◇机上から、現場へ
息が白い。毎週月曜日の早朝、愛知県の安城(あんじょう)市役所近くの公園に副市長の山田朝夫さん(46)がいる。作業服姿で30人ほどの職員とレジ袋を手に道端のごみを拾う。「袋は洗えば次も使えますよ」。職員に声をかけ、自ら水道水で洗った。
東京大法学部から旧自治省(現総務省)に入省した。22年の官僚生活のうち地方勤務は17年。一昨年春、5カ所目の赴任地、安城に来た。「流しの公務員」を自任する。
入省5年目の90年、小選挙区制度の法案作りに追われた。休みなしで午前3時過ぎに帰宅する日が続いた。なのに世の中の役に立っている実感がない。
東大でも何をしていいか分からなかった。入省直後に鹿児島県に赴任し、初めて地方で暮らした。同じ食堂に3回通っただけで顔を覚えられた。人とのつながりが乾いた心にしみた。霞が関から逃れたかったせいかもしれない。
東京・青山の都営団地で生まれ育った。父は小さな化学メーカーの営業マン。夜間大学で苦学したことや、仕事の苦労は口にしない。平日に息子の野球の試合を応援しに来るが、勉強や進路には口を出さなかった。
大学4年の時、父は55歳で急逝した。生前、こう話していたと母に聞かされた。「朝夫は公務員には向かないな」
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大分県に出向していた95年、平松守彦知事(当時)に「久住(くじゅう)町に赴任したい」と直訴した。町の農業プロジェクトにかかわりたかった。知事に「田舎は甘くない」と諭された。本省は頭を冷やせと翌年、自治大学校に異動させる。辞職も覚悟して再び希望し翌春、妻子3人を連れて人口5000人の町の課長になる。35歳だった。
「成果を出さなければ」と気負った。有機農法を広めようと、公民館で説明会を開いた。しかし人が集まらない。農協幹部が「無農薬のトマトは病気になりやすい」と役場に抗議文を送ってきた。家を訪ねた幹部の目は「素人が勝手なこと言うな」と語っているようだった。
机上の構想を押しつけていたことに気付いた。知らないうちに霞が関と同じことをやっていた。まず自分でトマトを作り、実らせた。
東京都内の料理店で旧自治省の同期4人が集まったことがある。全員が40代前半で本省の課長補佐クラス。「本省のポストがなくなるぞ」と心配された。「もう霞が関じゃ使いものにならないよ」。自然に応えられた。
昨秋、総務省秘書課からメールが届いた。「職員に体験談を話してほしい」。省は4月、小規模な市町村に職員を出向させる人事を始める。現場をもっと知ってもらうためだ。組織が少し変わろうとしている。
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ふるさとの風景は、父とキャッチボールをした神宮外苑のイチョウ並木だ。育った団地はもうない。霞が関に戻ることもないだろう。父なら、今の生き方をどう思うだろうか。
「朝夫はやっぱり公務員には向いていなかったな」。母にだけはそう話すかもしれない。【文・加藤潔/写真・竹内幹】=つづく
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毎日新聞 2008年1月7日 東京朝刊