「裁判員制度」は国民を否定する愚策―井上薫(弁護士)(1)
2008年1月16日(水)11:35弊害は国家全体に及ぶ
裁判官は、国家権力の一翼である司法権を独立して行使するのに、そのポストに就くのに国民の選挙を経ていない。ただ、法律に基づく裁判の要請(憲法七六条三項)により、全国民の代表者である国会議員により構成される国会が制定した法律に裁判官を従わせることで、民意が裁判に反映されるようにした。このシステム(司法の民主的コントロール)こそ、日本国憲法が、国家統治の根本原理である国民主権の原理を司法権にまで届かせるために採用した唯一の手段である。法律に基づく裁判の要請以外の場面では、裁判官は独立して職権を行使する(憲法七六条三項)ので、裁判官を民意に従わせることはできないのである。
法律に基づく裁判の要請を実現するためには、裁判官には、法律の素養(独立して判断ができるレベル)が必要となる。これまで、裁判官志望者に司法試験や司法修習を義務付けてきたのは、そのためである。この程度の法律の素養は、裁判をするためには、最低限必要だということを証明している。まさか、裁判官志望者に対し、裁判官の職務に必要のない知識を取得するように、法律が義務付けていたとはいえまい。
以上の基礎知識を基にして、裁判員が裁判所の構成に参加することの可否について考えてみよう。
裁判員は、有権者のなかからくじで選ばれる。その条件とされる教養のレベルは、義務教育卒業程度である。しかし、それだけでは、法律知識については素人というほかはない。これでは、裁判員が参加する裁判所は、法律に基づく裁判ができる保障がなくなってしまう。たとえば、法律に基づかないで死刑にされてしまう可能性が、これまでより格段に高まるのである。こんな裁判で本当によいのだろうか?
法律に基づく裁判ができないということは、国民主権の原理が、司法権には届かなくなることを意味する。これでは、憲法の国家統治の根本原理である国民主権の原理の否定そのものである。つまり、裁判員制度を創設した裁判員法は、丸ごと憲法に違反すると断定しなければならない。
憲法は、日本国にある多数の法規のなかでも最高のものである。だから、国会が法律をつくるにも、憲法に違反しないように注意しなければならない。もし、憲法に違反する法律が制定されたとしても、それは無効であるから、ないのと同じである。この理屈を裁判員法に当てはめてみよう。すると裁判員法は、憲法違反があることにより無効となる。
しかも、その憲法違反があるのは、裁判員が法律の素養を欠くという点にある。裁判員は有権者のなかから選ぶから、法律の素養を欠くのは、制度上の宿命である。そのため、裁判員制度は、その制度のもっとも本質的部分に憲法違反という重大な欠陥を含んでいるといえよう。だから、裁判員制度は、その一部を多少手直ししたところで、先に述べた憲法違反という重大な欠陥をなくすことはできない。この憲法違反をなくすには、裁判員法を廃止して裁判員制度を丸ごとなくすしかないのである。
思えば、日本国憲法は、戦前の刑事司法に見た被疑者に対する拷問等に対する反省から、被疑者や被告人の権利を基本的人権と定めて、たとえ立法権でさえこれらの権利を侵害することを禁じた。六法全書の憲法の個所の見出しを見るだけでも、その真剣な熱い心がひしひしと伝わってくる。
たとえば、法定の手続きの保障、裁判を受ける権利、逮捕の要件、抑留・拘禁の要件、不法拘禁に対する保障、住居の不可侵、拷問及び残虐刑の禁止、刑事被告人の権利、自己に不利益な供述、自白の証拠能力、遡及処罰の禁止・一事不再理、刑事補償の各規定がある。
でも、それ自体は、所詮紙に書いた存在でしかない。これらの規定が意味をもつためには、現実の刑事裁判で用いられなければならない。
ところが、裁判員制度の下では、裁判員が法律の素人であるため、これらの人権規定が現実の刑事裁判で用いられることは当てにできなくなるのである。憲法の下に位置する裁判員法によって、憲法の人権規定が有名無実と化するのを黙って指をくわえて眺めているしかないのだろうか?
国会が、いくら国民の利益のために法律を制定しても、裁判所に行く(俗に「出るところに出る」という)と使われる保証のない法律を、いったい誰がまじめに守るであろうか?
こうなると、法律の威信が失墜し、さらには、ろくろく守られもしない法律を制定する国会とは、なんとバカな存在かと思われ、これまたその威信が失墜することは免れない。国会は、国民の代表者が集まり、その時々の国家の最高の意思を決定する場である。その国会の地位の低下は、すなわち、国民の主権者としての地位の弱体化を象徴している。
このように、裁判員制度の弊害は、たんに司法制度の自殺というような狭い範囲にとどまらず、国家統治システム全体に及ぶ。裁判員制度の是非を論じるならば、この国家全体を呑み込む大きなスケールをつねに念頭に置かなければならない。この点を正しく理解しない意見は、国民を惑わす亡国の詭弁というべきである。
裁判官は、国家権力の一翼である司法権を独立して行使するのに、そのポストに就くのに国民の選挙を経ていない。ただ、法律に基づく裁判の要請(憲法七六条三項)により、全国民の代表者である国会議員により構成される国会が制定した法律に裁判官を従わせることで、民意が裁判に反映されるようにした。このシステム(司法の民主的コントロール)こそ、日本国憲法が、国家統治の根本原理である国民主権の原理を司法権にまで届かせるために採用した唯一の手段である。法律に基づく裁判の要請以外の場面では、裁判官は独立して職権を行使する(憲法七六条三項)ので、裁判官を民意に従わせることはできないのである。
法律に基づく裁判の要請を実現するためには、裁判官には、法律の素養(独立して判断ができるレベル)が必要となる。これまで、裁判官志望者に司法試験や司法修習を義務付けてきたのは、そのためである。この程度の法律の素養は、裁判をするためには、最低限必要だということを証明している。まさか、裁判官志望者に対し、裁判官の職務に必要のない知識を取得するように、法律が義務付けていたとはいえまい。
以上の基礎知識を基にして、裁判員が裁判所の構成に参加することの可否について考えてみよう。
裁判員は、有権者のなかからくじで選ばれる。その条件とされる教養のレベルは、義務教育卒業程度である。しかし、それだけでは、法律知識については素人というほかはない。これでは、裁判員が参加する裁判所は、法律に基づく裁判ができる保障がなくなってしまう。たとえば、法律に基づかないで死刑にされてしまう可能性が、これまでより格段に高まるのである。こんな裁判で本当によいのだろうか?
法律に基づく裁判ができないということは、国民主権の原理が、司法権には届かなくなることを意味する。これでは、憲法の国家統治の根本原理である国民主権の原理の否定そのものである。つまり、裁判員制度を創設した裁判員法は、丸ごと憲法に違反すると断定しなければならない。
憲法は、日本国にある多数の法規のなかでも最高のものである。だから、国会が法律をつくるにも、憲法に違反しないように注意しなければならない。もし、憲法に違反する法律が制定されたとしても、それは無効であるから、ないのと同じである。この理屈を裁判員法に当てはめてみよう。すると裁判員法は、憲法違反があることにより無効となる。
しかも、その憲法違反があるのは、裁判員が法律の素養を欠くという点にある。裁判員は有権者のなかから選ぶから、法律の素養を欠くのは、制度上の宿命である。そのため、裁判員制度は、その制度のもっとも本質的部分に憲法違反という重大な欠陥を含んでいるといえよう。だから、裁判員制度は、その一部を多少手直ししたところで、先に述べた憲法違反という重大な欠陥をなくすことはできない。この憲法違反をなくすには、裁判員法を廃止して裁判員制度を丸ごとなくすしかないのである。
思えば、日本国憲法は、戦前の刑事司法に見た被疑者に対する拷問等に対する反省から、被疑者や被告人の権利を基本的人権と定めて、たとえ立法権でさえこれらの権利を侵害することを禁じた。六法全書の憲法の個所の見出しを見るだけでも、その真剣な熱い心がひしひしと伝わってくる。
たとえば、法定の手続きの保障、裁判を受ける権利、逮捕の要件、抑留・拘禁の要件、不法拘禁に対する保障、住居の不可侵、拷問及び残虐刑の禁止、刑事被告人の権利、自己に不利益な供述、自白の証拠能力、遡及処罰の禁止・一事不再理、刑事補償の各規定がある。
でも、それ自体は、所詮紙に書いた存在でしかない。これらの規定が意味をもつためには、現実の刑事裁判で用いられなければならない。
ところが、裁判員制度の下では、裁判員が法律の素人であるため、これらの人権規定が現実の刑事裁判で用いられることは当てにできなくなるのである。憲法の下に位置する裁判員法によって、憲法の人権規定が有名無実と化するのを黙って指をくわえて眺めているしかないのだろうか?
国会が、いくら国民の利益のために法律を制定しても、裁判所に行く(俗に「出るところに出る」という)と使われる保証のない法律を、いったい誰がまじめに守るであろうか?
こうなると、法律の威信が失墜し、さらには、ろくろく守られもしない法律を制定する国会とは、なんとバカな存在かと思われ、これまたその威信が失墜することは免れない。国会は、国民の代表者が集まり、その時々の国家の最高の意思を決定する場である。その国会の地位の低下は、すなわち、国民の主権者としての地位の弱体化を象徴している。
このように、裁判員制度の弊害は、たんに司法制度の自殺というような狭い範囲にとどまらず、国家統治システム全体に及ぶ。裁判員制度の是非を論じるならば、この国家全体を呑み込む大きなスケールをつねに念頭に置かなければならない。この点を正しく理解しない意見は、国民を惑わす亡国の詭弁というべきである。
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月刊誌『Voice』は、昭和52年12月の創刊以来、激しく揺れ動く現代社会のさまざまな問題を幅広くとりあげ、つねに新鮮な視点と確かなビジョンを提起する総合誌です。
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編集部のチェック
裁判員制度(さいばんいんせいど)とは、一定の刑事裁判において、国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する日本の司法・裁判制度をいう。裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(平成16年法律第63号。以下「法」という)により規定され、2009年(平成21年)5月までに開始される予定。>>続きを読む(goo Wikipedia記事検索)
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