イラク戦争開戦から今年で5年がたちます。イラク政府は、国内の治安が回復し、難民が戻って来ていると強調しますが、イラクの隣国シリアでは、そうした政府の発表とは異なる厳しい難民の現実が浮かび上がってきました。
シリアの首都ダマスカス中心部から車でおよそ1時間、1つの街が見えてきました。イラク戦争で逃れてきた難民たちがひしめく、通称リトル・バグダッドです。
(Qどこの出身ですか?)
「(イラク中部)カルバラから来たよ」(「リトル・バグダッド」にいたイラク難民)
およそ140万人もの難民を抱えるこの街には、数多くのイラク国旗が売られていました。イラク戦争から今年で5年。アメリカ軍やイラク政府は、治安は回復傾向にあるとして、「難民の帰還が始まった」と宣伝。しかし、この街の取材からは、そうした発表とかけ離れた現実が浮かび上がります。
2年前、リトル・バグダッドに逃れたムハンナドさん。16人の家族・親族とともに10畳ほどの狭い部屋で生活する彼は、今はイラクに戻ることはないと話します。
「帰った人もいるけど、帰国後3、4日後で殺されてしまった人も多いんだ。イラク政府は帰国者に700ドル渡す代わりに、その後5年間の出国禁止を命じている。帰っても刑務所のようなところだよ」(イラク難民のムハンナドさん)
「イラクには、一度戻るとなかなか出られない」というのです。さらに、ムハンナドさんにはあまりにつらい知らせが届きました。「イラク国内にとどまっていた兄が殺害された」というのです。
イラクでは、イスラム教シーア派とスンニ派による激しい宗派対立が依然として残っています。
「4ヶ月前、私の兄は殺された。兄は病気だったのに、シーア派の連中は彼を誘拐・殺害し、ゴミ箱に捨てた。2週間後、兄は顔も識別できない状態で見つかったんだ」(イラク難民のムハンナドさん)
イラク独自の魚料理やパンなど、イラクがあふれるこの街。しかし、パレスチナ難民を超えるとも言われる膨大な数のイラク人が今も祖国に戻れない悲劇がそこにはあります。
イラク戦争からまもなく5年。ここリトル・バグダッドの人々は今もなお、あまりに厳しい現実に立ち向かい続けています。(13日16:20)