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JAPAN 韓国の正史である三国史記「新羅は日本人が作った」「新羅王は日本人」   |  伝統
No.83250    投稿者: big_wide_face    作成日:2008-01-16 00:45:11 閲覧数:278    推薦ポイント:4 / 0
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周知の事実ですが、新羅の第四代王の昔脱解(在位 57年-80年)は日本人です。

三国史記『新羅本紀』脱解尼師今 を読んでみます。

なお、青い字の文章は漢文なので、翻訳で分からない場合は、日本語側で確認して下さい。

【三国史記】脱解尼師今立、一云吐解。時年六十二、姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。初其國王娶女國王女為妻。有娠七年、乃生大卵。王曰「人而生卵不祥也。宜棄之」。其女不忍、以帛卵裏寶物置於櫝中、浮於海、任其所往

脱解尼師今が立った、一説に吐解という。時に年六十二歳、姓は昔。妃は阿孝夫人。脱解は、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。初め、その国王は女国の王女を娶って妻とした。懐妊から七年、大きな卵を産んだ。王が言うには「人にして卵を生むのは不祥である。適当に廃棄せよ」。その王女は忍び難く、絹布にを包み、宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、海に浮べ、その行く先を(潮流に)任せた。

多婆那国ですが、実在する国と考えた場合、倭国の東北一千里ですから、日本列島以外に想定できません。具体的には、丹波国が有力です。8世紀に丹波国は丹波と丹後に分割されます。 卵や棺(ひつぎ)は当然、「船」を意味します。卵生・箱舟神話です。三国遺事には「船」と明記されています

【三国遺事】脱解齒叱今(一作吐解尼師今)。南解王時、駕洛國海中有船來泊。其國首露王與臣民鼓譟而迎。將欲留之、而舡乃飛走、至於鶏林東下西知村阿珍浦(今有上西知下西知村名)。  

叱今(吐解尼師今とも)。 南解王の時代、駕洛国の海中に来泊するがあったその国の首露王臣民は大騒ぎで迎えたまさにこれを係留しようとすると、は飛ぶように走り去り、鶏下西知村阿珍浦に到着した。

要するに、船で倭国から渡来した人物です。更に言えば、

【三国史記】初至金官國海邊、金官人怪之不取。又至辰韓阿珍浦口。是始祖赫居世、在位三十九年也。時海邊老母、以繩引繋海岸。開見之、有一小児在焉。其母取養之。及壮身長九尺、風神秀朗、智識過人。或曰「此児不知姓氏。初来時、有一鵲飛鳴而隨之、宜省鵲字、以昔為氏。又解而出、宜名脱解」。

初めは金官国の海辺に着いたが、金官人はこれを怪しんで取得せず。また、辰韓の阿珍浦海岸に漂着した。これは始祖・赫居世の在位三十九年のことである。その時、海辺の老婆が(船を)縄で引き寄せて海岸に繋留させた。これを開けて見ると、一人の童児が中にいた。その老婆はこれを拾得して養育した。成長すると身長九尺、風貌は秀逸で明朗、智識は人に優れていた。あるいは曰く「この児の姓氏は不明。初めて来た時、一羽の鵲が飛来し、鳴きながら随伴したのだから、鵲の字を省略して、昔を以て氏と為す。また、解いて出てきたのだから、脱解と名付ける」。

金官国とは弁韓の一国です。このことから、脱解が対馬を経由して渡来したことがわかります。

【三国史記】脱解始以漁釣為業、供養其母、未嘗有懈色。母謂曰「汝非常人、骨相殊異、宜従學、以立功名」。於是、専精學問、兼知地理、望楊山下瓠公宅、以為吉地。設詭計、以取而居之。其地後為月城。

脱解は初め、漁釣りを生業と為し、その母を供養し、未だかつて懈怠の様子はなかった。母が言うには「汝は常人に非ず、骨相は特異、宜しく学修し、功名を立てなさい」。ここに学問に専念し、地理にも通じ、楊山の麓の瓠公(瓢公)の居宅を展望して、吉運を生む地勢と観た。詭計を設け、詐取してここに住む。その地は後に月城となる。

【三国史記】至南解王五年、聞其賢、以其女妻之。至七年、登庸為大輔、委以政事。儒理将死曰「先王顧命曰[吾死後、無論子壻。以年長且賢者、継位。是以寡人先立。今也宜伝其位焉」。 

南解王の治世五年(8年)、彼(脱解)が賢人であるとの噂を聞き、娘を彼の妻にした。治世七年(10年)には大輔に登用して、政事を委ねた。儒理が死に際して「先王は遺命に曰く[私の死後、無論息子や娘婿を問わず、年長の賢者を以て王位を継がせよ]。これを以て私が先に立ったが、今度は宜しく(脱解に)王位を相伝する」。

【三国史記】二年春正月、拜瓠公為大輔。二月、親祀始祖廟。

二年(58年)春正月、瓠公(瓢公)に大輔を拝命。二月、自ら始祖廟で祭祀。

ここに登場する瓢公とは、三国史記によると、

【三国史記】瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠腰、渡海而來、故稱瓠公。

瓠公(瓢公)は、その族と姓は未詳。本は倭人。初めは腰に瓢箪をぶらさげて、海を渡って来たことから、瓠公と称される。

とあるように、倭国から渡来してきた倭人です。瓠(瓢)とは瓢箪のことです。瓢箪を船縁二つけて倭国から渡来したので瓢箪公なのです。脱解は、その倭人(瓢公)の屋敷を詐取したのです。その様子は三国遺事に詳しく記述されています。

【三国遺事】望城中可居之地。見一峰如三日月。勢可久之地。乃下尋之。即瓠公宅也。乃設詭計。潛埋礪炭於其側。詰朝至門云。此是吾祖代家屋。

 瓠公云否。爭訟不決。乃告于官。官曰:以何驗是汝家。童曰:我本治匠乍出鄰。而人取居之。請堀地檢看。從之。果得礪炭。乃取而居為

(山上から)城中に居住すべき土地を(探して)展望すると、三日月のような霊峰を見つけた。永住すべき地勢だった。下山してこの地を訪れた。すなわち瓠公(瓢公)の居宅である。そこで、詭計を考案した。その家の側に砥石を埋め、朝になって門で詰問して言うには「ここは吾が祖の代の家屋である」。

瓠公(瓢公)は否定した。争訟が決着できない。そこで、裁判官に告げた。裁判官が曰く「どんな証拠があって自分の家だというのか」。童子が曰く「私は、元は鍛冶屋でしたが、少し隣郷に行っていたところ、他人に家を獲られたのです。土を掘って検証してください」。 これに応じたところ、果して砥石と炭がでてきた。そこで、家を取り上げて住居とした。

倭人の大臣(瓢公)から居宅を騙し取った智謀が評価され、後に新羅王の娘婿に成ります。倭人が絡んでいます。この居宅が後の月城(半月城)です。また、鍛冶、砥石、炭を埋めておいたと、あります。製鉄に関係しそうです。鉄については、中国の正史『三国志』東夷伝の辰韓・弁韓の条に記述があります。

【三国志】國出鐵、韓、濊、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡

国は鉄を産出し、韓、濊など皆、これを採りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくである。また二郡で供給する。

という記述があります。大和朝廷が韓半島の鉄の利権を重要視していたことは、有名です。瓢公も脱解も、鉄に絡んで、倭国から派遣された人物だったのでしょう。

さらに、倭人宰相の瓢箪公(瓢公)から騙し取った月城(半月城)とは雁鴨池(Anapji)の東南方向にある新羅時代の代表的宮廷のあった所です。史跡第16号に指定されているこの半月城は、その形が新月に似ている事から新月城、または月城といい、王がいる所という意味から在城とも呼ばれている、約900年間新羅が治めた所でした。

以上のように、新羅の第四代王の昔脱解は、倭国の丹波(現在の丹後半島)から出航し、対馬島を経由し、金官国への侵入に失敗した後、慶州に至り、倭人大臣から城を奪い、ここで新羅王に成った日本人でした。

 

新羅は日本に人質を送っていただけで無く

王自体が日本人だった事もあったわけですね。

三国史記にそう書いてあるのだから仕方無い。


IP xxx.84.xxx.232
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削除申告  
  qordnals852 01-16 02:32  
  日本が自ら言えば誰がミッヌンダヌンゴなの??? どうしても作るのね.. お前が歴史学者か?? それとも証拠物を持っている者か????? ちょっと考えあるようにして
   → aberu 01-16 02:45
      歴史学者の解釈及び漢文を解読したらこうなるんだが?漢字を読めなくした政治家に文句言いなさい。以上。
  qordnals852 01-16 02:47  
  いたずらに複雑にさせて主張がマッヌンゴッのようにゾザックゾムするな お前の話が事実なら国全体が物騷だろうなのに言葉は一部学者たちの主張をそれほど脹らますのは何なの
   → aberu 01-16 03:11
      三国史記は君達の国の歴史書だ。そこに虚偽を書いてるのなら、君達の祖先を蔑む事になる。漢文で書いてるのは、その頃の朝鮮では文字がそれしかないからだ。自分に都合のいい解釈しか信用しないから、他国の人間に指摘されるんだ。自分で学習して冷静に読めるようになりなさい。以上。
  endofshit 01-16 11:07  
  新羅が作られた時期に日本はなぜという地名さえなかったのに国という概念はイッオッウリョや天皇もまだいないだろうし
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