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【即興政治論】

福島県矢祭町長 根本良一さん Q地方自治、どうあるべきですか?

2007年3月6日

福島県矢祭町長 根本良一さん

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 平成の大合併が一段落する一方、北海道夕張市が財政破たんするなど、4月の統一地方選を前に地方自治の在り方が厳しく問われています。全国初の「合併しない宣言」や、住基ネットへの不参加など、独自の町政で知られる福島県矢祭町の根本良一町長とともに、地方自治はどうあるべきかを考えてみました。 記者・豊田洋一

住民の立場で『考える葦』に

 豊田 矢祭町は、最近では全国から寄贈された本を収蔵する「もったいない図書館」を開館するなど、ユニークな町政で注目されていますが、これは裏返せば、ほかの市町村に特色がない証左でもあります。「根本町政」の哲学、原理原則は何でしょうか。

 根本 当たり前のことをしているだけなんです。公務員は努力せず、他動的で、税金をむさぼっている。私は、町民の立場から、それが見えるんですよ。公務員を全部なくして、全く別のものを育てないと、日本は駄目になる。町民は皆そう思っているし、日本中そう思っています。税金をみんなで食ってしまいましょうということが、日本にとって一番つらいことです。でも、公務員にはそれが何年たっても分からないんですよ。

 豊田 公務員はいつごろからそういう存在になったのですか。

 根本 明治時代からですよ。明治政府が統治のため使い走りに使った官僚・公務員という組織が、いつの間にか独り歩きを始めて、鵺(ぬえ)のような存在になってしまった。中国で言えば、宦官(かんがん)でしょうね。日本はまだ、そこまで落ちていませんが、志が低いんです。

 豊田 志の高い人もいるのではないですか。

 根本 そのレベルの問題です。全体を覆うものがどうしようもないところまで来ている。私は町の人から、町職員を尊敬しますという言葉を聞いたことがない。矢祭町ばかりではないですよ。これを直さないといけません。地方自治にとって正しいことは、住民の立場で考え、判断することです。町職員にそれがちゃんとできれば、私は言うことはありません。私が町長でなければ、町職員は楽でしょうがないでしょうね。

 豊田 失政のツケが住民に回ることは、夕張市を見ても明らかです。夕張市はどうして財政破たんを回避できなかったのでしょうか。

 根本 夕張市は、約十二万人という最多人口を記録した一九六〇年当時、職員が約四百人いましたが、人口一万七千人の今も、職員数はそれほど変わっていません。人口が多いときと同じように、職員に給料を払い、予算を組んで、揚げ句の果てには借金しながら、観光で飯を食いましょうなんて、何寝ぼけたことを言っているのかねぇ。四十近い観光施設を造って、六百億円の借金をつくった。その発想がまずい。他動的なんですよ。自ら耕して生産性を持って生きていかねばなりません。でも、夕張は一秒でよくなります。

 豊田 なぜですか。

 根本 夕張市が破たんして、給料が減らされると知ったら、職員は驚いて、勧奨退職でドッと辞めましたね。あれで決まりです。あの人たちがいなければできない行政の仕事なんて、何もないんですよ。人件費を減らせれば勝負はついたんです。辞めさせようとしても、地方公務員法で辞めさせるわけにいかないんですから。

 豊田 地方自治とは本来、自分たちの町のことは自分たちが決めることですが、中央集権的国家の日本では、地方が自立しようとしても、自分たちのことを決められません。このことがいろんな問題につながっているのではないでしょうか。

 根本 国が決めたことには無駄が多い。市町村合併は、その最たるものです。地方分権を掲げて合併に追い込み、素直に従えば、特例債で金をもらえるなんて。地方自治体は今、考える葦(あし)ではないんです。(国と地方の税財政を見直す)三位一体改革も邪道です。全国知事会も三兆円の税源移譲で妥協はすべきでなかった。なぜ三兆円なのか、積算根拠がない。地方分権といいながら、補助金システムをどうしようとか、起債をどうしようとか、そういう議論がありませんでした。

 豊田 矢祭町政の今後は。

 根本 役場は安っぽい仕事を抱え込み過ぎました。税金で仕事をするわけですから、経済行為でできるような仕事は当然、淘汰(とうた)されるべきです。地方自治体の形態、組織を新しい、本来あるべき姿に戻そうと思います。矢祭町は小さな地域ですが、壮大な実験をしていると自負しています。今後、自分が(町長として)やるかどうかは別にして、このレールに乗っかっていけば、半端でない町役場ができます。周辺自治体には自覚がありませんから、矢祭町が一歩抜きんでるには千載一遇のチャンスなんです。

 ねもと・りょういち 1937年、福島県生まれ。学法石川高卒後、実家の家具店を継ぐ。83年の町長選で現職を破って初当選。現在6期目。2001年に町議会が合併しない宣言。02年には住民基本台帳ネットワークへの不参加を表明。

 

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