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2007年9月 8日 (土)

News & letters34

県の運命

実はこの原稿は、先週の木曜日に作ったものであるが、ブロッグの原稿掲載の操作ミスで消えたものを今再生しているものである。そのとき町の2,3の職員に消えた原稿「県の運命」を探してもらったが見つからなかった。自分は肩を痛めていてつらい思いをしながら打ち込んだ原稿なので大変惜しまれたものだ。

それは、安芸市のメルトセンターで開催された安芸郡市の市町村長会に県の部長が番外で現れてご託宣を述べられていたことについて、コメントしたものである。

その会議場では十分発言する機会がめぐってこなかった。

その場で私が発言したのは、先の参議院選挙で見るとおり、市町村合併などといって地方を切り捨てるという時代は終わった。地方を大事にするという逆方向が始まっているときに県が合併、合併といって地方疲弊の政策を採り続けるのはもうやめるべきだ、という趣旨であった。そうするとその部長は何を思ったのか、民主党が政権をとっても市町村合併はもっとどんどん推し進める、民主党ではもっとひどくなる、という趣旨をむきになって私に反論をした。県庁幹部が特定政党を頭ごなしに批判するのはなかなかのものであるが、私は別に民主党政権をとやかく言っているわけではなく、時代の流れをいっているのであり、他の同席した首長の中にも、合併を推し進めると町が疲弊する、という意見もかなり強かったのである。私は十分自説を説明する暇がなかったので、ブロッグに原稿を載せようとしたが、それが行方不明になったのである。その原稿を今思い出す。

タイトルは「県の運命」から「運命の県」にかえることにする。きょうの新聞でこの部長が橋本知事の「意中の人」であると報道されたので、このままでは県の命運が尽きかねないと思うからである。

その部長ら一行は、市町村合併のお勧めを例のごとくくどくどとしゃべっていたが県庁の幹部がやったという「政策協議」とやらのレジュメも私たちに示した。

その中身は陳腐なもので、県庁としては統治能力どころかもはや当事者能力をも完全に喪失しているとしか思えない代物であった。

部長が出したレジュメは県の財政が逼迫しているので県債の借り換え償還を検討している、とか、県勢を立て直すには第1次産業に力を入れなくてはならない、とかいう「政策」であった。政権末期になった県庁で今頃こんな程度の政策を鳩首協議しているかと思うとあほらしくなるのである。

やみ融資事件、横浜水産事件、坂本ダム事件など新聞が取り上げた大型疑惑事件だけではない。最近でも、外部監査委員が関係者に負担させろと結論付けた宿毛湾港の無用土地の買い上げ50億円、高知工科大学の12億円補助金使途不明事件、暦年数億円以上の無駄な支出を続けてきた職員互助会事件(18年度で打ち切り)など放漫財政をやりっぱなしにしてきた。

*県債の借り換えなどは10年も前にわれわれ大勢の県民が、市中銀行からの高利の借金について安い利子のものに借り替えて償還しろと監査請求で迫ったが、県はそれは知事の裁量権の範囲だといって取り合わなかったのである。財政は慢性的に逼迫しており、10年前も今も同じだ。世間では2%台以下の低金利が長く続いているとき8%以上の高金利を維持し払い続ける合理的根拠はあったのか。借金の証書には「県の財政事情によっては繰り上げ償還もできる」という1項も入っていた。安い金利のものに借り替えて繰り上げ償還をすることは毎年億単位の公債費の節減になった。こんな高利では結局借りた元金と同じ大きさの利子を支払うということになり、それぐらいなら、我慢をして金をためてから現金で支出をまかなうというほうがましであった。あまりに無自覚で無能ではなかったか。

*宿毛湾港の用地買収も中内知事の政策を受け継いだ形であるが、平成17年度あたりまで橋本知事の公印を推した支出関係書類が累積されている。何の用途のあてもなく、安くたのただの土地を高額で買い続けた。誰のために。核廃棄物関連の施設なら格好の場所ではないかと推測される土地だ。その50億円の借金は宿毛市の土地開発公社に長年肩代わりをさせて県の予算書や会計には姿を見せなかったが、宿毛市も音を上げた。それで仕方がなく県は例の転がしの手法を使って隠蔽工作を始めた。その50億円を宿毛市に貸し付けた形にして予算計上し、年度末に1日だけ銀行を介在させて返してもらって、すぐあくる日にまた同額を公社に貸し付けるという闇融資事件で使ったころがしの得意技だ。モード社の闇融資は10億ぐらいの金額だが、宿毛の場合は50億円だ。新聞はなぜもっとこの責任を追及しないのだろう。財政逼迫のどん詰まりの最近までこの土地を買い続けたのである。

*高知工科大学のある年の補助金12億円の使途がまったくわからなかった。普通の補助金の場合、使途は一冊の本でもその名前、金額まで明細の提出が求められる。もちろん、書店の領収書も添付される。

だが、平成11年度の工科大学の補助金の一部12億円の使途を示す明細も領収書も何も存在しなかった。住民訴訟で裁判にもなったが、大学の運営に使ったとか研究費に使ったという程度で何に使ったか説明できなかった。裁判官は、高知工科大学の設置と運営は公益にかなっているという理由で、それだけの理由でわれわれの請求を却下した。

使途の明細がわからなくてもいいというでたらめな判決であった。設立が公益にかなっているというのであれば、どこの大学も文部省認可だからソレに該当するだろう。

だからといってその大学で何に使ったかわからないような金の使い方をして許されるというのであろうか。

そもそも高知工科大学は「公設民営」だというのがうたい文句だった。

しかし、公設であるというなら県の公金の支出であるはずだから、学校建設の関係書類があるはずであった。しかし、開示請求をしても県庁には一枚の入札関係書類も存在しないし、一枚の図面も存在しない。入札をやったのは私的な学校法人であり、そもそも入札をしたかどうかも皆目わからない。土地は全て県のものであるから、あの程度の建物に数百億円の建設費が本当に必要だったかどうか点検の仕様がないのである。ある建築士の試算では百億円ほどが無駄ではないか、という。

そして、工科大学の実質の内容は、大学入試の偏差値を参考にするのもあながちむだではないだろう。

*県の知事や幹部職員を含む職員互助会への出費は3団体(県庁職員、教員、警察)あり、それぞれ県から億単位の支出を受けていた。レクレーションの費用や結婚祝い、入学祝などを公金でまかない、使い切れずに数十億円を現金で分配していた。

緊縮だとかいって、公共土木事業費はもとより福祉予算まで削っているときに、その団体には貯金がいっぱいあるのに補助金を取り続け、しまいにはその金を使いきれない、ペイオフ対策などといって金券にしたり現金をそのまま分配したりしていた。互助会の事務は何処でやっているのだ、というと、県庁職員の机の上を指差した。

******

あげてみれば切りがない。放漫、無計画、無責任。禁治産者という言葉が浮かぶ。

三無ダラリという言葉があるが、無駄、ムラ、無理を一言であらわしたものだ。

県庁の命運はもう尽きかけているというべきだ。いまどき、これ以上の過疎化を食い止めるために1次産業を大事にしなければならない、などということに気がついたという。

こんな手合いに気がつかれた1次産業のほうが迷惑だろう。

県庁はいまや、財政問題につきあれこれわれわれに講釈をたれるような立場ではない。

市町村を債権者にして債権者会議を開きその運命を県民に決してもらわねばならない立場にある。県の財産と人材を市町村に配分するべきだ。明治以来高知城の根元に盤居していた権力機構を解体する本格的な秩禄処分が必要になったというべきだろう。

明治の初頭、いち早く人権宣言をした高知県の運命を切り開かねばならない。

一番早く滅亡する県か、それとも、一番早く市町村の中にその資産を放下し、人民の中によみがえるか、運命の岐路に立つ。

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コメント

積年の高知県政のずさんな運営という暗部に対する、澤山さんの怒りに共感します。政治は、力ある特定勢力の利権の拡大に利用されるべきではなく、誠実に生きるすべての市民の幸福を実現することではないでしょうか。不正は許されません。
先頃、モード・アバンセへのやみ融資事件で元県幹部の実刑が確定しましたが、澤山さんは同和対策行政の理念について以前、こう述べていらっしゃいますね。
「乱脈な行政が行なわれ地域のボスにその甘い汁が吸われたとなれば差別意識は増幅されざるを得ない。・・同和対策は地域の近代化と民主化、自立意識の涵養が政策目的であった。物的な措置は手段であって主要な目的は周辺住民の差別意識の解消と地区住民の近代的な自立意識の確立であった。・・それは、教育にも似て成果よりも過程が、結果倫理よりも目的倫理が重視される事業である。どんな汚い方法でも結果さえよければいいというものではない。事業遂行過程の清明さ、民主的な人間関係の構築、踏みにじられた人権を回復する熱い願いがこもった部落解放への道程としてふさわしいものでなければならなかった。」(『橋本大二郎 闇の真相』2004年)
行政に身をおく人々が、理念にみちびかれた的確な実践をしていかなければ、時代の要請にこたえていくことはできないでしょう。

投稿 げき | 2007年9月 9日 (日) 06時59分

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