三菱自動車(現在は三菱ふそうトラック・バス)製大型車のクラッチ系部品の欠陥隠しによる死亡事故で亡くなった男性運転手の弟(42)は、鹿児島市から駆け付けて傍聴席最前列で見守り、ハンカチを握り締めて判決を聞いた。「わずか39歳で落命した無念さは察するに余りある」と読み上げられると、目を真っ赤にしてまばたきを繰り返した。閉廷後、毎日新聞の取材に「判決で遺族感情を理解してくれたことはありがたい」と言葉少なに語った。
「兄は車を愛し、ドライブも好きだった」と振り返る。亡くなる数年前に、兄は鹿児島県国分市(現霧島市)に家を建て、妻(47)と20代の長男ら3人の息子がいた。二つ違いの兄とよく酒を酌み交わし、家族のことや悩みを語り合った。駆けつけた霊安室で、傷だらけの遺体と対面し「何でこうなるんだ」と絶叫した。兄嫁はただ泣きじゃくっていた。
あれから5年。この日を含め8回、鹿児島から横浜の法廷へ足を運んだ。「兄がなぜ死ななければならなかったのか、三菱側がなぜ欠陥を放置したのか、経緯を知りたい」。その一心だった。ある公判の帰り、同じ電車に乗った河添克彦、宇佐美隆両被告が話しながら笑っているのを見た。「兄はもう笑うことすらできない」。怒りがこみ上げ、車両を移った。同じ空気を吸いたくなかった。
リコール隠し発覚後、三菱自は品質保証体制を強化、組織立て直しを図った。しかし弟は「もっと前にすべきこと。三菱は何も変わらないでしょう」と語る。遺族の不信感は深い。【松谷譲二】
毎日新聞 2008年1月17日 2時30分