2008年01月14日

まったりPC

今日は10時まで寝て、まったりと過ごしてます。
PCで、お小遣い稼ぎ。なかなか貯まらないけど、まあ、塵も積もれば・・・。
もう、HP作ろうとか、アフィリで稼ごうなんて気持ちは消えつつあります。
IEのお気に入りにはポイントサイトだらけ。。。


では、話の続き・・・


平成15年3月29日、今までずっと胸の内に秘めていた想いをOさんに
告白してしまった。誰にも打ち明ける事はないと思っていたのに、『転勤』と
いうアクシデントが、私を動かしてしまった。
でも、Oさんは私を拒むわけでもなく、泣いている私を、ただ抱きしめてくれた。
もう、涙が止まらない。嬉し涙か、寂しくて泣いているのか、自分でも解らない。
泣きじゃくった顔で帰るわけにもいかず、しばらく一緒にいた。
もう、時間が遅くなったので帰ろうとした時、Oさんは「僕がおらんくなっても、
O局で頑張ってね」と言った。その言葉に、乾きかけていた涙がまた流れた。
Oさんは、私を抱きしめ、キスをした。
私は心臓が爆発しそうなくらい、ドキドキした。
そして耳元で「ケーキ食べに行こな」と。私は無言でうなずいた。
Oさんは「メールはいつでもできるから。転勤するけど、僕はどこにも行かないから。
ちょっと長い出張に行ってくるだけやよ」と言った。「長い出張?」訊き返した。
「うん。2年くらい待っといて。希望調書にO郵便局って書いて、戻ってくるから」
と言ってくれた。私は泣きながら、うなずいた。
OさんがO局に帰ってくるまで、O局で頑張ろうと思った。
涙を拭いて、Oさんと別れた。自分の車に乗って、Oさんと一緒にO局の駐車場を出た。
私は信号を左折。前を走るOさんはハザードランプを点灯してくれた。
アパートの駐車場に着き、鏡で顔を見た。涙でボロボロ。化粧を少し直した。
すでに、2時前。アパートの玄関をソーッと開け、小さな声で「ただいま〜」と言った。
Tはゲームをしていた。
「ごめんね。遅くなって。ご飯食べた?」と訊いた。
Tは「おう。こんな時間まで、何しとったんや?」と訊いてきた。
私は「G(ファミレス)で、Oさんと一緒にCさんに本人確認法を教えてたの」と言った。
Tは「3人でか?」と訊いてきたので、私は「うん」と答えた。
Tは「ええ身分やの〜。俺かて、局に行ってしたい仕事あるのに」と言った。
私は「私も早よ帰りたかったんやけど、Oさんの車で行ったから、2人が帰るまで
帰れへんだん。Cさんもかなり不安そうやし、仕方ないやん。ごめんね」と言った。
Tは「台所、片付けとけよ」と言った。いつもなら、ムカつく言葉なのだが、唇に残った
感触が、怒りを覚えさせない。
台所を片付け、お風呂に入った。
Tは私がお風呂から出てくるまで、ゲームを続けていた。
私はお風呂から出て、布団に入った。Tもゲームを終わって、布団に入った。
Tはそれ以上、何も言わなかった。サッカーのゲームをしていて、勝ったらしく「よっしゃ」
と言って、布団に入っていた。
この人の大切なものって何なんだろう?と疑問に思った。
私は布団に潜り込み、キスの感触を思い出しながら、内心、ニヤニヤしていた。
翌朝、日曜日。
Tは朝から、またゲーム。
私は、朝食を子ども達に食べさせ、洗濯して、天気が良かったので、布団を干した。
Oさんとキスをした事で、いつもはできないような家事も、何故か身体が動く。
Tへの罪悪感もあったからかもしれない。
いつもなら、ゲームばかりしているTに腹が立つのだが、今日は別にどうでもいい。
勝手にしやがれといった感じだ。
引越してきて、引きこもりになった頃から、Tに対する恋愛感情は消えつつあった。
ただの同居人のような感じ。それが、もう終わったなと思った瞬間だった。


 
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2008年01月13日

遅めの初詣

今日はTちゃんと会いました。
一緒にちょっと遅めの初詣に行ってきました。願い事はいっぱい。
神様、きいてくれるかな〜?今日、行った神社は小さな神社だったので、
おみくじがなくて、ちょっと残念でした。
でも、大吉な1年であると信じます。


では、話の続き・・・


平成15年3月29日、Oさんに栄転祝いにネクタイをプレゼントしに
O郵便局に行った。Oさんと一緒にCさんに貯金の仕事をいろいろと教えた。
時間がかかったので、ファミレスで食事して、ドリンクバーで飲み物を飲み
ながら、本人確認法の勉強をした。
21時半になり、Cさんは帰った。
私はOさんにO局まで送ってもらった。少し話した。
22時になったので、帰ろうとドアに手をかけた。その時、Oさんが
「僕がおらんくなっても、O局で頑張ってな」と言った。何気ない一言だが、
私は今までこらえていた涙が一気に溢れ出た。そしてOさんに抱きついてしまった。
「行かんといて。ずっと好きやったん」と言ってしまった。ずっと、一生、私の
胸の内に秘めておこうと思っていたのに、告白してしまった。Oさんは驚いただろう。
でも、私を抱きしめ、頭を撫でてくれた。しばらくそうしていてくれた。
私の肩を持って、抱きついていた身体を離した。そして涙を手で拭いてくれた。
私はティッシュで涙を拭いたが、こんな顔で家には帰れない。
もう少し、Oさんと一緒にいることにした。
車の中でテレビを見た。「恋のから騒ぎ」を見た。Oさんはテレビを見て笑っているが
私は笑えなかった。番組が終わった。と、いう事は12時。ヤバイ。Tに怒られる。
帰らなきゃ。でも、帰れない。Oさんの顔をジッと見つめた。Oさんは「長い出張に
行ってくるだけやよ」と言った。「長い出張?」「うん。2年くらいで帰ってくるから
待っといて」と言った。不安そうな顔をしている私に、Oさんは「大丈夫。ちゃんと
希望調書にO郵便局って書くから」と言った。その言葉に私はまた涙が流れてきて
しまった。今度はOさんから私を抱きしめてくれた。そして、私にキスをしてくれた。
Oさんの柔らかい唇が、私の唇に重なった。
私の心臓は飛び出そうなくらいドキドキしていた。もうこのまま溶けてなくなって
しまいたいくらいだった。
Oさんは、唇を離し、私を抱きしめたまま「ケーキ食べに行こな」と言った。私は
無言でうなずいた。Oさんは「いつでもメールしてくれればいいから。僕はF局に転勤
するけど、どこにも行かないから。O局のゆうメイト総務主任、頼むよ!」と言った。
私はまた、無言でうなずいた。
Oさんは私の身体を離し「もう帰らな」と言った。1時を回っていた。
私はOさんに「有難う」と言って、車を降りた。
隣に停めてある自分の車に乗った。涙を拭いて、エンジンをかけた。
Oさんの車が発進し、続いてついて行った。
私は2つ目の信号で左折。Oさんは直進。信号の手前でOさんは減速した。
私はウインカーを出し右にいるOさんを見ながら、左折した。Oさんはハザードを点滅
してくれた。アパートの駐車場に着いた。さて、Tに何て言い訳をしよう。
まず、鏡を見た。涙でぐしょぐしょ。軽く化粧を直した。
恐る恐る、玄関を開け、小さな声で「ただいま〜」と言った。Tはまだ起きていて、
ゲームをしていた。


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2008年01月12日

やや回復・・・

昨日まで、かなりゆううつで、食事はできるけど、会話ができなくて、
起きてはいられるけど、頭痛がして、頭がボーっとしてて、うつ状態でした。
生理も途中で止まってしまい、ストレスはいろんな所に現れます。
かなり辛いけど、今日はちょっとだけマシかな〜?


では、話の続き・・・


平成15年3月29日、Oさんに栄転祝いのネクタイを渡しにO郵便局に
行った。OさんはCさんに貯金の引継ぎをしていた。文書を読んで、
Cさんに説明。来年度の目標もCさんとTさんと私の3人で頑張ろうと。
後は本人確認法の説明をしなければならなかったが、18時を回っていたので、
Oさんが「飯、食いに行こう」と行ったので、私とCさんは家に電話をかけ、
了承を得て、3人でファミレスに行った。食事して、ドリンクバーの飲み物を
何杯もおかわりしながら、本人確認法について、Cさんに伝授した。
知らない間に21時半を回っていて、Cさんは「母ちゃん怖いから」と
帰る事になった。Cさんとはファミレスで別れた。
私はO局に車を置いて、Oさんに乗せてもらって来たので、またOさんに
局まで送ってもらった。局に着いてからも、車の中で少し話していた。
22時になったので、あんまり遅くなるとTに怒られると思い、私は「帰るわ」
と、ドアに手をかけた。その時、Oさんは「僕がおらんくなっても、O局で
頑張ってな」と言った。何気ない一言だったかもしれない。でも、私はその
一言で、今まで我慢していた涙が、一気に溢れ出た。転勤の話をYさんに
聞いてから、ずっと辛かった。独りで泣いたりしてたけど、Oさんの前では
一生懸命、明るく振舞っていた。Oさんはそれに気付いていたのか、いないのか、
最後まで、いつも通り明るく優しくしてくれていた。
涙が溢れて、止まらない。
私はOさんに抱きついてしまった。「行かんといて。ずっと好きやったん」と
言ってしまった。私の胸の内に秘めておこうと思っていた事を、とうとう
言ってしまった。心臓はバクバクして、今にも飛び出しそう。
男の人に告白するなんて、高校2年生以来。10年ぶり。
Oさんは、さぞかしビックリしただろう。私はTと仲のいい夫婦を演じていたから。
でも、Oさんは、泣きながら、抱きついた私を、抱きしめて、頭を撫でてくれた。
しばらく、何も言わずに、ずっとそうしてくれた。
10分くらい経っただろうか。Oさんは私の肩を持ち、抱きついていた身体を
離した。そして、涙を手で拭いてくれた。
私はバッグからティッシュを取り出し、涙を拭いた。
この顔で家には帰れない。
もう少し、Oさんと一緒にいる事にした。
Oさんの車の中で、テレビを一緒に見た。「恋のから騒ぎ」。さんまが面白い事を
言う。Oさんはそれを見て笑っている。でも、私は笑えない。私の心が大騒ぎしてる。
番組が終わってしまった。と、いう事は、もう12時。ヤバイ。Tに怒られる。
帰らなきゃ。でも、帰れない。Oさんの顔をじっと見つめた。
Oさんは、私の頭を撫でて「長い出張に行ってくるだけやよ」と言った。
「長い出張?」と訊いた。「うん。2年くらい待っといて。戻ってくるから」と。
不安そうな顔をしている私に「大丈夫。希望調書にO郵便局って書くから」と言って
くれた。その言葉に私はまた涙が流れてきてしまった。
今度はOさんの方から抱きしめてくれて、キスされた。
妄想の中で、私はOさんと何度もキスをしていた。それが現実になった。
妄想では味わえない、柔らかい唇が、私の唇と重なった。



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2008年01月11日

うつな日・・・続く

昨日に続いて、今日もゆううつです。
自分の気持ちが整理できなくて、どう生きていけばいいのか分かりません。
そんなに深く考えずに、もっと気楽に生きていけばいいんだろうけど。
ストレスからか、生理が止まってしまいました。4日で終わるなんて
普通ありえないですよね。



では、話の続き・・・


平成15年3月29日、土曜日、私は転勤していくOさんに栄転祝いに
ネクタイをプレゼントしにO郵便局に行った。
Oさんが次に貯金担当の総務主任になるCさんに、貯金の事を伝授していた。
4月から、公社になるので、改正もいろいろあって、文書が山積みになっていた。
その山積みの文書の中に、来年度の貯金の目標指数が書かれた文書があった。
今年度は、目標を達成する事ができなかった。というか、達成させようと
していなかった。職員のやる気がなかったので、Oさんは諦めていた。
でも、与えられた目標はやらなきゃ、給与泥棒と躾けられていた私には、
納得がいかなかった。来年度は、Cさんと2月から貯金に来たTさん。
私はこの2人なら、絶対できると思った。Cさんに3人で頑張ろうと励ました。
Oさんも「Cやんの事、助けたってくれな」と言ったので、私は「任せとき!」
と、言った。Oさんに頼まれたからには、私はこの目標を絶対に達成させると
決めた。
そして、Cさんに教えなければならないのが、年明けから始まった「本人確認法」だ。
時間が18時を回った。Oさんが「飯食いに行かへん?」と言った。
Cさんは奥さんに「飯食って、もうちょっと仕事してから帰るわ」と電話した。
夕飯を食べて、それから本腰を入れて、本人確認法を教えようとOさんは思った
のだろう。私はどうしようか悩んでいた。Tや子ども達を放ったらかしてご飯を
食べに行くのは、やっぱりまずいかな〜と思っていた。しかしOさんが「僕より
かおりんの方が本人確認法について勉強してるから、一緒にCやんに教えて欲しい」
と言われた。私はTに電話した。「今からご飯食べて、Oさんと一緒にCさんに
本人確認法の勉強会するんやけど、ええかな?」と訊いたら、Tは「子どもらも
寝とるし、ええよ」と言ったので、一緒に夕飯を食べる事になった。
夕飯は、ファミレスに行く事になったのだが、当時の私はO局から、そのファミレスに
行く道を知らなかった。なので、Oさんの車に乗せてもらう事になった。
Cさんは自分の車で行った。
Oさんと2人っきりの車の中は、心臓が飛び出るくらいドキドキしていた。
たわいない会話をしたのだが、どんな会話をしたか覚えていない。
ファミレスに着き、Cさんと合流した。
夕飯を食べたのだが、Oさんと一緒という状況で、食べ物が喉を通らない。
半分近く残した。Oさんに「かおりんは小食やな〜」と言われたが、そうじゃない。
緊張で喉は渇くので、ドリンクバーは数回おかわりした。
ドリンクバーの飲み物を飲みながら、3人で本人確認法の勉強をした。
知らない間に時間は過ぎ、21時半になっていた。
まだ全てを伝えられてはいないと思うが、ここでいろいろ言われても、Cさんも
覚えられないだろうし、実践しながら覚えるのが、一番手っ取り早いので、解散する
事にした。
Cさんは「あんまり遅くなると母ちゃん怖いで」と言っていた。
Cさんは、ファミレスから直接、家に帰った。
私は車をO郵便局に置いてあるので、OさんにO郵便局に送ってもらった。
局の駐車場で、Oさんとしばらく話していた。
22時になり、私はこんなに遅くなったら、Tに怒られると思い、帰るわと、ドアに
手をかけた。その瞬間、Oさんが「僕がおらんようになっても、O局で頑張って〜な」
と、言った。何気ない一言かもしれない。なのに私は、そのたった一言で、今まで
我慢していた涙が一気に溢れ出た。そして私はOさんに抱きついてしまった。


  
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2008年01月10日

今日はうつうつ・・・

Nクリニックから手紙が届いた。診断書を書き直すから、前の診断書を
送ってくれと。交換で新しい診断書を渡すと。初めから言ってくれれば、
一緒に送ったのに、また送料がかかった。勘弁して欲しい。
まあ、そんな事はどうでもいい。
今日はうつだ。
生きているのが、辛い。ひとつうまくいかないと、全て悪い方に捉えてしまう。
私の悪い癖だ。死にたいけど、死なないから、責めないでください。


では、話の続き・・・


平成15年3月29日土曜日、家族でジャスコに行き、Oさんへ栄転祝いに
ネクタイを買った。3時頃、アパートに戻り、子ども達はお昼寝をしていて、
Tはゲームをしていたので、今のうちに局に行って、Oさんに渡してくると
言って、O郵便局に行った。
他にも数名、仕事をしに来ている職員がいたが、こっそりOさんにネクタイを
渡した。Oさんは「ありがとう」と受け取って、ロッカーに入れに行った。
Oさんは4月からF局に転勤。代わりに郵便から来るCさんに貯金の事を
教えていた。Cさんは貯金の窓口をするのは12年ぶり。Cさんは自分は
仕事ができないのに、総務主任として、貯金・保険のみんなをまとめて、
指示も出さなければならない。部下の方が仕事ができるのに、部下に命令など
できるわけがない。Cさんはとても辛い立場だった。
4月から、郵便局は、郵政省から、日本郵政公社に変わる。
お客さんからすれば、何の違いもないのだが、中はゴチャゴチャだった。
取り扱いも、いろいろと改正があった。Oさんが読めずにためていた文書は
厚さ10cmはあった。
4月までに全てを読む事は、もう不可能だったので、Oさんはパラパラと
めくり、大事そうなのだけピックアップして、抜き出した。
公金(税金、年金、国保)などの支払いに来たお客さんには氏名と電話番号を
書いてもらう事になった。公金に関する事故が全国で多発しており、郵便局の
ミスで、未納になっている事もあったので、それを防止するために連絡先を
書いてもらう事になったのだ。お客さんからすれば、税金など払いたくない。
わざわざ郵便局まで来て、払いたくもない税金を払う。それだけでも、嫌な
気分になるのに、そこに加えて、この用紙に名前と電話番号を書けと言えば、
怒り出すお客さんもいるだろう。O郵便局に来るお客さんはタチが悪い人が
多いのだ。こういうケースばかりが想像ついてしまう。
実際、始まると「すみません。お手数おかけしますが、間違いがあった時に
連絡する場合がありますので、こちらにお名前とお電話番号をご記入お願い
できますか」と言えば、たいてい書いてくれた。「電話番号言うから、
あんたが書け」と言うお客さんもいたが、トラブルになる事はなかった。
そして、次に出てきたのは、平成15年度の貯金目標。
郵便局は公務員だから、ノルマなんかないと思っている人も多いだろうが、
そんな事はない。独立採算制なので、目標はあるのだ。
年金自動受取、自動払込、ゆうちょくらぶ、国際ボランティア貯金、ゆうちょ
ホームサービスの目標が書かれた文書が出てきた。
どれも、14年度より、数字が大きくなっている。特に自動払込はビックリ
するような数字だった。どうしてこんなにあがったの?と訊いたら、今年から、
自動車税の払込ができるようになったからという事だった。
年金自動受取は、窓口で声をかけて獲得するのは困難だ。今年から年金を
受け取れる人のリストを出して、その1件、1件に、電話をかけたり、訪問
したりして、獲得するしか、なかなか難しい。
自動払込は、電気や電話など公共料金や税金などを振り込みに来たお客さんに
声をかければ、獲得も可能だ。数打てば当たる。
ゆうちょくらぶとは、ゆうちょのキャッシュカードの保険。年に1度350円が
通帳から引き落とされ、通帳やカードを紛失・盗難などで、第三者におろされて
しまった場合、最高100万円まで保障されるといった商品だ。これは1件獲得
すると、自動払込とダブルカウントになるので、大きい。
国際ボランティア貯金は、通常貯金の利子の20〜100%を寄付するという
貯金。低金利なので、利子が付かないから、寄付する金額もすずめの涙。件数も
少ないし、これはすぐに達成できるだろう。
ホームサービスは、パソコンや携帯電話で、ゆうちょ間同士の送金ができたり、
残高を確認できたりするサービス。登録は無料だし、ネットオークションをやって
いる人には、ありがたいサービスだ。これもまあ、できるだろう。
とにかく、ネックは自動払込とゆうちょくらぶだった。
Cさんは14年度の目標と、結果を見て、15年度の目標を見て、愕然としていた。
Oさんが達成できなかった目標が自分にできるわけがないと思ったのだろう。
Oさんはできなかったのではなく、やらなかったのだ。職員がやる気がなかったので、
諦めていた。私は、Oさんに説教した事があるが、やはり年上の大奥には言えなかった。
職員がやらないのに、アルバイトの私がしゃしゃり出て、声かけをするのも変なので、
私もやらなかった。“カモ”をいっぱい逃がした。
15年度の貯金は総務主任のCさんと、2月から頑張っているTさんの2人。
退職したYさんの後がまは来なかったので、Yさんには後がまが来るまでアルバイトで
来てもらう事になった。そして、私。
Yさんは窓口に来たお客さんだけをやってもらって、営業はCさん、Tさん、私の
3人でやっていこうと、私は提案した。
Oさんが「Cやんの事、助けたってくれな」と私に言ったので「任せとき!」と言った。
名古屋で鍛えた営業パワーを発揮して、Oさんに頼まれたCさんの事は、私が何とか
してやると意気込んだ。この目標、全て達成させてみせる!


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2008年01月09日

今年初診察

今日は、今年最初の診察だった。やはり混んでいた。
待ち時間も長かった。昨日から、頭が痛くて読書する気にもなれないし、
病院の週刊誌をパラパラと見た。テレビで見たから知ってるけど、
ココリコの遠藤と千秋の離婚。ビックリしたな〜。仲良さそうだったのに。
きっと、私もそう思われたんだろうな〜と思う。夫婦なんてなってみないと
分からない事がたくさんある。私は高い授業料の人生勉強だったと思える
ようになった。まだまだ、これからだから。
診察で2週間分の日記を読んでもらった。私は大晦日の日記に「今年は本当に
いろんな事があったけど、終わり良ければ、全て良しとしよう」と書いた。
先生も、日記を読み終えて、同じ言葉を言った。



では、話の続き・・・


平成15年3月、Oさんの転勤が近づくにつれ、私の不安も大きくなっていった。
もう、隠し切る事ができず、Tにも、Oさんが転勤していくのは、不安だと話した。
Tは「何とかなるさ〜」と笑う。私は「そうやよね」と返す。
3月28日金曜日の勤務が終わった。
この年、4月1日から、郵便局は、郵政省から日本郵政公社へと変わることになった。
なので、転勤の辞令は普通は4月1日付なのだが、この年だけ、3月31日付となった。
辞令をもらったら、その日のうちに、新しい局に行って、仕事を始める。
「3月31日月曜日の朝、辞令をもらったら、すぐにF郵便局に行くの?」とOさんに
訊いた。Oさんは「普通なら行くんやけど、行ったらO局が仕事にならんやろ?だから
夕方までおるよ。F局にも、そう伝えてある。かおりんが帰るときまでO局にいるから」
と言ってくれた。じゃあ、あと1日だけ、一緒に仕事できるんだ。
そしてOさんは、パソコンをしながら「そういえば、かおりんにホワイトデーのお返し
してなかったよね?」と言うので、「うん。3倍返しでしょ?」と言ったら、笑って、
「一緒にケーキ食べに行こか?」と。これはデートのお誘いではないか!私の胸は
ドキドキして張り裂けそうだった。答えはもちろんOKだ。Oさんは「土日で、
父ちゃんに子ども見てもらって行けるかん?」と言ったが、多分Tが嫉妬するような
気がしたので「Oさんの年休の日に、子どもらが保育園に行ってる間の方が行きやすい」
と答えたら、Oさんは「そうやな。F局に転勤して、すぐに年休は取れへんと思うけど、
ええかん?」と言うので、「ええよ。遅くなったら、イチゴがルビーに変わるんやろ?」
と言った。Oさんは「それは、痛いな〜。まあ年休決まったら、メールするわ」と。
やったー!Oさんとデートだ〜!この日の帰りは鼻歌を歌いながら自転車に乗って帰った。
♪鼻先をくすぐる風に少し照れ笑いして〜 歩道を歩く子犬の群れは足早に歩き始めた〜
31日は、保育園が休みだった。でも私はどうしても郵便局に行きたかったし、O局も
私がいないと困ると言っていたので、Tの母にパートを休んでもらい、31日は出勤する
事になった。O局の職員さん達も、保育園が休みで私に休まれると不安そうだったので、
Tの母が見てくれる事になった事を伝えたら、喜んでくれた。
3月29日土曜日、この土日はTは休みだった。
M町のジャスコに行った。私はTにホワイトデーのお返しにOさんがケーキを食べに
連れてってくれる事を話した。Tは「いつ?」と訊いてきたが「Oさんの年休の日に
行くから、いつになるかわからん」と答えたら、Tは「そうかん」と。行くなと言う
わけでもなく、怒りも笑いもしなかった。内心は少し妬いていたような気はするが・・・。
ジャスコで、私はTに「ねえ、Oさんに栄転のお祝いあげようかな〜?Oさんのおかげで
私、働けるようになったし、ゆうパックやチョコもいっぱいもらったし、ケーキも食べに
連れてってもらえるし・・・」と言ったら、Tは「そやな〜。ええんちゃう」と言った。
「何がいいかな〜?」と言ったら「ネクタイでええんちゃう?」と言った。「ネクタイって
選ぶの難しい。選んでくれる?」と言ったら、Tは自分に任された事が嬉しかったのか、
ネクタイを選んでいた。青のネクタイが選ばれた。私はTの選んだネクタイを「いいね」と
褒めた。実際、ホントに良かったのか記憶にない。ただ青かったという記憶だけだ。
私じゃなくて、Tが選ぶという事が、私にはポイントだったのだ。Oさんがこのネクタイを
気に入るかどうかは関係ない。私がOさんにプレゼントするという行為を、まるで全く下心が
無いようにする事が大事だった。だから、Tに選ばせた。
ジャスコから3時頃、アパートに帰った。
31日にみんなの前で渡すと、他の職員さんにイヤミなので「今から渡しに行こうかな?」と
Tに言ったら「そやな。みんなの前で渡したら、他の転勤する人にも渡さないやらしいから、
今、局におるんやったら、渡しといない(渡しておいで)」と言ったので、Oさんにメールして
今、局にいるか訊いた。返事が来て局にいると。子ども達はジャスコではしゃいで疲れて
昼寝していたので、私はTに「今のうちに行ってくるわ」と言って出かけた。Tはゲームを
していた。
局に行くと、OさんがCさんに、貯金の仕事を教えていた。倉庫のどこに何が置いてあるかなど、
倉庫を片付けながら、教えていた。他の職員さん達も郵政省最後の仕事の仕上げの準備など、
数名来ていた。
私は、Oさんが1人になった瞬間を見計らって、ネクタイを渡した。Oさんは「ありがとう」と
喜んでくれた。
この後、Cさんに伝授する事を私も手伝った。



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2008年01月08日

頭が重い・・・

今日は、何だかしんどくて、辛い。
お正月の疲れと、生理が原因だと思う。朝は9時半まで寝た。
昼食を食べて、いつものようにPCしていたのだが、もう、起きているのが
辛くって、昼寝した。今、寝起き・・・。


では、話の続き・・・


平成15年3月14日、Oさんと、Tさんを我が家に呼んで飲み会をした。
とても楽しかった。
朝、目覚めて、二日酔い。頭が痛い。9時ごろ、OさんとTさんは仕事を
しに行くと言うので、TがO郵便局まで送っていった。
他の職員さんたちに、私の家に泊まった事がバレてはいけないので、Tは
すぐに帰ってきた。この日は土曜日なのに、普段、忙しくて窓口をするだけで
いっぱいいっぱいのO局では、仕事を抱えた職員は休みの日にも、仕事をする。
この土日はTは休みだった。
2人とも二日酔いだったので、コンビニで二日酔いのドリンク剤を買って飲んだ。
午後からはM町のジャスコに行き、土日ともTの実家に行った。
最初のころは、日曜だけだったのに、いつの間にか、土曜日も連日で実家に
行くようになっていた。何の用事があるわけでもないのに、実家に行っていた。
二日酔いの時くらい、家でゆっくりさせて欲しかった。
だんだんと年度末が近づいてきた。
Oさんが転勤していってしまう。鼻歌を歌いながら、自転車に乗って通勤していた
のに、もう鼻歌は出ない。寂しさと不安で胸がいっぱいだった。
Oさんの代わりに、郵便からCさんが来る。Cさんはとてもいい人なのだが、
貯金の窓口はもう12年もやっていないと。私が郵便局に入ったのは平成7年、
8年前だ。そこからでも、ものすごい改正があったのに、12年も離れていては、
新人と同レベルかもしれない。Cさんも仕事に余裕があれば、Oさんがいる間に
いろいろ教えてもらう事ができるのだが、Cさんも自分の仕事をいっぱい抱えている。
土日に、少しずつ教えてもらっていたらしいが、土日では、窓口は閉まってるし、
端末機も使えないし、文書を読むくらいしかできない。
Tさんも、私も、それを知っていたから、すごく不安だった。
私は、それに加えて、Oさんと会う事で発散していたH家でのストレスを、発散する
事ができない、大好きなOさんに会えなくなる事が辛くて辛くてたまらなかった。
3月21〜23日、春分の日の3連休があった。この連休はTは勤務でいなかった。
私は行くとこないし、子ども達と退屈していると、Oさんにメールした。
Oさんは、局にいるから、子ども連れて遊びにおいでと言ってくれた。
21日は、遊びに行く勇気がなかった。Oさんに会えば泣いてしまいそうで、怖くて
行けなかった。Oさんからメールをもらい、明日も局におるから、来ても大丈夫やよ。
郵便のアルバイトのMさんも、時々遊びに来るよ。というメールだった。
Mさんも来てるなら、私も行こうかな。でも、子ども達を連れて行ったら、みんなの
仕事の邪魔になるのでは?と思ったが、Oさんは土日やで、みんなピリピリして仕事
してるわけじゃないし、子どもら来たら、癒やされるから、連れておいでと。
22日の午後、子ども達を連れて、O郵便局に遊びに行った。
貯金の方では、OさんとTさんが、文書や証拠書の控えの整理をしていた。窓口と倉庫を
行ったり来たり。時々タバコ。郵便は土曜日は午前中だけ窓口を開けているので、
Cさん、Hさん、Kさんの3人がいた。後、副局長と局長代理がいた。
私は、できる限りOさんと一緒にいた。仕事も少し手伝った。
子ども達は、初めて見る郵便局の中で、楽しそうに機械を触りいたずらしている。
次女はこの時1歳。金庫の鍵を回してしまった。金庫を開けられるのは、役職者だけ
なので、仕事の邪魔をしてしまった。でも、誰も怒らずに笑ってくれた。
そして、郵便物を運ぶ押し車に乗せられて、Kさんに局内を走り回ってもらっている。
嬉しそうにキャーキャー言っている。みんな仕事中なのに、子ども達を遊んでくれる。
私はとても楽だった。こんなんなら、もっと前から遊びに来ていればよかった。
Tよりずっと遊んでくれるし、子ども達も楽しそうだ。貯金の大奥、YさんとSさんは
主婦なので、土日に出てくる事はまずない。土日のO局は和気あいあいとしていて、
とても楽しかった。夕方5時まで遊ばせてもらって帰った。
翌週、OさんがO局に勤務する最後の週となった。この1週間と最後の31日の勤務で
最後。一緒に勤務するのは後5日となった。


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2008年01月07日

絵画、仕上がらず・・・

今日は絵画教室に行ってきた。早起きの連続はキツイ。
絵も結局まだ仕上がらなかった。
郵便局に寄って、Nクリニックに診断書を送ってきた。
訂正して欲しい箇所にメモをペタペタ貼って、診断書代もいらないと
言ってくれたので、ちょっとした菓子折りも同封した。明日届く。
さて、どんな診断書が書きあがるのか・・・?


では、話の続き・・・


平成15年3月14日、Oさんと、Tさんを我が家に招待して、飲み会を
した。TさんはO郵便局の職員の愚痴を吐き出した。私も一緒になって
Tさんと愚痴った。酒が入っているので、ヒートアップだ。
散々、愚痴を言った後、子ども達も寝付き、大人の時間。
Tさんは、背も高いし、顔も悪くないし(男前とは言わない私^^;)、なのに、
彼女いない暦29年。多分、理想が高いのだ。と、いう事は「童貞?」と、
私は率直に訊いた。Tさんはギョロっとした目をさらに大きくして驚いた。
多分、女の子と下ネタを話した事がないか、話した経験が少ないのだろう。
私は、そういう話は名古屋で鍛えられているので、ドンドン話せる。
これはイジメ甲斐のある男の子だ。
Tさんは「そんな事、話さないかんの?」と訊くので「当たり前やん!どこに
来たと思っとるの〜?」と言った。TさんはOさんに「マジで?」と訊いていた。
Oさんは「僕も前に鍋パーティーの時に、風俗の話させられた」と答えた。
Tさんは「うわぁっ、やられるわ〜」と下を向いた。もう手遅れだ。
私はお酒が入っているので、しつこく「やったの?やってないの?」と訊いた。
Tさんは「まあ、あれやな〜」と言うので、「あれって何?」と訊いたら、
すごく恥ずかしそうに「素人童貞ってやつですわ」と答えた。私は「って事は、
お店でやったんや〜!」とニコニコで言った。そしたら、もう吹っ切れたのか、
Tさんは風俗の話をし始めた。名古屋にいる時に、先輩に連れて行かれて、
初めはちょっとイヤだったけど、一回行くとやみつきになったと。でも、
終わった後に、こんな事で、3万円も使ってしまったと後悔するらしい。
そして、何度か行った後、Tさんは背中に赤い斑点ができたそうだ。
これは絶対、性病だと思い、病院に行ったらしい。病名を教えてはくれなかった
そうだ。しかし、すぐに斑点は消えたそうだ。あれは絶対に梅毒だったと彼は
話した。それ以来、Oさんと私はTさんの事を「梅」と呼んだ。
そして、O郵便局に転勤してきて、秋から、Oさんに頼まれて、組合の役員を
持つ事になった。Oさんは組合の支部長をしていた。
組合の用事で名古屋に行く事がある。その時に、一緒に風俗に行ったと暴露した。
私は「じゃあ、2人は穴兄弟や〜」と笑った。Oさんの頭文字と、梅を合わせて、
「小梅ブラザーズ」と名付けた。背格好も似ているし、ホントの兄弟みたい。
Tさんは「まさか、こんなとこでアンタにこんな話せないかんと思わなんだわ〜」
と言っていた。女の人は下ネタを嫌がる人がいるので、女の人の前では、下ネタは
話さないが、男だけになると、私はガンガン行く。Tさんは女の子と話す事さえ、
苦手なタイプなので、こんな女が世にいると思ってなかったと言わんばかりだった。
夜も更けてきたので、寝る準備をした。Tは子ども達と先にお風呂に入っているので、
「OさんかTさん、お風呂入ってきて」と言ったら、Oさんが「T行けや」と言った
ので、Tさんがお風呂に入る事になった。私とOさんとTと3人で話していて、
「ホントにTさんの背中の斑点消えてるんかな〜?」と言ったら、Oさんが私に
「ちょっと見てこいや〜」と言ったので、Tもうなずき、私はお風呂場に行った。
お風呂のドアを開けようとしたら、Tさんは開からないように、必死でドアを押さえる。
私は一旦、居間に戻り「開けてくれへん〜」と言ったら、Oさんが「一緒に入ろう、って
入ったらええんや」と言うので、Tを見たら、Tもうなずいたので、もう一度、お風呂に
行き「ねえ、一緒に入ろう〜」と言ったら、中からドアを押さえて「イヤじゃ〜!」と
叫んでいた。私は再び居間に戻り「アカン、開けてくれへん」と言ったら、Tが
「服、着とるでアカンのさ〜。脱いでかな〜」と言った。おいおい、嫁が他の男の
風呂に裸で行く事に抵抗はないのか?私はあまり抵抗がないけど・・・。もう一度、
お風呂場に行き、Tさんに「ねえ、もう私脱いじゃった。一緒に入れて〜」と言った。
Tさんは「勘弁してくれ〜!」とドアから手を離さなかった。さすがに私もTの前で
他の男と風呂に入るわけにはいかないので、もうやめておいた。(脱いでないですよ)
しばらくして、Tさんは「この家は、風呂にもゆっくり入れんのか〜!」と言って
出てきた。みんなで笑った。Oさんはそんな様子を見たからか、お風呂には入らないと
言い出した。Tさんが、必死にお風呂に入るように勧めていたが、断っていた。
私は「Oさん、ホントに入らんの?なら、私、入るよ。入りたくなったら、入ってきても
ええからね〜」と言って、お風呂に入った。
私がお風呂に入ってる間に、男の会話をしたらしいが、私には教えてくれなかった。
多分、私の事を話していたんだと思う。
さあ、風呂上りにもう一杯!と私はワインを開けた。Tさんは一口飲んで、「これ、よう
飲まん」と残した。Oさんはグラスに一杯だけ飲んだ。残りは私とTで飲んだ。
部屋を片付けて、布団を敷いた。OさんとTさんに、居間で寝てもらった。
Tは片付けながら、台所で寝てしまった。私は子ども達と一緒に寝た。
楽しいホワイトデーだった。


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2008年01月06日

自分磨き

今日は、エステに行ってきた。1年半前に、ストレス発散のために
行き始めた。子どもの頃から貯めていたお年玉をここで全部使った。
先払いなので、行かないともったいないので、1年半、通い続けた。
今日で終了。ある部分だけキレイになった。
また余裕ができたら、行きたいな〜。そのためには障害年金!


では、話の続き・・・


平成15年2月にO郵便局の転勤の話、配置転換の話をTに毎日していた。
Tさんからのメールで愚痴が溜まっているのは感じていたし、Oさんにも
またゆうパックを送ってもらったりしていたので、私はTに、Oさんと、
Tさんを家に呼んで、一緒に飲まへん?と提案した。Tさんの愚痴も聞いて
あげられるし、Oさんに日頃のお礼も兼ねて、どうかな〜?と。
Tは「ええんちゃう」と言った。Tの友達は家には来ないので、私の友達が
来るのを、Tはわりと楽しんでいた。Tもお酒を飲むのが好きなので。
3月14日金曜日に呼んで、お酒を飲むから、泊まってもらおうという事に
した。3月12日の勤務の日に、2人に「ねえ、3月14日って用事ある〜?」
と訊いた。Tさんは「別にないけど・・・」と。Oさんは「出張や〜」と。
「出張って1日?帰りは直帰?」と訊いたら、「イヤ、午後からで夕方、局に
戻るけど」と言うので安心した。「あのね〜、ダンナと相談したんやけど、
家に来て、一緒に飲まへん?」と言ったら、Tさんは「あんた、料理できるんかん?」
と失礼な質問をしてきた。「できるよ〜!」と答えた。「俺、マズかったら、
食わへんからな〜」と。「大丈夫さ〜。ちゃんとごちそう作るで」と言った。
すると、Oさんが「3月14日って、ホワイトデーやん!」と言ったので、
私は「バレンタインのお返し持ってきてね〜」と言ったら、Oさんが「アカンわ〜。
デートやわ〜」と言った。「誰と〜?」と訊いたら、「よっけおるでな〜。
誰としようかな〜」と。「はいはい。誰もおらんのやろ?2人ともええ歳やのに
かわいそうにね〜」と言って笑った。と、いう事で、3月14日のホワイトデーに
OさんとTさんが我が家に来る事になった。私にとって何より嬉しいお返しだった。
Tに仕事の帰りにO郵便局に寄って、2人を迎えに行ってもらった。
私は、料理をたくさん作った。大葉を巻いたトンカツ、きんぴらごぼう、トマトと
レタスと生ハムのサラダ、炊き込みご飯などを作った。そして、ビールにチューハイ
ワイン、焼酎など、お酒もいっぱい。さあ、今日はとことん飲むぞー!
8時過ぎに3人は来た。
子ども達は、お腹をすかせて待っていたので、炊き込みご飯をペロリと食べ、
Oさんに「遊ぼー、遊ぼー」といろんなおもちゃを持って、Oさんの膝にちゃっかり
座っていた。子どもって、遊んでくれると分かる人にはすぐになつく。
どうして分かるのか不思議だが、Oさんは一緒に遊んでいた。
Tさんの愚痴が始まった。Yさんは何で仕事をしないのか?Sさんは何であんなに
怖いのか?Hさんは仕事ができないのに、何でいばってるのか?などと。
Yさんには私も多少文句はあった。でも、Tさんの話を聞いて、私はHさんに
腹を立てた。郵政人生ではHさんより、Tさんの方が貯金・保険の経験は豊富だ。
しかし、Tさんは無集配局の経験なので、外務員とのやり取りの仕方が分からない。
そこは私はタッチしない部分なので、仕組みが私にも分からない。
Tさんは、とりあえずHさんに質問するのだが、答えがきちんと返ってこないので、
訊きづらいSさんに訊き直す。なら、もう最初からSさんに訊いた方が早い。
なので、TさんはSさんに質問するようになった。すると、Hさんは「何で俺に
訊かへんのや〜!」みたいな態度になって、Tさんにイヤミを言うらしい。
最悪だ!Hさんは当時30歳。Tさんより1つ年上なだけ。私は普段から、Hさんの
横柄な態度が気に入らなかった。上司である局長代理Yさんはみんなに「Fやん」と
呼ばれている。Oさんや、保険から郵便に行ったToさんも「Fやん」と呼んでいた。
でも、彼らは昔から代理さんと一緒に仕事をしていて、代理さんより仕事ができて、
代理さんは彼らに仕事を教えてもらっているので、それでいいのだ。でも、Hさんは
違う。経験もないし、仕事もできないのに上司に向かって「Fやん!」はないだろう。
身の程知らずもいいところだ。Tさんも、それに共感し、2人でHさんのムカつく事を
いっぱい話した。TがOさんに「O局も大変ですね〜」と言うと、Oさんは「まあな〜」
と苦笑いしていた。「でも、姉さん来てくれてから、ずいぶん雰囲気変わったんよ。
助かるわ〜」と言ったら、Tは私を見て「これもキツイ事ズバッと言うから大変でしょ?」
と言った。Oさんは「でも、全部図星やでな〜。言い返す言葉もないわ。アルバイトに
しとくのもったいない。育児が落ち着いたら、再雇用の試験受けたらええんちゃう?」
などと話していた。みんなドンドン酒を飲み、私とTさんは毒を吐きまくっていた。
お酒の席はやっぱりストレス発散にもってこいだ。楽しい時間を過ごしていた。


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2008年01月05日

Nクリニックへ手紙・・・

今日も、少ししんどい感じなのだが、ちょっと頑張って、Nクリニックに
手紙を書いた。障害年金の診断書を書き直してもらうため。
診断書にメモをペタペタと貼って、ここにこう記入して下さいと、
事細かに書いた。これで、私の思うような診断書が書きあがるだろうか?
診断書代もいらないと言ってくれたので、ちょっとしたお菓子を同封した。
月曜日に、郵便局に行って、発送しよう。


では、話の続き・・・


平成15年2月28日、O町に引越してきて、もうすぐ1年が経とうと
していた。引越してきて初めてTの友人が我が家に来た。
私の友人は、もう何人も来ている。私は伊勢に友達は3人しかいなかった
のに、遠方からでも、遊びに来てくれた。
ここは、Tの生まれ育った町の隣町なのに、誰一人と来なかった。
私でも、帰省すれば、中学、高校時代の友達と会うのに、何で誰も
来ないのか、不思議だった。
初めて来たMくんは、私達の結婚式で友人代表で挨拶してくれた子。
Tと高校で同じクラスだった。
そのMくんが結婚する事になった。で、婚約者の彼女と一緒に我が家に
来たのだ。Mくん達は教会で結婚式を挙げる。彼女がクリスチャン
だった。それで、仲人ではなく、結婚保証人みたいなのが、同年代の
夫婦で必要という事で、私たちが抜擢されたのだ。
要は仲人みたいな存在なのだが・・・。
断る理由もないし、式だけで、披露宴はしないという事で、家族、親戚と
友人だけの、ささやかな式というので、引き受けた。
ちょっと緊張するけど。
3月9日、四日市の教会で、結婚式がとり行われた。
私は花嫁の横にいて、立ったり、座ったりする時に、ドレスを持ってあげたり
した。Tと祝福の言葉を読まされた。そして、証明書にサインした。
キリスト教のしきたりなど、さっぱり分からないので、言われるがままにした。
式が終わってから、Mくんの実家で、ささやかなパーティーをした。
ケーキ屋さんで大きなウエディングケーキを注文していて、お寿司をとって、
宴会。Mくんの妹さんが、九州の大学に行っていて、時折出る九州の言葉が
かわいらしかった。妹さんがピアノ演奏した。『Can You Celebrate?』。
多分、Mくんにとって自慢の妹だろうな〜という印象だった。
写真もたくさん撮った。妹さんが「はい、スマイル!」と言って写す写真は
みんな笑顔。Oさんの前でしか笑顔になれなかった私は彼女に少し憧れた。
やっぱり明るい子はかわいい。Oさんが転勤するからといって、いつまでも
メソメソしてちゃいけない。Oさんを笑顔で送り出してあげようと思った。
とてもいい結婚式だった。
この日、OさんとTさんは、組合の用事で愛知県の蒲郡に行っていた。
私も軽く冗談で誘われたのだが、結婚式だから、無理と言って断った。
四日市から帰ってくる時に、Oさんからメールが来た。
もう、伊勢行きの電車に乗ったと。姉さん来てくれると思って待ってたのに〜と
いうような内容だった。私はどんな返事をしたか記憶にないのだが、ハートマーク
いっぱいの絵文字で返信したらしい。翌週の勤務の日に、Tさんに「あんた、
Oさんの事、好きなんやろ?」と言われた。「何で?」と訊いたら、「俺への
メールはハートマークなんか無いのに、Oさんのメールはハートだらけやんか〜」と。
どうやら、Oさんに送ったメールを見たようだ。「そうかな〜?」と適当に
はぐらかしたが、Tさんの目は鋭かった。仕事中も「Oさんを見る目が違う」などと
激しく突っ込まれた。「Hくん(ダンナ)かわいそうに〜」とまで言われてしまった。
Tは私より、H家の方が大事なんだから、私の心がTから離れるのは自然の成り行き
だと思っていた。何でも、親のいいなりで、今時、嫁が着いてくるわけがない。
別に浮気するわけじゃないし、家の事もちゃんとやってるし、引きこもりに
比べたら、ずっといいじゃん。というのが私の考えだった。


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