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親代わり 共同生活 ――安心を築く(2)

子どもの駆け込み寺 必ず握手「目をそらさない。後ろ盾になる」


赤ちゃんと一緒に参加した卒業生に「よかったな」と喜ぶ広中住職(2日、愛知県岡崎市の西居院で)=川口武博撮影

 愛知県岡崎市の郊外で、山肌に張りつくように立つ小さな寺「西居院(さいきょいん)」。今月2日の新年会には、晴れ着姿の女性や、赤ん坊を連れた若い夫婦らが次々と訪れ、約170人が大広間でお節料理を囲んだ。

 「娘は何年生になった?」「元気でやっとるか」。住職の広中邦充(57)が一人ひとりに声をかけた。広間のあちこちで笑顔があふれ、一足早く、春が訪れたような温かな雰囲気に満ちていた。

 かつて、不登校や引きこもりだったり、虐待されたりした子どもたち。広中が問題を抱えた子たちを預かって12年が過ぎ、これまでに519人が寺を“巣立った”。そして、いつの間にか、正月には「卒業生」が集うのが、恒例になった。

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 非行を繰り返し、鑑別所や少年院に入っていた子どもも少なくない。新年会に家族で顔を見せたアヤコ(24)もその1人だった。

 アヤコは16歳の時、傷害事件を起こした。家には、酒に酔って暴力を振るう父と、けんかばかりしている母。鑑別所を出た後、ここに預けられ、約1年、過ごした。

 「寺には一緒に向き合ってくれる人がいた。唯一の居場所だった」

 広中と看護師の妻待子(57)が親代わりになり、常に十数人の子どもらと共同生活している。広中が弁当を作り、学校へみんなを送っていく。子どもたちは帰ったら必ず「ただいま」とあいさつし、夕飯は一緒。「門限を守る」「部屋にこもらない」などの約束事はあるが、何かを強制されるようなことはない。

 アヤコは今、4児の母。「家は、帰りたい場所であってほしいから、子どもには両親の仲のいいところを見せたいの」。たくましくなった卒業生を見るたび、広中も勇気づけられてきた。

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 貧乏寺の4人きょうだいの末っ子に生まれ、岡崎で育ったが、少年時代は「ワル」だった。

 高校2年の時、短髪反対の学生運動をとがめられ、校長の頭をスリッパでたたいて無期停学。腹が立ち、学校じゅうの窓ガラスを割って横浜まで逃げ、運送会社へ転がり込んだ。家族らに諭されて戻ったものの、今度は、友人の敵討ちでけんかをして警察ざたに――。

 しかし、そんな荒れた生活を、若い担任教師が変えた。「おれが守る」。担任は職員会議で土下座をし、手元に引き取った。大学に進学し、会社員や塾経営などを経て、家業を継いで住職になったのは1990年。その後、長男の通う高校のPTA会長になった時、非行を繰り返す子どもたちを見て、「今度は自分が守ってやる番」と、寺で預かることにした。

 現在、中学1年から32歳までの17人と寝食を共にするが、生活費は一切、受け取らず、広中の講演料と待子の給料で何とかやりくりしている。

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 強く印象に残っている子がいた。小学4年から不登校だったユウスケ。中学3年の時に寺へ来て、翌日から3か月間、休まず学校へ通ったが、家へ戻ると、また不登校になった。理由はわからない。ただ、「おじさんと一緒に卒業しようね」と手を握り、ぎゅっと抱きしめると、その日から再び、学校へ行けるようになった。

 広中は年200回を超える講演をこなす。その先々で、「苦しんでいる人がいたら必ず助けに行く」と話し、携帯電話の連絡先を伝える。一日に入るSOSは約100本。緊急事態には全国どこでも駆けつける。そして、子どもと対面した時、必ず握手をすることにしている。

 「子どもから決して目をそらさない。寄り添う心を持ち、後ろ盾になる」。その決意は、手から手へ伝わる。(敬称略、井沢夏穂)

昨年度、中学生のクラスに1人

 不登校
 文部科学省の調査によると、昨年度、病気や経済的理由以外で年間30日以上欠席した中学生の割合は2.86%だった。クラスに1人はいる計算で、60人に1人だった10年前に比べ大幅に増えている。また、小中学生が不登校になったきっかけ(複数回答)で、最も多かったのは「無気力や非行など」の4万6320人。「いじめ」は4688人だった。


2008年1月5日  読売新聞)
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