News & letters47
権力は踊る
狭山事件に見る 刑事裁判上に於ける 部落差別の論理
近年出石ト豊岡ニ人殺シノ公事アリテ、殺シ主知レヌニヨリテ、江戸へ訴ヘタルヲ、其公事三四年引ズリテ、遂ニ殺シ主知ラレザリキ。是公儀ノ奉行、我官位ニ自慢シテ、身貴ケレバ、知恵モ家中ノ士ヨリハヨキト思ヘルナリ。其所ノ守護ノ吟味ニテシレヌコトヲ、百四五十里外ヨリ、何トシテ知ラルベキヤウモナシ。畢竟下手人ヲ出シテ事スムコトナリ。其領主ノ吟味ニテ知レズンバ、ビンボウクジにナリトモシテ、下手人ヲ出スベキコトヲ、センギ仕リ候トテ、年月ヲヒキヅリ、ハテハ埒明ズシテ終ワルコト、愚ノ甚シキナラズヤ。殺シ主ハ其所ニテ皆シレルコトナリ。 而ルヲ徒党シテ隠シタルコト明白ナリ。サレバ其罪ハ殺シタル人同然ナレバ、何者ニテモ其ナカマニテ、殺サンコト、非法ノ刑ニアラザルナリ。(荻生 徂来『太平策』) はじめに 「武蔵野の俤は今纔に入間郡に残れり」とは、国木田独歩の名著『武蔵野』冒頭の言である。しかし、いわゆる高度経済成長の時期より、文明を名とする都市化の波に洗われてわずかに残っていた武蔵野の昔の俤も今は絶え果てた。住古、萱原の果てなき光景を以て、又近くは見渡す限りの林を以てその美しい詩趣を誇っていたという武蔵野は今は無い。時代の推移の中で武蔵野の風景は変わったのである。これについての感懐は、又、人それぞれにあるであろう。けれども我が三百万部落大衆が、武蔵野の入間川または狭山の地に、その大自然美の中に包み込まれてきた封建時代よりの部落差別について、その残存による傷ましい事件について、今なおこうして権力と争い、法廷内外で糾弾に立ち、なおかつ「パンを求めて石を投げつけられる」が如き迫害を受けている事実とその風景は、いささかも変じていないのである。
否、昔からの武蔵野の大地を吹き渡る酷烈な嵐は、それを遮る暖かき林の無い今は、もろに部落大衆の肌身を刺すように吹き抜けていたのである。
狭山差別裁判がこれである。
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