薬害肝炎訴訟の和解基本合意書が十五日、締結された。血液製剤「フィブリノゲン」「第9因子製剤」の投与時期を問わず薬害C型肝炎の被害者を一律救済するための法律が成立したが、血液製剤を投与されたことの証明が壁として立ちはだかる。鳥取県西伯郡内の女性患者、吉野恵理子さん(55)=仮名=は三十一年前の第一子出産の大量出血時に感染したとみられ、医師に記憶をたどって薬剤使用証明書に記入してもらったものの、「裁判に勝てない」と言われて原告団に加われなかった。吉野さんは「私はどうやって救ってもらえるのか」と不安を訴える。
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第一子出産時に多量出血した旨の記述がある母子手帳を手にする吉野さん
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今月十一日、参院本会議で薬害肝炎被害者救済特別措置法が全会一致で可決。明るい表情を見せる原告団メンバーをテレビで見て、吉野さんは悔し涙があふれた。「本当は喜ばしいことなんです。あの人たちが頑張ったからここまで前進した。だけど人間ですから、あの人たちが笑顔なのに何で私は泣かないといけないのと思って…」
吉野さんは五年前、疲れが取れないため受診したところ、肝炎を発症していた。二十年前に検査でC型肝炎ウイルスに感染していることが分かったが、治療はしていなかった。「このままだと肝臓がんになる」と医師に言われ、インターフェロン治療を受けた。
副作用に苦しんだ。発熱、食欲不振、うつ状態…。二回、一年半にわたって治療を受け、完治はしていない。支払った医療費は約百八十万円。生活へのしわ寄せや、治療に耐えるには精神の安定が大事なため、一年半前から治療を中断している。
■看護日誌見つかる
この間、薬害肝炎訴訟の動きを知り、原告団に加えてもらおうと調査を開始。二十五年前に第二子を出産した鳥取県内の総合病院に看護日誌が残されており、三十一年前の第一子出産時について「多量出血し、二〇〇〇ミリリットル輸血す」との記述があった。
第二子を産む時、第一子を出産した医院から総合病院に妊娠九カ月すぎで転院しており、医院の紹介状の内容を基に記述されたとみられる。
看護日誌のコピーを手に医院を訪ね、当時の主治医に薬剤使用証明書への記入を頼んだ。それまで二回訪ねた際「記憶がない」としていた主治医は、コピーを見て「輸血を施行したであろうとの可能性は考えられます。同時に止血剤も使用したと思います」と書いてくれた。
■納品伝票残されず
使用証明書を看護日誌コピーに添えて原告弁護団に郵送し、「ああ良かった。これで一歩前進だ」とほっとしたが、弁護士からは「記憶でもいいからフィブリノゲンを使ったと書いてもらわないとだめだ」と指摘された。
その医院は二〇〇四年十二月に公表されたフィブリノゲン製剤納入医療機関一覧に名前があった。弁護士の助言で年明けに鳥取県を通して医院の納品伝票を調べてもらったが、伝票の保管期間は十六年間で残っていなかった。
吉野さんは「ここまで調べたのに、これ以上私の力ではどうにもなりません」と落胆する。「薬害肝炎の可能性がある私のような立場にある人たちを見極めてくれる場すら提供してくれないのに、何で全員一律救済かと言いたい」と、政府などによる全被害者救済への方向付けを望んでいる。