挙げたけれども、それは不正確もしれない。

 つまり、北朝鮮に対してカバーを行う必要はないからである。というのも、北朝鮮は井上氏が安倍氏の代理人であるからこそ応対しているのであって、どこの馬の骨とも分からぬオッサンが合弁の実務協議に訪れても相手にしないからである。つまり、本当のところ、北朝鮮に嘘を言う必要がない。

 では、なぜフジツウ産業なのか。

 それは一つには公的書類に身分が記録されるのを避けたのだろう。住所は妙な表記になっているが、実在の住所。

 それは多分、パスポートとの関係でそうせざるを得なかったのだろう。本名が記されているし、おそらく生年月日やパスポート・ナンバーも正確なのだろう。

 当然、公用旅券ではなかったのだろう(ちなみに、CIA研修で渡米した際には公用旅券を渡された。それを今でも手元に持っている)。

 一体、誰に対しての偽装なのか?

 これはやはり外務省に対する偽装だとしか思えないのだが・・・。

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懲戒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080117-00000097-jij-pol

 起訴もまだされていないのに早々と懲戒の決まる人もおれば、控訴審でも有罪判決が出ているのに懲戒もされずに給料を貰い続けている人がいる。これ如何に?

 

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北東アジア課

 ちなみに、前掲のオーマイニュース記事は北朝鮮の宣伝工作かもしれないけれども、安倍氏が井上氏を訪朝させて、何らかの打開策を模索していたこと自体は疑い得ないね。産経新聞ですら、オーマイニュースに先立って当時、以下のように報道していたぐらいだからね。
 こういうのって北東アジア課はどこまで把握しているんだろうか?
 一度、原田氏の本も読んでみなければ。

 http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/423345d7e1e6bc87762794373ce407db


<日朝拉致協議・検証 「焦っているのは北」
2004.02.15 産経新聞朝刊 
(略)
 「北朝鮮が私に対し、『平壌まで拉致被害者の家族を迎えに来い』と言うならば応じてもいい」十二月中旬、安倍晋三自民党幹事長はこう漏らして周囲を驚かせた。これには理由があった。この時期、北朝鮮の方から接触を図りたいとする秋波が届いていたのだ。
 安倍氏といえば、対北朝鮮の最強硬派。幹事長として北朝鮮への経済制裁を可能とする外為法などの改正を進めていた。それだけに安倍氏としては、この言葉に北朝鮮の真意をさぐるための観測気球の意味を込めた。
 また慎重を期して自らは動かず、拉致議連事務局長の平沢勝栄衆院議員が十二月中旬、北京で北朝鮮側と接触。北朝鮮は変わらず日本政府を非難しながらも、話し合いには前向きの姿勢を示した。
 一月中旬、安倍氏は次の手を打った。強い信頼を寄せる官房副長官当時の秘書官を極秘に訪朝させた。この事実関係について安倍氏は一切、口をつぐんでいるが、拉致家族帰国にあたっての北朝鮮の条件を探ったといわれている。(略)>

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偽装会社

 思うに、たとえば「世界政経調査会」などと名乗ると、聞く人が聞けばすぐに内調と分かってしまうので、海外渡航の際にはさらにカバーの民間会社に籍を移すのだろう。
 公調でもその種のことはやっているけれども(たとえば実在の会社の協力を得て、電話が掛かってきたら応対してもらうようにするetc)、公務員がそういう活動するのには何かと法的な問題があり、トラブルが起こった時に迷惑がかかるので、たしかに団体職員のほうが活動の自由度が大きい。

 そう言えば、安倍晋三・前首相(当時は自民党幹事長)の代理人である井上義行氏が2004年1月16日付で作成した北朝鮮ビザ申請書に記載されている勤務先も、「フジツウ(富士通)産業」となっている(赤枠は筆者)。その訪朝目的は 「合弁実務協議」と記録されている。

http://image.ohmynews.com/down/images/1/han_211495_1[282696].jpg
 Han_211495_1282696

 井上氏は言わずと知れた、安倍前首相が官房副長官時代から懐刀として重用した秘書官。しかし、当時は内閣府に所属していたはず。
 ちなみに、東京都逗子市というのは無論間違いだが、その後の住所は正しい。

 こんなふうに考えると、たしかに問題の内調職員はロシアに取り込まれた例だけれども、一般に思われている以上に「対外情報活動」が積極的に行われていると見るべきかもしれない。
 当然、少なくともロシアはその辺の実態をほぼ完全に把握しているだろうけれども。この内調職員を通じて。

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外郭団体

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080117-00000101-yom-soci
<情報提供の見返り、内調職員に露側が「報酬」数百万か
1月17日10時27分配信 読売新聞
 内閣情報調査室(内調)の男性職員(52)が、政府の内部情報を在日ロシア大使館の2等書記官(38)に提供していたとされる事件で、この職員は約10年前から、書記官を含むロシア政府の情報機関員数人に情報提供を続け、見返りに受けた謝礼や飲食代の総額が、数百万円に上るとみられることがわかった。
 内部情報は、内閣が重要政策の立案時に参考にする内調作成のリポートなどから抜粋されており、警視庁公安部では、ロシア側に渡った情報の内容を詳しく調べている。
 公安部によると、問題の職員は現在、内調の総務部門に在籍し、国内の政治情勢の調査・分析を担当。10年ほど前は、内閣府の関連団体で海外情勢の調査・分析をしていた。

 やっぱり、内調→外郭団体、外郭団体→内調という行き来があるみたいね。

 そうか10年間見つからなかったのか。

 あんまり誰も考えてみもしないことだけれども、オレは直観的に、公調あたりは今でも相当、浸透されていると思うね。ザルだからね。あるいは警察、自衛隊も。なんせCIAやSISですら浸透されていたんだからね。自分達だけは違うという自信がどこから来るのか分からない。
 この件↓でも、公調はウチにはスパイはいません、って言ってるけれども、じゃあ、なんで課長は自殺したの?


 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/091/0380/09103080380020c.html
<ところが、これは実に不可思議ないろいろな問題があるわけです。このレポ船に情報を流して、そのかわりにソ連側の情報を求めていたと言われている旭川地方公安調査局の船山第二課長は、一月三十一日に釧路地検で事情聴取を受けた後、一日置いて二月二日に自殺をしている。それだけではなくて、釧路地方公安調査局の蠇崎第二課長、それから函館地方公安調査局の菅原第一課長、この二人も相前後して釧路地検での事情聴取を受けているわけです。この三人とも釧路の公安調査局の課長を相前後して勤めていた人であります。この三人とも釧路に着いてから清水と接触をしています。ところが、函館や旭川へ転任してから後も、清水の方が赴任地の函館や旭川を訪ねる形で接触をしているわけです。昨年だけでも船山、菅原という人は数回会っているし、釧路の蠇崎課長は約十回ぐらい清水と会っている。清水はそのたびにソ連側の指示に従って、ソ連の方から指示を受けているわけですから、右翼や北方領土返還運動などの情報を要求する、三人はそれに応じて口頭やあるいはコピーあるいは部内資料等の提供をする、こういうような状況があり、この清水という人は根室から旭川や函館までわざわざ出かけていったというところに私はなお問題があるし、その三人の課長は、こうして清水につながっておけばいつか利用できるだろうというような考え方があったのではないかと思います。だから資料提供をしていたんでしょうね。そのたびに清水はスナックや小料理屋でそれらの課長に酒食のもてなしをしているようです。清水の方がもてなしをしているようですね。
 この清水という人は、四十三年ごろから、つまり十数年にわたってこの公安調査庁との接触があるわけです。それでレポ船をやってきているわけです。レポ船の方は、五十二年には一隻、五十三年は五隻、五十四年は七隻に増加をしている。魚がレポ船をやることによってもうかるということなものですから、そういうことになって、それだけソ連への情報提供が進んでいったというわけです。つまり公安調査官の方は情報を与える。それによって魚がとれる。しかし、ソ連からの情報も来るかもしれませんけれども、それはごくわずかなものではないか、こういうふうなことになっているようであります。この事実は間違いないと思うのですが、どうでしょうか。>

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