朝。
朝、2階の部屋の窓から外を眺めると、下から「君」が僕を見上げていた。
ただそれだけで、元気になる瞬間。
さ、今日も頑張ろう!
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外出中にケイタイが鳴る。ポケットのケイタイを取り出す。
着信中・・・・「その人」の名前が表示される。
僕は、鳴っているケイタイを見つめる。
ぅぅぅ・・・出たくない。今、外出中だし、なんとなく「その人」と喋る気持ちになれない。「その人」が嫌いな訳じゃない。そうだ、仕事中で気づかなかった事にすればいい、また夜に落ち着いたらこちらからかけ直せばいいさ、でも、面倒くさいな、今、電話に出ておこうかな、それなら電話代もかからないし(苦笑)・・・・、いや、やっぱり今しゃべりたくないな、ゆっくり腰を落ち着けて後からかけ直す事にしよう、でも、こんな時間、何の用だろう?急用かな?出ようかな?いや、やめよう、後からかけるからいいさ・・・・
・・・・・・ワンコールかツーコール鳴る「短い時間」の間に、色んな自分の「ココロ」が入れ替わる。すごいスピードだ。
結局、僕は電話に出ないまま、またケイタイをポケットにしまい込んだ。ポケットの中のケイタイがようやく鳴りやんだ。
「ま、いっか・・・・」
・・・・・・・・その後、数分したらメールが着信した。「その人」からだ。
「何、無視してんの。車から見てたんだよ!楽しそうね!」
しまった!外出先の「俺の姿」を見て、さっき電話してたのか・・・僕は思わずキョロキョロしてしまう(笑)。「かくれんぼ」で鬼に見つかったみたいな感覚。
ってことはぁ・・「その人」は・・・、鳴っているケイタイを取り出してそのままポケットにしまい込んだ俺の姿の「一部始終」を至近距離からバッチリ・しっかり・全部見ていた訳なのね!感じワルイ~~俺。
でも、ヤボだね・・・・「その人」。
分かってるなら電話しなくてもいいのに。
あぁぁぁ、めんどくさい(苦笑)。
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ここ何ヶ月か、
一人相撲して
しょい込みすぎて
勝手に心がヤバくなってるのかな?
なんとなく胸あたりが苦しく、
脈拍のリズムがヘンだ。
ま、こうしてケイタイからブログ更新してるんだから、たいしたことないんだけどね!
でも、
早くも「次期」住職を探さなきゃ……か(爆)
いやいや、まだいける、まだまだいけるぞ!
不安定な鼓動を感じながら、回復まで独りソファーで横になっていると、
今の私が
冷静なのか、狂ってるのか分からなくなる。
あーだこーだ言っても、お粗末な私。
あ、記憶の底から、師匠の歌が流れてくるよ。
♪♪どうすればいい?分からないほど 逃げる場所もなく追いつめられても 誰のせいにもできやしないさ 馬鹿な自分で乗り越えなければ 降り止まぬ雨はない 虹の橋が架かるまで 生きてゆくことは苦しくて たやすくなんかないけれど ささやかな幸せの為に戦うのも悪くない♪♪
みのや雅彦「遥かなる」より
よし!治ったよ!!!
たぶんちょっとだけ、ブレただけだ。
あーだこーだ言っても、お粗末な私。
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最近夜になるとテレビを見ている。年末に録画しておいた映画などである。 本当は映画館で見たかったけど、ま、時間が過ぎれば、テレビで見れるからなぁ。
まず、 「手紙」(http://www.tegami-movie.jp/) を見た。
僕は「山田孝之」という俳優の演じる「影・暗さ」が好きなのだが、それ以上に「沢尻エリカ」の関西弁が気になってしまった・・・・(「パッチギ!」の方が良かったな)。
殺人という罪を犯し服役中の兄貴と、犯罪者の身内というレッテルがつきまとい何をやっても差別されて人生が狂っていく主人公との「手紙」のやりとりを軸にストーリーは展開していく。
いつもこういう映画を見ると、「レッテル」を貼って差別する「世間」とは誰か?そんな奴どこにいるんだ?なぜ「本人」を見てあげないのか?と知らず知らずのうちに「善人」という立場に立ってイライラしている自分を見つける。いや、この映画の鑑賞者は誰しも「善人」の立場で主人公のやるせなさに同情するのだろう。
善人顔で映画を見ている人しかいない「世間」ならば、差別者は存在しないことになり、主人公はここまで苦しまなくて済むだろう。じゃあ、映画に描かれている「差別する世間」とは、いったいどこにいる誰のことを指しているのか?
僕の友人で、「結婚を決意した妹を無理矢理に別れさせた」という奴がいる。「だって、身内の問題だせ。キレイゴトじゃないんだよ!」 その言葉に僕は何も言えなかった。
つまり、善人であるはずの自分が、状況・立場の中で「差別者」になっている。イコールなのだ。さらに、差別している事実すらも「善」という立場に立っている。「キレイゴトじゃないんだよ!」と。「自分」を「善」とする立場はなかなか揺るがない。
だから、「差別している世間」、主人公・山田を差別しているのは、映画をノンキに泣きながら見ている「自分」でもあるのだ、という観点でこの映画を鑑賞したら、自分が立っている「善」というものの「構造」を垣間見れるかもしれない。
次に、「武士の一分」(http://www.ichibun.jp/)を見た。
「木村拓哉」が毒味役の下級武士で、殿の御膳の毒味中に「赤ツブ貝」の毒にあたり目が見えなくなってしまう。盲人となった主人を必死で支える妻(檀れい)は、その後の生活を守るために、上役(坂東三津五郎)を頼るも、結果だまされて手込めにされる。そんな妻を離縁したキムタクは、「武士の一分」をかけて、坂東に果たし合いを申し込む。盲目のキムタクと、使い手・坂東との息を呑む決闘・・・・。
山田洋次監督の「画面タッチ」だなぁ、と嬉しくなりながら見ていた。
でも、どうしてもトップアイドル「SMAP」のキムタクの演じる時代劇・・・という自分の「先入観」。昔みたいな「時代劇のスター」の出現を待ちこがれる自分ではありますが、そんな事よりも、キムタクの「侍ぶり」は見事でした。
そして、ラストシーンで、キムタクのところに帰ってくる妻・檀れいが、
「せば、あなたのそばにいてもいいんでがんすか・・・」
と泣きながらキムタクに許されるシーン。号泣・・・・。
「あなたのそばにいる」・・・っていい言葉だな。ホントに。
次に、映画ではないけれど、
「3年B組 金八先生 新春2時間スペシャル」(http://www.tbs.co.jp/kinpachi/)。
親に交際を反対されて「駆け落ち」したB組の彩華。そんな彩華を迎えに行った金八先生に、
「悪かった、でも、間違ってはいない」
と話す彩華の想いを尊重する金八先生。 うん、いい感じ。
フィクションの「学校ドラマ」とは分かっていても、やっぱり大好きなドラマだ。
この言葉は、「言い訳」や「開き直り」や「自己弁護」に使う言葉ではない。
胸一杯に生きているのになかなかうまくいかない人生。
涙をこらえながら、地面に足をつけて、現実の中へ歩み直す時の「覚悟」なのだと想う。
「悪かった。でも間違ってはいない」
「うん、間違っていない。でも、悪かったなぁ・・・」
頑なになったり、恥ずかしくなったり。
・・・僕もだ。
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さっきから、
ブログの更新ネタを4本書いた。
ちなみに、投稿タイトルは、
・「絵文字嫌い」
・「再可決って・・・?」
・「同じ法話を繰り返し話すということ」
・「自分の冷たさ」
・・・・以上の4本を書いたのだけれど、
その都度、4つとも「削除」してしまった。
表現したい事はあったんだ。
でも、その表現が成立しない場合がある。
その一言一言の重さを考える。
なんとなく不安定な日々に沸き上がる「表現」は、
例えば、
個人攻撃として表出し、
その個人を特定されない為に、
イニシャル表記になり、
やっぱイニシャル表記はなんかイヤらしいなと
遠回しな表現に変更し、
遠回しな表現をアレコレと考えているウチに
そんな自分のイヤらしさにテンションが下がり、
結局、
削除してしまったのである。
新規投稿を書いて、
ブログの「投稿ボタン」をクリックする瞬間、
「表現」がネット上に飛び出していく瞬間、
いつも、緊張する。
やはり、楽しくも、哀しくも、絶好調でも、絶不調でも、
その書いている自分自身が「文責を担う」という意味で「ノっていない」と
「表現」ってものは成立しないようである。
・・・・・ていう以上の文章が
本日5本目に書いた投稿ネタであり、
それを採用してしまう自分デシタ・・・(トホホ)
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今夜、またお通夜でした。
お通夜では、お経の後で「お話(法話)」をさせていただくので、やはり緊張しますし、疲れます。今日の「お坊さん」としての自分は果たしてどうだったのか、お伝えしなきゃならない事を、お伝えすることができたのだろうか、いつも不安なのですが・・・。
帰ってから私服に着替えて、久々に近所の本屋に行ってきました。「新書」を2冊ばかり購入。
ウチに戻り、自分の部屋のソファーで横になりながら、「読みたかった本」をやっと読めている「時間」が、今は一番好きなんだなぁ…。
…といいながら、ウトウトばかりして、なかなか読めてないんだけどね(^^;)
でも、そんなウトウトも好きなんだよなぁ…。
今日という日の「業(わざ)」を為し終えた時間。
「ひとり」の時間。
今の自分にとって「大切な」時間。
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「僕はマイナス思考です・・・・」
などと言うとイメージが悪いので、批判されたり、心配されたり、バカにされたりするかもしれない。
でも、何でも自分の都合よく、うまくいくのが「当たり前」という土台に立っているよりも、
そうじゃなく、
全ては、つながり・関わり合い(縁)の中にあり、思い通りにいかない事の方が多い、「ママにならない(諸行無常)、アテにならない(諸法無我)」という土台に立っている方が、
期待を裏切られ、思い通りにならなくても、それはそれで「当たり前」だし、
逆に、
もしも、
期待通りに、思い通りにうまくいったならば
涙が出るくらい嬉しく、腹の底から「有り難う」と喜べるのだ!!
だから、僕のこんな「マイナス思考」は、そのまま「プラス思考」につながっているのだと思っている。いや、そうありたいと思っている。
単なるマイナス思考ではイジケてるに過ぎないし、単なるプラス思考では転んだときモロイ。
だから、
自分の都合を「土台」にしないこと・・・・、
・・・いや、それはムリなので、
自分の都合のみを「土台」にしている自分自身に気づきなさいよ!っていう呼びかけを「仏教」の教えからいただき、シッカリと歩む姿勢を学び、実践したい。
私には、お守りも厄払いも不要。だってそんなものでエゴを「土台」にしたままの自分を甘やかし、誤魔化してみたところで、「生まれた」以上100%「老・病・死」の人生に「都合」を裏切られ、アテにならない・ママにならない「結末」が待っているからだ。
「当たり前」の反対語は「有ること難し(ありがとう)」なのだ。
日常の何気ない瞬間を「有り難う」と喜べるのか、
それとも、
「当たり前じゃ~~ん」として無感動に素通りしていくのか・・・・。
僕は、そんな事を日々の中で学ばせていただいている浄土真宗のお坊さんです(^_^) いや、そうありたいと思っている38歳のオッサンです(*^_^*)
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みのや師匠のフレーズ。
「頑張っても必ずうまくいくとは限らない」
そうなんだ。
「でも、頑張れば必ず感動できる」
「感動する為に生きている」
まさにそうなんだ。
今年の僕には、
「静かな志」がある。
あくまでも「静かな」だ(笑)
だから、たとえうまくいかなくても、また「静かに」体勢を立て直すだろう。
でも、
今年の「初夢」で見た光景は、すべてに絶望して「割腹自殺」をしようとする自分だった…。実は一皮むけば、悲しいくらい不安定な自分自身であることを再確認した初夢。
どこかで投げやりになっていたのかもしれない。
昔みたいに「メラメラ」できなくなった自分がいるのも事実だからだ。
でもね、
やっぱり やらなきゃならない。
♪崩れ落ちた時間だけ 強くなってく魂がある・・・
(みのや雅彦『たとえ空から無情の雨が降り続けても』より)
「根」を強く。
突風が吹いても「折れない心」で…。今年。
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