2008年1月12日 (土曜日)

夜、テレビ見過ぎ・・・

  最近夜になるとテレビを見ている。年末に録画しておいた映画などである。 本当は映画館で見たかったけど、ま、時間が過ぎれば、テレビで見れるからなぁ。

  

   まず、 「手紙」http://www.tegami-movie.jp/) を見た。

 僕は「山田孝之」という俳優の演じる「影・暗さ」が好きなのだが、それ以上に「沢尻エリカ」の関西弁が気になってしまった・・・・(「パッチギ!」の方が良かったな)。

  殺人という罪を犯し服役中の兄貴と、犯罪者の身内というレッテルがつきまとい何をやっても差別されて人生が狂っていく主人公との「手紙」のやりとりを軸にストーリーは展開していく。

 いつもこういう映画を見ると、「レッテル」を貼って差別する「世間」とは誰か?そんな奴どこにいるんだ?なぜ「本人」を見てあげないのか?と知らず知らずのうちに「善人」という立場に立ってイライラしている自分を見つける。いや、この映画の鑑賞者は誰しも「善人」の立場で主人公のやるせなさに同情するのだろう。

 善人顔で映画を見ている人しかいない「世間」ならば、差別者は存在しないことになり、主人公はここまで苦しまなくて済むだろう。じゃあ、映画に描かれている「差別する世間」とは、いったいどこにいる誰のことを指しているのか? 

 僕の友人で、「結婚を決意した妹を無理矢理に別れさせた」という奴がいる。「だって、身内の問題だせ。キレイゴトじゃないんだよ!」 その言葉に僕は何も言えなかった。

 つまり、善人であるはずの自分が、状況・立場の中で「差別者」になっている。イコールなのだ。さらに、差別している事実すらも「善」という立場に立っている。「キレイゴトじゃないんだよ!」と。「自分」を「善」とする立場はなかなか揺るがない。

 だから、「差別している世間」、主人公・山田を差別しているのは、映画をノンキに泣きながら見ている「自分」でもあるのだ、という観点でこの映画を鑑賞したら、自分が立っている「善」というものの「構造」を垣間見れるかもしれない。

  

  

 次に、「武士の一分」http://www.ichibun.jp/)を見た。

 「木村拓哉」が毒味役の下級武士で、殿の御膳の毒味中に「赤ツブ貝」の毒にあたり目が見えなくなってしまう。盲人となった主人を必死で支える妻(檀れい)は、その後の生活を守るために、上役(坂東三津五郎)を頼るも、結果だまされて手込めにされる。そんな妻を離縁したキムタクは、「武士の一分」をかけて、坂東に果たし合いを申し込む。盲目のキムタクと、使い手・坂東との息を呑む決闘・・・・。

 山田洋次監督の「画面タッチ」だなぁ、と嬉しくなりながら見ていた。

 でも、どうしてもトップアイドル「SMAP」のキムタクの演じる時代劇・・・という自分の「先入観」。昔みたいな「時代劇のスター」の出現を待ちこがれる自分ではありますが、そんな事よりも、キムタクの「侍ぶり」は見事でした。

 そして、ラストシーンで、キムタクのところに帰ってくる妻・檀れいが、

 「せば、あなたのそばにいてもいいんでがんすか・・・」

 と泣きながらキムタクに許されるシーン。号泣・・・・。

 「あなたのそばにいる」・・・っていい言葉だな。ホントに。

  

  

  次に、映画ではないけれど、

 「3年B組 金八先生 新春2時間スペシャル」(http://www.tbs.co.jp/kinpachi/)。 

 親に交際を反対されて「駆け落ち」したB組の彩華。そんな彩華を迎えに行った金八先生に、

 「悪かった、でも、間違ってはいない」

 と話す彩華の想いを尊重する金八先生。 うん、いい感じ。

 フィクションの「学校ドラマ」とは分かっていても、やっぱり大好きなドラマだ。

 

 この言葉は、「言い訳」や「開き直り」や「自己弁護」に使う言葉ではない。

 胸一杯に生きているのになかなかうまくいかない人生。

 涙をこらえながら、地面に足をつけて、現実の中へ歩み直す時の「覚悟」なのだと想う。

  

 「悪かった。でも間違ってはいない」

 「うん、間違っていない。でも、悪かったなぁ・・・」

 頑なになったり、恥ずかしくなったり。

 

 ・・・僕もだ。

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2008年1月11日 (金曜日)

表現が成立しないと思えるとき

 さっきから、

 ブログの更新ネタを4本書いた。

 

 ちなみに、投稿タイトルは、 

 ・「絵文字嫌い」

 ・「再可決って・・・?」

 ・「同じ法話を繰り返し話すということ」

 ・「自分の冷たさ」

 ・・・・以上の4本を書いたのだけれど、 

 その都度、4つとも「削除」してしまった。

  

 表現したい事はあったんだ。

 でも、その表現が成立しない場合がある。

 その一言一言の重さを考える。

 なんとなく不安定な日々に沸き上がる「表現」は、

 例えば、

 個人攻撃として表出し、

 その個人を特定されない為に、

 イニシャル表記になり、

 やっぱイニシャル表記はなんかイヤらしいなと

 遠回しな表現に変更し、

 遠回しな表現をアレコレと考えているウチに

 そんな自分のイヤらしさにテンションが下がり、

 結局、

 削除してしまったのである。

 

 新規投稿を書いて、

 ブログの「投稿ボタン」をクリックする瞬間、

 「表現」がネット上に飛び出していく瞬間、

 いつも、緊張する。

 

  やはり、楽しくも、哀しくも、絶好調でも、絶不調でも、

 その書いている自分自身が「文責を担う」という意味で「ノっていない」と

 「表現」ってものは成立しないようである。

 

 

 ・・・・・ていう以上の文章が

 本日5本目に書いた投稿ネタであり、

 それを採用してしまう自分デシタ・・・(トホホ)

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2008年1月10日 (木曜日)

風邪のプレッシャー

風邪のプレッシャー

冬はサビィーナー(byアキタケジョウ)
……というわけで(>_<)
  
今朝はこの冬一番の寒気ということで、
「マイナス10度」あたりまで気温が下がった。
寒さにはあまりにも無防備なお坊さんコスチューム(和服)なので、
着物のタモトや足元からの寒さが「痛い」のである。
でもお寺の境内の「雪かき」をした。
  
「うへぇ…風邪引きそう…。」
  
先月(12月)はバンドの解散コンサートが迫っていて、
本番できちんと歌うために「風邪をひいてたまるか!!」と、
本番の2週間前くらいからウガイや手洗いを狂ったように繰り返し、
ナーバスになりすぎて逆に具合悪くなっちゃっていたが、
コンサートが終わったとたん解放された感じで、
その後、風邪予防らしい予防をな〜んにもしてなかったわ!
   
  
そうだった。
これからが「冬本番」。
休みもないんだし、
お坊さんとしての本業をつつがなくやっていくために、
風邪を引けない自分であることには変わりなかったのだ。
  
 
※昨夜更新された師匠のブログ。http://blog.livedoor.jp/minoblog/archives/51284550.html
日々のラジオ番組やコンサートを控えた師匠は
風邪を引いている場合ではない、
その「ご苦労」が綴られていた。
先月のコンサート前には「セミ素人???」の僕でさえ風邪のプレッシャーに脅かされてナーバスになっていたんだから、
ましてや、たくさんのファンや関係者の期待を背負う師匠のご苦労は大変だろうなぁ…
とお察ししたのであった。冬場のライブのコンディション調整は本当に大変だ!!
  
   
ホ〜ント、「風邪」ってヤツは、
予防して気をつけても引くときは引くし、
うつされたり、うつしたり、
セキが止まらなかったり、
ノドが痛かったり、
関節が痛くなったり、
高熱が出たり、
下痢になったり、
楽しみにしてた用事をキャンセルしなきゃならなくなったり………
………
その「脅威」にいつも怯えている。
  
今年も風邪を引かないよう気をつけなきゃなぁ。
それでも引くときは引いちゃうんだけど・・・。
ん?「恋」は風邪みたいなもの?
じゃ、その「風邪」ならいつも引いてるわ(笑)

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2008年1月 8日 (火曜日)

ウトウト読書

ウトウト読書

  

今夜、またお通夜でした。

お通夜では、お経の後で「お話(法話)」をさせていただくので、やはり緊張しますし、疲れます。今日の「お坊さん」としての自分は果たしてどうだったのか、お伝えしなきゃならない事を、お伝えすることができたのだろうか、いつも不安なのですが・・・。

 

帰ってから私服に着替えて、久々に近所の本屋に行ってきました。「新書」を2冊ばかり購入。

ウチに戻り、自分の部屋のソファーで横になりながら、「読みたかった本」をやっと読めている「時間」が、今は一番好きなんだなぁ…。

…といいながら、ウトウトばかりして、なかなか読めてないんだけどね(^^;)

でも、そんなウトウトも好きなんだよなぁ…。

 

今日という日の「業(わざ)」を為し終えた時間。

「ひとり」の時間。

今の自分にとって「大切な」時間。

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2008年1月 7日 (月曜日)

僕は・・・

  「僕はマイナス思考です・・・・」

  などと言うとイメージが悪いので、批判されたり、心配されたり、バカにされたりするかもしれない。

 でも、何でも自分の都合よく、うまくいくのが「当たり前」という土台に立っているよりも、

 そうじゃなく、

 全ては、つながり・関わり合い(縁)の中にあり、思い通りにいかない事の方が多い、「ママにならない(諸行無常)、アテにならない(諸法無我)」という土台に立っている方が、

 期待を裏切られ、思い通りにならなくても、それはそれで「当たり前」だし、

 逆に、

 もしも、

 期待通りに、思い通りにうまくいったならば

 涙が出るくらい嬉しく、腹の底から「有り難う」と喜べるのだ!!

 

 だから、僕のこんな「マイナス思考」は、そのまま「プラス思考」につながっているのだと思っている。いや、そうありたいと思っている。

 単なるマイナス思考ではイジケてるに過ぎないし、単なるプラス思考では転んだときモロイ。

 だから、 

 自分の都合を「土台」にしないこと・・・・、

 ・・・いや、それはムリなので、

 自分の都合のみを「土台」にしている自分自身に気づきなさいよ!っていう呼びかけを「仏教」の教えからいただき、シッカリと歩む姿勢を学び、実践したい。

 私には、お守りも厄払いも不要。だってそんなものでエゴを「土台」にしたままの自分を甘やかし、誤魔化してみたところで、「生まれた」以上100%「老・病・死」の人生に「都合」を裏切られ、アテにならない・ママにならない「結末」が待っているからだ。

 「当たり前」の反対語は「有ること難し(ありがとう)」なのだ。

 

 日常の何気ない瞬間を「有り難う」と喜べるのか、

 それとも、

 「当たり前じゃ~~ん」として無感動に素通りしていくのか・・・・。

  

 僕は、そんな事を日々の中で学ばせていただいている浄土真宗のお坊さんです(^_^) いや、そうありたいと思っている38歳のオッサンです(*^_^*)

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今年…

みのや師匠のフレーズ。

「頑張っても必ずうまくいくとは限らない」
そうなんだ。

「でも、頑張れば必ず感動できる」
「感動する為に生きている」

まさにそうなんだ。

 

今年の僕には、
「静かな志」がある。

あくまでも「静かな」だ(笑)

だから、たとえうまくいかなくても、また「静かに」体勢を立て直すだろう。

 

でも、
今年の「初夢」で見た光景は、すべてに絶望して「割腹自殺」をしようとする自分だった…。実は一皮むけば、悲しいくらい不安定な自分自身であることを再確認した初夢。

どこかで投げやりになっていたのかもしれない。

昔みたいに「メラメラ」できなくなった自分がいるのも事実だからだ。

でもね、

やっぱり やらなきゃならない。

  

♪崩れ落ちた時間だけ 強くなってく魂がある・・・

 (みのや雅彦『たとえ空から無情の雨が降り続けても』より)

 

「根」を強く。
突風が吹いても「折れない心」で…。今年。

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2008年1月 5日 (土曜日)

卵ぶっかけご飯

お正月にやってきた札幌の兄貴一家。
甥っ子2人は、さらにやんちゃボウズになっていた。
 
1月3日の昼、札幌へ帰る前、
「お腹がすいたァ〜〜」と兄弟仲良く2人並んで、
「卵ぶっかけご飯」を食べていた。
 
そんな2人を何気なく携帯電話のカメラで撮った写真が、
な〜〜〜んか「昔の自分と兄貴」を見てるような
懐かしい雰囲気を醸し出していた。
 
その昔、僕のまわりの時間は、ゆっくり優しく流れていた。
今夜は久しぶりに俺も「卵ぶっかけご飯」を食べてみようかな……

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2008年1月 4日 (金曜日)

年賀状のデザインには好きなものを。

 苦手な食べもの・飲みもの。

1・牡蠣

2・レーズン

3・日本酒

 もしも、僕に『食わず嫌い王決定戦』のような場面があったとしたら、判定前の「試食」すらできないと思う。特に、「牡蠣」は口に入れるだけでアウト。アノ番組に出るタレントさんは、苦手なものでも1度はポーカーフェイスで食べてるのがスゴイと思う・・・。

 

 苦手なもの。

1・虫 (幼虫・・・・・・・・・・・・・・・・)

2・暑さ(23度以上)・寒さ(10度以下)

3・不躾な視線

 なぜだろうね。どうやったって、苦手なモノは苦手なのだ。

  

 苦手なものと言えば・・・・、

 みのや師匠は「ネズミ」が苦手だと言う。

 僕が高校の頃、京都で聴いていた深夜放送でも、本番中にディレクターにネズミの縫いぐるみを放り込まれ狼狽していた師匠を思い出す。今年初めのラジオでも、「子年」にちなんだ放送内容で、笑わせてもらった。

 で、元日に、そんなみのや師匠からの年賀状が届いた。(師匠、ありがとうございます♪)

 毎年、師匠の年賀状はデザインが面白いのだが、今年「子年」の年賀状はどんなデザインなのか楽しみにしていた。果たして、ネズミをデザインした年賀状になるのだろうか・・・・。それとも、干支には触れずまったく関係ないデザインになっているのだろうか・・・。

 届いた年賀状を見て・・・・、なるほどぉぉぉぉと思わず叫んでしまった。

 メインの図柄は、「UFOと宇宙人」のイラストだった(笑)。(1箇所にネズミのデザインが隠されていたが・・・)UFOと宇宙人と言えば、師匠の「大好き」分野ではないか!!

 

 年賀状のデザインって面白い。

 今年も皆さんから色んな年賀状が届いた。

 毎年、その歳の干支の動物のデザインが多いけど、犬好きな人は犬の写真をメインにしていたり・・・。他にも、家族の写真。こどもの写真。習字で達筆な文字が書いてあったり、絵手紙風のもの、お坊さんなら法語、音楽好きな人なら楽器のイラストとか、本当に色々で、楽しい。

 年賀状は贈り物だと思う・・・(笑)

 で。

 今年。僕が送った年賀状のデザインは、ギターを抱えた自分自身↓↓↓・・・・。やっぱり、「自分大好き」人間なのでした(笑)

 「08.doc」をダウンロード

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