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記者の目:トヨタ過労死訴訟に見た「残業」認識=井上卓弥(サンデー毎日)

 ◇労基署に会社寄りの感--司法の認定事実覆すな

 <夫の命を奪ったサービス残業時間の算定や会社への是正指導さえ、うやむやにされるかもしれません>

 年の瀬に1通のメールが届いた。差出人は愛知県安城市の内野博子さん(38)。「トヨタ自動車社員過労死訴訟」の原告だった。

 名古屋地裁(多見谷寿郎裁判長)は11月30日、被告の豊田労働基準監督署に労災不認定処分の取り消しを命じる判決を下した。2週間後には、厚生労働省が控訴を見送り、異例の速さで国の敗訴が確定。「夫の頑張りがやっと認められました」。電話で安堵(あんど)の声を聞いた直後のメールだった。

 博子さんとの出会いは昨年春、格差社会を扱った連載企画「縦並び社会」の取材だ。気丈に振る舞いながらも、夫の死を振り返る時には目頭を押さえていた姿を思い出す。

 夫の健一さん(当時30歳)は3代続く「トヨタマン」。誇りを持って入社し、同県豊田市にある工場で品質管理の班長を務めていた。02年2月9日早朝、工場で残業明けの報告書をまとめながら不整脈に襲われ、いすから崩れ落ちて急逝。博子さんと3歳と1歳の子供たちが残された。

 当時は、工場では新車種増産の不具合が続き、健一さんは現場で叱責(しっせき)される毎日だった。若い班長には職場のまとめ役も集中。短い睡眠を削って自宅で書類を作りながら、「寝るのがいちばん幸せ」と漏らしていた。

 なのに、通夜に会社側から手渡されたのは「退職金」の書類。「会社に尽くして倒れた夫がなぜ退職扱いになるの」。やり切れぬ思いが、博子さんに労災申請を決意させた。

 プログラマーの仕事で家計を支えながら、夫の同僚や人事担当者を訪ね歩いた。勤務実態を手探りで調べ上げると、死亡前1カ月の残業は推定144時間に達していた。労災認定基準の80時間を大きく超える数字だったが、労基署は残業を45時間分しか認めず、労災は不認定になった。残りの残業分の大半が「業務外」とされた。

 残された道は提訴以外になかった。一昨年夏から法廷に立って、待ち続けた判決だった。博子さんが指摘したサービス残業を「業務と同様にとらえられる」とし、106時間超の残業を認定。労基署の決定を覆す内容だった。

 判決の朗報は、小学生に成長した2人の子供と位牌(いはい)に報告した。勝訴を信じて支えてくれた実家の母と祖父母の遺影にも手を合わせた。3人は昨年までに、相次いで他界していた。

 しかし、「七回忌に間に合った」とホッとする間もなく、労基署から耳を疑う発言が飛び出した。「労基署が当初認定した残業の賃金を基に労災保険金の支給額を算定する」というのだ。「判決を受け入れたのに、認定されたサービス残業分の時間がなぜ省かれるのか」。博子さんは憤る。

 労働基準法第36条に基づく月間残業時間の上限は45時間。通常は超過すれば違法残業だ。トヨタ過労死弁護団の田巻紘子弁護士は「労基署には、遺族救済のため保険金を適正に算定し、超過残業には是正指導を行う職権があります。残業106時間を会社に認めさせて、役割を果たすべきです。たとえ相手が世界のトヨタであろうと遠慮は許されません」と語る。

 豊田労基署には会社寄りの印象もぬぐえない。労災不認定の際、会社に配慮して適法スレスレの残業時間の認定にとどめたのではないか、という疑問が残る。不認定決定前の時期、同署の署長らがトヨタ系部品会社の割引券を使ってゴルフしていた癒着ぶりが後に明らかになり、この元署長らは今年4月、戒告等の処分を受けているのだ。

 行政の姿勢も冷淡だ。労基署の決定に不服があれば、国の労働保険審査会などに審査請求できるが、決定が変わるのはわずか5%程度。審査会委員は9人で年間約500件の申請をさばけず、近年は前年分と合わせ1000件弱が翌年に繰り越される。審査期間には制限すらない。

 稼ぎ手を失った母子がいまも数多く苦境の中で認定を待ちわびている。故意に審査を引き延ばし、間口を狭めていると非難されても仕方ない。

 パートタイムで娘3人を育てながら、夫の過労死認定を12年かけて勝ち取った同県一宮市の鈴木美穂さん(55)は「審査の不認定確定に3年。途中で提訴しても判決まで数年。さらに国の控訴もほぼ慣例化しています」と明かし「行政の冷たい姿勢は過労死が根絶されない一因です」と嘆く。

 博子さんの強い決意と行動力が明るみに引き出したサービス残業の実態。司法が認めた事実にふたをするような労働基準行政であってはならない。

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 ご意見は〒100-8051毎日新聞「記者の目」係kishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2007年12月27日 東京朝刊

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