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高校生を土下座させて勲章をもらおう

朝鮮日報 2003/09/26 18:32

「31年間韓国修学旅行」日本高校理事長に勲章

日本福岡市九州産業大付属高校理事長 中村雅登(72) 「北朝鮮の斧蛮行事件(ポプラ事件)、戒厳令、新型肺炎(SARS/重症急性呼吸器症候群)など、さまざまな出来事がありましたが、“韓国学び”は止りませんでした。両国の若者たちが過去の感情に捕われるべきではないと考えたんです」

 過去31年間、毎年韓国に修学旅行に来ている日本福岡市九州産業大付属高校中村雅登(72)理事長は、26日に行なわれた「第30回観光の日」記念式で、韓国観光の発展に貢献した功労により、「銅塔(ドンタプ)産業勲章」を受章した。

 1973年5月に韓国修学旅行を開始した九州高校は、アジア地域にSARSが猛威を振るった今年3月にも、教師や生徒など400人余が韓国を訪れた。過去31年間、同学校の修学旅行のプログラムを通じて韓国を訪問した人数は、延べ1万7000人余に達する。

 1976年のポプラ事件、1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の暗殺事件と戒厳令、コレラが蔓延していた1985年、「6月抗争」が起きた1987年などなど。

 同校は幾度も修学旅行の中断危機に直面したが、韓国現代史の波を直接目撃しながら韓国への理解を深めた
。また姉妹校のソウル・世宗(セジョン)高校生徒との文化交流を通じて、両国の青少年交流にも寄与した。

 同日の記念式には中村理事長の他にも、30年間韓国修学旅行を実施した向上高校清水秀樹(59)理事長が同じく功労を称えられ産業褒章を受章した。

金承範(キム・スンボム)記者

朝鮮日報 2001/03/06 19:34

日本の高校生が「西大門刑務所歴史館」を見学

韓国で洗脳される高校生 「それって本当ですか」

 6日午後、ソウル・西大門(ソデムン)区にある「西大門刑務所歴史館」を訪れた日本・東京の正則高校2年生321人は、「それって本当ですか」を連発していた。同校の英語教師、坂下浩一さん(32)が「3・1独立運動の先頭に立った柳ェ順(ユ・グァンスン)烈士は残酷な拷問と栄養失調で亡くなった‘韓国のジャンヌ・ダルク’で、この地下独房で殉国した」と説明すると、皆ショックを受けたような表情だった。「君なら独立運動をしていたと思うか」という先生の質問に宮内慶一郎君(17)は首を横に振った。

 歴史館の地下にある、日本の警察が韓国の独立運動家の爪の先を木の針で刺し、両腕を上に結んで殴打するマネキンを展示してある拷問室を目の当たりにすると、生徒たちは立ちすくんでいた。川口悠君(17)は「学校で韓国の独立運動について習ったことはあるが、ここまで残酷な拷問があったことは知らなかった」と話した。

 この高校の生徒が西大門刑務所と提岩(ジェアム)里教会など日帝の蛮行が行われた現場を初めて訪れたのは94年のこと。「被害者でなく加害者として戦争を顧みるべきだ」という社会科教師の近津経史さんの提案によるもの。

 当時、個人的に韓国を訪問した近津さんが西大門刑務所での『近くて近い人の言葉』という本を出しだ享均(チョ・ヒョンギュン/73)氏との出会いを通じて日帝の蛮行について聞いてから、次の世代のための「韓日の過去の歴史に対する教育」の必要性を鈴木昭夫校長に提案し、鈴木校長がこれを快諾したという。正則高校の生徒たちは毎年3月、「韓国平和学習旅行団」という名前の行事を行っている。

 同校の321人は元従軍慰安婦の女性が共同生活をしている京畿(キョンギ)道・広州(クァンジュ)の「ナヌムの家」、提岩里教会などを訪問した後、11日帰国の途に着く。

金成R(キム・ソンヒョン)記者

朝鮮日報 2002/11/15 19:10

30年間続いた日本九州高校の「韓国修学旅行」

韓国謝罪修学旅行 「斧蛮行事件もコレラも戒厳令も、韓国への道を止めることはできませんでした」。

 15日午前11時、ソウル・上岩(サンアム)洞のワールドカップ競技場。日本・福岡市の九州産業大学付属高校の教師と生徒695人が17台のバスに乗って、競技場の正門に到着した。14日午後、仁川(インチョン)国際空港から入国した695人は、この日「30回目」の韓国修学旅行の2日目を迎えた。

 佐藤俊郎(44/英語)教師は「ほとんどの生徒がこの競技場を覆った“レッドデビル”の姿をテレビで見た」とし、ワールドカップ競技場を日程に入れた理由を説明した。

 九州高校の韓国修学旅行が始まったのは73年5月。76年板門店(パンムンジョム)で起きた斧蛮行事件(共同警備区域内で木の枝を切り落とす作業を監督していた米軍将校2人が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍人に斧で殺害された事件)、79年の朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領暗殺事件と戒厳令、相次ぐクーデター、コレラが流行した85年、6月抗争のあった87年…。

 韓国が数多くの現代史の波を越える度、九州高校の修学旅行は幾度も中断の危機を迎えた。しかし今年3月に他界した松本俊二(56)前校長のお陰で、伝統は途切れることなく受け継がれた。

 故松本校長は76年に生徒指導部長だった時代から、韓国が困難にぶつかる度に直接訪問し、事前踏査した後、「安全には何の問題もない」とし、生徒や教師を安心させたという。30年間、この学校の修学旅行を斡旋してきた 徐世鎭(チョ・セジン/70/旅行社元幹部)さんは「松本校長は韓国のことわざがとても好きだった」と話す。

 笑えないエピソードも数多い。70年代は洗面所の水が出ないユースホステルやガスを使えない食堂も多かった。そんな時は生徒全員が顔も洗えず、団体で食事を抜かなければならなかった。83年にはセマウル列車を貸し切り、慶州(キョンジュ)からソウルに向かう最中、変質した弁当を食べて生徒40人が入院したこともある。

 25年前、物理の教師として初めて韓国への修学旅行に参加した諸藤定良(52)校長は「昔は1つのベッドに2人を寝かせるホテルもあったが、88オリンピックの後からはそんなことはほとんどなくなった」と話した。

 韓国への修学旅行はもはや九州高校の伝統となった。卒業生の挨拶の言葉にも、修学旅行での経験談が度々登場するという。

 今年で21回目に修学旅行に同行するという州崎孝幸(45/国語)教師は、「W杯の際は生徒たちがテレビで韓国の街頭応援を見ながら、『私たちがバスで通った場所』と言いながら喜んだ」とした。

 九州高校の生徒たちは龍仁(ヨンイン)の民俗村とソウル市内観光、ソウル世宗(セジョン)高校生徒たちとの「文化交流会」行事、水原(スウォン)・華城(ファソン)訪問などのスケジュールを終え、今月18日、日本に帰る予定だ。

 世宗高校の尹相京(ユン・サンギョン/60)教頭は「初めて会った席で、生徒たちはすぐに友たちになった。それを見ると、両国の間に超えられない壁などないと思えた」と話した。

李泰勳(イ・テフン)記者

平成10年10月16日
三・一独立運動記念塔前
広島県立世羅高校 修学旅行の生徒約200人に土下座させる
広島県立世羅高校 韓国で土下座を強要される高校生
参考:google検索(世羅高校 土下座)

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