Short Mail
絵は説明できない。 絵画を売ることを 絵が言葉で完璧に説明できたら、それはもう絵である必要はない。 文章でいいのだ。 画家たちは、文字や言葉では伝えきれないものを表現するために絵筆を取る。 だからこそ、ときに絵は声もなく饒舌に人の心に訴えかけるのだろう。 少なくとも東海林はそう考えているので、時折客に「この絵を説明して」と請われて困惑する。 商売なので「無理です」と答えるわけにもいかない。 仕方なく、作家の技術的な特徴やら生い立ちやら代表作やらをつらつらと述べてみせるが、 それは実のところ絵の説明をしたことにはならない。 単に絵の周辺の説明をしただけだ。 厄介ではあるが、そこがこの仕事の面白さだとも思っている。 さらにこれは東海林の個人的な感想なのだが―― 魅力的な絵を描く人には、口べたなタイプが多い気がする。 千葉 日本画の大家だが、ほとんど「ウーン」しか言わない。 稀に多弁にして優れた画家もいるが、たいがいは無口で偏屈だ。 中にははっきり「口で説明できるなら、絵なんか描かん」と宣った大物もいる。 そして東海林は、とりわけ口べた……というか、言葉を知らない絵描きをひとり知っている。 正しくはマンガ家だ。 マンガの場合、絵だけではなく台詞もモノローグもあるので、 言葉を操る力も必要となるはずなのだが…… ♪ちゃらーららー りりらー まずい。携帯をマナーにしておくのを忘れた。 東海林は慌てて内ポケットに手を入れて消音する。 だが仕事相手は鋭かった。ティールームのテーブル越しに東海林を睨み、 「ルコちゃんね?」 と聞く。 彼女に――千葉茜を相手にとぼけようとしても無駄だ。 東海林は観念して頷き、ついでに「なぜわかるんです」と尋ねてみる。 「だって今の着メロ、ドラマ版『愛売る』のテーマソングじゃない。 絶対あなたの選曲じゃないし、ルコちゃんは立花キャンディと知り合いでしょ? だとしたら、ルコちゃん用の着メロだと考えるのが妥当だわ。……出なくていいの?」 「メールですから」 見抜かれている……東海林は内心で感心してしまったほどだ。 確かにこの着メロは、二木に頼まれてわざわざダウンロードし、 やはり二木にせがまれて、二木専用の着信音に設定したのだ。 「クリスマスなのに、あなたが仕事だから拗ねてるんじゃない?」 「クリスマスなのに仕事だったのは奴のほうですよ。原稿が上がったのは今朝方でしたから」 「あら。じゃ、東海林さんも徹夜?」 「三時間ほど仮眠しました」 こめかみを軽く揉んで答える。 寝不足なので少し頭痛がしていた。 まったく、年の瀬の忙しい時期に、迷惑な話である。 東海林と茜は、次の千葉叢星の個展開催の打ち合わせ中だ。 ティールームはホテルの一階にあり、そこかしこにクリスマスの装飾が施されている。 ロビー中央には大きなツリーが鎮座し、金色と赤のオーナメントが輝いていた。 「ね。ルコちゃんて、どんなメール打つの? っていうか、メール打てるの? 操作方法を理解しているのかしら」 「いくらなんでも、メールくらいは打てますよ」 「そうなんだ」 「まあ、詰まる音はダメですが」 「……小さい『っ』だとか?」 「ええ」 「じゃあ、『ラッコ』は『ラコ』になるの?」 「ええ。カタカナ変換もしません」 「……『らこ』ね」 「『らこ』ですね」 「……彼らしいわ……」 感慨深げに茜が言ったが、そこはむしろ笑うところだろう。 実際、二木の語彙の貧困さと来たらひどいものである。 もともと幼児並みの言語力な上、メールになるとほとんどひらがなだし、たまに変換してあるとたいがい間違っている。 メールを読むというより、暗号解読している気分になることもしばしばだ。 例えば しよじ かえりいつもの豚かてきて こんなメールが来たことがある。 豚? ブタ? なんでブタなんだ? 豚肉を買ってこいという意味か? だが「いつもの」って? 仕事が終わるまでの数時間、さんざん考えてハタと気がつく。 トーンだ。 ブタではなく、トーンなのだ。 『とん』で変換して『豚』が出たのだ。 「うはははははは、それってすごい。ルコちゃんもすごいけど、解読したあなたもすごい!」 東海林の話に、今度は茜も爆笑した。 「ときどき、宇宙人と交信してる気分になりますよ」 「ね、今来たメールは? 見せてって言ったら怒る?」 「怒りはしませんが……見てわかるメールかどうかは……」 ポケットから携帯を取り出し、東海林はメールをチェックする。 そしてつい、微笑んでしまった。 茜に「あっ、いやらしー」とからかわれてすぐに顔を引き締める。 携帯を差し出して「どうぞ」と言った。 「いいの?」 「ええ。わりとわかりやすいメールでした」 茜はいそいそと携帯を受け取り、液晶画面を見た。 読む、というほどのメールでもない。 一見してすぐ、クスクスと笑い出し「あー、もー、可愛い。ルコちゃんぽい!」と言う。 「それは最近覚えたんですよ」 「いつもこれ?」 「だいたいね」 東海林は戻ってきた携帯を再び見る。 だめだ。 どうしても、笑ってしまう。 覚束ない指で、携帯を操作している姿が思い浮かぶ。 最後に送信ボタンを押すときに、いつも小さな声で「えい」と言うのも知っている。 二木の携帯は東海林へのメールだらけだ。 受信はともかく、送信は八割がた東海林当てだろう。 二木の携帯に自分の名前が溢れているように 二木自身もすべて自分で満たしてしまいたい―― そんなことをつい考えてしまうのだから、これはもう重症である。 打ち合わせを終えたら、急いで帰ろう。 ケーキはもう予約してある。二木の好きなチキンもだ。 プレゼントがあることは黙っているので、どんな顔をするのか楽しみでならない。 「メリークリスマス」 茜が微笑んで言う。 東海林も心を込めて、同じ言葉を返した。 END ご感想をお寄せいただけると嬉しいです☆ 携帯用はこちら PC用フォームはこちら このページを閉じる 素材提供 |