野戦病院
自宅にて
今回の目まいでは病院を探すのにあたふたした。市民病院については、主治医の先生に「市民病院というのは野戦病院ですからね」と溜息まじりにいわれた。とはいうものの、結局はその市民病院に行くことになるのだが、行ってみるとたしかに野戦病院だ。
ぼくだって病院は、待合室のソファには2、3人の患者が待っているくらいがいい。静かにしていると、程なく名前を呼ばれる、といったひっそりとした所が理想である。でも自分の症状に適合した所を探すうちに、結局は市民病院ということになった。たしかに総合病院として大きいし、いざというときには入院施設もあるし、公の病院という安心感もあるしで、来ている人の数は凄い。みんなどこかに「痛」をかかえて、車椅子に乗ったり、松葉杖をついたり、点滴の器具を自分で引っ張っていたり、傷病兵が右往左往している感じだ。みんな銃弾で喉をやられて、肺をやられて、肝臓をやられて、ぼくだって銃弾で耳をやられて目まいで来ている。いや銃弾はちょっと違うが、でもこの野戦病院に最初に来たとき、ぼくも一人では立っていられなかった。
みんな前線で敵にやられた人々なのだ。早く治して前線に復帰しようとしている。ほとんどが年のいった小父さん、小母さん、お爺さん、お婆さんだ。野戦病院にいるのは、年寄りばかりだ。若者はどうした。前線で戦っていないのか。後方の内地にいて、のほほんとしているのか。
いや、若者は後方で金を相手に戦っている、というのかもしれない。たしかにね。でもこの野戦病院の傷病兵は、人生と戦っている。人生からリストラされそうなところを、何とか覆そうと努力している。はっきりいって死神と戦っているのだ。死神は金をぶっつけても倒れない。金をぶっつけられてひるむ死神もいるが、倒すまでには到れない。ぶっつける金もそうはない。でも金で倒れない相手というのは、戦い甲斐があるものだ。
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