光市事件弁護人更新意見陳述 |
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第2 1審・旧控訴審・上告審判決の事実誤認と事案の真相 1 1審及び旧控訴審・上告審判決の事実誤認 (1)本件犯行に至る経緯(自宅を出てから被害者に抱きつくまで) (2)被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまで (3)被害者死亡確認後から被害児を死亡させるに至るまでの経緯 (4)被害児を死亡させた後の行動(被害児を死亡させた後、被害者を姦淫して被害者宅を出る まで) (5)何故、彼らは誤りを犯したのか 2 事案の真相 |
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〔第2−1-(2)〕 | |
(2) 被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまで |
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ア 1審・旧控訴審・上告審によって認定された事実の概要 被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまでについて、検察官の主張並びに1審をはじめと する裁判所の認定する事実は、概ね以下のとおりである。 「被告人が背後から被害者に抱き付き、被害者に騒がれるや、スプレー式洗浄剤を顔面に吹き付 けたうえ、仰向けに引き倒し、馬乗りになって、被害者の喉仏部分を両手親指で指先が真っ白に なって食い込むまで強く押さえ付けたが、被害者が死に至るどころか、より激しく抵抗をし続けたこ とから、今度はより確実に被害者を殺害しようと考え、両手で被害者の頸部をつかみ、自己の全 体重をかけながら頸部を圧迫して絞め続けたところ、被害者が動かなくなり、その両手が床の上 に落ち、まったく無抵抗の状態になったにもかかわらず、被告人は、被害者を確実に死に至らしめ るため、なおも頸部を絞め続けて殺害した」とするものである。 |
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イ 弁護人の事実主張 これに対し、弁護人の主張は、要約すると以下のとおりである。 「被告人は、背後からそっと被害者に抱きついたところ、驚いた被害者が身体を左右に揺さぶっ て立ち上がろうとし、バランスを崩した二人は、重なるように仰向けに倒れ、被告人は、被害者を、 背後から両足を胴体にからめ、左腕を被害者の頸部に回してスリーパーホールドの姿勢で押さえ 続け、気絶させてしまった。被告人は、被害者の身体を横に動かし、半身を起こし、呆然とした直 後に、背後から金属様のもので被害者から反撃を受けたため、被告人は、反射的に被害者に襲 い被さり、左手で被害者の金属様のものを持っている手を押さえ、右手を逆手にして顎付近を押 さえ、そのまま手がずれ首辺りを押さえつけたため、被害者は、ぐったりとなった。 被告人は、被害者が気絶していると思い、ガムテープで被害者の両手を縛り、口周辺を封じた。 その後、被告人は、被害者の目の前でスプレー式洗浄剤を噴霧するそぶり等をし、さらに、ブラジ ャーをずらしたり、乳房を触ったり乳首を口に含んだりした。しかし、反応がないため、被告人は、 鼓動を聞くため被害者の腹部に耳をつけているうちに、下半身の方から異臭が漂い、脱糞を確認 した。これにより、被告人は、被害者が死亡していることに気づいた。被告人の母親が自殺したと きと同じ状態だったからである。」 もちろん、「被告人は、被害者に対し、殺意を持ってその頸部を圧迫したことはなく、従って、被 害者に対する行為は傷害致死にとどまる」とするものである。 |
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ウ 被害者の創傷からの検討 (ア) 検察官の主張及び1審・旧控訴審・上告審によって認定された事実の主張の不合理性 A スプレー式洗浄剤による顔面への吹き付け行為が存在しないこと 検察官は、スプレー式洗浄剤による顔面への噴霧を強姦目的を裏付ける事実として主張する (冒頭陳述、1審判決21頁)。 しかし、弁護人らの実験により、顔面に噴霧された洗浄剤は、蒸発して消失することはなく、時 間の経過とともに粘稠度を増し、遂にはゲル状の状態で固まること、そして噴霧液が付着している 部分にはガムテープを貼り付けることができないことが確認されている。(弁12)。 しかるに、遺体発見時(甲2)はもとより、事件現場の実況見分時(甲3)、さらには遺体実況見分 時(甲5、6)、解剖時(甲9)にあっても、噴霧液の痕跡はまったく発見されていない。 そして顔面下部には、ガムテープがしっかりと付着しており、これが剥がれた形跡も一切ないの である。 B 両手親指による扼頸は存在しないこと 検察官は、被告人が被害者に馬乗りになり、喉仏の部分を両手親指で指先が真っ白になって 食い込むまで強く押さえつけたと主張している。 しかし、そうであれば被害者の喉仏が存在する正中部に親指で強く圧迫された痕跡、甲状軟骨 の骨折や舌骨の骨折の存在、少なくとも表皮剥脱と皮下出血が存在しなければならないところ、 そのような痕跡は存在しない。 ただ、小さく微細な皮下出血と表皮剥脱が各1個あるものの、親指で指先が真っ白になって食 い込むまで強く圧迫されたことによる表皮剥脱及び皮下出血は一切存在していない(弁1、弁2、 甲9)。 C 両手による扼頸は存在しないこと 検察官は、両手親指による扼頸に引き続いて、被告人は、全体重をかけて、被害者の前頸部を 両手で絞め付け続けたと主張している。 しかし、そうであれば全体重をかけて前頸部を両手で絞め付け続けた痕跡、甲状軟骨の骨折や 舌骨の骨折の存在、少なくとも表皮剥脱と皮下出血が存在しなければならないところ、そのような 痕跡はまったく存在しない(弁1、弁2、甲9)。 D 小括 以上から明らかなように、被害者の創傷から検討すると、検察官の主張する「被害者に騒がれ るや、スプレー式洗浄剤を顔面に吹き付け」たうえ、「馬乗りになって、被害者の喉仏部分を両手 親指で指先が真っ白になって食い込むまで強く押さえ付け」、それに引き続き、「両手で被害者の 頸部をつかみ、自己の全体重をかけながら頸部を圧迫して絞め続け」たという一連の行為は、存 在しなかったのである。 (イ) 弁護人の主張の合理性 A 被告人も被害者も仰向けに重なる形で倒れたこと この点に関する弁護人の主張は、「被告人が背後からそっと被害者に抱きついたところ、抱き つかれた被害者はびっくりし、声を上げ、身体を左右に揺さぶって立ち上がろうとしたため、被告人 もバランスを崩し、二人共に仰向けに倒れた。その際、被害者の体幹背部左側にストーブガード が当たり、被害者は投げ出されることになった」とするものである。 被害者の遺体の状況から、体幹背部の左肩甲骨上部に表皮剥脱が認められる(甲6、甲9)が、 これは、被害者が倒れる際にストーブガードに当たり形成されたものと考えられる。 B 被害者の気絶 この点に関する弁護人の主張は、「被告人は、被害者の激しい抵抗に狼狽し、ひたすら被害者 を静かにさせようとして、背後から両足を胴体にからめ、左腕を被害者の首に回してスリーパーホ ールドの姿勢で押さえ続けた。その結果、被害者は気絶した」とするものである。 この点に関してD鑑定では、「肘関節を屈曲して首を絞めれば、左右側頸部に強い圧迫が加わ り、そこを通る動静脈とくに静脈の流れが止ったり、停滞し、脳の酸素欠乏状態から意識を失うこ とは容易に考えられる。また、頸部神経叢の圧迫によって、心停止を生ずることもある。 しかし、前頸部での気管の圧閉は少ないので、一時的に気絶することはあっても、窒息死する ようなことはない」(4頁)と指摘し、被告人のスリーパーホールドによって被害者が一時的に気絶 するものの、窒息死することがないことが説明されている。 そして、被害者の頸部には、広範囲に点在する微細な針尖状の赤色変色部の存在が認められ る。これは、被告人が当時着ていた長袖の作業服の左腕の部分がスリーパーホールドの形で 被害者の頸部を圧迫し、その布地の圧迫によって生起した可能性があるものである。 この点に関してE鑑定では、「左頸部の縦長の変色部については腕締めの時に生じたと解釈で きる。つまりこの変色部が加害者の左肘窩部に相当して、前腕と上腕とで挟まれるように圧迫さ れた結果生じたものと考えることができる」と指摘している。 また、被害者の左下顎部には明瞭な表皮剥脱が見られるが、これは、被告人の作業着の袖口 にある止め具によって形成され、被告人が作業着の袖をまくってスリーパーホールドをした際に できた可能性が強い(甲9、弁2、弁13)ものである。 C 被害者による反撃と被害者への口封じ この点に関する弁護人の主張は、「被告人は、気絶している被害者の身体を横に動かし、半身 を起こし、予想外の出来事に呆然とした。呆然とする被告人に対し、被害者は、背後から金属様 のもので被告人の腰付近を殴った。被告人は、反射的に被害者に体当たりするようにして覆い被 さり、左手で被害者の金属様のものを持っている手を押さえつけ、右手を逆手にして顎付近を押さ え付け、そのまま手がずれて首辺りを押さえ付けた。その結果、被害者は、ぐったりとして動かなく なった。」とするものである。 (a) この点に関し、D鑑定書では、以下のように分析する。 「加害者は本人を仰臥位に押し倒し、覆い被さるような姿勢で左右の手で本人の両手を広げる ように床に押さえつけた。 本人は大声を上げたので、加害者は右手を逆手にして右第1指をAに押しあて、残る右第2、3、 4、5指を声を封ずるために口の上にのせた。そのとき加害者は仰臥位の本人の左半身前面の上 に覆い被さり、顔は左乳房付近にあったから、右手は順手ではやりにくい姿勢であったので、当 然のことながら逆手になって口を塞いだものと思われる。 |
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本人は抵抗して顔を右上方に傾けたので、Aの右第1指はBに移動し、口封じの右第2、3、4、5 指は口からCにずれた状態になりながら、右手に力を入れて圧迫を続けた。 その間、加害者の左手は本人の右手を床に押さえ続けていたものと思われる。 このような口封じの行為が強く持続した結果、頸部圧迫による窒息死を招いたと考えられるの である。 このときの圧迫は本人の左前頸部Bと右前頸部Cにかけた外力が主であったから、舌骨や甲状 軟骨骨折は生じなかったと思われる。 このように考察すると、状況と死体所見はほぼ一致する。」 そして、この分析を導く根拠としてD鑑定書では、 「何故そのように考察するかといえば、Cの手指による4条の蒼白な圧迫痕を見ると判るように、 1番下の蒼白帯が11.0×1.3cmと最も長いからである。これは右第1指と右第2指の手掌面が連繋 して丸い首回りに密着して圧迫したためで、他の指より長さが長くなっている。したがって1番上の 蒼白帯は3.2×1.0cmと最も短いのは、右第5指による圧迫と思われ、指の長さから当然の紋様と なったと判断されるから、右手の逆手であったことが判るのである。」(4頁)と指摘している。 このように、被告人は、被害者が大声を上げるのを止めさせようとして、右手の逆手で口を封じ にいったところ、手が下にずれて、頸部を圧迫するに至り、被害者を窒息死させるに至ったので ある。 (b)この点に関し、E鑑定書も、以下のように同様の分析をしている。 「第2の右手の逆手による頸部圧迫では被害者の右頸部の上方から順に第5・4・3指となり、 さらに第2指と第1指が直線的に水平に前頸部を圧迫することになる。これは被害者にみられる 蒼白帯の位置とよく一致することになる。」 と指摘し、被告人の右手による逆手で頸部を圧迫したと考えることが、被害者の創傷の成傷機転 を無理なく説明できるとする。 ただ前頸部左側(D鑑定でいうB)や左下顎部の表皮剥脱(D鑑定でいうA)については、D鑑定 書を容認しつつも、別の見方を提示している。 「前頸部左側や左下顎部の表皮剥脱については、右手による圧迫の際に右第1指によって生じ たとの解釈も可能であろうが、腕締めの際、作業服の袖を手繰り上げるようにしていれば、袖口 の止め具(金属製、直径14cm)が被害者の頸部に作用した可能性は否定できず、そうだとすれ ば、これら表皮剥脱が類円形を呈しているのも納得できるものと考えられる。特に左下顎部の表 皮剥脱は境界明瞭であり、その可能性が高いものと推定される。」 すなわち、E鑑定では、被告人が作業着の袖をまくってスリーパーホールドをした際に左下顎部 の表皮剥脱ができた可能性を指摘しているのである。 D 小括 以上から明らかなように、被害者の創傷状態の合理的な説明は、弁護人の主張する「被告人 が、被害者を、背後から両足を胴体にからめ、左腕を回して首にかけ、スリーパーホールドの姿 勢で押さえ続け、気絶させたこと」、「被告人が、反射的に被害者に覆い被さり、左手で被害者の 金属様のものを持っている手を押さえ、右手を逆手にして顎付近を押さえ、そのまま手がずれ首 辺りを押さえ付けた」行為があって初めて成り立ちうるのである。 |
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エ 被告人の自白調書をはじめとする供述の任意性・信用性の欠如 (ア) 被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまでについて、検察官の主張並びに1審判決 をはじめとする裁判所により認定された事実を積極的に裏付けていたのは、唯一自白調書をはじ めとする捜査段階の供述である。 その代表的な被告人の供述を挙げると、 「僕は、被害者の上に馬乗りになりました。(略)首に両手をかけ、被害者の喉仏を両手の親指 で思いっきり押さえつけるようにして首を絞めました。被害者は今まで以上にさらに強い力で激し く体を動かし僕を振り落とそうとしました。(略)それで僕は今度は、僕の左手の親指と人差し指を 開いて被害者の喉仏の辺りに置き、その左手の上に僕の右手の親指と人差し指を開いた状態で 右手のひらを重ね、全体重をかけて思い切り被害者の首を絞めました。僕は被害者を殺すため に、全体重をかけて、かなり長い時間被害者の首を思い切り絞めました。するとしばらくして被害 者の手がパタンと音を立てて床に落ち、被害者はまったく動かなくなりました。しかし僕は被害者 は死んだふりをしているのではないかと思って、怖くてたまりませんでした。それで僕は被害者を 完全に殺してしまうために、被害者が抵抗しなくなった後でも、力をまったく抜くことなく全体重を かけて思い切り首を絞めました。」(乙16)となっている。 しかしながら、この被告人の供述は、すでに被害者の創傷状態という客観的な事実に反して いるのである。 従って、検察官の主張並びに1審をはじめとする裁判所により認定された事実を積極的に裏付 けている被告人の自白調書及び1審段階の供述がおよそ信用できないものであることは明らか である。 (イ) 取調べ及び1審段階において、被告人の精神的な未熟さが考慮されていないこと。 A すでに述べたが、本件では、発達水準を視野に入れた取調べ及び裁判審理がなされた形跡 がまったくうかがわれない。むしろ、被告人もまた精神的に未熟であるが故、事実に向き合おうと する姿勢がなく、そのような状況を利用して、検察官は、被告人を極悪非道の殺人者に作り上げ るべく、ストーリーを容易に作り上げているのである。 B 検察官による極悪非道殺人事件(性暴力ストーリー)の作成 (a) 自白調書における被告人の供述の変遷 本件での被告人供述調書は、全部で33通提出されている。逮捕当日である平成11年4月18日 に作成された乙1から同年6月10日に作成された乙33までである。 そのうち、本件公訴事実について、直接述べた調書は、16通ある。これらの一連の供述の経過 をみると、被告人の発達水準を視野に入れた取調べがなされておらず、捜査官の主導により、極 悪非道殺人事件(性暴力ストーリー)として事件をねつ造することを目的として、自白調書が作成 されたことが明らかである。以下、その一端を示す。 (b) 自白調書の内容の変遷 被告人は、逮捕の当日である平成11年4月18日、取調べの警察官に対し、「奥さんを倒して上 に乗り、右手(左手とも読めるが)で首を絞め続けたのです。すると、奥さんは息をしなくな(った)」 (乙1)と供述し、馬乗りになっていたのではなく、単に「上に乗り」とし、しかも右手、すなわち、両 手ではなく片手で首を絞めたと供述していたのである。これは、弁護人の主張する客観的な事実 と矛盾していない。むしろ検察官が主張する事実に矛盾している。 しかし、上記の警察官に対する供述は、その逮捕の2日後である4月20日には、「馬乗りとなり、 今度は奥さんの首に両手を当て絞めたのです。・・・そして、僕は、力一杯奥さんの首を絞めて殺 してしまったのです。」(乙3)と変容させられ、これが、その4日後の4月24日には、遂に、検察官 によって、飛躍的に供述を詳細化された前記乙16の自白調書が作成され、これに両手親指によ る扼頸と殺害後の扼頸を付け加えられ、被告人が残虐にしてかつ執拗に殺害行為を行ったという ストーリーが作り上げられてしまったのである。 (c) 検察官による巧妙なトリック 検察官は、逮捕の翌日である4月19日に被告人を取り調べている(乙3)。そこでは、検察官が 自殺しようとする被告人を叱りつけ、被告人をして、 「自殺するのではなく、生きて、一生をかけて罪の償いを(する)」(乙15) と言わせていることである。 これは、一見、罪とは何か、反省・悔悟とは何かを知る検察官の被告人に対する真摯な態度と も見受けられる。しかし、そのわずか5日後である4月24日に、前述のとおり、検察官の手によっ て、極悪非道というまったく虚偽のストーリーが作られ、しかも、その8ヵ月後の12月には、この虚 偽のストーリーに基づき、死刑が求刑されていることからすれば、上記の被告人を叱りつけ、同人 をして、 「自殺するのではなく、生きて、一生をかけて罪の償いを(する)」 との気持ちにさせているのは、同人に死刑は求刑されないと信じ込ませ、その隙を突いて虚偽の ストーリーを作り上げるための巧妙なトリックというほかないのである。 そもそも、検察官が被告人に対し、罪の償いを求めるのは、精神的に未成熟な被告人にとって 無理な要求であり、発達水準をまったく考慮していない証といわねばならない。この点に関して、 C鑑定は「性急に犯罪への謝罪や贖罪を求めることには無理があった」と指摘している。 (d) 小括 以上のまとめとして、C鑑定が的確に指摘しているので、それを引用する。 「被告人の犯罪が、性暴力ストーリーとして事実認定されてしまったのは、すでに述べたように、 依存感情の中に性的欲求が刷り込まれていたためである。行為の結果から類推すれば、性暴力 ストーリーのほうが理解を得られやすいという側面はある。しかし、当初から、鑑別結果などを精 査して丁寧な調査を重ねることができたならば、本鑑定のような「母体回帰ストーリー」が見えて きたはずである。また、被告人は、相手の構えや態度による影響を受けやすい。それまでも迎合 することで不安を解消してきたので、相手に話を合わせてしまいやすい。問題への直面を避けた 結果、性暴力ストーリーが一人歩きをしてしまったと考えられる。」(V鑑定主文、35頁9 すなわち、C鑑定は、本件では、発達水準を視野に入れた取調べ及び裁判審理がなされた形跡 がないこと、被告人もまた精神的に未熟であるが故に、事実に向き合おうとする姿勢がなく、その ような状況を利用して、検察官が性暴力ストーリーを作り上げたことを示唆しているのである。 従って、そこで作られた自白調書は任意性もなければ信用性もないといわなければならない。 |
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オ 被告人の未成熟な人格理解を前提にした検討 (ア) 検察官の主張は、被告人の未成熟な人格を理解していないこと 検察官は、もっぱら結果の重大さと悲惨さから想定される凶悪にして無慈悲な犯人像を前提に して、本件事件を描き、強姦目的をもった被告人が被害者に抱きつき、被害者が激しく抵抗する ため、殺害して姦淫するしかないと決意し、被害者を殺害・姦淫したとする。 しかし、この検察官の主張は、被害者の遺体に残された創傷の検討からも明らかなように、本 件事案の真相を追究したものではおよそなく、事実をないがしろにしたものであるといわねばなら ない。さらにいえば、本件は、いわゆる少年事件であって、少年に対する刑事事件の審理は、少 年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学 その他の専門知識、特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うよう努めなければなら ない(少年法50条、9条)とされているところ、検察官の主張は、この点についてもまったく無視し ている。 検察官の主張は、本件事件の真相に迫ろうとする姿勢すら感じないものであり、非難を免れな いといわねばならない。 (イ) 被告人の未成熟な人格理解を前提にした本件事案の真相 被告人の未成熟な人格像についてはすでにC鑑定を紹介したところである。この被告人の未成 熟な人格理解を前提に、被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまでの行動を分析すると以 下のとおりとなる。 A 被告人が、背後からそっと被害者に抱きついた行為について 被告人は、赤ちゃんを抱く被害者のなかに、自分の亡くなった母親を感じ、母親類似の愛着的 心情を投影したのである。すなわち、テレビの前に座り、赤ちゃんを抱いている被害者の姿を見た とき、自己の甘えを受け入れて欲しいという感情を押さえることができなくなり、抱きついてしまっ たのである。 この時の被告人の意識をB鑑定は「抱きついたときの被告人の意識は、被害者に義母を見て、 その先に母親(P母さん)を見ている。被告人にとって、母親(P母さん)は、大きくなってからも被告 人の布団に入ってくる女性、自分を常に受け容れてくれる女性だった。母親は、暴力を振るう父親 の共通の犠牲者だったからである。」と指摘している。 ここで、性的な意味合いをどのように考えるかであるが、被告人は性愛的感情と依存感情が未 分化の状態であるから、性的意味合いを見い出すとしても、そこには、自分を抱き寄せて性的ケ アをしてくれるのであれば、せいぜいそれに甘えたいという期待しか存在していなかった。そこに は、無理矢理、被害者と性交する意思・意欲を見い出すことはできないのである。 この点に関してC鑑定も、被告人が、どれほど自覚的であったかは別にして、「性的関係に誘っ てもらえればそうしたいという気持ちが含まれていたとみるのが自然であろう」と指摘しているとお りである。 B 被害者の抵抗に対し、被告人が、スリーパーホールドの姿勢で押さえ続け被害者を気絶させ、 その後、被害者からの反撃に対し、押さえ込みをし、大声を上げる被害者の口を封ずる行為につ いて 被告人は、被害者に甘えたいという行為が阻止されたのに当惑し、ひたすら被害者に静かにな ってもらいたいために被害者の抵抗を抑制した。 その後失神から目覚めた被害者からの反撃を受けてパニック現象を起こし、混乱した意識状態 の中で、自分の行為が被害者にどれほどの攻撃を加えまた打撃を与えているかについて正確に 認識する能力をほとんど喪失し、もっぱら、自分は被害者の口を封じるため右手の逆手で下顎付 近を押さえつけているものと認識し、右手がずれて被害者の頸部を押さえているにもかかわらず、 これを認識することができなかったのである。被告人は、よもや自分の行為が、被害者の頸部を 圧迫し、呼吸困難に陥れ、被害者を死に至らしめているとは思いもよらなかったのである。 この点に関して、C鑑定は、「被告人の思いとは裏腹に、襲われたと思った被害者は、必死の抵 抗を試みることとなった。一方被告人は、予期しない抵抗にあって平常心を失い、自己愛阻止へ の怒りの発散、あるいは被虐待経験者によくみられる過剰防衛的反撃、あるいは父親への抑圧 感情の発散と見られるパニック状態となった。被害者への反撃に対して自分がどれくらいの攻撃 を加えているかについてはまったく意識できていない。」とし、「ここでの暴力が、性的欲求達成の 手段ではなく、被害者の反撃に対する過剰反応だという点が重要である」と指摘している。 以上のとおり、本件は、被告人が、被害者が声を上げるのを止めさせようとして下顎部を右手の 逆手で押さえ込んだものの、その手が頸部にずれてそのまま頸部圧迫となり、その結果被害者を 死に至らしめたものであり、そこには殺意の存在を認めることはできず、殺人罪は成立しないので ある。 C 被害者がぐったりとした後、被告人は、被害者が気絶していると思い、ガムテープで被害者の 両手を縛り、口周辺を封じ、その後もカッターナイフを示したり、着衣を切断したり、乳房に接吻し たりし、脱糞を確認した行為について 被告人は、あれだけ抵抗した被害者が再度反撃に出るのではないかとの思いから、ガムテープ で被害者の両手を縛り、口周辺を封じた。 その後、被告人は、脱糞を確認するまで被害者の死を確認できないまま、カッターナイフを示し たりするなど不可解な行動をしている。 これらの行動についてC鑑定では、「『被害者が目を覚まさないか』などと、自己の不安や怯えだ けに固執している。自我の脆弱性と幼児的な一人よがりの自己愛が浮き彫りになる。」と評価し ている。 また、死を確認するまでに時間を要したのは、最愛の母親と重なる被害者をまさか死なせてしま ったということを認めることに心理的な抑制が働き、それを受け入れることができなかったからで ある。すなわち、被害者を最愛の母親と重ねて見ていた被告人が、自己の置かれた客観的な状 況を理解し、認識することは、それ自体が無理な状況だったのである。だからこそ、被告人は、母 親が自殺したときと同じ状況、すなわち脱糞という状況を認識してはじめて被害者の死を知るに 至るのである。 |
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2007/11/13up | |
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