五回目ゲスト 加地倫三さん(RINZO
KAJI)
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1969年3月13日生 36歳 テレビ朝日ディレクター
過去に手がけた番組
『ナイナイナ』、『Q99』、『リングの魂』、『ミドル3』
スポーツ系では『ワールドプロレスリング』他、
陸上系のスポーツ中継などを担当した経験アリ。
近況
『ロンドンハーツ』(チーフD) 『アメトーク』(P・演出)
『やべっちFC』(チーフD)
雑誌「BLT」で 「ロンドンハーツ・スクープスコープ」を連載中!
最近では他に特別番組として、 8/20にO.Aされた友人・橋本真也の追悼番組
「リングの魂・橋本真也SP」を演出。
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高須 |
テレ朝に入社して、バラエティの制作に入れなかったんだよね? |
加地 |
そうですね。入社試験でスポーツ大好きってアピールしちゃったから。
だけど、スポーツは若手がいないから、すぐディレクターを
やらせてもらえたんですよ。それはすごく刺激的でした。
入って一年半で『ワールドプロレスリング』のディレクターになって、
三年めには六時間の生放送の駅伝大会で、総合演出として
500人位のスタッフを仕切ってました。 |
高須 |
それはすごいなー、バラエティにはないスピード出世やね。 |
加地 |
だから、五年めでバラエティに異動になってADから始めたときは、
本っっ当に大変でしたよー。 |
加地 |
スポーツとは仕事のスピード感がぜんぜん違うんですよ。
バラエティはとにかく速い、いろんなことが速い。
ついていくだけで必死でした。 |
高須 |
まぁ、確かにそうかなぁ…。スポーツはまず試合や選手ありきだけど、
バラエティはスタッフから進行していく仕事だから、
待ってる時間なんかないもんね。
スピード以外では、どんな違いに戸惑ったの? |
加地 |
うーん……冗談が全然言えなかったりして、すごく無口になったりとか。 |
加地 |
だっておもしろいことでメシを食ってるプロの人たちしか周りに
いないわけじゃないですか。スポーツ局の人たちを相手になら
言えてたレベルのおもしろいことなんて、一切口にできないわけですよ。
それこそダジャレも言えずに、4ヶ月くらいずーっと無口でした。
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加地 |
これはあんまり大きな声では言えないんですけど…、
みんなで行った飲み会のキャバクラで吹っ切れました(笑)。 |
加地 |
みんなで飲みに行ったときに、お姉ちゃんたち相手に言った
下ネタやいじりのトークが、妙〜に周りのスタッフさんに
評判よかったんですよ。
それで「俺の方向はこっちだーーー!」と思って(笑)。
いいお姉ちゃんがいるキャバクラを探し回ったりとか、
ちょっとおもしろい風俗の話聞いたら行ってネタにしたり……。
とにかくそっちの方向に頑張ってみたんですよ。
恥ずかしい話をしまくって自分をネタにして、
みんなが六本木遊びに行くっていったら店を予約して、
一件目からラストまで待ち時間がないようにコーディネートして……。
とにかく「夜遊びにいくなら、加地に聞け」って流れを作ったんです。 |
高須 |
へー、なるほどね。自分がバラエティのなかで生きていける
キャラクターを確立したのか。 |
加地 |
そうでもしないと、笑いのプロの人たちの気を引くことなんか
できないと思ったんですよね。俺という存在を認識させられないっていうか。 |
高須 |
だけど、それは演者たちにもすぐなじんだでしょ?
芸人と仲良くなるには もってこいやわ(笑)。 |
加地 |
そうですね。会社の立地も六本木周辺ってのが、恵まれてました。 |
加地 |
ナイナイが深夜にやっていた『Q99』って番組ですね。
『ナイナイナ』の前身の番組になるんですけど、そこで基本的なことを
すべて叩き込まれました。 |
高須 |
それは、ナイナイに教わった部分も大きかったでしょう。
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加地 |
そりゃもう! 本当に大きかったですよ。
番組の収録終了後に「矢部会」っていう、矢部さん主催の飲み会があって。
毎回メンバー違うんですけど、 僕と、Dの北村さんと、
辻カメラマン(現在は『めちゃイケ』のチーフカメラマン)と、
当時まだADの朝倉(現在は『ロンドンハーツ』のディレクター)と、
それから矢部さんっていうメンバーの時には、おちゃらけた飲み会じゃなくて、
結構熱い「芸人論」とか「お笑い論」になるんです。
で、その時に「お〜、なるほど〜」っていう話がいっぱい出てくるんですよね。
芸人さんはこう考えてるから、その気持ちを汲んでディレクターは
こうしなきゃいけないな…っていうようなこととか。 |
高須 |
あぁ、そういうのは実際に芸人と飲んだり、話したりしないと
なかなか分からないところだよね。 |
加地 |
そうですね。もちろん矢部さんとも話せるようになりましたし、
「俺はナイナイの矢部浩之と、ちゃんと話せてる」っていうのが
ものすごく自信にもなりましたし。 |
高須 |
それは演出家としてでかいなぁ…。
やっぱりちゃんとコミュニケーションとれない演出家って駄
目やもんね。
でもそう簡単には上手く話せないんだよねぇ〜、だって今までテレビで見てた
お笑いのプロに「この企画は面白いでしょ!」って思わせるって、
並大抵のことじゃないよね。俺だってたけしさんやさんまさんに
プレゼンしろって言われたら、しどろもどろになって、
頭の中が真っ白になってると思うなぁ〜。
また矢部って、いやらしい質問とかしてきそうやなぁ〜(笑)。
でも、そんな矢部に話せるようになったってことで、自信はつくよね。 |
加地 |
そんないやらしい質問とかはないですけど、確かに自信にはなりました。
矢部さんと話ができたから、岡村さんとも話せるようになって、
それでバラエティでやっていけそうだなって、
なんとなく思えるようになったんですよ。 |
加地 |
一年半くらい頑張りました。その後、北村さんの後を引き継ぐ形で
「クイズ ナイナイナ」というコーナーをやらせてもらって、
ディレクターとしてやりはじめて…。 |
高須 |
なるほどね。そこはスポーツの実績があったから、楽だったんじゃないの?
プレッシャーとかあった? |
加地 |
声を出したりするのは全然平気でしたし、MC役の矢部さんとも
もう関係性が築けていたので大丈夫だと思ってやってたら、
本番中に矢部さんが「コイツ、今日ディレクターデビューで、
えらい舞い上がってて、ずーっとカンペばっかり書いてるんですよ」って、
イジられたりして…。その時ですよね、始めて気がついたんですよ、
「あっ、俺、舞い上がってたんだ!」って(笑)。
そうやってイジってもらえなかったら、自分で気付けなくて絶対
あっぷあっぷしてたと思うんですよ。そのへんが、さりげない
矢部さんの優しさで…ちょっと泣きそうになったりしましたね。
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高須 |
なるほど。そういうところで、芸人とディレクターの絆は
深まっていくんだよね、きっと。 |
高須 |
それじゃあ、自分で「こういう企画が撮りたい!」っていって、
最初に手がけた企画は? |
加地 |
えっと…「ナイナイナ」で、
そーたにさんが考えた企画だったんですけど
「おっぱいポロリ居残り特訓」っていうロケ企画でした…(笑)。 |
高須 |
そーたにくん……(笑)。時代を感じるなぁ、そのタイトル…。
どんな企画だったの? |
加地 |
芸能人の水泳大会でポロリしてしまうお姉さんたちを召集して、
岡村コーチが「お前たちはどうしていつもポロリするんだ!」って怒るんですよ。
で、彼女たちがポロリしないようにさまざまな特訓をするっていう、
ロケコントでした。 |
加地 |
「ビキニの結び方が悪い!」と言われて、引越し業者に結び方を習いに
行ったりとか、「反射神経が悪い!」って言われて、透明な箱の中に
500匹の蚊と一緒に入って、パチパチ叩いて落とす特訓とか…。
で、最終的に騎馬戦やってみるんだけど、やっぱりポロリしました〜って
いうオチ(笑)。 |
高須 |
くだらんなぁ〜、いやぁ〜いい時代やわ(笑)。
自分が1番最初に手がけた企画って、
ちゃんとこと細かく覚えてるものだよね。
できあがりを観た時には「おもしろいなぁ」って思った?
それとも「うわー、いけてないなぁ」って思った?
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加地 |
うーん……企画のバカらしさと演者のパワーでおもしろくはなりましたけど、
その後の『ナイナイナ』で自分が手がけた作品と比較すると、
やっぱり劣る気はします。
それに、ロケの最中にいろいろとグダグダになることが多くて、
周りやタレントさんに申し訳ないなぁって思ったことを覚えてます。
段取りとか、いろんなことがまだ想像できてなくて…。 |
高須 |
あー、それはあるよね。作家もそうだけど、本としては成立してることが
現場で成立しないってことがあるんだよ。で、それを想像できる力って
いうのは、やっぱり場数を踏まないと身につかないと思うんだよね。
演者につっこまれるまでわからないこともたくさんあるし。
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加地 |
そうなんですよね。
その特訓の現場で、段取りがうまくいかなくて
ロケが終わった後、岡村さんに「すいません」て、
あやまりに行ったんですけど
「ぜんぜん大丈夫やでー」って言われて、ホッとしたこととか、
すごくはっきりと覚えてますね。 |
高須 |
タレントさんにそういってもらえると、ちょっとホッとするよね。
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高須 |
さて、そんな風にしてナイナイの2人に教わったことを胸に、
いよいよ加地くんの、ロンドンブーツとの歩みが始まるわけで。
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高須 |
テレ朝のバラエティが少しずつ盛り上がってくる新時代の始まりやね。
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